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ジュリーのシングル曲をネタにして、
昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。

カテゴリは【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




「君をのせて」から「コバルトの季節の中で」までの
17曲の解説を載せた
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《その2》からの続きです。

と、ここまで、百恵ちゃんの「プレイバックPart2」まで巻き込んで、「勝手にしやがれ」の歌詞をディスりまくったわけですが(この世界が大好きという方には大変申し訳ありませんでした)、この、女の敵のような男の歌をジュリーはどういうふうに歌ったかというと、にこにこしながら、ひたすら陽気に、両手を上げて妙な踊り(すまんジュリー)まで付けて歌ったんですよ。スーツを着た大人の男が両手上げて踊るとか、普通はやりません。超ふざけてます。これは、「ワンマンショーで」「朝までふざけ」ている男ということですよね。

「週刊現代」の鼎談で木崎氏は「実は『危険なふたり』のときのようなフニャフニャした歌い方をするのではないかと不安だったんです。(中略)ところが出だしの「壁ぎわに寝がえりうって〜」からビシッと男らしく歌ってくれたので、びっくりしました」と言ってるんですが、「男らしく」? 「ビシッと」???
いやいやいや、あれは充分「フニャフニャ」でしょうよと思うんですが、ここでもまた、男たちと私の受け取り方は違っているようです。まあ、「危険なふたり」のような甘さはないですから、それを「フニャフニャ」と言ったのかもしれませんが、「ビシッと男らしく」というのとは違うような気がします。
私は、「「阿久悠氏時代」の概要のような…」のエントリの中で、ジュリーは「かっこ悪い男がかっこいいと思っている男はかっこ悪いということをわかっているかっこいい男」(ややこしくてすみません)を演じようとしたんじゃないかと書いたんですが、この「勝手にしやがれ」を「ビシッと男らしく」歌ってしまったら、単に「かっこ悪い(ところを隠さない)男はかっこいいと思っている男」じゃないですか。歌詞の中の「カッコつけさせてくれ」って言っている姿そのまんまですよね。言葉で「カッコつけさせてくれ」って言ってる時点でそれはもうかっこ悪いわけですから、それをそのまま歌ったら恥ずかしすぎる。
というわけでの、にこにこ(ニヤニヤ?)笑いながら、無理にでも陽気にふざけている男として、ジュリーは歌ったんじゃないでしょうか。
なので、木崎氏が「ビシッと男らしく」と感じたとすれば、それは「迷いなく」ということじゃないかと思います。「俺って情けないな〜」という歌い方で情けなさを表現するのではなく、「俺、こんなに情けないんだぜ。ドヤァ!」って感じですかね。そういうふうに歌うことで、下手をすれば演歌的にじめっとなりそうな世界をポップに表現できたんじゃないかと思います。
まー、大野克夫さん作曲のゴキゲンなピアノフレーズから始まるアップテンポな曲調だし、むしろそう歌うしかなかったんじゃないかと思うんですが、そういうことってプロデューサーとは歌う前に打ち合わせしたりしなかったんでしょうか。
「勝手にしやがれ」のレコーディングは、ジュリーがグアムから帰ってきてすぐ、しかも風邪気味だというのに行われたものということで、当時の過酷なハードスケジュールが垣間見えますが、もしかしてグアムからの移動中に、作曲の大野さんとは打ち合わせしていたのかもしれませんね。

木崎氏は「(「ワンマンショーで〜」というフレーズは)「さすがにこれはジュリーも恥ずかしいだろう」と勝手に思っていたのですが、すごくうまく歌ってくれた。」と言っていますが、これもまた「??」です。逆に「朝までふざけようワンマンショーで」というフレーズは、この歌詞全体の中で唯一の恥ずかしくないところじゃないですか? 他の部分は全部恥ずかしい。最後にこのフレーズがあるおかげで「勝手にしやがれ」は救われていると言ってもいい。これだけは最後に「ビシッと」決めることで、ジュリーはこの曲を「なにもかもわかっているかっこいい男」として歌うことができたんだと思うんですよ。
それまでは、上から目線だったり、しょーもない言い訳をしたりしていたのが、ひとり(ワンマンショー)になっても、女がいたときと同じように「朝までふざけよう」ってことは、自分が「ふざけて困らせた」ことをちゃんとこの男はわかっているんです。そして、それは女に対してだけふざけていたのではなく、こういう生き方しかできない男なんだと言っているわけですね。
まー、清々しいほどのクズ男ですわね。そこまでやられたら、女のほうは「あ〜、もうあんたはそのまま死ぬまでふざけてれば? 付き合いきれないけど」と苦笑いしつつ出て行くしかないですよ。
恋愛関係においては、ふたりの人間の感情のやりとりの結果、お互いが満足できるようにどっちも変化していくのが理想だと思いますが、この男は「俺は変わらないぜ!」とビシッと言い切っているんですよ。もうどうしようもないです。
最大限好意的に解釈すれば、出て行く女が未練を残さないようにという優しさでもある。そりゃもう、晴れ晴れとかっこよくドヤ顔で歌うしかないでしょう。

木崎氏はなんでこれを「恥ずかしい」と思ったのか。そこまで開き直るのは恥ずかしい、とか? いやいやいや、ここでヘタに悲しい心情とかを吐露されたら、もうほんとに演歌の世界になっちゃうじゃないですか。阿久悠氏が言うように「ワンマンショーを〝気取る〟」というところがカッコつけすぎ? それも、上で言ったようにここは気取ってなんぼなシーンなので、恥ずかしがってる場合じゃないです。
もしかして「ワンマンショー」が、歌手であるジュリー本人と直結する言葉であるために、「さすがにこれはジュリーも恥ずかしいだろう」と思ったのかもしれません。しかしね、これをジュリーが最後にかっこよく決めることで、聴いているほうは、それまでのなんだかダメーな情けない男の話から離れて、「あ、これはジュリーのワンマンショーなんだね!」と、「歌手ジュリー」が目に入る仕掛けになっているんです。
いわばダブルミーニング。
これはアレですよ。バンドのライブで「今夜は朝まで帰さないぜ」って客に向かって歌うやつ。歌詞の中では相手の女への口説き文句ですが、それを客席に向けて歌うことで「今夜は朝まで続けたくなるような最高のライブをやるぜ」「おまえらも帰りたくないよなー、イエー」って煽る、あのパフォーマンスと同じです。
女に出て行かれた男がワンマンショーを気取って朝までふざけているという物語の結末であると同時に、「ジュリーのワンマンショーで朝まで一緒にふざけよう」とお客さん(テレビの視聴者)に呼びかけているんです。

ジュリーはこの時点でデビュー10周年。ライブのプロですからね。客を煽ることのできる、こんなおいしいフレーズを恥ずかしがるはずないじゃないですか。最後にカメラ目線で手のフリ付きで「ワンマンショーで〜」と決めることで、たった1曲を何時間ものワンマンショーを観たように感じさせ、実際にジュリーのライブに行ったことのある人なら、そのステージでのジュリーのあれやこれやを思い出してぽわわ~んとなるって寸法ですよ。
そして、実際にライブでもこれを歌うんですよ。「ワンマンショーで〜」って、まさにワンマンショーで。しかも、「あ〜あ〜〜」と、ジュリーと一緒に壁塗り(と言われている両手を上げてゆらゆらするフリ)もできる。これが、実際やるとすごく楽しいんですよ。
本当によくできた歌詞です。そして、それを恥ずかしがったりせず、即座に自分に引き付けて歌ったジュリーの素晴らしさったらありません。

さらにジュリーのあの衣装と帽子投げ。
中学生のころの私は、正直あの衣装はあんまり好きではありませんでした。あの衣装のせいもあって、ジュリーがおっさんに見えたところもあると思います。だって、以前はヒラヒラフワフワした女の子が着てもいいような服にチャラチャラアクセサリー付けまくって、髪ももっと長かったんですよ。いわば若者の格好でした。それに比べて、いくらクリーム色とはいえ、形は正統派なスリーピースだし、ネクタイまで締めている。ジュリーも他のおっさん歌手たちと同じようにちゃんとした格好をするようになっちゃったのか……色は派手だけど、まあ、そこはジュリーだからね、とか思っていたように記憶しています。
いやほんと、すみません。
あの格好をジュリーは、ホストクラブのホストの格好だったんだと言っていました。そして、当時ホストというのは差別用語のようなもので、あえてそういう格好をすることで、きわどいところを狙ったんだと。たぶん、当時は女の(それもあんまり上等でないとされていた)職業であるホステスの男判ということで、ホストというのは普通の男よりも下に見られていたということじゃないかと思います。
「勝手にしやがれ」を歌うにあたって、男の中でも差別されている存在であるホストの格好をすることによって、女に対する超上から目線のこの歌を、なんとか女性の共感も得られるものにできないかと模索した結果がホストだったということでしょうか。女の側に寄り添うことができるのは、男の中でも差別されている男だけですからね。
まー、単に「ジュリーがホスト!? きゃ〜〜〜!」というウケを狙っただけかもしれませんが、しかし、あれがホストの格好だとわかった人って、当時どれぐらいいたんでしょうか。田舎の中学生だった私は全然わかりませんでしたよ。上に書いたように、むしろ「ちゃんとした格好だ」と思ったぐらいです。残念!
たぶん、都会で夜遊びしている大人の人たち、ジュリーに近い人たちの間ではすぐにわかったんでしょう。いわば業界人向け? 「お、ジュリー、ホストになっちゃったのか〜」「俺にもサービスしてくれよ」なんつって、業界のおっさんたちも大喜び、とかね。すごくありそうだ……。レコード大賞の審査員は業界の偉い人たちなわけですし、そこにアピールできたとすれば、それはそれで成功だったのかもしれません。

そして、ジュリーと言えばこれ!といまだに言われる帽子投げ。これはもう、子供みんなが真似したぐらい大成功のパフォーマンスだったわけですが、これも「さよならをいう気もない」の金キャミと同じように、じっくり聞くとイラッとする歌詞から目を(耳を?)逸らさせるために非常に有効でした。
事実、歌詞の内容をよくよく考えるとなんだかイラつくわーと中学生のときから思っていた私も、テレビにジュリーが出て「勝手にしやがれ」を歌っているときは、「わー、こっち見た!」「いつ帽子投げるのかなー」「投げたー!」「きゃー、指差した!」と、そんなことばかりに気が行って、ちゃんと歌詞なんか聞いちゃいなかったと思います。ていうか、今でも昔のジュリーが「勝手にしやがれ」を歌っている動画を見ていると、そんなふうになってます。
きゃ〜〜〜!
カメラ目線とカメラに向かって帽子を投げるというのは、そういうふうにすればテレビの向こうで観ている人たちは「自分を見てくれた!」「自分に向かって投げた!」と思うんじゃないかと考えたと、ジュリーは言っていました。
大成功ですよ! まんまとその術中にハマった子供がここにいます。
それに、カメラが映す順番を歌う前に聞いておいて、そのとおりにフリをし帽子を投げることをやり始めたら、次第にテレビ局のほうから、ジュリーが歌う前にはどのタイミングで投げるのかと聞いてくるようになったそうで、テレビ局のスタッフにとっても、それはすごくエキサイティングなことだったんじゃないでしょうか。
それまでの歌番組は、歌手が歌っているところをカメラが勝手に映して、勝手にテレビに流す、という形が普通だったのだと思います。歌手に対して、どう歩けとかどっちを向けとかの指示はテレビ局のほうからあったんでしょうが、歌手のほうからテレビの仕組みの中に食い込んできて、自分のパフォーマンスに利用しようとするなんて、ジュリーがたぶん初めてだったでしょう。
「さよならをいう気もない」のところでも書きましたが、そんなジュリーのスタンスは、新しいものを求めていた当時のテレビ界に喜ばれ、その後のいろんな伝説的なパフォーマンスが生まれたんですね。

…と、はあ〜〜、長かったですが、なんとかこの有名曲「勝手にしやがれ」を書き終わりました、かな? なんだか書き足りないような気も、言い過ぎたような気もしますが、こんなに長くめんどくさい文章をここまで読んでくださって、ありがとうございました。

《裏解釈》は、サクッと気軽に読めるお話にしたいと思います。










表の解釈で、「勝手にしやがれ」の男の気持ちは、ものすごくホモソーシャルな関係の中でこそ共感が得られるもので、愛し合っているはずの女のことはむしろ「こんな気持ちは女にはわからないよね〜」と排除しようとしているとしか思えない、というようなことを書いた(つもり)んですが、だったらいっそのこと男同士で「勝手にしやがれ」すればいいじゃん!ってことで、ショーケン×ジュリーです。
お相手がショーケンなのは、やっぱりほら、「情けなくてかっこいい男」つったらショーケンしかいないですからね。表解釈でも「傷だらけの天使」を引き合いに出しましたし、伏線ってことで。

店は違ったけど、それぞれのホストクラブでナンバーワンを張ってた俺とおまえ。
ホスト界のツートップなんつって、店合同のイベントでよく顔を合わせた。まわりは、俺達はライバルだとか半目しあってるとかいろいろ言ってたけど、俺はおまえの仕事に対する真面目な態度を尊敬していたし、おまえも俺のことを「かっこいい」って言ってくれて、結構すぐに意気投合して仲良くなったよな。
単なる友情が愛情に変わるのにもそんなに時間はかからなかった。ふたりならなんでもできる、なんて思ってたこともあったけど、一緒に暮らすようになって、だんだんとふたりの間の温度差が大きくなっていってしまったんだ。
おまえと仲良くなればなるほど、俺は照れちまってさ、ふざけてばかりいた。おまえの気持ちにちゃんと応えようとしない俺に、おまえはだんだん暗い顔をするようになっていった。
「もっと真面目にやれよ」なんて言うおまえになにも言い返せず、俺がふてくされることもあった。いつでもおもしろそうな、やりたいことだけやる、それが俺の生き方なんだ。やりたくないことをキリキリ真面目にやるよりも、そのほうがかっこいいだろ。ホストなんて仕事は、おもしろおかしくやってなんぼじゃないか。それが「ふざけてる」って言われるんなら、ふざけっぱなしで俺はいいよ。
「俺、ひとりでやっていこうと思うんだ…」と、ついに言い出したおまえ。
やっぱりおまえは出て行くんだな。ちゃんと見送れる自信がなくて、壁ぎわに寝がえりうって、荷物をまとめてるおまえの気配を俺は背中で聞いている。悪いことばかりじゃないと想い出かき集めて鞄につめこんでるなんて、そう思いたいのは俺のほうだ。
おまえはきっと、ひとりでもちゃんとやれるさ。
行ったきりならしあわせになるがいい。俺がこんなこと言える立場じゃないけどさ。俺はこのままずっとここでふざけて暮らしてるから、真面目にやるのに疲れて、戻る気になったらいつでもおいでよ。
出て行くおまえの顔を見たら泣きそうだから、寝たふりしてる間に出て行ってくれ。せめて少しはカッコつけさせてくれ。
「さよなら」なんてこっ恥ずかしいことは言わないよ。「あばよ」ぐらいサラッとしてるのが俺らしいだろ。そっちのほうが恥ずかしいよって、おまえには言われそうだから、窓から見えるおまえの後ろ姿に向けて心の中で言うだけにするよ。
おまえがいなくなったら、俺だけのワンマンショーで朝までふざけよう。こんな生き方でどこまでいけるかわかんないけどな……。


あれ…、なんかちょっと悲しい話になっちゃったか? 発展的関係解消な話にしたかったんだけどなー。
わかる人にはわかる、GSからPYG〜ソロのころのふたりになんとなく重ねてみましたが、実際に「出て行った」のはショーケンのほうなんですよね。ジュリーはPYGを続けたかったわけだし。でも、ジュリーはバンドを真面目にやっていこうと思っていたのに対して、ショーケンはバンドよりももっとおもしろいことがないかって、自分のやりたいようにやった結果が役者への道ですから、ふざけていたわけではないでしょうが、まわりに合わせることができず、「俺はこんな生き方しかできないんだ」ってのはショーケンのほうだろうなあと思うので、やっぱり見送る男がショーケンで。

そして、やっぱり男同士の話にすると、男女で考えていたときよりもイライラ度は半減しますね。男同士で「しあわせになるがいい」とか片方が言った場合、言われたほうは「なんでおまえにそんなこと言われなあかんねん!」と言い返すだろうということが容易に想像できますしね。なので、「俺がこんなこと言える立場じゃないけどさ」とか言い訳を入れたくなる。出て行くほうも、ちゃんと愛に応えてくれない相手の態度に傷付いて、泣く泣く出て行くってよりは、なにかほかに目的ができたから出て行くっていうふうに考えたくなります。
今なら男女でもそのぐらいは対等になってきているんじゃないかと思いますが、1977年当時、女は男に振りまわされ、「しあわせになるがいい」とか上から目線で言われることも普通に受け入れていた時代だったということですかねー。

ちなみに、この《裏解釈》は最初、「悪魔のようなあいつ」の野々村さん×良ちゃんで考えていたんですが、あのふたりは対等ではないので、良ちゃんは野々村さんに言い返すことはしないと思うんですよね。心の中では思いっきり馬鹿にしてそうだけど。それはそれで痛快かもしれませんが、野々村さんの情けなさばかりが強調されるという、男女の話よりも酷いことになりそうだったんで却下しました。
ショーケン×ジュリーは、言いたいことを言い合える対等な関係として妄想できるところがいいんですよ。


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コメント
この記事へのコメント
長文大作、お疲れ様です。ジュリーの代表曲、さすが読み応えがありました。

≪その1≫のジュリーの思い出!貴重なお話をありがとうございます~。当時は芸能界の流行が早かったですよね。勝手にしやがれの頃って、ピンクレディーも大旋風が巻き起っていて。ジュリーの大御所感!分かります。レコ大取ってからは更に大御所扱いが加速したような気がします。

≪その2≫“上から目線”なるほど~~~、とまたゆうさんの考えに感心しております。私、この歌の主人公は、田舎から出てきた、まあまあイケメンの若い売れないミュージシャンか役者あたりの、孤独な俺様男なんだろうなって思っていました。が!確かに、そういう俺様男(イケメンに限る)を何となく容認しちゃう空気って世の中にあるかもしれないですね~。でそうなると、勘違いしちゃうおっさんもいるかもなんですよね。うんうん。

≪その3≫そうそう、ジュリーの表現なんですよ。大野さんの曲が基本的にドラマチックでカッコ良いですけど、それにしてもどうしてこの歌がカッコ良く感じるのかちょっと謎で。その中でゆうさんの「迷いなく」「晴々とドヤ顔で」っていうのはとても心に留まりました。
世の中では、王子様のジュリーがこんな俗っぽい男なんて表現できるのか?と思われていたとも思いますが、人気のある一方、ものすごい嫉妬も受けているジュリー。そんな不安や嫉妬なんかを撥ねつけるかように「迷いなく」「晴々とドヤ顔」で歌う様子は、俺をあんまりなめんな、とでも言っているかのようで。そのあまりの真正イケメンっぷりに、何にも言えなくなるような気がします。っていうような謎解き解釈が、ゆうさんのおかげで湧きあがりました。

長々とコメント文章を書いてしまい済みませんでした。私では思いつかない、ゆうさんならではの発想がとても新鮮で、刺激を受けました。何だか、滞っていた考えがパパパッと広がって爽快な感じです。ブログ記事、ありがとうございました!また、楽しみにしています。
2017/02/21(Tue) 21:35 | URL  | mami.y #-[ 編集]
mami.yさん、ありがとうございます!
丁寧なコメント、ありがとうございます。
こんな独断に満ちた私の曲解釈で、いろいろと考えていただけて、嬉しいです。

ほんと、この曲(に限らず阿久悠氏作詞のほとんどの曲)は、ジュリーが歌うのでなければ、ただの勘違い俺様男ですよね。ジュリーのあの「迷いなさ」があってこそのかっこよさだと思います。
mami.yさんの「田舎から出てきた、まあまあイケメンの〜」という主人公像も、なるほど〜と思いました。そういうちょっと世間知らずの男だからこそ、自分の彼女には「俺様」にふるまっちゃうのかもしれないですね。

阿久悠氏作詞曲はまだまだ続きます。なるべくコンスタントにアップしていきたいのですが、どうなることやら……。気長にお待ちくださいませー。
2017/02/22(Wed) 20:49 | URL  | ゆう(管理人) #-[ 編集]
素敵です
あまりに面白くて一気に読んでしまいました。
書くことがお仕事とは分かっていても…
凄い!としか感想が出てきません。

ジュリーファンとしては今後も
各曲について…読みたいなぁ、と思います。

本当に素晴らしいブログを
ありがとうございました。
2017/06/15(Thu) 09:40 | URL  | インディ #S6EOdF6Q[ 編集]
インディさま、ありがとうございます。
長々しい文章をお読みくださり、ありがとうございます。
ジュリーは長く活動しているために、その時代ごとに本当にさまざまなパターンの曲、歌詞があって、いろいろ考え始めると楽しくなってきます。

ちょっと、今は諸事情により更新が止まってしまっておりますが、続きを書きたいとは思っております。
気長にお待ちいただけるとありがたいです。
2017/06/16(Fri) 11:03 | URL  | ゆう(管理人) #-[ 編集]
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