fc2ブログ

こないだ「阿津賀志山異聞2018巴里」を観たことで、いろいろたまらんくなって、dアニメストアってところに登録してしまいました。「阿津賀志山異聞」のトライアルから「つはものどもがゆめのあと」まで真剣乱舞祭も厳島神社も入れて8公演分、あ、「加州清光単騎出陣」もあるから9つの動画が月額432円で見放題とな! しかも最初の1ヶ月は無料とな!!ってんで登録して、でもいっぱいあるから無料お試し期間のうちに全部は観られないだろうなあ。まあ、432円ぐらい払うかー……とか思ってたんですが、今週の火曜日21日に登録して、今日は24日ですが、残すところは「つはものどもがゆめのあと」と「加州清光単騎出陣」の2つのみとなりました。

アホですか。

いやまあ、貧乏なので無料で全部観られるならそれはそれでいいんですけどね。私のなけなしのお金は実際のステージを観にいくチケット代に使いたいと思います。

そんなわけで、4日で7つとか、ほぼ1日に2公演ずつ観てる勢いです。刀ミュは1回の公演が長いですからね。もう、ずっと刀ミュの楽曲が頭の中で鳴りっぱなし。

♪とうけんらんっ つーよーくつーよくーー

最初のころのトライアルや、観たことがなかった「幕末天狼傳」と「三百年子守唄」も観て、いろいろと思うところもあるので、「つはものどもがゆめのあと」を見終わったら、なんか書こうかと思います。


最近twitterではアホな日常だだ漏れツイートを勝手に封印してるので、なんかこう〜、くだらないことをどこかに向かって叫びたい気持ちでいっぱいなんですよ(笑)。twitterなんてものがなかった昔はこんなことはどこにも叫ぶことなく普通に生活してたのに、人間の慣れってのは不思議なものです。

とりあえず今言いたいことは、

岩融の背筋、やべえ!

です。
 

なんとな〜くの夏休みの、なんとな〜くの最終日19日、ミュージカル刀剣乱舞「阿津賀志山異聞2018巴里」東京公演千穐楽、観てきました。ライビュですが。全然まっっったくチケットが取れなかったのでね!!

「阿津賀志山異聞」は、トライアル公演のテレビ放映されたものを友人宅で1度観せてもらったきりだし、そもそもそれを観たころはまだそんなに刀ミュにハマってなかったんで、こまかいところはうろ覚え。あらすじ程度しか把握していないという状態でしたが、

いや~~ん、やっぱ、岩融と今剣ちゃんはええのう〜〜〜〜。

まずはこれですわねっっ!!

なんかずっといちゃいちゃしてるし(違)、今剣ちゃんを岩融が抱きとめるところとか、思わず立ち上がりそうになりましたよっ(鼻息)。
あと、岩融が弁慶と戦っていて「かつての主が強くてのう!」って言うところ。
ああ〜、これが「つはものどもがゆめのあと」の
弁慶「よい筋をしておる。誰に(薙刀を)習ったのだ?」
岩融「かつての主に」
弁慶「よい主だったのだな」
岩融「はい! 立派なお方でした!」
っていう私の涙腺決壊のシーンがあるんですが、これにつながってるのね、とか、三日月宗近と小狐丸ふたりでの「あどうつ聲」の舞いとかさー、これがあったから「つはもの〜」での小狐丸ひとりの舞いだったのだなー、とかとか。

トライアルからちゃんと観続けている方々は、トライアルと初演の「阿津賀志山異聞」とはいろいろ演出が変わっていて、それがよかった、ということも言っていますが、私は上に書いたようにほぼ初見なので、どの部分が「つはもの〜」を意識しての演出で、どれが最初からのものなのかはわかりません。
でも、「つはもの〜」を観たあとにこの「阿津賀志山」を観たことで、いろいろつながってるのだなあと思える部分があって、観られてよかった。ライビュでも!

それに、やっぱり私は三条派が好きなんだなーと改めて。
なにより見た目が派手でステージ映えするし、それに、それぞれ古い刀であるせいで、伝説があったり謎が多かったりってところが、歴史ファンタジー好きにはたまらんものがあります。平安〜戦国時代好きだし。

でもさーー、先月は刀ステ「悲伝 結いの目の不如帰」を観たんですけどね(やっぱりチケットが取れなくてライビュでしたが)、「つはもの〜」と、あの刀ステを観たあとに、今回の「阿津賀志山」を観ると、な〜んとなく、あれもこれも不穏に思えてきてさー。
そうです。三日月宗近、じいちゃん、あんただよ!
小狐丸と舞いを舞ったあとに「戦いや舞いには嘘がない」→「主に舞いがわかるのかな?(含み笑い)」とか言ったりさー、「俺の言うことは冗談だ。ほとんどな」「俺は言葉は信じない」とかさーー。
やっぱあんたなんかひとりで背負ってるでしょ!!って雰囲気が満載で。

つらい……

できれば刀ミュの三日月じいちゃんは、刀ステの三日月のようなことにはならないで、いつまでものほほんとお茶を飲んでいてほしいんですが、しかし、昨日はそのお茶を飲むシーンも、なにかをはぐらかしてるみたいで、なんだか不穏でなー。どきどきするのよ。ヤメテー。

でも、刀ミュには三条派の仲間がいるから大丈夫かな、とも思うんですよ。なんというか、刀として同じ立場の仲間って感じがするから、きっとみんなが三日月じいちゃんのことをちゃんとわかってくれて助けてくれるはずと、根拠は薄いですが信じております。
刀ステの刀剣男士たちは、三日月とそれ以外の刀剣男士たちでいろんな意味で違いがありすぎる気がして……。この間の「悲伝」では、存在の仕方が比較的三日月に近い小烏丸を登場させていて、それは救いではあったのだけど、でもやっぱり三日月はひとりで行くしかなかった。

えーとですね、三日月宗近は国宝でもある現存するもっとも古い日本刀のひとつですが、明確な「物語」を持たない刀なんですよ。誰のものだったのか、なにか歴史上の出来事に関わったことがあるのか、はっきりしたことがわからない。刀ステ「悲伝」でも、自分を所有していたという足利義輝に向かって「俺は使われなかった」って、(恨みがましく?)言ってましたしね。
その刀ステでも「モノが語るゆえ物語」っていうふうにも言ってましたし、刀ミュの「結びの響、始まりの音」でも、固有の物語を持たない薙刀・巴形さんがそのために悩んでいた。
刀ステも刀ミュも、そして原作である「刀剣乱舞」というゲームも、刀剣男士たちがそれぞれの「物語」とどう向き合うかっていうことがテーマになってるんじゃないかなーと私は思っています。
しかし、そこに主人公格として登場する、最古にして最高に美しいとされる刀・三日月宗近には「物語」がない。「モノが語るゆえ物語」ならば、語るべき物語がない三日月は「モノ」ではなく、なに?

とか考えてると、そりゃー「結の目」にもなっちゃうよなー。こんがらがって真っ白になっちゃうよなー、とね。刀ステのあれはほんとしんどかったんで、あの三日月宗近のその後の物語もきっと演ってくれると信じて待ってます。たのむヨー。

でも、刀ミュには三条派の仲間が揃っている。
あのですね、三条派の三日月宗近以外の刀って、ほとんど現存していないんですよ。
石切丸は石切劔箭神社に伝わる宝刀「石切丸」が原作のゲームではモチーフとされているけれど、石切丸という刀は他にも複数伝わっていて由来ははっきりしないらしい。
小狐丸は、狐と一緒に打ち上げた「小鍛冶」という伝説に登場する、その誕生そのものが「物語」である刀であるけれど、現存しない。誰が使ったのか使われなかったのかもわからない。
今「モノ」として存在するけれど「物語」のない三日月宗近と、「モノ」としては存在せず、でも誕生の「物語」だけがある小狐丸。まさに裏表の関係です。「表に彼の名、裏には我が名」ですわね。萌え。

そして、今剣と岩融は「つはもの〜」で、実在の刀ではなかったことが判明してしまってます。小狐丸はかつてはあったらしいけれど今はない、という状態ですが、今剣と岩融はそもそも存在していなかったということなんですよ(刀ミュでは、ということですが)。でも、「モノ」として存在していたことがなくとも、義経と弁慶という「物語」があるかぎり、彼らは刀剣男士として存在することができる。そのようにして顕現させてくれた今の主=審神者のために刀剣男士は生きて戦おう!っていう、「つはもの〜」はそういう話だったんじゃないかと思います。

そういう、自分の存在自体に向き合わざるを得ないような刀ってのが、三条派の5振りなんだと思うんですよ。三日月じいちゃんがひとりで時間をループしてなにをやろうとしているのか、その本当のところは実はわからないんですが、タイムトラベルものってのは往々にして形而上学的な話に寄ってってしまうもので、三日月ももしかしたら世界の成り立ちそのものにまでなにかしようとしているのかもしれない。そんなことは普通に存在している人にはなかなか理解できないことだと思いますが、自分が実在していなかったとか、「伝説」の中にしか存在していないとか、そういうことを背負っている三条派ならば、なんとか三日月を理解しようと寄り添って助けようとするんじゃないかと思うんですけど、どうですかね。

っていうかね、三日月じいちゃんが何度も時間を行ったり来たりしてひとりでコソコソやってるのって、人間の歴史を守るんじゃなくて、歴史上の物語に紐付けられ、それに囚われている刀剣男士たちをその物語から解放し、彼ら自身の力で生きていけるようにすることなんじゃないですかね? そのために、各刀剣男士たちが納得する物語に出会えるまで、何度も何度も歴史をループしている。
もしかしたら「刀剣乱舞」の世界では、歴史というものはもともと変化するものとしてあるのかもしれない。歴史修正主義者というのは、悪意ある敵というよりも自然災害のようなもので、放っておくと人間にも、それに付随した物語を持つ道具たちにも、なんらかのよくない影響を与えるようになってしまうもの、とか。
なので、刀剣男士たちの「歴史を守る」という戦いは、ある正しい歴史が確実にあって、それを変えようとする者たちと戦うというのではなく、自分たちがこの先もよりよい存在であるために必要な「物語」としての歴史を守るということ。だとしたら、それは史実とされているものとは少し違うものになってしまうかもしれない。でも、そもそも歴史は変わるものなのだから、それを誰かのためによりよい方向に変えるのならばかまわない、とか。

でも、そうすると、こっちの刀剣男士にとってはいい物語でも、あっちの刀剣男士にはよくないものだったりして、それがいろいろこんがらがる原因なのかなーとも思うんですけどね。あ、敵キャラとして出てくる検非違使ってなんなんだ?って、ずっと謎とされてるんですが、これが他の本丸の刀剣男士たちなんじゃないかって説もあって、上の説に従うと結構説得力あるような……?
刀ステ「悲伝」でも、「俺達はなにと戦っているのか」って山姥切国広に訊かれた三日月は「歴史を変えようとするもの」としか答えてないんですよ。アヤシイ。

う〜〜ん……、このへんのことは昨夜寝る間際にふと思いついただけなので、とうらぶ好きの妄想のひとつとして読んでいただければありがたいです。
そもそも、私は刀ステもライビュやらテレビの放送とかでしか観てないし、刀ミュも「幕末天狼傳」と「三百年の子守唄」も実は観てないので、こんな大きなことを言える資格はないんですよ。今度WOWOWで一挙放送やるらしいですが、観るべきか。それともdアニメストアとやらのほうがお得か? うーーん。


で、1部がそんなふうにちょっと不穏な気配を感じつつだったんで、2部のライブパートがあって本当によかったと思いました。刀ミュはこれがあるから安心して観ていられるんですよ。みんなかっこいいかわいい美しいーー。
公式ペンラも買っちゃったので、思いっきり振ってきましたよ。楽しかったです。
あ、もちろん真剣乱舞祭にも行きます。チケットが取れたらですけどね……取れますよーに。

でな、千穐楽なのでカーテンコールでは刀剣男士それぞれ一言ずつ挨拶があったんですが、刀ミュはそのカテコの挨拶のときまでちゃんと加州清光だし三日月宗近だし岩融だし今剣だし石切丸だし小狐丸なんですよ。小狐丸役の北園涼くんは今回残念ながら休演で代役の岩崎大輔さんだったんですが、その小狐丸もちゃんと小狐丸なんですよ。「独り戦っている友と一緒に」って挨拶がね、もうそれだけで岩崎さんっていうか小狐丸が言いたいこと、みんなが聞きたかったことが伝わるっていう、なんというか、ステージ上と観客がものすごく高いレベルのところでやりとりしてる、できてるんですよ。前も思いましたが、やっぱり刀ミュすげえなって思いました。
最後にステージを捌けるときに、「また2018年に来るからさ、待っててよ」って加州清光が手を振ってて、最後の最後まで夢を見させてくれるっていう、そんな刀ミュが大好きです、っていうお話でした。

長くなっちまったすまんかった。
刀ミュ愛についてはこのへんでも語ってますが、刀ミュについて語り始めると長くなるんだよすまぬ。
で、岩融愛についてはこちら
 
 



5月になりました。
すっかり月イチ更新というペースになってしまいました。
4月は録画やAmazonプライムで映画やアニメを観たり本を読んだり仕事をしたり、舞台「御茶ノ水ロック」の千秋楽ライビュを観にいったり、刀ミュ「結びの響、始まりの音」を観にいったりと、ずっとインプットの毎日でした。

明日の文学フリマ東京で発売の新刊本を作ったのが唯一のアウトプットですかね。
サトミセキさんの「ベルリン、記憶の卵たち(3)SOMMER」、明日の文学フリマの「稀人舎」ブースで販売します。相変わらず既刊本もたくさん持っていきます。お時間ある方は東京流通センターへぜひ!
詳しいことは「稀人舎」サイトのブログで。

あまりお出かけのなかった4月ですが、刀ミュ(ミュージカル刀剣乱舞)には行ってきましたよ。30日のマチネ。
今回は坂本龍馬の刀だった陸奥守吉行と新撰組ゆかりの刀たち、それに巴形薙刀。幕末のお話なんだろうけど、そこにはっきり言ってなんの関係もない巴形さんがどういうふうに絡んでくるのかなー、と思ってましたが、そうきたかーって感じ。
幕末動乱期の中、主が死んでしまうという物語を受け入れる刀剣男士と受け入れられず葛藤する刀剣男士たちのあれこれを描きつつ、一方で固有の物語を持たない巴形さんはそれをどう受け止め成長していくか……っていう、そんなお話でした。
考えてみれば、前回の「つはものどもがゆめのあと」も刀剣男士たちがそれぞれに持っている「物語」というものを扱ったお話だったんですよね。
今剣と岩融は、自分たちの物語だと信じていたものが実は実在しないもの(フィクション)だったということを知り、それを受け入れて乗り越えていく。さらに、義経と弁慶も史実では平泉で死んだことになっているのだけど、北へと逃げのびたという結末になる。それは伝説のひとつというか、フィクションなのかもしれないけれど、今剣と岩融の物語がフィクションだったのなら、彼らの物語もそうであってもいいのではないか、ということを描いていたのかなと思います。
そう考えると、今剣と岩融が五条大橋と勧進帳のお芝居をするシーンは象徴的ですよね。あそこで、自分たちは「お芝居」=「物語」の中の登場人物なんだということを表していたかもしれません。
さらに逆に、義経と弁慶が史実とは違うけれども生きて北へ逃げ、大陸へ渡るという伝説の中の人物になれるのならば、現実には存在しないと知ってしまった今剣と岩融も、それぞれが持つ物語があるという、それだけで存在することが許されるのではないか……そんなことも示唆してるんではないでしょうか。刀剣男士たちの物語とその元主たちの物語は裏表の関係っていうか、そんな感じで。
そして今回の「結びの響、始まりの音」では、さらに突っ込んで、「物語」を持つものと持たないものを対比させ、刀剣男士に限らず、人それぞれが持っている「物語」とは、そしてそれを受け入れたり、この先も作っていったりするためにはどうしたらいいのかということを問いかけるものだったんじゃ…と思いました。

物語の中の登場人物たちが「物語」とはどういうものかということを考える。
私はこういう、お話の中にメタ的な要素が含まれているものがものすごく好きでして、こういう受け取り方もできるお話になっているから、私は刀ミュに惹かれるのだなーと、改めて思った次第でございます。
もちろん2部のライブパートが楽しいってのもあるんですけどね。私は2階席だったんですけど、巴形さんがものすごく近くまで来てくれて、にっこりファンサしてくれて、きゃーー!ってなりましたよ。美しかったです。
きゃーー!
堀川くんも近くでハート飛ばしてくれました。すんごくかわいかったです。
きゃーー!

8月には「阿津賀志山異聞」の東京凱旋公演があるんでぜひとも観にいきたいんですが、チケットが取れる気が全然しません。うーー。くじ運が悪いのは生まれつき(?)だからしょうがないか……。

あ、ライビュで観た「お茶ロク」の舞台もなかなかおもしろかったです。お芝居の中にライブシーンがあって、そこでは客席も一緒にお芝居の中の「客」になるっていう、それもメタ要素ですね。時間が限られるから、1〜2曲の演奏ですごく盛り上がってるライブ終盤のお客さんっていう「演技」を客席も求められる。ステージ上と客席の境目がわからなくなる感じがあっておもしろいなあと思ったんですが、考えてみれば、私がいつも行くジュリーや吉川晃司やROCK’N’ROLL GYPSIESのライブでも、客であるこちら側も、演技とまではいかないけど、ある程度は「盛り上げよう!」と意識してやってる部分があると思うんですよ。
こう〜、「私たちはジュリーのステージをこんなに楽しんでるから、ジュリーも楽しんで、そして素晴しいステージを見せてね!」みたいな、そんな無言のやりとりがステージと客席の間にはあるような気がします。「お茶ロク」では、それがステージの仕組みとして現れて、意識させられたっていうところがおもしろいなあと思いました。

そういえば来週、5月12日は代々木のライブハウスZher the ZOOで元ルースターズメンバー、花田裕之、下山淳、穴井仁吉によるTHE NEON BOYZ『FOUR PIECES』30th anniversary LIVE 2018ってのがあるんですよ。
ものすごく楽しみです。ものすごく楽しみなので、意識して盛り上がって、素晴しいステージを見て聴いてこようと思います。
きゃ~~~!