さて、この前のエントリで予告しちゃったからね、
【稀人舎通信9号】特集「働くということ」の
座談会の中で、私がどうも納得できなかった、
「仕事で認めてもらえないと人格否定されたように感じる」
ということについて、
ダラダラと語ってみようかな。
ジュリーのこともこじつけっぽくちょびっと出てきますが、
あまり期待しないでクダサイ。
かなり自分語りな内容になると思いますし、
もんのすごく長文です。すみません。



さて、私が疑問に思ったのは、
「仕事で認めてもらえないと人格否定されたように感じる」
に対して、座談会中では
「拘束時間が長いからそう感じるのか?」
ってな話が出ていたところ。

私も20代にデザイン事務所に勤めていたときには、
朝は10時出社で、夜はノンストップゴーゴーだった。
夕食代とタクシー代は出たけど、残業代なんか付かない。
今から思えば労働基準法違反なんだろうけど、
当時はそんな知識もなかったし、
世間的にもそのへんは緩かった。
小さい制作会社はどこもそんなふうだったんで、
そういう働き方は当然だとも思ってた。
タクシー帰りは普通で、終電でも電車で帰れるときは、
「今日は早いから渋谷で飲んでいかない?」と、
同僚と飲みにいったりしてた。
で、結局タクシーで帰るという……。
1週間会社に泊まりこんだこともあった。
若かったからできたことですなあ(遠い目
一応週休2日のはずだったけど、
土日続けて休めたことはまずなくて、
休みの日は寝てるだけ、とかね。
まさに「仕事だけが自分の人生みたい」な状態だった……
と思う。

というふうに思い出せる限りの状況を並べ立ててみると、
なんとも過酷な、
今で言うブラック企業のような環境だったんだけど、
私は「人生=仕事」というふうには思ってなかった、と思う。
「生活=仕事」だなあ、とは思っていたかもしれないけど、
なので、その「生活」が4年目に入って、
私も20代後半になり、身体的にもきつくなってきたとき、
「こういう「生活」はちょっと続けられないなあ」
という判断で、会社をやめたのだ、と思う。

ここまで、「と思う」「と思う」ばかりなのは、
昔のことでよく覚えてない(!)ってのもあるけど、
私がそれほど仕事のことをちゃんと考えてなかったってこと。
その時々の気分や直感で行動してたのですね。
(ま、それは今でも変わってないんですが)
なので
「勤めてた頃はあんなふうにしてたけど、
 なんでやってたのかなあ?」
と、今となってはわからないことも多くて、
「と思う」と類推するしかないのです。
自分のことなのに、情けない。
もっと自覚的に生きろよ>自分!
と思うけど、当時は「自覚的に」なんて生きてなかった。

そう! 無自覚だったんですよ。
仕事をするということに関して。

そして、これが28歳女子たちと私の違いかもと思うのです。

座談会中に堀田さんが、就職したころに、
「どんなふうに仕事するの?」の問いに対して、
「バリバリの腰掛け」と答えていたというように、
私は一般企業のOLではなかったけど、
やっぱり「腰掛け」の意識はあったと思うし、
特に就職した会社は小さいところだったんで、
一生勤め上げるようなところじゃないと思っていた。
まわりの先輩たちを見ても、
そういう小さいところで経験を積んで、
大きな制作会社やクライアントの広告部とか
広告代理店にディレクターとして転職する……
というような道筋がデザイナーとしての王道だった、
と思う。
でも、私はそんなふうに、
デザイナーとして身を立てようなんてことも、
全然考えていなかった、と思う。
最初に勤めた会社の先輩に、
「何事も10年続いたら本物だから、まず10年はがんばれ」
と言われて、
内心「10年なんてやらねーよ」と舌を出していたのは、
よーく覚えている。
(そんな私が26年もデザイナーとして仕事を続けているのは、
 なんでだろう?と考えると不思議だけど、それはまた別の話)
一般企業の事務仕事ではなく、
少しでも自分が興味を持てる、
やりたいと思った仕事に就くことができたのだから、
「お仕事、がんばります!」と思ってはいたけれど、
それを将来に向けてどうするかとか、
自分の人生のこととして考えたことはなかった。

だいたい、自分の人生を自分で自由にできるとは
思っていなかったように、思う。
結婚、出産、子育て、親・義親の介護……と、
おそらくその後の自分の人生に起こるであろうあれこれは、
自分以外の人間が関わってくることばかりで、
そこに自分の意志を反映させることは難しかろうということを、
無意識のうちに感じていたのかもしれない。
というか、そう刷り込まれていた。たぶん。
だから、自分の意志で好きな事ができる独身のうちに、
好きな仕事をして楽しく過ごさないと損だ、みたいに思ってた、
と思う。
長期的展望というものを持てないと思い込んでたんですね。
そうして、
「女だからしょうがないじゃーん」と、
そういう状況に甘えていたのだ、と思う。
20代の頃に、そんなふうに刹那的にしか物事を考えなかったせいで、
今苦労してるんだよ! と言われたら返す言葉もございません。
当時からちゃんと考えていた人はいて、
そういう人は、今成功してきちんとした仕事と暮らしを
手に入れているんだと思う。
まさにアリとキリギリス。

「選択の幅が狭いのは幸せではないけど楽」
という座談会中の言葉どおり、
20代の頃の私は自分で選択の幅を狭めて楽をしていたんですね。
どうせ、私の人生の先は誰か私じゃない人によって、
決められてしまうんでしょ、と、
私が今いくら選択の幅を広げても無駄無駄、と。
だから仕事がつらいと思ったらやめればいいと思っていたし、
そのことで私の人生がダメになるなんて思ったことはなかった。
私の人生は私自身でさえ手が届かない、
別のところにあるようなものだったから。
ダメになったとしてもそれは私の責任じゃないし~、と……。

これは時代的世代的なこともあるんだろうけれど、
私の性格上の問題も大いにあると思う。
私が子供の頃の学校教育は、
「みんな一緒に同じ事をできるようなること」
が第一目標で、一緒のことができないのは悪だった。
んでもって私はその
「みんなと一緒のことができない子供」だったのだ。
「できない」というか、
まったくできないわけではなく、
がんばらないと「できない」。
「みんなと一緒のこと」は常に
自分がやりたいこととは違うところにあった。
大げさに言えば、
みんなと一緒に同じ事をするのが人生だと教えられ、
それを妙に素直に受け入れてしまった私にとって、
人生というものは、
常に自分自身とは別の場所にある思い通りにならないものだったのだ、
と思う。

そんなぼんやりな私と比べて、
座談会でご一緒した28歳女子たちに代表される、
ちゃんと考えてる人達は(若い人達に限らないけど)
「自分の人生は自分でなんとかしなくちゃ」
と、ものすごく自覚的に考えてるんだと思う。

だから、しんどい。

選択の幅が広くて、自分が選択していることを
アピールしなくちゃならないから。(@座談会)

特に今の学校教育は個性重視を(表面上はだけど)掲げていて、
自分のやりたいことで人生を歩むことが最高、と教えられる。
(それこそが「みんなと一緒」ということであり、
 なんだかもうわけのわからないダブルバインド状態が、
 いろいろと問題噴出なわけだけど、
 その複雑な話はここでは置いといて)
そんなふうに、
「他と違っても自分のやりたいことをやりなさい」
と教えられた人達にとって、
人生は各自の手の中にちゃんとあるのだと思う。
だから、私のように
「どうせ思い通りにならないし~」などとは思わずに、
仕事でも結婚でも、自分で考え選択しないといけない。
そしてその選択の結果は自己責任だから、
失敗したら人格否定ということになっちゃう。
そりゃ、しんどいよなあ。

しかしね、
かつて、思い通りにならない人生がいやだと思った先人達が、
あれこれ戦ってきた結果がこれなのであって、
これも座談会中で話しているけれど、
じゃあ、昔に戻ったらいいかというとそうじゃない。
どうしたらいいのかがわからないから、そこが難しいんだけど。

私にしても、自分の人生のことなのに、
誰かが与えてくれるもののように思って、
いろいろ決めなきゃいけないことを先送りにして、
目先の「生活=仕事」ばかりにかまけてきた結果、
「あれ? もう50年も経っちゃいましたが、
 まだ人生始まってないなんてことないよね?」
と、自分のいい加減な「生活=仕事」こそが「人生」だったと
今さら気付く間抜けさ加減。
この先まだ数十年はあるみたいだけどどうすりゃいいのさと、
今の我が家の経済状態も含めて、
お先真っ暗な今日この頃でございます。

と、ここまで考えて、
私の人生ダメダメじゃないかという結論に至ったわけですが、
でも、そんなお先真っ暗な状況にあっても、
私はそんなに絶望していない。
人格否定されたとは思えない。
なんとかなるさ~という気持ちが強い。
それはなんでだろう?と考えていたときに出合ったのが、
ジュリーのお言葉でございます。

(はあ……、ジュリーが出るまで長かったですね。
 ジュリーファンでこれを読んでくださっていた方、すみませんすみません)


「ロンリーウルフ」を歌ってた時だから、
ジュリー31歳の頃だと思うけど、
確か藤本義一氏の番組(11PMだっけ?)でのインタビューで、
「歌手にならなかったらなにになってたと思いますか?」
という問いに対してジュリーは、
「ヤクザかヒモじゃないかな」
と、妙にさわやかな笑顔でお答えになってるんですよ。
それに藤本氏は「ヒモになるのは難しいんですよ」とか言ってて、
確かにヤクザだってヒモだって、
その仕事(?)なりの苦労はあるんでしょうし、
それで暮らしてるリアルの方々が聞いたら怒るかもしれないけど、
ジュリーはたぶん、
「歌手にならなかったら、何者にもなれなかったよ」
と言いたかったのじゃないかと思うんですよ。
そして、自分のベースっていうのは、
その「何者でもない自分」なんだと。

あ、これは「悪魔のようなあいつ」の良ちゃんですね。
あのドラマの最終回でジュリー演じる可門良は、
「あの3億円がなかったら、俺は何者でもなかったよ。
 ただの薄汚い、なにもできない
 そこいらのチンケな野郎だったよ」
って言ってましたね!(嬉

良ちゃんは、そんな自分がいやで、
何者かになるために3億円を手に入れようとするんだけど、
その中の人であるジュリーは、
「何者でもない自分」ありきなんだと、
いつでもそこに戻ることができるよと
言っているように聞こえました。
ま、たぶん「歌手以外のことはできない」と、
自嘲的に言ったことなんだと思いますけどね。
でも、そんなふうにあっけらかんと言うことのできる
ジュリーは強いと思う。
ジュリー自身が強いのももちろんだけど、
そういう気持ちでいることによって、
どんな状況になっても自分を保っていられる
という点で強いんじゃないかと思う。
そして、私にはなんとなくその気分がわかる気がする。
いや、まあ、ジュリーと一緒なんて、
おこがましいことを言う気は全然ありませんが、
「何者でもない自分」が本来の自分だというのは、
ある一定の年齢以上の人なら、
共通して持っている感覚なのではないかと思うのですが、
そんなことないですか?
少なくとも私はそんなふうに思う。
仕事で認められるとかお金が儲かるとか、
人の役に立つとか、
そういうことは人生のオプションであって、
たとえば、私だったら、
学生時代からプータロー期の、
トイレ共同の六畳一間の下宿に住んでいた頃の、
お金がなくてお腹をすかせていた、何者でもない自分、
そこがベースにあって、
今の生活が立ち行かなくなったら、
そこに戻ればいいと思っている。
私の人格はそこにあるから、
誰に認められなくとも絶望はしないんじゃないだろうか。
なんてことに気付いたのでした。

ジュリー、ありがとう!(笑)

それがいいか悪いかは別にして、
自分のベースが低いところにあるというのは、
気分が楽だなあと思うのですよ。
向上心がないと言われればそれまでだけど、
「常に向上心を持ってがんばれ」と言われ続けた結果、
今の人達の「働くということ」がつらくなっているのだとしたら、
ちょっと、その「何者でもない自分」というのを、
少し認めてあげる方向で考えるのもありなんじゃないかなあと、
お気楽な私は考えるわけです。


と、なんで私は
「仕事で認めてもらえないと人格否定されたように感じる」
に疑問を持ったのか、
どうして自分はそう感じないのかということを
ダラダラと考えてみました。


そんなこんなのことを座談会で語り合っている本はこちら↓





※慌てて更新しちゃって、なんだか最後がグダグダだったので、
 最後を書き直しました。(5/19 20:58)


アマゾンの【稀人舎通信9号】が、
「なか見!検索」で、試し読みができるようになりましたよ。



本文が最初から6ページくらい読めます。
さらに「サプライズミー」ってのを
ぽちっとすると、他のページもあちこち読めます。

あと、なぜかずっとちゃんと表示されなかった、
【稀人舎通信5号】と【稀人舎通信7号】の
「なか見!検索」も、
PDFファイルをアップロードし直したら、
ちゃんと表示されるようになりました。
てことは、中身の検索もできるようになるかな。
Googleの検索にも中身の語句で
ひっかかるようになるようなので、
いろいろ便利です。

 

立ち読みだけでもぜひ~


もう、文学フリマから10日。
いつまでもぼーっとしてるわけにもいかないんですが、
「5月いっぱいくらいはいいよね?」
と、誰に向かって言ってんのかわかりませんが、
言い訳しつつ、ぼけーーーーーっとしています。
積んであった本や文学フリマで買い込んだ同人誌を
読んだり、ネットを眺めたり、
(電子書籍界隈がまた賑わってるしね)
久しぶりにずーっとジュリーを聴いたり……。
文章を書いたり、文字校正したりしてるときって、
ジュリーの歌は聴けないんですよ。
聴き入っちゃうから。
このブログも、そろそろ【稀人舎通信】の宣伝連投は終わりにして、
ジュリー萌え話を投下したいと思ってもいるんですが、
もや~っと考えてることもあるんですが、
なかなか文章にまとめられません。
そうこうしてるうちに6月になって、
コミケの当落がわかったら、
今度はコミケ用の薄い本の制作に取り掛からねば。

ああ、忙しい(笑)。

相変わらず、誰に言われたわけでもない、
金にもならないことで、
自分で自分を追い込んで忙しい毎日です。
アホですな。
ま、【9号】の「稀人舎の軌跡」にも書きましたが、
楽しいと思えるうちは続けていこうと思ってますがね。

【9号】と言えば、
この座談会の中に出てきたことで、
今でも考え続けてることがあります。
28歳女子たちが言っていた、
「仕事で認めてもらえないと人格否定されたように感じる」
ということ。
座談会の中では、
「拘束される時間が長い中で否定されたら、
 そりゃ辛いよね」
という、一応の結論になったのだけど、
これが、私にはどうも納得できないのですよ。
私も20代の頃に勤めたデザイン事務所では、
朝の10時から夜中の2時までという、
長時間拘束が当たり前で、土日もない毎日を
3年以上過ごしたわけだけど、
そんな中でも、仕事と自分自身ていうのは、
そんなにくっついてはいなかったように記憶している。
それはなんでなんだろう? ということを
座談会のあとからずっと考えている。
もやもやと答は見えそうなんだけど、
まだうまく言葉にならない。

今、考えてるのは、
ジュリーが30歳ごろの時のインタビューで、
「歌手にならなかったらなにになってたと思いますか?」
と聞かれたときに、
「チンピラかヒモ」
と答えたことが、
もやもやが晴れる糸口になりそうだなということですが、
(あ、「またジュリーにこじつけかよ!」とか言わないで! 笑)
ちょっと、しばらく考えてみます。
次のエントリではそのことを書こうと思います。

と、予告して自分の首をしめておく(笑)。


5月6日の文学フリマで販売した、
【稀人舎通信9号】のアマゾン販売ページができた。



まだ、
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。
になってますが、
あさっての朝には納入依頼がくるはずなので、
そしたら送って、3日後くらいには
在庫あり
になるはず。

ていうかですね、
納入依頼がまだの今の時点で、
ある程度のご注文があると、
複数冊まとめての納入依頼をしてもらえるので、
こちらとしては送料がとても助かるのですよ。

アマゾンで【稀人舎通信9号】を買おうと思ってる方は、
ぜひとも、今! ご注文を!!


しかし、e託販売サービスも対応が早くなったなあと、
感慨ひとしおでございます。
以前は、登録してから数日はしないと
個別のページができなかったのが、即日。
表紙の画像なんか、
1週間ぐらいしないと表示されなかったのが、
アップロードしてすぐに反映されとる。
「なか見!検索」はちと時間がかかってるみたいだけど、
たぶん1週間もしないうちに反映されるはず。

ありがたいこっちゃ。

あ、国立国会図書館にも納本しました。
こっちは今日送ったんで、
国会図書館の検索サイトに反映されるのは、
まだま先だと思うけど。
今は、6号までが検索でヒットします。
借り出すこともできますよ。

昨日、第十四回文学フリマ、無事終了しました。
【稀人舎】ブースにお立ち寄りくださった方、
お買い上げくださった方、
本当にありがとうございました。

いつものように、打ち上げの女子飲み会も楽しく、
どたばたながらも充実した一日でした。

今回の売り上げは
新刊「稀人舎通信9号」55部
既刊「稀人舎通信8号」9部
既刊「稀人舎通信7号」4部
既刊「稀人舎通信6号」13部
「子供たちの作ったコピー誌」13部

前回よりは、売り上げアップで、
ちょっとほっとしております。

さて、後片付けをしたら、
「稀人舎通信9号」をアマゾンに登録します。
1週間くらいで注文できるようになるはずですので、
文学フリマに行けなかった、買いそびれたという方は、
アマゾンでぜひどうぞ。


↓こちらの文学フリマ事務局のブログにも、
 いろんな報告が寄せられてます。
http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20120506


9号表紙0409

5月6日(日)文学フリマ
場所:東京流通センター 第二展示場
   【稀人舎】は、2階(Fホール)の「オ-53、54」

↓こんな紹介サイトにページも作らしてもらいました。
みんなの文学フリマ情報wiki



いよいよ明日ですね。
文学フリマ。

【稀人舎】は、2階の「オ-53、54」です。

売り物は以下

新刊「稀人舎通信9号」

バックナンバー
「稀人舎通信6号」
「稀人舎通信7号」
「稀人舎通信8号」

以上【稀人舎通信】はすべて500円

単行本
「未入籍別居婚」 1000円
「飲んだくれてふる里」 800円
(カバーに若干擦れあり。文学フリマ特別価格)


手作り本
和綴じ本 1500円
和綴じ本 和綴じ本中身
中身は、散文詩というかファンタジーというか。
ぜひお手に取って立ち読みしてみてください。

中3女子&高2男子によるコピー誌 100円
子供小冊子
こちらはファンタジー。
同じ世界観でふたつの短編を書きました。


明日は、文学フリマ【稀人舎】ブースへ、
ぜひお立ち寄りください!




9号表紙0409

5月6日(日)文学フリマ
場所:東京流通センター 第二展示場
   【稀人舎】は、2階(Fホール)の「オ-53、54」

↓こんな紹介サイトにページも作らしてもらいました。
みんなの文学フリマ情報wiki



今回は、うちの子供らにも
「おまえらもなんか書け!」
「そして、コピー誌にして自分らでも売り子しろ!」
と、命じまして、
中3女子と高2男子の合同誌も
【稀人舎】ブースでは販売されます。

↓こんな
子供小冊子

今日、やっと完成しました。
はあ、ドッキドキだったぜ。
できないかと思ったよ。

ふたりで相談して決めた世界観で、
それぞれ短編小説を1本ずつ書いてます。
かなりベタベタなファンタジー。
中二病全開です(笑)。
ま、それはいいんですが、
文章的にあんまりヒドイのは、
同じブースで売りたくないからと、
一応、私の検閲を入れて、
「もうちょっと情景描写入れなさいよ」
「ファンタジーなのに、この固有名詞はないでしょが」
「漢字の不統一はやめろ」
などなど、
まあ、ストーリーは変えずに、
こまかいところをちょこちょこ直させて、
なんとか、今日完成しました。

あさって、5月6日の文学フリマ、
【稀人舎】ブース「オ-53、54」で売ります。
A5版、モノクロ、本文16ページ、100円。
中3女子と高2男子も売り子に来ます。
立ち読みでもして、声のひとつもかけていただければ、
なにかの励みになるかと思います。
よろしくです。

ちょびっと立ち読み。

いじゅみ小説

ちょた小説

「珠」つうのが娘のほうで、
「三二一太郎」つうのが息子です。



(ああ、はずかしい)


9号表紙0409

5月6日(日)文学フリマ
場所:東京流通センター 第二展示場
   【稀人舎】は、2階(Fホール)の「オ-53、54」

↓こんな紹介サイトにページも作らしてもらいました。
みんなの文学フリマ情報wiki



新刊【稀人舎通信9号】の内容紹介・その7、
これで最後です。

巻末を飾るのは、
「稀人舎の軌跡2009~2012」

これは、【稀人舎通信7号】に掲載した
「稀人舎の軌跡2005~2008」の続きです。

2005年に【稀人舎】を立ち上げて、
2006年には、新刊本を出したり、
アマゾンのe託販売サービスでアマゾンでの販売も実現したりと
いろいろ転がり出したかと思われたのが、
2007年、2008年は、特になんの変化もなく、
「もう、やめちゃおうかな~」と思っていたところへ、
また、2009年になってさまざまな変化が!
そして2010年の電子書籍元年!
稀人舎の明日はどっちだ!?
てな、そんな怒涛の3年間のレポートです。

私がヨロヨロと寄り道しつつやってきたことの
レポートでもあるんですが、
書いてるうちに、今の出版業界の状況やら、
世間の出版に対する意識やらに、
いろいろと憤ることもあり、
途中はちょっと熱く語りが入っちゃったりもしています。
うざいですすみません。

小見出し
・『稀人舎通信』始動
・『稀人舎通信』が同人誌になるまで
・『稀人舎通信』はアマゾンでも売ってます
・出版をもっと気軽に楽しく
・コミケにも参戦!
・電子書籍元年!?
・インワールドブックという電子書籍
・電子書籍か、紙の本か
・日本の電子出版を阻む闇の力?
・電子情報を買うということ
・まだまだ道の途中

電子書籍関連のことが多めになってるんで、
ここ数年の電子書籍化騒動の
レポにもなってるかと思います。
ま、私が関わってる範囲でのことですけどね。


【稀人舎通信9号】の内容紹介はこれで全部。
文学フリマ本番まであと3日。
5月6日は、文学フリマの
サークルナンバー「オ-53、54」に、
ぜひお立ち寄りくださいませ。


9号表紙0409

5月6日(日)文学フリマ
場所:東京流通センター 第二展示場
   【稀人舎】は、2階(Fホール)の「オ-53、54」

↓こんな紹介サイトにページも作らしてもらいました。
みんなの文学フリマ情報wiki



新刊【稀人舎通信9号】の内容紹介・その6です。

月澤黎さんの小説「ミスターXを探せ」

P88-89


伊豆介八さんの漫画「プラグド10:リカバー」

P110-111


9号表紙0409

5月6日(日)文学フリマ
場所:東京流通センター 第二展示場
   【稀人舎】は、2階(Fホール)の「オ-53、54」

↓こんな紹介サイトにページも作らしてもらいました。
みんなの文学フリマ情報wiki



新刊【稀人舎通信9号】の内容紹介・その5です。

ここからは、特集外。

まずはいつもの山口恵さんのエッセイあまい!

↓立ち読みどーぞー
 (クリックで拡大します。
P80-81

自分の年齢のこと、暮らし方のことから、
これからの生き方まで。
相変わらず、最後は泣かされます。

見出し
・覚悟が足りない
・働かない人
・男子と女子
・食文化礼賛
・大人の義務
・世界の中心で叫ぼう
・ネット第一世代
・50年も百年も

特集外ではありますが、全体的に
すこ~し特集の「働くということ」に
関連している、かな?
いろんなことを考えさせられます。