「ジュリー×井上尭之さん」
(あ、「井上尭之さん×ジュリー」ですかね?
 若ジュリーはやっぱ受けだよなあ……あいや…なんでもないです。
 こっちの話……って、どっちの話ですかっ)

のエピソードをネットで漁ってたらですね、
こんな話が……(ソースはわかりませんが、有名な話らしいです)
井上尭之さんが、ジュリーのバックバンドを
もうできないと言い出した時、
ジュリーは、
「尭之さんはもう僕のことが大事じゃないんだ」
と、泣いたそうです!

ええー!
あんた歌以外のことなんてどーーでもいい人なんじゃ……
って、あ、すいません。
「どーーでもいい人」は、
前回のエントリでの私の妄想でした。

いやしかし、それでも、当時ジュリー31歳。子持ち。
泣くか!?
もう~~ホントに、この子ったら……
恐ろしい子!
井上さん、ジュリーに泣かれて、
よく初志貫徹できたな……
そっちの方に感心するよ。
私だったら鼻血出して倒れてる。
野々村さん、もとい久世さんだったら押し倒してる。
しかも、なんだその
「僕のことが大事じゃないんだ」って、
だだっ子セリフは!



「ジュリーをネタに『萌え』談義」の19回目です。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




久世さんその他の、ジュリーのまわりの人達を見ていると、
自分の得意分野や仕事で、
頑張ってその道のエキスパートになっとくと、
こういうときに威力を発揮できるんだなあって思いますね。
妄想を自分ができる方法で形にして発表できますし、
しかも、その萌え対象を直接素材にすることも
時と場合によっては可能なんですよ。
テレビ界でのエキスパートだった久世さんは、
その威力でもって、
ジュリーをドラマに出して好きにできたわけだし、
「好きに」って……あーた、そんな……あ、いや別にそういう意味では……あぁんっ)
歌の世界では、阿久悠氏をはじめとする作詞家や作曲家のみなさんが、
自分の作った妄想世界をジュリーに歌わすことができたんですよ。
また、栗本さんは売れっ子作家になったおかげで、
「ジュリー出演のドラマの脚本やりたーい」という声を
聞いてもらえたわけです。
もし、もし仮にですが、
私がジュリーが美しかったあの時期に、
デザイナーやディレクターとして発言権のある立場にいて、
さらにジュリー萌えだったとしたら、
「今度のイメージキャラはジュリーで」とか言っちゃって、
こーんな、あーーーんなシチュエーションでの
撮影に立ち会って好きなように指示を出して、
自分の妄想通りのポスターとか
作れちゃったかもしれないんですよっ
うは~~~…………
って、ああ、無理な想像でしたね……
すみませんすみません。
……………ま、「もし」の話をしても空しいばかりですが、
しかし、空しいついでに言わしていただければですね、
いくら美ジュリーと同時代に私もなにか縁があって、
なんらかの事情で一緒のロケバス(笑)とかに乗れたとしても、
それだけじゃあ、ダメなんですよ。
(え? 贅沢言うな? それはわかってますが、ちょっと聞いてクダサイ)
「ファンなんです~。握手してください」とかね、
そんなん言って、握手してもらっても、
あんまし嬉しくないような気がする。
あ、いや、嬉しいこた嬉しいだろうけど、
それじゃあ、ただのファンだもんなあ。
ファンだったら、もうすでになってるわけだしさ。
それに、そうやって握手してくれるジュリーは、
「私のジュリー」ではない。
そうじゃなくて、
その生ジュリーに、自分の妄想のネタになってもらって、
私の脳内世界を顕現させる仕事を一緒にしてくれてはじめて、
「ジュリーと会えた」となるんじゃないかと思うんですよ。
「ジュリー萌え」の身としては、さ。
「中身よりも、その美しい外側をまずこっちによこせ」
と、こういうことですわね。
ああ、偉そうですみませんすみません。


なぜ偉そうなのか!? っと引いたところで
つづく!

昨日は、「沢田研二映画特集」の
2週目に行ってきました。

『夢二』
『炎の肖像』
『魔界転生』
の3本立て。

『魔界転生』がね、ツボでした。
このジュリーが「私のジュリー」だーー!
ってくらい、ハマってます。
美しい~~~
もう~~、その口の端で笑うのがたまりませんーー
腰くだけますーーー
話題になった真田広之とのキスシーンも、
たいへんおいしゅうございました。
ああ、ごちそうさまでした。

で、「悪魔のようなあいつ」は、
今日、第八回まで観ました。

悪魔のようなあいつ DVDセット1
悪魔のようなあいつ DVDセット2

これもな……
だんだん良ちゃんが大胆不敵になっていくのが
たまらん!
どーも私は、自信満々な冷たいジュリーが好物のようです。
Mだったのか、私。
(対ジュリーのみと思いたい)



「ジュリーをネタに『萌え』談義」の18回目です。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




今、若ジュリー動画見ながらふと湧いた妄想ですが、
この人って、もしかして、歌以外のことって、
どーーーでもいいとか思ってんじゃないですかっ!?
なんか、そんな気がした。
歌番組で、結婚のこととかコンサートのこととか、
いろいろ聞かれて、
「はい、そうですね……」かなんか、
おだやかに好青年っぽく答えてんだけど、
その直後「では、歌ってもらいましょう」って言われて、
間髪入れず、歌の世界に入っとる……
それはもののみごとに。
その切り替えの早さが、なんか異様な感じがしたよ。
そして、コメントを求められてるときの顔よりも、
歌ってるときの顔の方が、
普通に本当に生きてる人のように見える。
今はもしかしたら違うのかもしれないけど、
20代くらいの若い頃は、
歌っているときが本当の自分で、
それ以外のときの方が「夢の中」状態だったんじゃ……
歌以外のことがどうでもよかったから、
どんなにまわりにいいようにいじられても、
さらには、自分自身までが、
より過激にいじる側に加わったりしても、
別になんとも思わなかった、とか?
もしそれでコケても、また好きなメンバーと
ジャズ喫茶とかで歌ってられたらいいや~って、
そんな風に思ってたんじゃないすかね。
「思ってた」っていうか、
そうとしか感じられなかったっていうか。
映画「炎の肖像」の中のライブシーンにあるような、
あんなステージみたいなのを経験しちゃってたら、
そんな気持ちになるのもしょうがないのかもしれないけど、
でも、それだけじゃないような気がする。
もともと、自分も含めた世界全体のことが
「どうでもいい」人なのかもしれない。
「歌」だけが自分と世界をつなぐものでいてくれるっていう、
まさに歌うための、歌っているしかない人なのかも。
で、そんな人間でいる危うさもわかっていたから、
「これは夢だ。夢の中なんだ」って、
「日常をちゃんと生きなきゃ」って、
常に自分に言い聞かせてきたんじゃないですかね。
だって、普通の人は自分に言い聞かせなくたって、
日常生活送れるよね……

ま、これも「ジュリー萌え」による妄想ではありますけどね。
たぶん、ジュリー自身は歌っていたいだけなのに、
スターになってしまったために、
プライベートまで晒されて、コメントを求められてしまう、
そのことに、ものすごく違和感を感じていて、
だから、歌以外でなにかしゃべらされるときの方が、
作り込んだ人間でいたっていうことなのかも。
で、歌ってるときはのびのびしちゃう、と。
そういう気持ちはわかるけどさ。
でも、やっぱり「ジュリーは特別」って思ってた方が、
楽しいもんね。
「歌」がなかったら、
ただの顔がきれいなだけのろくでなし……
っていうジュリー、いくないですか!?
おお! これって「悪魔の~」で、
三億円をなくしてしまったときの良ちゃんですね。
やっぱ、久世さん、あんた仲間だ。
あの、しょんぼりしている良ちゃんはツボでしたよ。

でも現実では、歌っててくれなかったら、
我々一般ピープルは、ジュリーの存在を知ることが
できなかったんだもんねえ。
やはり、ここは妄想ですよ!

ああ、ジュリーを語り出すと止まらない。
「萌え」談義が全然進まないじゃないか……
なんとか次からは進めようと心に誓って、つづく!


悪魔のようなあいつ DVDセット1
悪魔のようなあいつ DVDセット2
届いちゃったよ。
早~
6話まで一気に観ちまった……
ああ……堕ちて~ゆくのも~

しっかし、野々村さん、妖しすぎ。
みんな、めちゃくちゃすぎ、
でもそこがいい!



「ジュリーをネタに『萌え』談義」の17回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




スタッフにジュリーまでが加わって形にした妄想が
うまいことウケたってのは、
時代の勢いもあったんでしょうが、
あとね、
「ジュリー」を作り上げている人達=スタッフが、
本当に楽しんでやっていたってのも、
よかったんだろうと思う。
これは昔も今も変わんないと思うんですが、
なにか大衆に向かって発信するものを、
作ってる側が楽しんでやってるかどうかってのは、
すんごく重要なことなんじゃないでしょうか。
そういう雰囲気ってのは、絶対にわかっちゃうから。
仕事でしかたなく義務的に作っているものは、
いくら綺麗な映像でも、上手な演奏でも、
なんというか……
「へえ~、いいね~」程度だと思うんですよ。
まあ、その中のなにかに特別の思い入れのあるマニアとか、
それこそ「萌え」ネタがそこにある、という人には、
ウケるんでしょうが、
いわゆる一般大衆、ジュリー言うところの「浮動票」の
みなさん相手の場合は、
作ってる側が「もう、俺らどうにも止まらない~」
みたいな妄想爆発の勢いで、
「いいよな! これ、すげーよ!!」って
理屈はともかく「楽しーー」って、喜びながら作ってた方が、
その熱気も一緒に伝わってきて、
ある種の魔法にかけられたように、
一般的には理解不能なことでも、
「楽しいんだからいいじゃん」って受け入れちゃうってことも
あるんじゃないでしょうかね。
ああ、当時はテレビ全体が
そんな感じだったのかもしれません。
「今までにない、なんかおもしれーことができそう」
っていう期待感が溢れたもんね。
もちろん、見る側もね。

それと、特にファンじゃなかった私は全然知りませんでしたが、
この、ジュリーを取り囲んでる「萌え」スタッフのみなさんと
ジュリーとの関係ってのも、
知ってるファンにとっては、
うらやましくもあり、微笑ましくもあり、
応援したくなっちゃう感が溢れてたみたいです。
久世さん、阿久悠さん、大野克夫さん、
加瀬邦彦さん、早川タケジさん、それと井上尭之さん……
その他にもいらっしゃるんでしょうが、
それらの「ジュリー萌え」のスタッフたちは、
スタッフ側にも参加してきてくれたってことで、
その中身ジュリーのことも、
というか、むしろそっちの方が、
かわいくてしょうがなかったんじゃないでしょうか。
ジュリーとそのまわりの男たち(男たちですよっ)の関係ってのは、
裕也さんとのことも含めて、また後で語りますが、
その、下手したら40年以上も前からの仲間が
いまだにジュリーと関わっているっていう事実が、
その関係がすんごくいいものだったって、物語ってます。

この中で、ただひとり、残念だったなあと思わせるのが、
TOKIOを最後に解散してしまった「井上尭之バンド」の
井上尭之さんですね。
井上さんは、パラシュート背負って出てきたジュリーを
どうしても受け入れられなくて、離れてしまったらしいです。
タケジさんとジュリーがノリノリで作り上げてる
妄想世界についていけなくなっちゃったんでしょうなあ。
ていうか、井上さんはギタリストですから、
もともと、妄想で架空のジュリーを作るってよりも、
「ステージ上で俺のギターと絡む沢田」ってのに、
「萌え」を感じてたんでしょうし、
そのステージそのものが井上さんにとっての
ジュリーを元ネタにした作品ですから。
(ミュージシャンて、そういうところがうらやましい)
しかし、そんなら、金キャミはどうだったの?って
思っちゃいますけどね。
パラシュートとおんなじくらいの
衝撃じゃないですか! あのカッコは。
そんなことないですかね?
ステージ上ではもっと過激なカッコもしてたから、
あれは許容範囲だったのかなあ。
あ、それに、金キャミのときは、謹慎あけだし、
これからどうなるかわからない状態のジュリーを
放り出すことはできなかったってのはあるか……。
んでもって、
「タカさん、ぼく、これで再起かけてがんばろうと思うんだ」
「そのためには、なんだってやる覚悟だよ」
「だから、金キャミ着ても、タカさん、一緒にやってくれる?」
とかなんとか、ジュリー(28歳! すでに妻帯者!)
上目遣いかなんかで言われて、
「もももちろんだとも、沢田。
 沢田と俺はずっとどこまでも一緒だよ」
(それに、そのカッコは色っぽいから許す)
かなんか、デレッと承諾しちゃったってとこでしょうか。
堕ちてゆくなら、俺が一緒に……とかさ~
きっと、そのときの井上さんの頭の中では
「時の過ぎゆくままに」がリフレインしていたに違いない。
(あ、断っときますが妄想ですからね)
でも、金キャミのときはそれで乗り越えたとしても、
じゃあ、「ヤマトより愛をこめて」は、あれでよかったのか?
「OH! ギャル」のときは?
とか、いろいろ疑問が湧いてきたりもしますが、
まあ、その辺から不満が溜まってきちゃって、
パラシュートでついに決壊してしまったってとこなんでしょうかね。
すでに、押しも押されぬ大スターと呼ばれてもいたし、
パラシュートも背負ってんだから、
もう堕ちることもないだろうって?
(誰うま……)

うまいこと言ったところで、つづく~


やっちまった…………
ポチッと………
合計で28,728円也………

そう!

悪魔のようなあいつ DVDセット1
悪魔のようなあいつ DVDセット2

………やっちまいましたよ。
しかも、2セット一度に大人買い!
確定申告の還付金が入ったもんでね。
はあ~~~
来週くらいには届くかな。
るるーーん

んでもって、ジュリー話はまだまだ続く。
だんだん「萌え」談義じゃなくて、
ただの「ジュリー萌え」話
なってきてる感も否めませんが……
ま、そのうち戻る予定です。



「ジュリーをネタに『萌え』談義」の16回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




テレビの特性を知ったジュリーは、どうしたか!
そう、それが謹慎明け復活一発目の、
新曲「さよならをいう気もない」の
金色キャミソール(!)になるわけですよ。
キャミソールっすよ、ぴったぴたのキャミソール、
それも金色、ズボンも金色! 全身金色!!
(YouTubeで探してみてくだされ。ヒント>金キャミ さよなら)
長髪にでかいイヤリングまで付けて、しかも片耳。
歌ってる途中で風が吹いてきて、髪の毛ふぁさ~~~
お茶の間騒然!……だったかどうかは知りませんけどね。
私はこのときの「夜のヒットスタジオ」は記憶にありません。
見てなかったのか?
見ててもジュリーのことは目に入ってなかったのか?
残念!
もうね、これは……
あんた誰っ!? っていうか、
いったい誰の妄想ですかっ!? ってな仕上がりになってます。
やっぱ、早川タケジさんですかね。
この歌が女歌だからキャミソール?
いや~それにしても……
しかもね、歌の途中で
肩ストラップがはらり……と落ちるんですが、
ありゃあ、ぜっっっっ~~~~~たい、わざとやってる!
だって、カメラがそっち側から撮ってるときだし、
わずかにだけど、くいっと肩動かしてるし、
「どやっ」って流し目くれてるし。
ギャーーーーース!
必見デス。
女装のようだけど、でも女のふりをしてるわけじゃない。
色っぽいんだけど、一体これはどういう対象に向けた
色気なのか……
よくわかんないけど、わかんないとこがまた、
萌え萌えっすよ。

ちなみに、私は個人的に、この曲の歌詞は、
歌詞と認定しとります。
子供の頃には全然よさがわかんなかったけどね。
その後にヒットした「勝手にしやがれ」が
インパクトありすぎだし、
それ以前の「危険なふたり」にくらべても、
いかにもムード歌謡っぽくて、曲調も地味めだしさ。
んでも、このたび歌詞をちゃんと聞いてみて、
なんとうまい歌詞なんだ~と感心してしまいましたよ。
まず最初のフレーズだけで、語り手が女性で、
しかも、今どんな状況にあるかってことがわかる。
で、次にはちゃんと情景が思い浮かぶ。
さらには、この人の人生すらもどんなもんかまでわかっちゃう。
他の歌に比べても短い歌詞なんだけど、ちゃんとすべてが入ってる。
サビのとこは、ちょっと陳腐な感じもする歌詞なんだけどね。
でもそこがまた昭和っぽくてよいなあ、とかひいき目。
しかも、メロディーに歌詞が無理なく乗ってて、
聞いていて心地よい。
うーーん……、阿久悠氏の仕事デス。

で、これ以降、
「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」
「サムライ」「ダーリング」……
と、派手派手路線のヒット街道まっしぐら、
になるわけだけど、
早川タケジさんはじめ、阿久悠さんや、大野克夫さん、
あと、プロデュースしてた加瀬邦彦さんもか……
みんな、嬉しかったろうなあ。
だって、それまで、
本人の意思がどこにあるかは、とりあえず置いといて、
「でも、俺ら、これやりたいんだもんね」って、
妄想世界でいじまわしていた、その本人が、
いじられることに積極的に参加してきてくれたんだもの。
しかも、より過激な方向に。
新曲の衣装や演出の打ち合せで、
2つとか3つとか提案があったときは、
よりリスクの大きい方を取るようにしてたって、
ジュリー本人が言ってるしね。
この「リスク」ってのはなにかというと、
世の中に受け入れられるかどうかっていう点での
リスクでしょうな。
やっぱり仕事でやってることではあるわけだし、
レコードが売れたり、人気が取れないことには、
どうしようもない。
いくら「ジュリー萌え」で、妄想に浸っていたとしても、
彼らもいい大人ですからね、
あんまり外すのもどうか……なんてことも
考えたりもしたでしょう。
「妄想」ってのは、より個人的なものほど
過激で、本人にとっては楽しいものだと思うんだけど、
個人的ってことは、世間の多くの人達には
受け入れられにくいってことだからね。
でも、当時元気だったテレビという世界に、
ジュリー本人を含む「ジュリー萌え」スタッフの妄想は、
うまいこと乗っかることができて、
ヒット曲連発ってことになるわけです。
「なんだありゃ」っていう批判も、
話題作りの材料にしちゃえるくらい勢いに乗ってたんだと思う。
本当に曲ごとに、同じ人間とは思えない、
まったく違うイメージで出てきて、
みんな言ってることだけど、
「次はどんなことやってくれるのか」って、
すんごい期待されてた。
私は当時、全然「ジュリー萌え」じゃなかったけど、
でも、子供の目にはおっさんに見えようが、なんだろうが、
ジュリーがテレビに出るのは、楽しみに見ておりましたよ。
今、40代以上の日本国民なら、ほとんどの人が
そんな風にジュリーを楽しんでたんじゃないでしょうか。
曲ごとにメイクから衣装から身のこなしまで、
まったく違うイメージに作り込んでいるから、
たまに「今日は2曲続けてどうぞ~」なんつって、
「LOVE(抱きしめたい)」の衣装で
「OH! ギャル」なんか歌ってるとヘンな感じがしたりも。
(「夜ヒット」であるんですよ、そういう回が)


あの頃のジュリーはホントに、
スーパースターだったよねえ……
と、感慨に耽りながらつづく

「ジュリーをネタに『萌え』談義」の15回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




久世さんと栗本さんがやっていた、
この「生ジュリーを使って二次創作」を、
実はジュリー自身もやってたんじゃないか……
という妄想が今、湧きました。

ジュリーは、いろいろ考えたり、ものを言ったりする自分よりも、
いわば、からっぽの入れ物としての「ジュリー」が
求められている、ということを
かなり若い頃から意識的か無意識にかはわかりませんが、
感じてて、その要望に応えようとしてたような気がします。
若い頃はあんまりしゃべらなかったというのも
そのせいかな、という気もするし。
自分の言いたいことやりたいことと、
まわりが期待することが
どうも違ってるなあって感じもあったのかも。
まあ、芸能人には多かれ少なかれあることだろうけど、
普通は、若くてかわいい頃はお人形さんとして、
言われるがままにあれこれやらされていても、
だんだんと、自分でもこうしたいああしたいというのが
できてきて、お人形さんじゃなく、
中身の入った人間としての活動をしようとする。
それが一般に受け入れられれば成功するし、
受け入れられないと失敗する、
ということなんじゃないでしょうか。
ジュリーがその「普通」と違ったところは、
「自分はお人形さんなんだなあ」と思った(気付いた?)ときに、
「人形じゃなく、中身の入った人間としてやる!」とならず、
「んじゃ、自分もスタッフのひとりとして、
 そのお人形さんを使った妄想世界を作る側に参加する」
となったことじゃないかと。
久世さんや阿久悠さんや、衣装担当の早川タケジさんや
その他大勢のまわりの人達が、
自分の中の「ジュリー」という妄想をなんとか形にしようと
あれこれやってるのを見ていて、
「それ、楽しそう」
と、思ったかどうかはわかりませんが、
そうやって、スタッフの仲間になった方がよさそうだと
判断したんじゃないすかね。

だってですね、
もう40歳近くのジュリーだと思うんだけど、
なんかの歌番組のトークコーナーで、
「悪魔の~」のときのことをしゃべってて、
「あのときは演技なんてしてなくて、
 そこにいるだけで『今の表情いいねー』とか言われてね。
 ただ楽しいだけでやってましたね」
とか言ってんですよっ。
若かったっていっても、「悪魔~」のときは、
もう27~28歳。
20代後半の男が、まわりから
「そのまんまでいいよ」「きれいだよ~~」と言われて、
抵抗感なく「楽しい」って、あぁた……。
たぶんね、まわりが
「ジュリー萌え~~」ってんで、
いじりまわしてるのが、ジュリー本人からも、
ホントに楽しそうに見えたんじゃないでしょうか。
「そんなに楽しいことなら、ボクにもやらしてよ」
と、こうなったと妄想しますけどね、私は。

これを意識的に積極的にやり始めたのは、
1976年のいわゆる「新幹線事件」後だと思われます。
この事件の後の謹慎期間に、
家でずーっとテレビを見ていて、
初めて、見る側からテレビのことを考えて、
その後の芸能活動の転機になったって、
ジュリー自身があちこちで語ってますが、
今と違って勢いがあって、しかも発展途上のテレビの世界を
視聴者の立場からじっくり見たことで、
「テレビって、作り上げたものを
 その時・その場を切り取った形で提供できるメディアなんだ」
というようなことに気付いたんじゃないですかね?
「スタッフが作り上げようとしてる
 お人形ジュリーをもっと過激にして提供する場として、
 テレビはいいかも」
とかね。
テレビに映ってる、歌っている短い時間だけ、
作り込んだお人形ジュリーでいればいいわけだし、
反応がダイレクトなステージなんかとは違って、
やってみてダメだったら、
次からはやらない、とかの
試行錯誤もやりやすそうだ、とかさ。


で、どうしたかってところで、つづく

「ジュリーをネタに『萌え』談義」の14回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




若ジュリーを見て湧き上がる妄想って、
そりゃ人それぞれでしょうけど、
だいたいが、
こう~儚げで、身体が弱そうで、
若くて幼く、あまりものを考えない感じだったり、
じゃなかったら、影があったり、なんか企んでたり……
ま、普通ではない若者ってとこなんじゃないですかね?
それは、あれだけ外見が美しいってことから
ほとんどの人が連想する
「白痴美」とか「美人薄命」というものもあるだろうし、
あと、あの美しい顔で怒りにふるえたり、苦しんだり、
泣いたりするのを見てみたい、とか思っちゃうってのが
あるからでしょう。
ありますよね?
あるんですよ!
それと、前回も書いたように、
ジュリー萌えの方々は、
現実には決して自分のものになんかならないジュリーを
話の上で窮地に陥れ、
それを救ったり、いやむしろ一緒に堕ちたりする相手役に、
自分を投影してしまうので、
どうしても、その妄想の中のジュリーは、
死にそうだったり、窮地に陥っていたりする
必要があるんですよ。
普通に幸せにしてたら、つけいる隙がないもんねえ……
(つけいる隙って……)
でも、トーク番組やインタビュー記事で
垣間見える実際のジュリー本人は、
普通に健康で健全で真っ当な考え方をする好青年だし、
また、真面目で頭もとてもいい人のように見えます。
そのギャップがいい!という萌え方もあるにはありますが、
妄想の醍醐味はやっぱり、
現実にはいなさそうなキャラに、
ジュリーの顔や身体をあてはめて、
あーんなことこーんなこと……、なわけですよっ!
それが、一般ピープルの場合は、おおむね脳内で行われ、
絵が描ける人ならイラストや漫画にし、
文章に自信があれば、小説……となるわけですが、
でも、いくらジュリーに似せて描いたとしても、
もんのすごくうまく描けたとしても、
絵は絵でしかないし、
文章で「ジュリーがジュリーが」と書いても、
それは自分が考え出したものにすぎません。

と・こ・ろ・が!
一緒に仕事をすることのできる立場にいた、
久世さんや栗本さんは、
その、おのれの妄想世界に、
ジュリー自身を取り込んでしまうことができたのですよ。
で、ホントは健康で真っ当な青年のジュリーを
死病に取り憑かれた、アブナい犯人に、
または、頭の弱いかわいい弟キャラに仕立て上げ、
自分が妄想したとおりの人物として、
ストーリーの中で動かすことができるのです。
そこには、自分の妄想の中では邪魔になる、
健全なジュリーはいません。
健全なジュリーはいませんが、
退廃的な美を体現するジュリーの肉体は実際にあるっていう、
なんともかんとも、うらやまし過ぎる状況なわけですよ。
うは~~ウラヤマ!

久世さんも栗本さんも、
これは、実在の生ジュリーを素材にして、
ジュリーの二次創作をやってしまったということですよね。
これって、世の中にあまたある萌え二次創作者たちの
究極の楽しみといってもいいんじゃないでしょうか。
ゲームやアニメのキャラに萌えている人が、
その本来の制作スタッフや、原画を描いた人に、
自分の妄想した話どおりのゲームやアニメを
作ってもらうようなもんですよ。
もっとも、二次元キャラの場合は、
自分が描いた方が萌える、ということもあるんでしょうが、
ジュリーの場合は、実在の三次元の人間ですからね。
それこそ、次元が違う、というわけですよ。
(うまいっ座布団三枚!)

座布団もらったところで、つづく!


今日はですね。
横浜の映画館でやってる「沢田研二映画特集」ってのに
行ってきたんですよ。
『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』
『太陽を盗んだ男』
『パリの哀愁』
の、三本立てですよ。
立て続けに三本も映画観たのなんて、
初めてかもしれない……

『世界は~』は、アイドル映画、そのまんまって感じ。
でも、結構うまく作ってあるなあと
関心もしました。
特に美術がね、かわいく凝ってて、
70年代カルチャーいいすな~と思いましたよ。

『太陽を盗んだ男』は、
前々から観たいと思っていた、
その期待通りの映画でした。
「ジュリー萌え」じゃないですけどね、これは。
映画として、すんごくよかったです。
もちろん、主役のジュリーもよかったですよ。
いい味出してるって感じですね。

『パリの哀愁』はねえ……
うーーーーん……
えーーーーーーと……
ま、「ジュリー萌え」で観る映画です。
前からネットのあちこちで、
話は酷いっていう記事を見かけてたので、
それで覚悟していったおかげで、
「そんなに酷くないじゃん」とも思いました。
パリの街並とか綺麗だしね。
お約束の悲恋もの?メロドラマ?なんですが、
とにかくキレイでかわいい、かっこいい
若ジュリーが堪能できます。
あのフランス女優との組み合わせはどうなのよ??
ってところはありますけどね、やっぱ……
で、組み合わせといえばねえ……
ちょっと小さい声で言っちゃいますが、
この映画にはかなり本格的なベッドシーンが
2カ所ほど出てくるんですよ。
お相手は、そのフランスの女優さんなんですが、
私は、昨日のエントリに書いた、
栗本薫のやおい小説のことを思い出してたとこだったんで、
ジュリーの裸の背中を見ながら、
どーーーしても、女優さんとのカラミじゃなくて、
なんつーか、その、脳が勝手に、
やおい小説の場面に変換してしまっていてですね、
ヘンなふうに萌えてしまいました……
そうです腐女子ですすみませんすみません


で、まあ、まだまだ腐女子的ジュリー萌えの話は続きます。



「ジュリーをネタに『萌え』談義」の13回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




私の映画鑑賞をヘンなふうに変換してくれちゃった
やおい小説の作者、栗本薫さんは、のちに
それこそ、ジュリー萌えの「ナカーマ」である久世さんと組んで、
ジュリーと内田裕也さんをキャスティングした
テレビドラマの脚本も手掛けています。
ジュリー30歳くらいの頃で、
ドラマ「七人の刑事」の中の「哀しきチェイサー」という
1話完結ものらしいです。
この中でジュリーは、探偵役の裕也さんの弟分で、
ちょいと頭の弱い男の子って役柄だそうです。
うは~~~
見てえ~~~

殺されちゃう役らしいですけどね。
でもって、死んじゃったジュリーに裕也さんが
煙草をくわえさせるシーンが
あるんだそうですよっっ!!
死んじゃってるってことは、
自分で吸って火をつけることはできないから、
まず、裕也さんがくわえて火を付けたのを
ジュリーの口に差し込んでやるってことですよねっっ!?
しかも、死んじゃってて動けないから、
くわえさせるためには、
顔とか唇とかをこう~触るわけですよねっ!
そうですよねっっ!!
うわ~~~うっわ~~~~見てぇ
ああもう、さすがジュリー萌えのツボをわかってらっしゃる。
これは演出の久世さんの仕業なんだろうか、
でも、栗本さんもきっと
「それいい! それでいきましょう!!」
とか、ふたりで喜びまくってやってたと想像できまする。

「悪魔の~」でも最後は死んじゃうし、
なんでこう、ジュリー萌えの方々は、
ジュリーを死なせたがるんでしょうか。
……まあ、わかるけどさ。
制作側のジュリー萌えの方々は、
死にそうな、もしくは死んじゃったジュリーを
抱きかかえたりなんかする相手役(ここでは裕也さん)の方に
感情移入してるんですよね。
現実には絶対に手に入らないものを
そうやって手に入れる、という妄想でございますよ。
しかもだね、
死んでる死んでると言ってますが、
これはドラマ、お芝居の話ですから、
死んでるのは演技であって、現実のジュリーは、
ただ目をつぶってじっとしてるだけなわけですね。あたりまえ。
もちろん気を失ってるわけでもなく、
相手役があーんなことやこーんなことをしているのも
知ってるんですよ。あたりまえ。
お芝居とはいえ、自分が死んだあとの、
まわりの男たち(男たちですよっ)の狼狽ぶり、悲しがりぶりを
それこそ間近でジュリー自身は見て聞いて、
なんかいろいろなすがままにされているわけですよ。
久世さんなんかは、そのことももちろん承知で、
いろーんなことをやってそうな気がします。
ていうか、ドラマ見てるこっちだって、
そんなふうなねじくれた萌え方をしてしまうって寸法ですよ。
ああ、耽美だ……

栗本先生も嬉しかったろうなあ……
「真夜中の天使」は、ジュリーを題材にっていっても、
別にジュリーに断って書いたわけじゃないだろうし、
小説書くっていう行為はひとりでやるもんだからね。
まあ、一般ピープルの妄想の延長線上と言ってもいい。
一般人と違うのはそれをメディアに載せて、
発表することができたってとこだ。
だけど、ドラマは個人ではできないことだし、
なによりも、本物のジュリーを
自分の妄想の中にあてはめて、
現実であれこれいじくれるんですよ。
あ、いや、「いじくれる」って、そういう意味じゃなくて……
って、どういう意味じゃ!
はぁはぁ……すみません。

気を取り直して、つづく……


「ジュリーをネタに『萌え』談義」の12回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。



前回は、久世さんに「ナカーマ」と言って肩を叩く、
なんぞと恐れ多いことを勢いで書いちゃいましたごめんなさい。

いやその、「ジュリー萌え」という点では、
確かに「ナカーマ」であると信じて疑いませんが、
この久世神とも呼ばれている久世さんと
一般人の私とは、表現方法という点で、全然違ってます。
私はただむっはぁ~~~と妄想に溺れるのみで、
かろうじてこんな過疎ブログにこんな文章を書いてるだけですが、
当時、すでに実力派の演出家であり、
テレビ界で、ある程度の力を持った人間だった久世さんは、
ジュリーを主人公にした、この「悪魔のようなあいつ」という
素敵ドラマを作ることができ、
一般ピープルの我々にさらなる妄想の元を
供給してくれることができたわけです。
いやしかし、久世さんは、
世の中の腐女子(当時、この言葉はなったですけどね)のために
このドラマを作ったのではなく、
あくまでも、ご自分の欲望のおもむくままに作ったらこうなった……
ということなわけですよねたぶん。

これと同じ事をやったのが、小説家の栗本薫御大です。
栗本薫さんは、今だったら「グイン・サーガ」の原作者と
言った方が通りがいいのかな。
4月からアニメスタートだしね。
「グイン・サーガ」は途中までは読んでたんですけどね、
イシュトヴァーンがアムネリスと結婚したあたりで、
イシュト萌えだった私は離れてしまいました……
だってだって、あのイシュトはダメすぎる。
そのうち目が醒めて元のイシュトに戻るんだろうと、
しばらくは我慢して読んでたんだけど、
なかなか戻らないんだもの……
あれから、すでに30~40巻は進んでるはずですが、
今はどうなってんでしょうか。
元のやんちゃなイシュトは戻ってきてんでしょうか。
……また読んでみるかなあ。

あ、すいません。脱線しました。
その栗本薫さんも、もとからジュリーのことを
好きだったということもあるんでしょうが、
久世さんが妄想爆発で作り上げた
「悪魔のようなあいつ」を見て、
さらに妄想を膨らませ、
「真夜中の天使」「翼あるもの」などの、
今西良シリーズとなる小説を何本か書いたのです。

私は、栗本さんがデビューしたころから好きで、
「ぼくらの時代」シリーズは全部読んでたし、
なので、
お、栗本さんの新作だってんで、
「真夜中の天使」を手に取ったんですけどね。
もちろん、ジュリーがらみでもなく。
(当時、私の目にジュリーは入ってなかったからね……ちくそー)

で、読んでみて……

「なんじゃ、こりゃああああ!!」

ああ……この世界は一体なんと言ったらよいのでせう……
などと、もだえたものですが、
これが「悪魔の~」を元ネタにして書かれたものだとは
当時はもちろん知りませんでした。
ていうか、「悪魔の~」というドラマ自体、
知らなかったですからね。

しかし、なんというか、
男同士の耽美な世界って世界って世界って……
という、えも言われぬ「萌え」感ありありで、
どきどきしながら読み進んだものでした。
もちろん、それまで「風と木の詩」や「トーマの心臓」など、
漫画ではそっち系のものがすであって、
「ジルベール~」「ユーリ~(そっちかよ!)」などと、萌えながら読んでいたわけですが、
それとはまた違う大人の世界が
そこには繰り広げられておりましたのですよ。
今から思えば、これが私の腐女子魂に火を付けた
最初の創作物なのかもしれません。
というか、これをもって「やおい」の始まり、
とする方もいらっしゃるようです。
これ以降、JUNEなど「やおい耽美小説」
続々と出てくるわけですが、
残念ながら、私は栗本薫さんの作品が好き、というだけで
「真夜中の天使」を読んでいたので、
それから他の耽美作家やJUNE系に行くということが
なかったんですよ。
それは良かったのか悪かったのかわかりませんけどね。
ちょっともったいないことをしたなあとは思うよ、うん。

栗本御大の話はまだつづくっ


「ジュリーをネタに『萌え』談義」の11回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




前回のエントリで例に出した
シャツビリビリシーンのコメントの件は、
2ちゃんねるの「悪魔のようなあいつ」スレでも話題になっていて、
「塾長(演出の久世光彦氏のこと)の趣味としか……」とか、
「究極の愛の戯れ、とでもいったら……」とか
「サービスカットです。ただし塾長のための」とか、
みんな、「これ」といった説明ができなくて、
なんというか苦笑い、
でも、あたしたちはわかるよね!
説明できないけど、わかるんだよね!
という共通の了解があって、
そうそう、そうだよねーと、
私もPCの前で大きく頷いてました。

こんなような、ジュリーの萌えシーン満載の
「悪魔のようなあいつ」というドラマを作ったのは、
演出家の久世光彦さんです。
久世さんといえば、ジュリーのことが大好きだったというので、
有名なのだそうです。
ついおととしからの追悼組のにわかファンである私は
ドラマ放映当時のことは知りません。残念!
でも、この久世さんが書いたという、
「悪魔のようなあいつ」の企画書というのを
アップしてくださっているファンの方がいるのですが、
その企画書は、久世さんからジュリーへのラブレターと
言われています。
読んでみると、ホントに……
もうね、読んでる方が赤面するくらいの、
ジュリー愛に溢れておりまするんですよ。
うは~~……
これはね、
ジュリーを主役にしたテレビドラマの企画書ですから、
どうしてジュリーがその主役にふさわしいのかということを
本来ならば述べないといけないものじゃないかと思うんですが、
そうじゃないんですよ。
もう、ね、
ジュリーはあらかじめ「すごい」ということになってて、
そのジュリーのすごさを表すためには、
ジュリーをスーパースターにするためには、
こういうドラマが企画が必要なんですっ!という、
そういう論法になっております。
なんでジュリーなのかということは、
説明してるようで、説明してません。
なんつーか、妄想入ってます。完全に。
理屈ありません。
他の身近なイメージで売っているアイドルみたいに
ジュリーは私生活を晒してなくて
神秘性、「魔」性がある、とか書いてるんだけど、
タイガースのころなんて、完全にアイドルで、
明星とか雑誌なんかには、ニッコリアイドル笑いで
出まくりだったし、家族との写真も載ってたはず。
自宅の電話番号や住所がファンにバレちゃって、
大変だったっていうことも本人が言ってるし、
昔録音したものをアップしてくださっている方もいて、
それを聞くと、
当時のラジオでは、京都弁丸出しで、今と変わらない
おっさんしゃべりをしてたりもするんですけどね……
若い頃は取材は嫌いだったみたいだから、
他のアイドルよりは露出は少なかったのかもしれないけど、
久世さん、自分が知らなかった
「不十分な情報を妄想によって補う」っていう、
完全に「萌え」の条件にあてはまっちゃってます。
あああああ……
久世さんもジュリー萌えだったんだね、と、
肩を叩いて「ナカーマ」と言いたくなります。
残念ながらもう亡くなられてますが……

つづく~

ああ、間があいてしまった……
なんでかというと、
「稀人舎通信SPECIAL 3号」に載せる
座談会をね、こないだの11日にやったんで、
それのテープ起こしをしておったんですよ。
全部で6時間強!
私が一番無駄話をしてるというのは、
まあ、座談会なんてことが初体験だったつうことで
許してもらうとしても(いいのか?)
私の他の2名の方のお話がおもしろすぎてですね、
なかなか削れず、とはいっても、
全部をそのまんま原稿にしても、
わけわかんなくなるだろうってんで、
この10日間、ウンウンやってたんですよ。
ようやく、第一稿できました。
これをその参加者おふたりに明日にでも送って、
それぞれ加筆・修正などしてもらいます。
ふーー
おんもしろいよ。乞う御期待。
参加者が誰かは近日発表予定デス。

で、やっと「ジュリーをネタに「萌え」談義」
再開できそうです。


「ジュリーをネタに『萌え』談義」の10回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




「好き」が高じても、妄想は湧かず、
というか、「妄想」に甘んじてないで、
ただのマニアやコレクターにとどまらず、
どうにかして仕事にして、
研究者になったり評論家になったりする人もいます。
そういう人達は、
自分がこの対象をどうして、どんなふうに好きなのか、
世の中のどれくらいの人達に受け入れられているのかを
客観的な情報、データを積み上げて、説明ができるし、
説明したくなるはず、たぶん。

そう、「萌え」は、説明ができません。
妄想は、なにか理由があって湧くものではないですからね。
「もとネタ」はありますが。

ドラマ「悪魔のようなあいつ」の中で、
ジュリー扮する良ちゃんが、
藤竜也扮する野々村さんに
なんやらかんやら絡みながら、
ナイフで野々村さんのシャツを切り裂くという、
鼻血もののお耽美シーンがあってですね、
そのシーンがYouTubeにアップされてます。
(リンクは貼らないので、検索してね。ヒント>綺麗な沢田研二)
で、それに、外国人らしき方が
「日本語がよくわからないのですが、
 どうして良は野々村のシャツを切り裂いているんですか?」

というコメントを付けています。
こ、これは……
ドラマを最初から見てください、としか言いようがないですが、
最初から見てもわかんないかもしれない。
だってですね、逆からいうと、
実は私はこのドラマを通して見てはいなくて、
(DVDを買おうかどうしようか、激悩み中
 たぶん買うきっと買うこれも愛あれも愛)

あらすじとYouTubeにアップされている
ダイジェストでしか知らないんですが、
でも、前後の脈絡がわからなくとも、
この数分のシーンだけで、ご飯三杯いけます!
良ちゃんの美しく怒った顔、
一歩間違えばナイフでズブ!ぐさ!の危険な状態なのに、
ミョ~に嬉しそうにされるがままの野々村さん……
しかも、ふたりの顔が近い近い……
んでもって、野々村さんはやたらと
良ちゃんの頭やら首筋やらに触りまくりっ
うっはあ~~
萌えませんか?
萌えますよね?
萌えるんですよ!!

なんでか?
………説明できませんっ!!
これは「萌え」だから!

と、良ちゃんと野々村さんの萌えシーンに
もだえながら、つづく。


春の恒例行事「確定申告」、
行ってきましたよ。
ま、申告書をぺーんっと提出してきただけだけどさ。

ちなみに、
「稀人舎」の収支だけ抜き出してみてみるってーと、
マイナス3万とちょっと……

そうだよっ!
マイナスだよっっっ!!


なんか文句ある?
………はあ~~~
なんかさ、
年間2~3万くらいかけてやってる
趣味と考えれば、安いものなんだろうけどね……
どうもなあ、こうもなあ、なんともなあ……

とか、グチグチ言っててもしょうがないので、
今やれること、やりたいことを
やるしかないですね。
今は、春の文学フリマに出す
「稀人舎通信SPECIAL 3号」を頑張ります。

「3号」ではですね、
こないだからここにダラダラ書いている
私の「『萌え』談義」をまとめたもの、
私と川口さんとあともうひと方を交えた座談会(!)、
川口さんの書評、
月澤さんの作品、
伊豆介八さんの漫画、
今回初参加の方のエッセイ、
あと、余力があったら私の小説……
(無理ぽな感じだけど、ここに書くことで自分にプレッシャーを)
などなど、これまでにない盛りだくさんな内容ですよ。

で、できるのか!?
がががんばります。


近況報告はここまで。
以下「ジュリーをネタに「萌え」談義・その9」でございます。


「ジュリーをネタに『萌え』談義」の9回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




私が60歳ジュリーが好きなのは、
ジュリーそのものではなく、
ジュリーがやっている「こと」に対してだと、
前回書きましたが、
それに比べて、
若ジュリーや40代の渋ジュリーに対しての愛は、
やはり、あのジュリーそのものに向けられた愛なわけですよ。
たとえば、今のジュリーがテレビに出て、
なにかしゃべるということがあったら、
そりゃ、齧り付いて観るでしょうが、
それは、ジュリーの姿が見たいというより、
ジュリーがなにを言うか聞きたい、
という方が勝る気がするんですよ。
でも、YouTubeに上がっている
昔の若ジュリー出演のトーク番組などを観ているときは、
しゃべる内容よりも、ビジュアル重視!
しゃべっているジュリー、
頷いているジュリー、
照れ笑いするジュリー、
お酒を飲んでいるジュリー……
などなど、その表情、お姿、仕草を見たくて、
ちょっと京都なまりのしゃべり方をする声を聞きたくて、
観ているわけです。
はっきりいって、しゃべっている内容は二の次です。
(まあ、昔の「へえ~」なエピソードも面白いんですけどね、でもね……)
美しいジュリーを目に焼き付けて、
妄想の材料にするわけですね。
なので、同じ動画でお気に入りのやつは、
トーク番組ものでも何度でも観ます。うは。

というわけで、やっと結論らしきものです。
「萌え」ではない「好き」とは、
「妄想を伴わず、
対象の周辺の情報で構成された総体が
好きであるということ」

てなところかな?

妄想ではない現実の「情報」を求め、
その正確さを誇ってマニアと呼ばれたり、
現実にある「モノ」を集めまくってコレクターになったりもする。
「モノ」は「情報」の一種ですからね。

でも、その「情報」を求め続けた結果、
どうしても不足してしまう情報を
ついには「妄想」で埋めることになって、
「好き」から「萌え」へと行ってしまうことは、
往々にしてあるでしょう。
ですから、やっぱり、
「萌え」は「好き」の高じたもの、
という面もあるわけですね。
もちろん、「萌え」状態から、
妄想のネタを求めて、情報を集めた結果、
マニアやコレクターのようになっていく、
ということもあるでしょう。
どちらが先とか上とかいうことはありませんし、
だからこそ、「萌え」という感情の説明が
付けにくくなってもいるわけです。
世の中には、
「『萌え』ではないけど『好き』」と言い切れるものって、
なかなかなくて、境界線が曖昧になってるんだと思います。
自分でもよくわかんないってこともありそうだしね。

ふー、
そんなこんなで、やっと次から「萌え」談義本編か?
長いね。


ジュリーにうつつを抜かしているうちに、
仕事(本業のデザインの方ね)が大変なことに
なってきてまして……
ちょと来週くらいまでは更新が滞ります。

ところで、
「うつつを抜かす」って、
「うつつ」つまり「現実」を
「抜かす」=「すっ飛ばす」っていう意味なんだよね。

なんか「ぬかす」って語感が
「なにぬかす、おんどるぅああああ!」
っていうイメージがあってさ、
そうなると「うつつ」ってのは、
こう~、ぼけーっとしてるときの言動とか、
そんな状態のことみたいな、
要するに「妄想」ですな、
だから「うつつを抜かす」ってのは、
私のイメージとしては、
「脳内の妄想がダダ漏れに出てきちゃうくらい
 なにかに夢中になって、他のことがおろそかになること」

みたいな、
そんな感じがしてならないんだよ、
みたいな。

はあ……
いや、間違ってるのは承知ですけどね。
そんなのってないですか?
語感て不思議だね。

と、まあ、余談ですが、
昨日発売になった
沢田研二 A面コレクション
も買っちゃったことだし、
(いや~、ジュリーの初期の曲っていいね!
 ザ・歌謡曲って感じで懐かし過ぎて涙出る。
 仕事しながら激リピ中)

真面目に仕事します。しばらくは。

「『萌え』談義」の方は、
少し書きためていた分を
ちびちびアップします。せこい。





「ジュリーをネタに『萌え』談義」の8回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




上に書いたようなわけなんで、
前回
「そろそろ「好き」についての結論を出せそうか?」
なんて振りましたが、
まだ結論まではたどり着かないようです。えー


そんなわけで、以下中途半端に続きです。


「好き」は相手の反応を期待する、と前に書きましたが、
「ジュリーが好きだ好きだ」と、
いくらこんなところで言ったところで、
ジュリーからの直接的な反応は期待できません。
(あったらビックリだ、ヘンな顔になった挙げ句、心臓止まる)
でも、私がジュリーのDVDやCDを買ったり、
こうしてブログに愛ダダ漏れ状態の文章を書いたりすることで、
世間のジュリー人気の再燃にほんの少しでも貢献し、
60歳の現役ロッカーとして、
またテレビとか他のメディアに露出が増えていけば、
それだって、相手からの反応と言えますからね。
この場合の「相手」ってのは、
ジュリー本人=個人じゃなくて、
今、世間で認識されている「ジュリー」というイメージというか、
ジュリーのやっているコンサートや他のお仕事という、
我々の目に見える情報の、
それらの総体っていうか、そんなもののことですよ。

芸能人やアーティストの熱心なファンをやっている人は、
だいたいそんな感じなんじゃないでしょうかね。
もちろん、ファンであり、そして「萌え」ているってことも
あるでしょうけどね。

ああ、そうか。
ここに「萌え」との決定的な違いがあるのかもしれません。
この「その5」のエントリで、
「還暦ジュリーへの愛を語り倒す」と書きましたが、
2つも3つもエントリ費やして、えんえん語っているのは、
60歳のジュリー=沢田研二という人間その人に対する
「愛」ではないですね。
ジュリーが今やっている「こと」に、
私は感動しているんですよ。
60歳のジュリーが今やっていること、
その「こと」を愛してるわけですね。
だから、ここで書いたように、
ステージ上ではない、
黙ってそこらにいる60歳ジュリーには
私はたぶん萌えない。

ということになるわけです。
まあ、60歳ジュリーに萌えるのは、14年後、
私自身が60歳になったときの楽しみに取っとくことにします。

「好き」と「萌え」の違いは
まだまだつづくっ!

「ジュリーをネタに『萌え』談義」の7回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




えーとですね……
こないだ(2009年2月25日)渋谷公会堂で、
ジュリーは内田裕也さんとのジョイントコンサート、
「きめてやる今夜」てのをやったんですよ。

ふたりはジュリーがタイガースでデビューしてから、
てゆうか、裕也さんがジュリーをデビューさせてからずっと、
いろんなところで共演したり、
一緒の番組に出たりして関わり続けてきたみたいだけど、
ジョイントコンサートとしては、初めてだそうです。
(そうだったのか!?)
で、そのコンサートで、

内田は(中略)勢いあまったのか、「遠い親せきが来ています。一生に1度のことですから」と来場していた妻で女優樹木希林(66)を強引にステージへ呼びつけた。樹木は照れながらも沢田ファンのおばあさんを演じたドラマ「寺内貫太郎一家」での名ゼリフ「ジュリー~!」を、沢田本人の前で腰を振りながら披露するサプライズもあった。
日刊スポーツ


だったんだって! ぎゃーー行きたかった!!
この記事読んだときも、私は涙出そうになった。

『寺内貫太郎一家』は、35年前、
それと、
ジュリーが裕也さんのために「きめてやる今夜」を作って、
ROCK'N ROLL BAKAで一緒に歌ったのが30年前……
それぞれ、YouTubeで断片的に観ることができるし、
その頃に、ジュリーと裕也さんが一緒にテレビに出てるのとか、
いろいろなコンサートで共演してるのとかも
ありがたいことに、いろいろ観られるんだけど、
ジュリーは20代後半~30歳、
裕也さんと希林さんは30代。
すごく頑張ってて、すごくかっこいい。
そして、本人たちが楽しそう~。
そんな頃からずっと彼らは自分のやるべきこと、
やりたいことを続けてきていて、
途中、失敗したことも、
まわりから非難されたこともあっただろうけど、
(だって30年だよ? 長いよ。そりゃいろいろあったろうさ)
当時、全速力で突っ走ってた彼らがこうして、
30年も経った今でも、
笑い合いながら一緒のステージに立ってるってことが、
なんだか、すごく嬉しい。
嬉しくて、そして勇気づけられる。
目標にしたい大人たちだなあと思う。

私が60歳になったとき、
こんなふうに、誰かと一緒に笑っていられるだろうか。
昔はいろいろあったけど、楽しかったね、
あれがあったから今があるんだね、
そんでもって今も俺たち最高じゃんって、
笑っていられるように、
なんとか頑張っていこう!
って、そんなふうに思わせてくれる。
そんなことが頭の中ぐるぐるして、
感動して泣けてくるんだと思う。

あー……
でもね、ジュリーと裕也さんの関係ってのには、
「萌え」かもしれません。60歳と69歳でも!
それも、腐女子敵な意味で。うひひ。
このことは、また後で語ります。



そろそろ「好き」についての結論を出せそうか?
つづく