実家から東京に戻った私は、
かねてより調べは付いていたISBNの取得に向けて、
実際の手続きに突き進んだ。

日本図書コード管理センターのHPから申込書をプリントして、
必要事項を書き込んでいく。

この時点で、私はやっぱりまだ「マイ出版社構想」などという
大それた妄想を抱いてなどおらず、
ただただ、父の売れ残りの本をネットで(全国で)売るためには

「まず、ISBN」

という、単純かつ中途半端な知識によって行動していたのだ。

なので、申し込み書類を書くにあたって、その元にしたのは、
売れ残っている本にその時点で印刷されていた奥付だった。

奥付では、「発行」は父の名前になっていたので、「出版者」は、父。
「ISBN管理者」は、私……

しかし、さすがの私もここで、はたと考えた。
「父のところにISBNやらJANコードのお知らせが行っても困る」
私の、東京の住所に届けてもらうようにはできないものだろうか…

JANコード申請書には、申請責任者の住所も書く欄がある。
ここに連絡が来るのだろうか。
しかし、ISBN申込書には、住所を書く欄はひとつ。

悩んだ末、
恥を忍んで日本図書コード管理センターに電話をかけることにした。

地方・小出版流通センターへの電話で痛い目にあっている私は、
それなりに学んでいたつもりだった。

要するに、素人がいきなり

「本を売りたいんですけどお」

などと言ってはいけない、ということなのだろうと。

出版の流通業界には、素人には分からない商習慣のようなものがあって、
私が以前に地方・小出版流通センターに電話したときには、
その習慣を分かっていなかったために、
なにか非常識なことを言ってしまったのではないか……
それが、電話で応対した人の神経を逆撫ですることになったのでは……

そこまでは、おぼろげながら理解したが、
自分は出版界のなにが分かっていないのかが分かっていないのだ。
とほほ

また非常識なことを言って、相手を怒らせてしまうかもしれない…

しかし、住所の件は聞かないことには先に進めない。
で、私はまず「素人です~」と言ってから話を聞くことにした。

そんなわけで「素人で、なんにも知らなくて、すみませんすみません」
と言いつつ日本図書コード管理センターに電話をしたのだが、
びくびくしている私に、電話口のお姉さんは、
非常に丁寧に親切に、また、こちらの事情に即して対応してくれた。

結果、
ISBN申込書の住所は東京の私の住所、
JANコード申請書の「本社住所」のところに、父の住所、
「申請責任者住所」に私の住所、
で大丈夫です、とのことだった。
本社住所は、書類の便宜上書いておくだけで、
どこにも公表されません、とのこと。


また、ISBN申込書とJANコード申請書は、
ひとつの封筒に入れて送っていいですよ
、とも言い添えてくれた。

ひとつクリア。ふいー

ここで、私はまたひとつ学んだ、と思った。
日本図書コード管理センターのお姉さんが親切だったのは、
私が「お客さん」だったからなのではないだろうか。

この申し込みをするために、
日本図書コード管理センターに17,850円、
流通システム開発センターに10,500円を、私は払い込むのだ。

地方・小出版流通センターにとって、私は客ではなかった。
本来ならば、「取引相手」なのだ。
対等であるべき取引の相手が、いきなり
「よくわかんないんですけどお」なんて電話をしてきたら、
そりゃ気分悪くなるのも当然だ。

そんな風に、以前の自分の無謀さを私なりに反省したわけだが、
どうやったら対等の取引相手となれるかが、さっぱり分からない。
それが分からないうちは、本を売ることにおいて、

どこにも取引ということを持ちかけるのはやめよう、

と心に誓った8月の私であった。


つづく

父の本とは関係ない話だが、

 てーか、そのうち「マイ出版社」構想に関係のある話にしたいなあと、
 今(2005年10月)は思っているが、
 この、父の本をどうやって売るかの考えもなにもなかった。
 2005年8月の時点では、私の中ではまったく関係のない話だったのだ


2005年1月から7月にかけて、
私は自分の出身地である鶴岡に伝わる祭について、
調べたり妄想したりして、ポチポチと小論文のようなものを
書いていたのだった。

7月に、どうにかこうにか結末まで格好をつけて書き終えて
「化け物祭考」としてHPにアップしたりもしてみたのだが、

こういうのって、調べたり書いたりしているうちに
謎が謎を呼んできちゃうもんで、
もっと詳しい資料がほしくなってしまった。

で、実家に帰省しているときに
「地元の歴史資料を探しに図書館と郷土資料館行ってくる~」
と出かけようとした私。

その私に「鶴岡の歴史の本ならうちにもあるぞ」と
父は自分の書斎から二抱えほども、本を出してきてくれちゃったのだった。

それは父の私に対する精一杯のサービスだったのだろうが、
その後の一言が悪かった……

「なにやってんだか知らねえが、俺の本のことも忘れんなよ」

冷静に考えれば、なんのこともない一言だが、
43歳になった今も、父に対しては万年反抗期の私の耳には
その言葉は、ものすごいイヤミな意味を含んで聞こえた。

「わかったわかったわかりましたよっっ
 やりゃあいいんでしょやりゃあ!
 
 娘が自主的に勉強したいって言ってんのに、
 自分のことのほうを優先させろって、それ、親の言うこと!?
 わかりましたっ もうもうもう、売れ残りの本は
 きっちりばっちり売っちゃって、ぎゃふんと言わせたろうじゃんかっっ」

(心の声)

まあ、自分からやると言っておいて、
「やりたくねーなー」と、のらくらしていた自分への
後ろめたさもあって、私はムキーーッと
「やりゃあいいんでしょ!」モードに入ってしまったのだった。

怒りとともに。

で、東京に戻ってすぐに、
憤然と父の本を売る手配を始めたわけだが、

人間、怒りを原動力にして物事を行うと
あらぬ方向に突っ走ってしまう、というのはお約束で……

あの時もっとちゃんと考えていれば…
と、今の私が後悔しているさまざまな間違いをやらかしてくれた
8月の私なのでありました……


つづく