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いや……、コラボナイターに行ったわけじゃないんですけどね。
昨日は何十年ぶりかでテレビの野球中継なんぞを見たり、並行してtwitterでTLを追いかけて、東京ドームに行った審神者の方々がアップしてくださってる動画や写真を眺めたり、さらには公式がアップしてくれた動画を繰り返し繰り返し見たりして、ものすごく楽しかったです。
昨日は暇だったんで、夕方が近づくにつれて、あ〜〜〜、東京ドーム行きてえ〜ってなってたんですが……金がない。ぐぎぎ。

こんなことは本当だったらtwitterにだらだらと垂れ流せばいいんですが、ちょっと事情があって日常ツイートを封印して(されて)いるので、ここにこっそり(ってわけでもないけど。っていうかこんなブログに書いてる時点で「こっそり」もなにもないですけどね)。

しかし、本当に三日月じいちゃんの始球式、お見事でしたね!
あの衣装のまま、綺麗なフォームでちゃんとノーバウンドで投げたのもすごいけど、マウンドに上がるときや降りるときはもちろん、投球してるときも三日月宗近なんですよ。まわりが「じいちゃん、ちゃんとやれるか? だいじょぶか?」ってなってる中で、「うん…、まあ、やってみるか」とか言ってるようないつもの穏やかな表情で登場し、投げるときだけ真剣な厳しい目つきになる。それでちゃんとキマる。キメるときはキメる。まさに三日月。
場内アナウンスでも「三日月宗近さんです」って言ってくれてて、なんというか胸熱。刀ミュを知らない野球ファンの方々には意味不明でしたでしょうけど、虚構と現実が混じり合った瞬間ていうかね、そんな感じがしました。

余談ですが、三日月がグローブを兼さんから受け取る前に、刀を今剣ちゃんに預けたんですが、そのときは今剣ちゃんは跪いて両手で受け取り、投球の間ずっと両手で捧げ持っていて、刀剣男士にとって、自分の刀を身体から離して、さらに他の人に預けるってことは大変なことなんだなと改めて思いました。信頼している仲間である今剣ちゃんだからこそ預けたんだし、それが大変なことだと自分でもわかっているからこそ、今剣ちゃんもきちんと礼を尽くして預かっていたんですよね。

それに、球場に行っていた審神者の方のツイートで、近くの席の普通の野球ファンのおじさまが「礼儀正しい」って感心してたってのがありましたが、そりゃ三日月ですから! 国宝ですから! 齢千年ですから! と、なぜか私がドヤ顔になるという(笑)。
三日月宗近は、なによりも上位に位置する存在なので、いつだって余裕があるんですよ。だから誰に対しても礼儀正しく接することができる。そんなキャラを東京ドームというある意味アウェイな空間でも完璧に演じきった中の人もさすがでございまいた。

でも、中の人=黒羽麻璃央くんは実はものすごく緊張してて涙目になっていたと、会場限定FMでは他のキャストたちにバラされていたとか。そりゃそうだよねえ。かつての野球少年が、始球式とはいえ、東京ドームのマウンドに立つなんて、本当に夢がかなった瞬間じゃないかと思います。よかったね。
それに、公式がアップしてくれた動画ではブルペンでの投球練習の様子も入れてくれていたんですが、そこでは、兼さんがキャッチャーで、バッターボックスには岩融が立って、みんなただの野球少年。キャッキャしてて楽しそうでかわいかったです。

んでもって、その会場限定FMには療養中の北園涼くんも参加して、そしてそして、その最後には「真剣乱舞祭2018」への出演が決定したという発表もあったとか。っていうか、公式サイトでも発表ありましたね。
涙出た。よかったよー。無理のない範囲で、ちょこっと出るだけでもいいので、楽しみにしてますよー。
……って、まだチケットがご用意されていないんですけどね!
こないだの公式ファンサイト先行予約では友達も含めて全落ちで、今はキャスト先行に申し込み中です。

あたりますよーーにーーーー。


と、他にも行かなきゃいけない(?)ライブもあるので、金が……。いつもの仕事で春頃にやったのにまだ入金されてないのとかあって、どうにもぐぬぬぬって感じなんですが、なんかもうそんなので胃が痛くなるのもいやになってきたんで、そろそろバイトでも探そうかなーと考え中です。
どんなバイトがいいかなあとか、ちょっとワクワクもしていたり。
 

あ〜、ちょっと「刀ミュ」関連の記事が多くなってきたんで、「萌え談義」とは別にカテゴリ作るかなー。
 

なんか素敵な感じのタイトルですが、はっきり言って「釣り」ですすみません。

衝撃のジュリーのツアー初日(7月6日・武道館)を観てから「これはどういうことなんだろう?」と、ずっともやもや考えていたんですが、この間、私にとっては今年2度目となるNHKホールでのライブに行ってみて、「こういうことなんじゃないかな?」と、ふんわりですが考えがまとまった気がしたので、書いておこうかと思います。

お断りしておきますが、これから書くことは、まったくの私の個人的な考えというか、ほとんど妄想ですし、「こういうことかな?」というよりも、「もし、こういうことだったら、私は納得できるんだけどなー」というぐらいのことです。
なので、ジュリーが言ってもいないことを捏造してますし、そうするためにかなり上から目線のようにもなってしまっていると思います。ジュリーの気持ちを勝手に推測して決めつけるなんて許せないとか、あるがままのジュリーが大好きなのだから、今年のあのライブスタイルでも十分大納得なのに何言ってんだよ……という方は、この先はお読みにならないほうがいいかと思います。
でも、私の中でちょっと整理しておきたいなーという気持ちもあり、考えたことは書いておきたいので、ご了承いただきたく存じます。


と、長々と言い訳を書いておいて……(ビビリなのでね)

釣りタイトルの「ジュリーはスターのまま」ですが、これは素直に読めば「やっぱりジュリーは素敵! 古希になってもスターのままよね!」というふうに受け取られると思いますが(だから「釣り」なんですが)、私の中ではちょっと違って、「ああ、ジュリーはスターのままでいることにしたんだなあ」「スターのままでいるしかなかったんだなあ」というニュアンスです。

ジュリーはデビューした18歳のころからずっとずーっと「スター」として輝き続けてきたわけですが、年を取ったらその「スター」をやめられる、やめたいと思っていたんじゃないでしょうか。
だから、還暦になったときに大々的に還暦コンサートをやって区切りをつけ、その後は「スター・ジュリー」ではなく、ひとりの歌手・沢田研二として好きなように(気楽に?)ライブを続けていくために、ギターのカズさんとふたりだけでやるという計画を考えていた。
「あのジュリーがジジイになった、で僕はよかったんです」って、こないだのNHKホールのMCでも言ってましたしね。
でも、還暦コンサートで80曲なんて前人未到のことをやったせいで、沈んでいた人気が想定外にちょっと浮いてきてしまった。それで、ギターとふたりだけでやるってのはちょっと棚上げにして、一緒に80曲をやってくれた鉄人バンドともう少しやってみようと、この10年やってきた。

その10年を経て、満を持してのカズさんとふたりだけでのツアーとなったわけですが、もしかしたら、今年やってるこのスタイルは、ジュリーが当初考えていたのとはちょーっと違ってしまったんじゃないかと私は邪推してしまうのです。

この10年間、ジュリーは「ただのジジイ」になるためにいろんなことを試行錯誤してきたように、私には思えます。
「我が窮状」や震災後に発表し続けている曲たちをリリースし、ときには政治的な発言もする。スターとしての見た目なんかもう関係ないよと言わんばかりに、角刈りにしたり坊主にしたり(これはお芝居のためではありましたが)、太ったり髭を生やしたり……。スター・ジュリーとしてではなく、沢田研二個人として、好きなことを言い、好きな格好をして、その上で歌い続けたいと思っていたんじゃないでしょうか。
例えば、「大好きな」とジュリーも言っていた吉田拓郎のように? わかりませんが。

でも、なにをしても、「あのジュリーが」と言われてしまう。「あの」も「その」もなにも、どれも俺だよ!とジュリーがいくら思っても、世間はそうは見てくれない。なにをしても「スター・ジュリー」をやめることはできないんだということを思い知らされる10年間だったのかもしれません。

それに、なにより、私たちが想像できないように、スターじゃないジュリーというものを、ジュリー自身もうまく思い描けなかったんじゃないでしょうか。ギターとふたりだけで地味にライブをやるといっても、じゃあ、小さいライブハウスのようなところでやるのか、そうしたときにどんな状況になるのか、まだまだたくさんいる熱心なファンたちはどうなるのか……。
「たくさんのお客さんの前で歌いたい」ということは前から言っていたし、それは本音でしょう。じゃあ、どうしたらいいんだ?となり、そこからの、ギターとふたりきりになっても会場は今までと同じ、という今年のライブスタイルになったんじゃないでしょうか。

50年間、天上界のスターとして輝き続けていたために地上に降りる方法がわからなくなったっていうか、そんなふうに言うと悲しい話のようですが、この先好きなようにやっていくにしても「スター」であることはやめられない。ならば、「スター」のまま、天上界に身を置いたままで好きなことをやろうと、ジュリーは腹を括り、その相棒としてカズさんに一緒に来てくれないかとお願いした。
ふたりだけでやっていくことについて、カズさんには事前に少しずつ話をしておき、最終的な返事をもらうときにも「よく考えて」と言ったとMCでも言ってて、すごい気の遣いようだなと思ったんですが、そりゃあ腹を括った自分にこの先ずっと付き合わせようってんですから、気も遣いますよね。

お客さんに見せる姿はスターのまま、大きなステージの上で今までと同じように歌う。でも、長く歌い続けるために、先を見据えて、バンドは解散し、大好きなカズさんというギターとふたりだけでやりたいという自分の希望も通す。そんな折衷案ということなのかなあ、そういうことだったら、この、なんとも中途半端な(言っちゃった)ステージ構成と演奏も納得できるような気がする、と私は思うわけです。

そう考えると、今回のツアーの1部のピエロの衣装は象徴的です。スターのままでいるしかなくなったピエロ。「俺は見世物でいいんや」と30代のころのジュリーは言っていましたが、ジジイになっても、道化としてみんなを楽しませ続けるよ、というジュリーの覚悟が表れているように思うんですが、考えすぎですかね。


なんにしろ、ジュリーが「やりたい」と思い、こうと決めたことならば、ファンとしては付いていくしかないんですが、ひとつだけ言わせていただければ、

もっとゆるくやってみては?

たぶんジュリーも今年は、この、今まで誰もやったことのない変則的なライブが受け入れられるかどうか、ものすごく緊張してやっているんだと思うんですが、その緊張が客であるこちらにも伝わってきて、ちょっとつらい……。
カズさんとふたりきりになっても、今までと同じステージを見せるんだという覚悟なんだろうなと、私は自分を納得させつつ観ているんですが、その「同じ」ということにこだわりすぎると、これまでドラムとベースとキーボードと4人でやっていたバックバンドを、カズさんがひとりで担うことになってしまうわけで、それもつらそうだなと心配になってしまったり。

なので、もっとゆるくやってほしいなと思うわけです。せっかく大好きなカズさんとふたりきりなんだから、ステージ上でコミュニケーションを取る、その様子も見せながら、そのときのジュリーの気分やカズさんのコンディションとかによって、歌も演奏も変化していい。どちらかが間違えたら「てへ」と顔を見合わせて笑いながら歌ってもいいし、ぐだぐだになってやり直してもいい。
カズさんはそういうのが苦手なのかもしれないけど、なんならふたりで掛け合いのようにおしゃべりしながらやってくれたらもっといい。

この先ふたりだけのステージに慣れてきたら、もしかしてそんなふうになっていくのかもしれないけど、そんなふうなゆる〜いライブを、数千人規模のホールやアリーナでやるとか、それこそ前人未到なことだと思うんですが、どうですかね?


ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
タイトル詐欺ですみませんすみません。
 
 

このところ、刀ミュや平家物語についての長文を立て続けに何本も書いて、ちょっと今日は抜け殻状態です。
ふーーーー。
ゲームのほうの刀剣乱舞やったり、見損ねてたアニメをdアニメストアで観たりして(そういう意味でもdアニメストアいいっすね。やっぱ月に432円ぐらい払うかなー)今日はまったりしております。

「平家物語」に救われたというお話のところでも書いたんですが、去年は本当になにか書いたり描いたりできる精神状態ではなく、観たり聴いたりすることも難しかったんですが、まず、観たり聴いたり読んだりはできるようになり、このところは主にインプットするばかりの毎日を過ごしていました。
っていうか、以前の私はなにか書いたり描いたりしていないとなんというか自分が保てないような気がしていて、ウンウン言いながらもなにかしら書いたり描いたりしていたんですが、去年秋の回復期からこっち、今世の中に溢れている本やアニメやドラマや映画やライブや2.5次元を、ほぼ摂取するだけの生活でも全然つらくない。むしろうれしい気持ちで、これからは、どうせ誰にも読まれない私の文章なんか書いたりしないで、受け取るだけの人になろう。そうやって楽しんで生きていこう!と、ちょっとわくわくもしていました。

それが、刀ミュをきっかけにして、なんだかだらだらと長い文章を書いてみたら書けてしまい、あれ? また書けるようになった?ってなりました。
よかった……のかなあ。
まあ、以前のように書かないといられない、という感じはないので、書きたくなったら書く、というスタンスで楽しくやっていきたいと思います。

あ〜、文章に関してはこういう感じなんですが、絵に関してはまだ全然描きたくないんですよ。
以前は、それこそ「私は絵を描いてないと死んでしまう」ぐらいに思っていたんですが、もう1年もまともに描いていない。この前なんか絵を描く仕事を断る始末。全然描ける気がしなかったんでね。
でも、描かないでも生きていられるんですよ! 絵が描けなくなったら死のうとか思っていたのに。
全然死なない。絵を描かない私でも生きてていい。そのことがすごい!ってちょっと感動したりしています。

この先、文章と同じように、ある時急に、絵も描きたくなって描き始めるかもしれないし、このまま一生描かないでいるかもしれない。それはまだわからないけど、どんなふうになるかが楽しみです。