ジュリーのシングル曲をネタにして、
昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。

カテゴリは【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




「君をのせて」から「コバルトの季節の中で」までの
17曲の解説を載せた
「ジュリーのシングル曲でたどる昭和女のイバラ道1971~1976」は、
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いよいよ阿久悠氏時代に突入です。
「時の過ぎゆくままに」「立ちどまるなふりむくな」
阿久悠氏作詞ですが、
これはドラマ「悪魔のようなあいつ」がらみということで、
ちょっと特殊な位置付けとして、
私としては、
1977年2月リリースの「さよならをいう気もない」以降を
阿久悠氏作詞時代としたいと思います。
ここから英語曲の「MEMORIES」を除いて
9曲が連続して阿久悠氏の作詞ですしね。
個別の曲の解説に行く前に、
私が阿久悠氏の歌詞について思ってることを
ちょっと書いて「概要」としたいと思います。

以前からちょくちょく言ってるように、
私はどーもこの、
阿久悠氏がジュリーのために書いた歌詞の中に出てくる
「いい女」というやつが気に入りません。
ていうか、この歌詞の世界の男のことが気に入らないから、
その男どもが夢見ているらしい
女性像ってのも気に入らないのだと思います。
その夢の女たちには、
ジュリーソロ初期の、「男に都合のいい女」という面に加えて、
今度は女への男の幻想、夢想、願望が大盛りに盛られていて、
歌詞を深読みすればするほど、
「こんな女どこにもいねえよ!」と叫びたくなってくるんですよ。

阿久悠氏時代よりも前の歌に登場する女たちにも
気に入らないところがあるとはいえ、
「そういう時代だったんだねえ」とか
「あー、こういう女っているよねー」と思える、
ある意味リアルな女性像や男女関係がそこにはありました。
だからこそ、その押し付けられた女性像に
イライラするっていう話を、
これまでも延々語ってきたわけです。

ソロ初期では、男=「僕」のほうが、
「そんな男いるわけねえだろ!」という
幻想の男であることが多いような気がします。
「あなただけでいい何もなくていい」とか、
「愛のため死んでもいい」とか、
「お前を二度とは離さない」とかとか……、
そんなこと言う男、現実にいる?
少なくとも、私の身のまわりにはいません。
私自身が残念なだけかもしれませんが、
これは
「ジュリーにこんな風に愛されたい」
「ジュリーにこんなことを言われたらたまらん」
という女性ファンの願望を叶える意味もあっての、
ジュリーを想定した理想の男。
むしろ「どこにもいない男」であることが重要でした。
ジュリーは唯一無二の存在ですからね。

一方、その相手である女=「あなた」「お前」は、
それを聴いているファンたちが
自分を投影する対象だったわけですから、
ある程度リアルでなければならなかったのだと思います。
いくら男に激しく愛されても、
いろんなしがらみ(親や世間や年齢とか)があって、
恋愛だけに生きるわけにはいかない。
まー、現実はそんなもんですよね。
人は恋愛のみにて生くるにあらず。
古い価値観に縛られて主体的に生きることのできない女性像は、
リアルであるがゆえにげんなりしますが、
だからこそこれらの曲は
世の女性たちの共感を得てヒットしたのでしょう。

そんなソロ初期を乗り越えて迎えた、
ヒット曲ラッシュの阿久悠氏作詞時代ですが、
これらの歌詞に登場する男たちは、
男である阿久悠氏から見た理想の男です。
男性のジュリーファンが好きな曲というと、
この阿久悠氏時代の曲のどれかを挙げることが多くないですか?
どれもヒットして、
子供のころにテレビで繰り返し観て聴いて脳に焼き付けられて、
ということもあるんでしょうが、
これらの歌詞に描かれた男性像が、
男による理想の男性像だったからってこともありそうです。
洋楽好きやロック好きが曲として評価してではなく、
その歌詞の内容やジュリーのパフォーマンスから、
「危険なふたり」とか「追憶」とかを好きな男の人っているんですかね?

阿久悠氏の言う
「ジュリーが歌えばかっこよくなるから、
安心してかっこ悪い男を書けた」
の「かっこ悪い男」というのは、
どんな男のことなんでしょうか。

愛というのに照れてる壁際男とか、
傷つけ合うのが嫌いなろくでなしとか、
しあわせに照れてるサムライとか(照れすぎ!)、
あなたがほしいほしいと言ってばかりのお調子ものとか、
抱きしめたい不倫男とか、
ボギーになりたい懐古趣味男とかとか……。

一連のヒット曲には、
いろーんなパターンのしょうもない男が登場します。
あ~いるいる、こういう男…
っていうか、こういう男でいたいと
男どもは思ってんだろうなあって感じ。
そういう意味での理想の男がそこには並んでいます。
現実では、
嫁や彼女の顔色うかがって
必要なときには記念日にプレゼントを用意したり、
世間体を慮って大人な振る舞いもするけれど、
ほんとは愛とかしあわせとか照れくさいんだよ、
なんもしないで壁際に寝がえり打って寝ていたいんだよ、
そんなふうなありのままの自分をわかってほしいんだよ、
それが俺の理想なんだよ、
てなところでしょうか。
「自分、不器用っすから…」って言ってたら、
まわり(女)が察して全部いいようにしてくれないかなあ、とか。

なに言ってんですかっ!

甘ったれんじゃねえっっ!


しかも、そんな男を
そのまんまで愛してくれる女がいい女、と思ってるっぽい。

それ、無理だから。

恋愛というものは、
ふたりの人間の関係で成り立つものなんですから、
その関係性によって自分を変えることのない一方(男)を、
もう一方(女)が完全に受け入れて愛し続けるとか、
ないから。
それ、恋愛じゃなくて、主従関係じゃね?
そういう甘ったれたところを
「かっこ悪い」と阿久悠氏は言っているんでしょうか。
そうなのかもしれませんが、
その「かっこ悪さ」こそが、男の本音であり、
そのありのままを曝して生きる男、かっこいい!
ってな感じが透けて見えて、
どーもそこにも、

それ、違うから!

と言いたくなってしまいます。
まー、「そのままの君が好きだよ」ってのは、
男から女への殺し文句としても常套句だったりするわけで、
それが男女入れ替わっただけとも言えますが、
阿久悠氏の歌詞の中では、
その「ありのままの男」を愛し続けたり許したりしている女は、
男のかっこよさを引き立たせるための脇役、背景でしかなく、
「男に都合がいい」というよりも、
もはやそれぞれの物語に都合のいい女でしかありません。
なので、ソロ初期のころのようなリアリティがなくなり、
その結果「こんな女どこにもいねえよ!」と
叫びたくなるんだと思います。

だいたい、女の私から見ると、
阿久悠氏の書く「かっこ悪い男」っていうのが、
そりゃないでしょってとこが多すぎるんですよ。
どのへんがどういうふうに「そりゃない」のかは、
個別の曲でじっくりネチネチ語る予定ですが、
そのために、「さよならをいう気もない」以降は、
悪口、ツッコミ満載になるかと思います。
阿久悠氏の大ファンという方がいらっしゃったら、
ここは読まないでいていただくか、
薄目で流し読んでいただければ幸いです。

しかし、(そこに描かれている男性像、女性像はともかく)
歌詞としては本当によくできているなあ、
さすが~と思うものもたくさんあるし、
大野克夫さん作曲のメロディも耳に心地よく、覚えやすくて、
どの曲もヒットしたのがよくわかります。
しかも、歌っているのは、あのジュリーなんですよ。
そりゃ、どんな男だってかっこよくなりますわな。

阿久悠氏の一連の曲を歌うジュリーは
どれもこれもかっこいいんですが、
この歌の世界を表現するのには、
ジュリーもかなり苦労したんじゃないでしょうか。

ジュリーは、「許されない愛」のような
うじうじした歌が好きで、
かっこいい歌詞は嫌い、
かっこよくないのがかっこいいと思う、
というようなことを言っていたそうです。
(出典不明です申し訳ない)

あれ?

ここでジュリーが言っている
「かっこいい歌詞」っていうのは、
おそらく阿久悠氏の歌詞のことですよね?
でも、阿久悠氏はジュリーには
「安心してかっこ悪い男の歌を書けた」んだよね?

あれ??

要するにジュリーは、
阿久悠氏の歌詞の中の男のことを
「世間的にはかっこ悪いと言われるような男でいたいと
 願うことがかっこいいと思っている男」
であると受け止めていたんですね。
阿久悠氏がそこまで考えて、
「(かっこつけた)かっこ悪い男」
として書いていたのかどうかはわかりませんが、
ジュリーにしてみれば、
そんな男をただかっこよく歌ってしまったら、
今で言う「痛い奴」になってしまうだけです。
そこで、ジュリーはもうひと捻りして、
「かっこ悪い男がかっこいいと思っている男はかっこ悪い
 ということをわかっているかっこいい男」
を演じようとしたんじゃないでしょうか。
ややこしい。
そんなややこしい解釈の結果、
あの、曲ごとに私たちを驚かせてくれた
さまざまな衣装やパフォーマンスになったわけで、
そういう意味では阿久悠氏の
「かっこつけたかっこ悪い男」の歌詞は
素晴しい仕事だったと言えないこともない
……ですかね。

なので、今後のシングル曲解釈は、
そのときのジュリーのビジュアルも一緒に
あれこれ言うことになると思いますので、
「夜のヒットスタジオDVD」やYouTubeをご参照の上、
お読みいただけるとありがたいです。


……と、阿久悠氏の歌詞についての概要(のようなもの)が
長くなってしまいましたが、
次回「さよならをいう気もない」からは、
個別にネチネチと歌詞の内容に迫りたいと思います。
よろしくお願いいたします。

新年が明けて5日が過ぎました。
お勤めの方はもう会社に行ってらっしゃいますよね。
私も昨日から、急ぎではないのだけど、
暮れに素材をもらっていた仕事に手をつけたり、
あちこちにメールをしたりと、
なーんとなく仕事始めな感じ。
でもまー、以前のような、
仕事に追われるようなことはありません。
一昨年、去年と、2年続けて減り続けるデザイン仕事。
これはもう、なんか新しいことをやらないとダメだ、
ということに遅まきながら気付きまして(ホントに遅い)
今年は今までよりは計画的にいろいろやっていこう!
と、新年に当たって決意しているところであります。

というわけで、
以下、自分で自分の首を絞める今年やりたいこと一覧。

1.「ジュリーのシングル曲でたどる昭和女のイバラ道」
  第二弾を年末には出版すべく、
  10月までに「酒場でDABADA」までを書き終える。

2.稀人舎の手作り本を紹介する冊子を5月の文フリで出す。

3.手作り本のワークショップをやる。

4.過去の「稀人舎通信」をKindleにする。

5.ずーっと書きかけだった小説を完成させる。

6.絵の練習をして夏コミには漫画の本を出す。

こんなところか?
どこまで実現できるかはわかりませんが、
幸か不幸かデザイン仕事が激減してますのでね、
時間だけはたっぷりあるんですよ。
今までのように
「時間のあるときにやる〜」ってんじゃなくて、
ちゃんと日々の計画を立てて、
自分に課題を課してやっていこうと思います。

一番困難なのが「6」かな。
漫画ムズカシイ……。今さらって気もするしなー。
あ、あと「3」は、自分ひとりではできないので、
協力してくださる方、
ワークショップに参加してくださる方次第なんですが、
やる方向で計画は立てようと思います。
どこでやるかっていう場所が一番の問題なんですが、
それもこれもこれから考えます。

こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。



2017年
あけましておめでとうございます


本年もどうぞよろしくお願いいたします。

紙の出版物のデザイン仕事も頭打ち、というか、
本当に仕事がないという状況なことは、
去年の惨状を見てとてもよくわかったので(遅い)、
今年は今までのように、
仕事が降ってくるのを
ただ口を開けて待っているだけじゃなくて、
自分から取りにいく、もしくは、
自分で仕事を作ることから始めなければと思っております。

就職するという道も考えてみたのですが、
今まで私がやってきたことと、
【稀人舎】という名前でなにかできないかと、
今年一年ぐらいは、あれこれ模索してみようかと。
具体的には、やっぱり紙の本を作ることですが、
これで私が暮らせるぐらいにはお金が稼げないかと、
もうちょっとジタバタしてみますので、
できれば暖かく見守っていただけましたら、
大変ありがたく存じます。

今年デビュー50周年のジュリーのライブにも行きたいし、
去年からハマってる
ロックンロールジプシーズのライブや、
そのメンバーの下山さんや花田さんのソロライブにも
行かなきゃいけないし、
その遊ぶお金もなんとかひねり出さないといけないのでね。
今年は今までよりももう少し自分から獲りにいく姿勢で
いろいろやっていこうと思っています。

お年賀に、去年描いたジュリーを置いておきますね。

2017お年賀




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