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5号の表紙

5月23日の文学フリマで販売予定の
「稀人舎通信・5号」の表紙ができましたよ。

5月だけど、ちょと夏休みっぽい?
ま、初夏ってことで、
今はまだなんだか寒いですけどね、
5月末ともなれば、
いくらなんでも「寒い」ってこたないでしょ。
(タノムヨ……)

特集内のインタビューの
紅野敏郎氏と星野人史氏に関しては、
詳しいプロフィール原稿が上がり次第、
ここにもアップします。
インタビュアーは金井景子先生です。

特集は

「男の子たちはナニを読んできたのか」

女子中高生が少女漫画やケータイ小説を共有しつつ、
独自の文化・コミュニティを築いていたときに、
男の子たちは一体ナニを読んで、ナニをしておったのか!

座談会では、10~15年前に男子中高生だった男子たち4名↓

元男子たち ※イラストはイメージです(笑)

彼らが、自分の過去を振り返りつつ、
男子中高生の読書体験を語ってくれてます。

で、その座談会を踏まえて、
では今の中学生にはどんな読書を薦めるべきか、

「中学2年生の学級文庫を作るとしたら?」

のお題で、座談会参加者それぞれが
思うところの学級文庫をリストアップしてみる企画も。

あと、特集のおまけ的に、
最近私があれこれ吠えている
「非実在青少年問題」についてのコラム。
まあ、なんで私がこれに反対するかっていう、
その理由を縷々述べたものです。

特集以外では、

月澤黎さんの短編小説。
今回は「のだめカンタービレ」の二次創作です。
黒木くんがかわいいです。

山口恵さんの家族についてのエッセイ。
山口さんには、今回の座談会にも参加してもらい、
ドキュメンタリー部門の学級文庫を
考えてもらったりもしました。

おなじみ、伊豆介八さんの連載漫画「プラグド」
「プラグド」も、5作目。
今回、ちょっと話が動いてます。


詳しいことはまた追加していきます。

5月23日は文学フリマへ。
【稀人舎】のブースは「U-14」です。

よろしくです。
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5月23日の文学フリマ
当日参加案内、届きました。

【稀人舎】のブースは「U-14」です。

見本誌コーナーへの通路に近い、端っこの島。
なんか回りが有名どころばっかりな気がするのは
気のせい?
なんにしろ、人が集まりそうなのは嬉しいです。

その文学フリマで発売予定の
「稀人舎通信・5号」は、現在絶賛制作中。
今回の特集は

男の子たちはナニを読んできたか

前回の「ケータイ小説」特集のときは
主に女子たちの中高生時代の読書傾向について
あれこれ語ったり文章書いたりしたんで、
「そんじゃあ、男子はどうなのよ?」ってことで、
今回は男子たちの中高生時代の読書傾向について、
あれこれやってみています。
いつものように座談会と、
それを中心にしたエッセイ、小論がいくつか。
「非実在青少年」問題についての
私の怒りの小論文も載ってます。
また、座談会を受けて
「じゃあ、今の中学校の学級文庫にはなにを置いたらいいか」
「学級文庫には置けないけど、中坊はこんなの読んだらいいんじゃね?」
と、座談会参加者がリストアップした「裏学級文庫」も掲載します。
それに加えて今回は、インタビュー記事も2点載ります。
「75年前の男子中学生」と「50年前の男子中学生」に、
金井景子先生がインタビューしてくださいました。
詳細は後日発表。

乞う御期待。

はあ、まだまだだと思ってたら、
もう1ヵ月後になっちまったよ。
入稿は5月11日の予定。
うーーむ、できるんだろうか。
がががんばります。


八間町マーケット

この絵は、実は私の母が描いたものです。
母は水彩画を描く人です。
もう絶版になってますが、
父の本『ふる里つるおか飲み屋ばなし』の
カバーに使われています。



この絵は、今はもうない、八間町マーケットを
大泉橋の上から昭和橋に向かって見たところです。
川は鶴岡市内を流れる内川という川です。

トタンを貼り付けた小さなバラック建ての家が、
ホントに川に乗り出すようにして並んでいます。
この並んでいる建物の向こう側が細い路地になっていて、
「八間町マーケット」と呼ばれる、市場のような通りでした。
本当に狭い細い路地で、両側のお店の軒が接して
アーケードのようになっていました。
お店は、魚屋、八百屋、種苗店、雑貨屋、カケハギ屋……などなど。
真ん中あたりには公衆便所。
(ということは、各家にはトイレがなかったんですね)
そして、その路地から川と反対の方向には
入り組んだ細い路地がさらに伸びていて、
そこには小さな飲み屋がぎっしりと並んでいたはずです。

当時子供だった私には、足を踏み入れてはいけない場所であり、
その入り組んだ路地の奥がどうなっていたのかはわかりません。
ましてや、そこの夜の様子など知ることはありませんでした。
(父は毎晩のように飲み歩いていたようですけどね)

でも、母に連れられてマーケットに買い物に行くと、
そっち側の路地では
派手な服を着た女の人が眠そうな顔をしてタバコを吸っていたり、
開店前のお店の開け放されたドアの中が見えたりと、
ほんの少し、あっちの世界を見ることはできました。
もう、西原理恵子漫画「ぼくんち」の世界です。たぶん。

「あっちの世界には行ってはいけないよ」という
母の有言無言のプレッシャーをもっともだと受け止めつつも、
その世界になんともいえない魅力を感じていた子供の私でした。

今はもう、トタン張りの傾いた建物はすっかり取り壊されて、
川沿いにひらけた明るい遊歩道になり、
狭い暗い路地はどこにもありません。
立ち並ぶお店も間口が大きく、建物も立派できれいになりました。
そこで商売をしている人々、毎日を暮らす人たちにとっては、
便利で清潔で、今の方がずっといいのだということはわかっています。
でも、鶴岡を離れてしまった者の勝手な郷愁から
勝手なことを言わせていただければ、
あの、細い暗い路地の奥にあったものを
なくしてしまわないでほしかったと思うのです。

結局踏み込んだことのない、あの細い路地の奥は、
今でもときどき夢に見ます。
実際は知らない街なので、夢の中のそれは、
お芝居の書割のように、薄っぺらです。
いや、実際も、子供だった昔に感じていたように、
どこまでも続いているような深い深い奥底などなく、
本当に薄っぺらな街だったのかもしれません。

でも、そんな薄っぺらな世界の住人になっていたら、
私はどうだっただろう。
今はもうない、暗い狭い路地の奥に、
安っぽい派手な服を着て立って、タバコを吸ってため息をついたり、
同僚のホステスと喧嘩をして泣いたり笑ったりしていただろうか。
「本当は東京に行きたかったんだ、
 デザインの仕事なんかしたかったなあ」なんて、
馴染みの客相手に言っていただろうか。

今さら鶴岡に帰って暮らしたいとは思わないけれど、
行ったことのないあの路地の奥には帰りたいと、
ときどきぼんやり想う。

すっかりツイッターでぶつぶつ言うのが習慣になってしまい、
長い文章を書くのが億劫になってしまった昨今ですが、
これはちと文字量ないと書けないことかなと思ったので、
長いですが自分用メモも兼ねて書いときます。

いわゆる「非実在青少年」問題についてのことです。



非実在青少年

なんていうキャッチーな造語まで
作ってくれちゃったおかげで、
現在、一部で話題沸騰中の
通称「東京都青少年保護条例」改正案ですが、
私は、はらわた煮えくり返るほど

反対です。(まずは態度表明)

反対理由は
「青少年の健全な育成のためとかおためごかしを言って、
 自分たちの価値観を押し付けるなよっ!」
という、ほぼこの一点です。
「子供を持つ親はみんな不安に思っている」
とかの言い草も腹が立つ。
少なくともここにいる親(私)は
不安になんか思っていないぞー。
「みんな」じゃないぞー。おー。

今までの経緯や問題点など詳しいことは
非実在青少年」でググッてみてください。
ネットに上がっているのは主に、
というか、ほとんどが反対意見ですが、
いろーんな問題があることを
いろーんな人達が丁寧に解説してくれてます。

で、この「東京都青少年保護条例」改正案は、
ろくに審議もしないまま、
ヌルッと可決されてしまうとこだったんですが、
さまざまな反対意見が出たことで、
とりあえず、こないだの3月の都議会では決まらず、
6月の都議会への継続審議となりました。

そういうわけで、今は、
6月の都議会に向けて、
いろいろと意見交換をしてる……
…………
はずなんですが!
私が見る限り、意見「交換」なんぞしちゃいません。
主に反対派が意見を言いっぱなしに言ってるだけです。
そして、(あまりいませんが)賛成派の人も、
反対派の意見をまず聞かない。
賛成派も言いっぱなし。

全然議論になってない。
噛み合ってなくてものすごくイライラする。
いい大人同士(しかも政治家とか評論家とか。頭いいんじゃないの?)なのに、
なんでこんなことになっておるのか?

それは、両者の世界の見え方が
違うからなのじゃないかと思うのです。

まったく違って見えているものを同じものだとして、
一方は「よい」、一方は「ダメ」と言い合ったって、
そりゃ議論になんかなりゃしません。
お互いに「なんでわかってくれないんだろう??」って
不思議に思うばかりです。
反対派は賛成派のことを
「この頭コチコチの既成概念人間が!」と憤り、
賛成派は反対派のことを
「やっぱりキモオタは何考えてるかわからねえ」
と気味悪がるだけです。

なんでこういうことが起こるのか。

ここで問題になっているのは、
漫画やアニメなどの表現物なので、
見え方が違っちゃっている「世界」というのは、
表現物から個々が受け取っている要素ですね。
漫画やアニメを見たときに受け取る要素、
つまり感動や嫌悪感や思考などなどは、
個人個人で違うはずです。
ときには作者が意図していない要素を
受け取ることもあります。
ていうか、腐女子なんかは
ほとんどそればっかりで楽しんでると言ってもいい。
そういう腐女子のように、
作品から多様な要素を受け取るには
たくさんの作品に触れて
受け取る訓練をする必要があります。
で、それに関しては、反対派の主要メンバーである
オタクたちに一日の長があるわけです。
つーか、訓練しようと思ってやってるわけではなくて、
漫画やアニメに多様な要素があることがおもしろいから、
たくさんのものを読んだり見たりして、
その結果オタクや腐女子になってるんですけどね。
そんでもって、その多種多様な漫画やアニメが
今後もあり続けてほしいと願っているので、
今回の改正案には反対してるんです。

一方、あまり漫画やアニメを見たことのない人達……
規制賛成派はそんな人達なんじゃないかと思いますが、
そういう人は、漫画やアニメからは、
それほど多様な要素を受け取ることはできません。
エロい漫画だったら、エロな要素、
ロリなアニメだったら、ロリな要素、という具合に
いわゆる一般的なイメージどおりに
素直に受け取るのではないかと思います。

これはどっちがいいとか悪いとかの話じゃない。
どんなジャンルの表現物に多く接しているかの
違いに過ぎません。
私は漫画好きのオタクで腐女子なので、
漫画を読んで「ムフフ」な妄想が
広がることしばしばですが、
漫画はほとんど読まないから
そこから多様な要素は受け取れないけれど、
音楽からはものっすごく妄想が広がる、とか、
帳簿の数字を見ると、
私には想像も付かない要素が
そこに浮かび上がる……などの人もいるでしょう。
(いるのか? いるかもいるよきっと)

その違いのためになにが起こるかというと、
同じエロ漫画を読んでも、
オタクはそこに悲しい要素を見出したり、
他の創作物との共通項を感じて、
妄想が広がったりするんですが、
そうじゃない人にとっては、
ただの「エロ」でしかなかったりするわけです。
そして、漫画やアニメは「絵」ですから、
一瞬で目に飛び込んできて、
ある要素を見た人に叩き付けてしまいます。
たとえば、あるエロ漫画について、
「この漫画はエロい描写があるけど、
 感動の成長物語なんだ」と、私がいくら力説しても、
そのエロい絵から嫌悪感を伴う「エロ」だけを
受け取ってしまった人には、それでしかないのです。

規制反対派がよく言う話に、
「この改正案が施行されたら、
 「ドラえもん」も規制される」
というのがあります。
「ドラえもん」のアニメにしばしば登場する、
しずかちゃんのシャワーシーンがやばいだろ、
というやつですね。
こんな国民的に人気のある作品の、
しかも「子供向け」と認識されているものの中にも、
「こういう」シーンがあるんだから、
一律に網をかけるような曖昧な規制はダメだ、
と、論は展開されていくんだと思いますが、
これ、たぶん賛成派の人達には、
なにを言っているのかわからないのではないでしょうか。
賛成派の人達は、しずかちゃんのシャワーシーンから
「エロ」を受け取ったりはしません。
しかし、反対派であるオタクにとって、
しずかちゃんのシャワーシーンは、
極端な話、「奥様は小学生」と同じなのです。

「奥様は小学生」は、
東京都副知事の猪瀬直樹氏が、
テレビの討論番組で、
規制されるべき漫画の例として
現物を提示したために
一躍有名になった漫画です。
私は作品を読んでいないのですが、
あちこちで紹介されているあらすじを見ると
その作品中の小学生のエロいシーンは、
主人公の妄想なのだそうです。

小学生だけど魅力的な女の子の裸を想像して、
あれこれ妄想をたくましくするけど、
最後は「なーんてね、てへへ」で終わる話、
と考えると、
しずかちゃんのシャワーシーンと
「奥様は小学生」は同じ要素を含んでいると
言ってもいいのではないでしょうか。
そこから同じ要素を受け取ってしまうからこそ、
反対派は、
「奥様は小学生」が規制されるなら
「ドラえもん」もだろ!?
と反応してしまうわけです。

しかし、
しずかちゃんのシャワーシーンを思い浮かべて、
頬を赤らめるのび太の妄想は、
作中で克明に描かれることはありません。
なので、「ドラえもん」にエロなどないという
大前提で見ている人にとっては、
それはエロではなく、
微笑ましいワンシーンでしかありません。
一方、「奥様は小学生」は、
お話の上では妄想だとはいえ、
絵でそのシーンが描かれてしまっています。
テレビ番組中に猪瀬氏は、
この作品のページを開いて、
ご丁寧にもあちこちを紙で隠した絵を
見せていましたが、
確かにそれだけ見れば、「エロ」しか感じられず、
眉をひそめる人がいるだろうなという絵の連続でした。
なので、これに「ドラえもん」と共通する要素を
見出したりしないような人達にとっては、
こちらだけが問題のある漫画ということになります。

そもそも作品から受け取っている要素が違っているので、
いくら反対派のオタクが
「これとこれは同じだろ!?」と言っても、
なにが同じなのかわからないのです。

ちなみに、話がちょっと逸れますが、
「奥様は小学生」のエロシーンは、
小学生の性行為自体を描写しているわけではなく、
裸の女の子がバナナと練乳にまみれて
「あんあん」言っているだけです。
「だけです」といっても、それが十分にエロいことに
代わりはないんですが、
しかし、3月末の都議会の審議会で、
「非実在青少年による性交又は性交類似行為」ってのが
曖昧過ぎるからいかんのではないかという質問に、
都では
「「性交類似行為」とは、手淫、口淫、肛門性交、獣姦、鶏姦など、実質的に性交と同視し得る態様における性的な行為を指すとされている。本規定は、これらの性交又は性交類似行為を直接明確に描写したものに限定され、性交を示唆するに止まる表現や、単なる子どもの裸や入浴・シャワーシーンが該当する余地はない。」
と答えてるんですよ。
バナナと練乳って、
「実質的に性交と同視し得る態様における性的な行為」
なんですかね?
猪瀬氏は「こんな酷いものは売る棚をわけるべき」
と言って紹介していたので、
この作品は規制対象だと認識しているはずですが、
都の回答とズレてるような。
そこんとこどうなんでしょうか……



と、長々書きましたが、
要するに、規制賛成派も反対派も、
「俺には「ドラえもん」と「奥様は小学生」が同じに見える」
「俺にはどうしても同じには見えない」
など、自分が見えているものを提示しあい、
きちんと相手のことを認識しろと。


話はそれからだ。


ということが私がここんとこ「非実在青少年」について
イライラと考えていたことです。
話し合うには同じ土俵に立たないといけないと思いますが、
今はまだお互いに別々の土俵に立って、
離れたところから見当違いのことを
叫び合っているだけのように見えます。
なんとかならんもんでしょうかのう。


「非実在青少年」問題については他にも、
マイノリティとマジョリティとか、
親という立場とか、
言いたいことはてんこ盛りにあるんですが、
長くなったんで、今日はここまで。

読んでくださった方、ありがとうございました。



おっと、いけねえ。
1ヵ月も更新してなかったっけか。
広告が出ちまったので、ちょびっと更新。

5月23日の文学フリマ、出ます。

その時に販売予定の「稀人舎通信・5号」は
ただ今絶賛制作中でございます。

この前、20代男子(ひとり30歳)4人プラス大人3人で、
座談会やりました。

「男の子たちはナニを読んできたか」

なかなかおもしろかったですよ。
前号の「ケータイ小説」のときの座談会は
ほとんど女子だったんですが、
女子と男子ってことで、
こっちもそういう企画だったんだけど、
ホント好対照だなあと思った。

特集はこの座談会の他に、
金井景子先生による
「75年前の男子中学生はなにを読んできたか」
「50年前の男子中学生はなにを読んできたか」
という、2本のインタビュー記事が載る予定です。

あとは、いつもの月澤黎さんの短編小説。
今回は「のだめカンタービレ」のスピンオフ・ノベルでございます。
さらに、山口恵さんの家族に関するエッセイ。
伊豆介八さんの連載漫画「プラグド」
と、いつものラインナップでございます。

余力と余ページがあったら、
「稀人舎の軌跡・その後」も書きたいなあと思うのだけど、
どうだかなあ……


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