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前のエントリ「その2に続く!」とか言いながら、
すでにして2週間以上が経っておりますすみません。

2月中はお仕事が3〜4本重なってまして、
ひいひい言いながらどうにか今2本まで片付きました。
んで、ちょこっと時間もできたんですが、
ものすごく忙しかった後にぽっかりと暇になると
なんもできなくなる症候群でして(そんな症候群はない)、
加えて娘の受験やら(私がなにかするわけではない)、
1月から引き続き金がなくて泣きそうだとか(関係ない)、
いろいろとありましてね、
書きたい内容は頭の中にあるんですけど、
脳内ではもう大論文ができあがってんですけど、
どうにもこうにも文章がひねり出せません。

「なんでジュリーはアホの子役が似合うのか?
 それはジュリーが空っぽだから」

までは書きました。
もうちょっと待ってて。

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1月13日にTBSチャンネル1で放送された、
「七人の刑事」の第28話「哀しきチェイサー」。
録画してたのを、やっとちゃんと見ました。
1月は超忙しくて、
全部見る時間がなかなかなかったんですよ。
今もまだ、ありがたいことに忙しいんですが、
2月頭にちょこっと時間があった時にじっくり見まして。
見ちゃったらもう、
これを見た感想を誰かに聞いてほしくて、
だらだらと書いたので、
とりあえず、まだ半分くらいですが、
アップしちゃいます。


「太陽にほえろ!」のジュリー出演回の
「そして、愛は終った」と同じく、
このドラマも、あらすじは知ってましたし、
YouTubeやらなんやらで、
つまみ食い的に動画もチラチラ見てはいましたが、
最初から最後までちゃんと通して見るのは初めて。
しかもネット動画の荒れた映像ではなく、きれいな映像。

うはー、ジュリー美しいいいい。

これは1978年の作品。
ジュリー30歳でございますよ。
30歳の男があんな綺麗でかわいくていいんですかね?
しかも、35年前。
当時、こんな人はそうそういなかったですよ。
うかつなことに、私はこの当時、
ジュリーには特に注目はしていなかったんですが、
今、あらためて見てるってえと、
アイドル歴12年、「イージュウ(30)のおっさん」で、
このクオリティを保ってる人なんて、他にいましたかね?
そりゃあ、
脚本を書いた栗本薫御大も、
演出をした久世光彦塾長も、
夢中になろうってもんですよ。
つうか、このおふたりは、
そもそもジュリーラブが高じたがために、
このドラマを作ったんですよね。
ええ、わかります。
今ならわかります。

ものっっっすごく、わかります。

このドラマには当時のジュリー萌えの要素が、
ほぼ余すところなく詰め込まれております。
(あえて「当時の」と言いました。そのことについては「その2」で書きます)
さすが、久世栗本、元祖腐女子コンビです。

んで、このドラマを初めてちゃんと見た私は、
久世&栗本コンビのジュリー萌えとはなんだったのかとか、
当時の腐女子(という言葉はまだなかったですが)の立ち位置や、
JUNEと今のBLを楽しむ腐女子との違いなんかを
ぐるぐる考えちゃったわけで……。

相変わらずの長文になっちまいました。すいません。

以下、ドラマのネタバレ含みますので、送ります。

































さて……いいっすか?
























いいですね?
ネタバレありですよ。



このドラマでのジュリーの役柄は、
ユウヤさん演じるタケシという
探偵とは名ばかりのチンピラの、弟分ジロー。
(おそらく)いい年してナリはでかいくせに、
「タケシさ~ん、そこにいるのお~?」
「タケシさ~ん、どこにも行っちゃヤダよお~」
などと舌っ足らずに言うアホの子キャラです。
作中のタケシさんの台詞でも
「少々ペテン(頭)弱かったけど……」
とあるように、そういうキャラとして設定されています。
久世さんが後年書いたエッセイには、
「ちょっと知能の遅れた美少年」と書かれているようです。
(てか、30の男つかまえて「美少年」て……久世さ~~~ん)
ジュリーをアホの子にするという、
夢のキャスティングをよくぞやってくれました。
ありがとうありがとうありがとう。(嬉泣

ジュリーというキャラは、
(あくまでも「キャラ」です。
 リアルの沢田研二さんとは違う、私の妄想内のジュリーってことです。
 そしておそらくは栗本御大や久世塾長にとっても)

常人とは違う次元に住んでいる生き物。
あんな綺麗であやうい感じの生き物は、
普通の人とは違う思考回路を持っているんじゃないか?
っていうか、そうであってほしい。
そのために、
「そして、愛は終った」では、
愛のために殺人を犯し、自分も死んでしまう犯人に、
「炎の肖像」では、
わけのわからない無茶をやり、
アテもなく長距離トラックに乗り込んじゃう若者に、
「悪魔のようなあいつ」では、
三億円を「俺の青春さ」なんつって守り抜く、
余命いくばくもない犯人に、
「ひとりぼっちのビートルズ」では、
会ったこともない女性の復讐をする犯人に……。
と、そんな無茶な役柄を割り振られちゃうわけですよ。
普通の人はやらないことをやる、それがジュリー。
ドラマや映画の制作者達は、
それぞれの自分の中にある、
普通の人間とは違う夢のキャラを
ジュリーに演じさせたくなるわけですね。
っていうか、そういう要素を
ジュリーの中に見てるんだと思います。

で、それの行き着いたところがこれ。

アホの子

それまでの、殺人犯や三億円事件犯人や、
無茶をやる若者っていう人物は、
普通の人ならそこまではやらないし、
理解はしにくいけど、
それぞれにちゃんとその行動の理由が付けられていて、
それがドラマのテーマになっていたりもする。
「炎の肖像」は理由がないってのが理由だったりするけど、
あれはそういう映画だからね。
自分でもなにをしたいかわからない若者っつうか。
そんな時代なんだよ、ということを
言いたい映画なのかなと思います。
その結果、ジュリーのPVのようになってて、
ジュリーファンにはごちそうさまなわけですが。
当時のドラマや映画の制作者の方々は、
不思議で綺麗で心騒がせる存在のジュリーに事寄せて、
時代や若者や社会の中の不安要素みたいなものを
なんとか表現しようとしていたのかもしれません。

でも、アホの子はちょっと違います。
理由なんかありません。
「チェイサー」のジローはアホの子だから普通と違う。
これで理由は終了です。
ああ、潔い。
しかも、ジローはドラマの冒頭で刺され、
「タケシさ~ん、早く来てね~」とかいう、
情けない2つ3つの台詞を言ったあとは、
ただ寝てるだけ。
んで、タケシさんが医者を探したり、
刑事たちが捜査をしたりしてる間に、
あっさりと死んじゃいます。
1時間ドラマの半分もいってない時点で。
「タケシさん……」「死ぬな、ジロー!」……ガクリ。
とかのお約束のやりとりもなく、
タケシさんが寝てる間に黙って死じゃってんですよ。
こんな早い時点で死んじゃうんか!
しかも黙って!
驚きましたよ。ええ、ほんとに。
この時点で、このドラマは、
他のジュリー主演のドラマや映画のように、
ジュリーで妄想した普通とは違う人間の内面から、
物語を組み立てているものじゃないってことがわかります。
ジュリーは、ただそこに「あれば」いい。
「いれば」いいんじゃなくて、「あれば」いい。
その美しい器があればそれでよかったんですよ、きっと。
だって、アホの子だし、死んでるし。

しかし、刺されるシーンを冒頭に持ってきたのは、
本当にいい演出だと思います。
このシーンの撮影時、
ドスをジュリーのお腹に刺す役の役者さんが、
最初は遠慮して(?)あんまり力を入れなかったのを、
「本気で刺せ!」と、ジュリー自身が言い、
本番では力を入れ過ぎて、
ジュリーのお腹に本当に傷が付いたと、
栗本御大は「いかがわしい」と大喜びし、
久世さんはモニターを見ながら、
「痛え!」と叫んだらしいですが、
なんで、ジュリーの殺される場面とか、
痛め付けられてるところは、
あんなにエロく見えるんですかね?
そういうふうに撮りたい制作側がいて、
そういうふうに見ちゃうこちらがいるってだけで、
ジュリー自身は別にエロいことをやってるわけではなく、
そのストーリーに沿って、普通に(?)、
刺されたり撃たれたり殴られたりしてるだけなんですが、
なんか、見ちゃいけないものを見てるような、
そんな気になります。
ヘンですかね?
たぶん、ジュリー萌え仲間ならわかってくれるはず!

ね!

思うに、
違う次元に住んでいる生き物であって、
本来ならば常人には手を触れることも許されない
存在であるはずのジュリーが、
その常人の手によって傷付けられるという非日常性が、
どうにもこうにもいけないことを
しているような気にさせるんじゃないですかね。
天上人を地上に引きずり下ろす、みたいな。
テレビで歌を歌うジュリーは、
いつでも綺麗な衣装で綺麗な顔をして、
綺麗な恋愛物語の中にしか存在しませんしね。
それをドラマや映画の中でなら、
血まみれアザだらけ泥まみれにできるんですよ。
そりゃ、やっちゃうよなあ。
よくわかります。
それに、ジュリーって人も、
なんというか、傷付けられることを、
平気で受け入れてくれちゃうような、
そんな雰囲気がありますからね。
それがまたあやうい耽美な魅力なわけで。

しかもね、死んでしまったジュリー(がやってる役の人物)は、
もう、変化することはないんです。
美しく血まみれの瞬間のジュリーが永久保存です。
特にジュリー激ラブだった久世さんは、
ジュリーの相手役の男に自分をなぞらえていたでしょうから、
その男のことを想ったまま死んでいくジュリーは、
それはもう、自分のことを永久に愛してくれる存在のまま、
もしくは自分が愛した時点の姿のまま、
ずーっと残ってるようなもんだったんじゃないでしょうか。
このドラマで言えば、
「タケシさ~ん」と、無邪気にタケシさんのことを
信じたまま死んでしまったジローくんは、
その時点から、ずーっと変わらない。
それは生きてる側のタケシから見たら、
永遠の愛を約束されたようなもんでしょう。
こりゃたまらんです。
生きていれば、アホの子ジローくんは、
アホの子であるがゆえに、
もしかしたら、そのうちタケシのことなんか忘れて、
他の人になついてどこかへ行っちゃうかもしれない。
ふたりは喧嘩することもあるかもしれない。
でも、死んでしまえばそんなことはありません。
タケシは、死んでしまったかわいいジローのために、
思う存分、復讐をすることができるんですよ。

ところで、ワタクシ的このドラマ最大の萌えシーン。
死んじゃったジローにタケシさんが煙草をくわえさせる、
というのがあってですね。
これってさー、
以前このブログの中でも書いたことがあるんですが、
当然ジュリーは本当に死んでるわけじゃなく、
死んだふりして寝てるだけなわけじゃないですか。
当たり前だけど。
それに、タケシさんっていうかユウヤさんが、
一旦自分でくわえて火を付けた煙草を、
こう~、顎を手で押さえたりして、
ジュリーの唇に挟んでやってんですよっ!
ねえ。
これどうなんですかね?
どうなんですかね!?

ねえってば!!

わたしゃあ、知ってはいたけど、
やっぱりその場面では、
テレビの前で立ったり座ったりしちゃいましたよ。
ええ。
しかも、この時のジュリーの死に顔ったら!
綺麗だわリアルだわで、もうどうしたらいいんだよっ。

萌えーーーー!
 萌えーーーーーーー!

  萌えーーーーーーーーーー!

ぜえぜえ。
このへんの虚構と現実が交差して萌えることについては、
もうちょっとあとで書きます。

そんなわけで
ジローくんはドラマの中盤前に死んでしまい、
っていうか、そのジローの死によって、
ドラマはその後の展開を見せるわけですが、
それはもうタケシの物語です。
このへんで、
このドラマの主人公はタケシだったんだと、
やっと気付く私。(遅い)
だって、ジュリー萌えの栗本薫が脚本書いたドラマつったら、
ジュリーが主人公だって思うじゃないですか。
思わないですか?
っていうか、これって、
「沢田研二主演」って触れ込みじゃなかったんですか?
あらすじは知ってたんですが、
もうちょっとジローは生きてて、
いろいろやってから死ぬんだと私は思ってましたしね。
でも、ジローはなーんもしないままに死んでしまい、
というか、最初からあれこれ言ったりやったりするのは
タケシのみ。
アホの子ジローは生きててもタケシの言いなりだし、
あっという間に黙って死んでしまう。
最初からずっと生きて動いて、
物語の中心にいるのはタケシなんですよ。

元気なジローくんは、
キラキラのソフトフォーカスかかった
回想シーンでの登場のみ。
これがまたかわいくて綺麗で、
大変ごちそうさまでございますけどね。
これの中のワタクシ的萌えシーンはですね。
タケシとふたりで荷物を担いで歩いてきて、
荷物の上に向かい合って座り、
ジローがタケシに煙草の火を付けてもらうところで、
なかなか火が付かず、ジローが両手を合わせて
「ごめんね」をするところ。
ここがねーなんかねーなんともねー
仕草といい表情といい、
ジュリーの素っぽくて萌えーーー!
普段こんな感じ!?って思う。
ユウヤさんとふたりのときって、
こんな甘えた顔してんの?っていうねえ……。
許せん、ユウヤ!(いやその…)
失礼ながら、
ジュリーは演技がうまいとは言えないのだけど、
演出のおかげか、もしかしてジュリーの計算か、
「悪魔のようなあいつ」でも、その他のドラマや映画でも、
この、「素?」っていう瞬間が結構見え隠れします。
それを見るってえと、ジュリーファンとしては、
ぐおえあああああ~~(イミフ
と、萌え上がるわけですね。
ただのファン、特に私のような後追いファンには、
決して見ることのできない、
普段のジュリーを垣間見たような、
おトクなようないけないような、
落ち着かない気分にさせられるんですよ。
はあ~。

そして、ふたりが歩いているシーンのBGMは、
久世さんが「ホモの歌」認定をしたという「君をのせて」。
このふたりはそういう仲なんだと、
久世さんは言ってたらしいですが、
うーん、うーーーーん……
わからねえよっ!!
ってか、わかる人にわかればいいという、
そんな演出だったのかもしれません。
今回、私はこのドラマを初めてちゃんと見て、
これはジュリーファンには別の物語が見えるという、
二重構造を持ったドラマだったのではないかなあと、
思ったんですよ。

で、とりあえず、その一重目の話を追うとですね。
ジローが死んだ後、
一緒にいたネコという女の子もいなくなって、
(実は殺されてるんだけどタケシは知らない)
ひとりぼっちになったタケシは、
ジローの復讐だと言って、
自分が強請っていたヤクザの親分を襲い、
ジローを刺したやつを撃ち、
ジローの死体を助手席に乗せて逃げたのかと思うと、
警察に電話をかけて居場所を知らせる……、
とか、どう見ても破滅へと向かうめちゃくちゃをやり、
あげくは、拳銃の暴発で死んじゃいます。
なかなかに物悲しいストーリーと結末なんですが、
しかしねえ、
どーも、この「ジローの復讐」という、
タケシの動機がわかりにくい気がするのは私だけ?
1時間ドラマの限界か、
ユウヤさんの演技力不足のせいか(すまんユウヤさん)
ジローとタケシの関係がよくわからないせいで、
タケシがそこまでやらかす理由が今ひとつ納得できない。
単にタケシも頭のあまりよろしくない、
刹那的にしか生きられないチンピラでしかなかった、
というようなお話にしか見えないなあ。
ジローのことはどう思ってるんだよううう。
とか思っていたら、
最後の刑事たちとの対決シーンでタケシは、
芦田伸介さん演じる沢田(!)部長刑事に、
「おまえは自分の保身のためにジローを病院に連れていかず、
 そのために助かったかもしれないジローを死なせた」
とか言われちゃう。
しかも、その場でネコが死んだことも知らされて、
ますますヤケになったタケシは銃を乱射し、
そして死んでしまうんですよ。
ジローのためと言いながら、
実際は自分のわがままのためにタケシは犯罪を重ね、
まわりを振り回しただけだった、
おまえはバカだ、
と、部長刑事に看破されちゃって、
でもそこでタケシは「わかりました」と投降することはなく、
自分の(くだらない)意地を通して死んでしまうんです。
そこまで、「ジローの復讐って言ってもねえ…」と、
モヤモヤしつつドラマを見てたこっちは、
その部長刑事の長台詞とタケシの無駄死にで、
スコーンと説明を付けられてしまい、
「あ、そういうことだったんですか」と、
ストーリー的には納得させられちゃうんですよ。
「なーるほどねえ」と。
これは、ストーリーテラーである栗本薫の力技かなと。
ジュリーのことなんかよく知らない
お茶の間のお父さんとか、一般視聴者には、
これでよかったのかもしれません。
自分勝手に生きていたチンピラを
更生させることができず死なせてしまった、
北川刑事の苦悩という物語にクルンと擦り替えて、
うまいこと、っていうか強引に話をまとめた感じ。
ただの友達だったらきっと気のいいやつだっただろう、
タケシを救うことができなかった、
自分が刑事であるために、正義のために、
タケシの無念さやどうしようもなさを
救ってやることができなかった北川くん。
でも、世間てそういうものなんだよ。
でもでも、それでいいのか?
世の中の底辺で、チンピラでも
一生懸命生きてるやつに寄り添って、
救ってやりたいのにできないつらさ。
それを抱えて俺は刑事として生きるんだー。
♪ん~ん~~んん~~
(七人の刑事のテーマソングのハミング)
なんとかまとめやがったなという気もするんですが、
ですがね!
ジュリーファンの側から見ると、
これじゃあ、納得できません。
このドラマはジュリー主演じゃなかったんですか?
タケシはジュリー演ずるジローのために
身を捨てて復讐しようとしたっていう
そんな話じゃなかったんですか?
これじゃあ、「北川×タケシ」って話じゃないかー。
と、余計にモヤモヤがつのるってもんです。
最後、血まみれで死んじゃったタケシは、
ジローの死体の隣で息絶えて、
付け足しのように、
ふたり並んだ死に顔のカットから、
ふたりでいちゃいちゃ風の吹く道を歩いて行く
回想シーンで終わることで、
かろうじて、これはジローとタケシの話だったんだ、
みたいにしてますが、どーもやっぱり納得できない。
ふたり並んだ死に顔はたいそう耽美で、
腐女子的にはおいしい絵柄ですけどね。
ジュリー主演ドラマとしてはどーなのよー!
と、叫びたくなるんですよ。
なりませんかね?

ドラマ「悪魔のようなあいつ」では、
久世さんが、野々村さんの良ちゃんへの執着っぷりを
じっくりねっとり描いてくれちゃってるおかげで、
ドラマ自体はトンデモな部分てんこ盛りですが、
良ちゃんと野々村さんの関係性に関しては、
納得できないモヤモヤはありません。
(違う意味のモヤモヤはあるけどね)
野々村さんの、
「それはどう見ても良ちゃんへの恋心です。
 どうもありがとうございました」
という心情がこれでもかって語られるせいで、
語られていない良ちゃんの気持ちまでもが、
見てる方は想像(妄想)させられちゃう。
なので、最後に良ちゃんが無茶やって、
野々村さんのことまで殺しちゃうってのも、
納得できないってことはない。
これは、連ドラで17話かけて人間関係を描けたのと、
1話完結の1時間番組の違いで、
しょうがないっちゃないんでしょうけどね。
「哀しきチェイサー」でも、もうちょっとなんとか、
ジローとタケシの過去のエピソードのひとつぐらい
挟み込むわけにはいかなかったのかと思うんですよ。
ジローが元気だったころの回想シーンは、
ふたりで荷物かついで楽しげに歩いてるところと、
ネコちゃん交えて酒飲んでるところのみ。
そこでは、ネコちゃんと彼らの関係が、
サラッと説明されるんだけど、
ジローとタケシがどういう関係なのかっていうのは、
全然わからない。
タケシが警察に電話かけて、
ジローとの思い出話を語ったり、
ラスト近く、タケシがジローの死体を
トラックの助手席に乗せて運転しながら、
死体にあれこれ話しかけるところで、
少し垣間見えたりはするけど、
具体的なエピソードがないせいで、
どうにもリアリティがないんですよ。
こんな話でリアリティもなにもあったもんじゃないでしょうが、
しかし、こんな話だからこそ、
細部のリアリティはしっかりしててほしいと願う、
それが腐女子。

なんてなことをモヤモヤうぎぎーと考えておったんですが、
実は私は、その脳みその裏側でボヤ~ンと
思っていたことがあったんですよ。
それが、わかる人にわかればいい、
ドラマの二重構造ってやつなんではないかと。

このドラマをですね、
ジローとタケシという架空の人物の物語だと思うと、
ふたりのエピソード不足だよ、
これじゃあ、妄想もできねえよ、
もっと餌くれよ!
ということになるわけですが、
これを、ジュリーとユウヤさんの物語と考えると、
これはもうエピソードはリアルでてんこ盛り、
妄想し放題なわけですよ。
しかも、脚本と演出が、
ジュリー激ラブをあっちでもこっちでも書き散らしている、
栗本薫と久世光彦さん。
しかもしかも、ドラマの他の登場人物も、
ジュリーの親衛隊(?)と言われている
田川譲二さんやら、安岡力也さん。
さらによく見れば、ドラマ冒頭でジュリーを刺す人は、
「悪魔のようなあいつ」で、
サリーと一緒に八村モータースに借金取り立てに来てた、
チンピラ右川の人じゃありませんか。
このドラマを見ていた当時のファンの脳内には、
もや~んと、ジュリーのリアルでの人間関係が、
ドラマの裏設定のように浮かんではこなかったでしょうか。

これと同じようなことは、
「そして、愛が終った」のマカロニくんと貞文さんとでも、
私は考えておってですね。
あれは、ショーケン×ジュリー萌えの私から見ると、
マカロニと貞文さんではなく、
どうしてもショーケンとジュリーに見えちゃうわけですよ。
ショーケンとジュリーがドライブしてる~、とか、
ショーケンがジュリーを担いでる~、とか、
ふたりでにこにこお話してる~、とか、
ショーケンたら看護婦からジュリーを守ろうとしてる~、とか。
貞文さんがマカロニに撃ち殺されるところでも、
ジュリーはショーケンを愛しているがために、
ショーケンに撃たれて死にたいと思ってる。
で、ショーケンもそのジュリーの愛に応えて撃ったんだ……
とかねとかね!
そんな妄想が暴走しちゃいますよっ!
しませんか!
しますよね!!

して!!!

そう考えると、エピローグでのマカロニとボスの会話で、
妙にマカロニが貞文さんのことを想った発言をしてるのも、
納得です。
だって、
「苦しんだのはあいつだけじゃないですか!」
とか言っちゃってんだよ。
ただのひと晩一緒に過ごしただけの、
(別になんもなかったですがあってもいいですがむしろあってほしかったですが)
しかも殺人犯の相手にそこまで入れ込むかね? 普通。
しかしこれが、マカロニじゃなくてショーケンだって考えれば、
大納得ってもんですよ。
大好きなジュリーがそんなに苦しんでいたなんて、
それを救えなかった俺は本当につらい!
そんなん考えて演技してんじゃないの~ショーケン~~
と、見てる方はニヤニヤですよ。
(ショーケンのファンの方々には申し訳ないことですごめんなさい)
このドラマが放送された72年当時、
私のようなこんな不届きな見方をしていたファンは
どれぐらいいらっしゃったかはわかりませんが、
普通にジュリーファン、ショーケンファンの姉様方だって、
普段は仲良しでもライバルでもあるふたりが、
殺人犯と刑事、殺し殺される、
いわば敵味方というキャスティングをされて共演する、
なんつうドラマを平常心で見られたはずはありません。
どうしたって、リアルのジュリーとショーケンを
二重写しにして見ちゃいますよ。見ちゃいますよっ。
そんなわけで、このドラマでは、
制作側は明確に意図してはいなかったかもしれませんが、
虚構と現実の二重構造、パラレル構造になってるんだなあ
と思ったんですね。
つうか、当時の2大アイドル・ジュリーとショーケンだよ!
それもある程度は当て込んでの
共演、キャスティングだったんだろうなあとも思います。

でだ、それから6年後のこの「哀しきチェサー」。
その間には、まさしく久世光彦氏プロデュースによる、
「悪魔のようなあいつ」があり、
それを見てJUNEの創始となった栗本薫御大がいて、
これは、そのふたりが作ったドラマなわけですよ。
残念ながらおふたりとも亡くなられてますから、
好き勝手なことを言えますが、(おっと)
確認することはできませんが、
ぜっっっったいに、このふたりはわかってやってる。
タケシとジローという架空の人物を
ユウヤさんとジュリーに演じさせつつ、
実は、リアルのユウヤさんとジュリーの関係が
透けて見えるように作ってる。
私はジュリーに堕ちた早い段階で、
ショーケン×ジュリー萌えに目覚めてしまい、
「そして、愛は終った」を見る前に、
すでにショーケン×ジュリーで、
あらぬ妄想をてんこ盛りに暴走させていたんで、
(薄い本も書いちゃうぐらい)
あれを見た時はすぐに上記のような妄想が湧いたわけですが、
残念ながらユウヤさん×ジュリー萌えはないし、
78年当時のふたりの関係もわからない。
なので、最初はどーもタケシ×ジローでは萌えられず、
モヤモヤしたわけなんですよ。
でも、ずっとテレビ業界の人だった久世さんはもちろん、
初代ジュリー萌えともいうべき栗本薫も、
ユウヤさんとジュリーの関係が、
ザ・タイガースでデビューする以前からのものだったことも、
ソロになってからもずっと仲良しだったこともよーく知ってて、
きっとふたりの関係性に萌え転がっていたはずなんですよ。

1973年のジュリーのコンサートで、
ユウヤさんがゲストで出るコーナーがあって、
ロックメドレーをジュリーと一緒に、
なにやらかけあいをしつつ歌ってるんですが、
ライブアルバムになってる音源を聴くとこれはもう、
なんとも身悶えするほどの、
「公衆の面前でなにイチャついてんですか!」
って、そこらを蹴飛ばしてまわりたくなる、
とんでもないシロモノなんですよっ!
「色っぽい目ぇすんなよ。たまんねえな、こりゃ」
とか言ってんですよっっ! ちょっと奥さん!
映像は残ってなくて、音源でしか聴くことができないせいで、
妄想沸きまくりです。たまらんのはこっちですよ。
このステージは久世さんも実際に会場で見てて、
キーッとハンカチを噛み締め(イメージです)、
「これはヤッてるのと同じだ!」と言ったらしいです。
(この発言は本当らしいです。
 いつものことながら塾長クオリティには完敗です)
栗本薫もきっとこのコンサートを見てるはず。
見てなくともライブアルバムは聴いてるはず。
そんでもって、やはりユウヤ×ジュリーに、
もんどりうってたに違いありません。
そんなふたりにとって、ユウヤ×ジュリーはもう自明の理。
説明なんかいりません。
そして、当時のジュリーファンの方々、
特に腐女子方面の方にとっても、
それは同じだったんじゃないでしょうか。
私にとってショーケン×ジュリーに説明がいらないのと同じく、
ただユウヤさんとジュリーが一緒にいるってだけで、
ぶわわ~~っと妄想が広がりんぐの膨らみりんぐですよ。
だからこそ、ジュリー主演のドラマってときに、
相手役にユウヤさんをキャスティングしたんでしょうし、
もうその時点で、ドラマ内でのタケシ×ジローの過去なんか、
どーでもいいことだったんじゃないでしょうか。
だって、ユウヤさんとジュリーが演ってんだよ。
それでふたりの関係性の説明は終了です。
そう考えると、ふたりの回想シーンのジュリーが、
なんとなく素っぽい感じなのも納得です。
先に書いた煙草の火の萌えシーンもそうですが、
全体に、ユウヤさんとジュリーの
プライベートムービーのようにも見える作りになっている。
しかも、栗本薫がJUNに書いた、
このドラマについての文章によれば、
この回想シーンのふたりの服装は自前だったらしいですよ。
ジュリーファンのみなさまは、
具体的なエピソードなんかなくとも、
これだけ見れば、
タケシとジローの関係は、もうわかった、と、
ああ、ユウヤさんとジュリーなのね、と、
そういうふうに思えたんじゃないでしょうか。
18歳の頃からのジュリーを見ていたユウヤさんならば、
そりゃあ、ジュリーが殺されたなら、
自分のことはどうなっても復讐するはず。
ずーっと支えてくれて、
好きなロックを歌い続けられるようにしてくれてた
信頼できるユウヤさんに
「我慢しろよ、男の子だろ」
なんて言われたら、ジュリーだって、
「うん、わかったよお」って言うよね、
ここではタケシとジローって名前になってるけど、
でも、あれはユウヤさんとジュリーだもんねと、
ドラマの中では語られないふたりの過去を、
勝手に妄想して萌えるってもんですよ。
そうなったら、もうドラマのストーリーなんて、
どーでもいいことですよ。ほんと。

こんなドラマの作り方がいいのか悪いのかわかりませんが、
ジュリー萌えの元祖、久世さんと栗本薫にとっては、
大満足の仕事だったんじゃないでしょうか。
よかったですね、と天国に向かって言うしかありません。

よかったですね。
そして、ありがとうございました。(合掌)



はあはあ……
ここまでが、ドラマ「哀しきチェサー」を見て、
私が妄想したこのドラマの二重構造についての考察です。
で、ここからが本論というか、(ええっ)
久世さんと栗本薫のジュリー萌えが
どういうものだったのかって話になるんですが、
あまりにも長くなりすぎたし、
そこまで書き上がるのがいつのことになるかわかんないので、
ここまでで一旦アップします。

続きはまた後日【その2】としてアップします。
気長にお待ちください。



こんなヘンなテンションの長文を
ここまで読んでくださった方、
ありがとうありがとう。

文学フリマのスピンアウト企画として、
4月28日開催予定の「超文学フリマ」の申し込みが、
明日(2月3日)締め切りです。
いろいろぐるぐる考えたんですが、
今回【稀人舎】は不参加としようと思います。

もともと、この春は大阪での開催ということで、
参加はできないなと思っていたし、
【稀人舎通信】も、去年【最終号】として10号を出して、
ひと区切り付いて、
ここらで1回休みというのはちょうどいいかもね、
とか思っていたんですよ。
なので、今回の「超文学フリマ」に参加するとしても、
新しいものは特に作らず、
【稀人舎通信】のバックナンバーを持っていくぐらいかな
と思っていました。
これまでの経験上、
バックナンバーは売れても2〜30部ぐらい。
しかも、今回は入場料が必要な
「ニコニコ超会議」というイベント内での開催。
ということは、お客さんは、文学フリマのように、
文学好きがフラッと来るということにはならなそう。
あくまでもメインは「ニコニコ超会議」を目当てに来る人が、
そのついでに「超文学フリマ」のコーナーに立ち寄る、
という感じになるんだろうなあと思います。
「ニコニコ」関連は不勉強にしてよくわからないのですが、
そっち方面に興味のある人に、
【稀人舎通信】がアピールできるかってったら、
それはちょっとどうなのかなあと。
創作と比べたら評論系の方が売れるかもっていう話も
どこかで聞きましたが、
それはたぶん、アニメやネットなどの
今のサブカルチャー関連を取り上げた評論誌のことで、
【稀人舎通信】のような、文芸ものの評論は、
難しいのではないかと。
アニメやボカロやニコ動と文学作品との出会いとか、
そういう、異文化とのコラボっていうのもおもしろいし、
今までいわゆる文学作品というものに接していないだろう、
ネット住民というような人達に、
本を勧めるいい機会と捉えることもできますが、
それにはなにか仕掛けが必要。
ブログやそれこそニコ動なんかを活用して宣伝すれば、
【稀人舎通信】にも興味を持ってくれる人もいるかもですが、
それらのことに割く時間も熱意も、今の自分にはないなあという、
そんな結論に至りました。

あと、幕張は遠い……。

ヘタレですみません。

というわけで、【稀人舎】は、
文学フリマを1回お休み、ということにします。
秋の「第十七回文学フリマ」には参加するつもりでおります。
それまでには、なにか新しいことを考えて、
おもしろいことをやれたらいいなあと思います。

その時はまたよろしくです。


あ、夏コミは申し込みました。



今日のフジテレビ「知りたがり!」って番組で、
ザ・タイガース復活のことを取り上げるってんで、
普段昼間はめったにテレビを見ない私も、
テレビの前で待機してました。

コーナーの中では、
ピー先生のインタビューがあり、
今年12月の復活コンサートをやるに至った経緯が
ざっくりと語られる、という、
情報としては、
ファンには知ってることばかりでしたが、
結構貴重なリアルタイムのタイガースの映像や、
解散コンサートの美しいジュリーや、
もうないと思っていた、
田園コロシアムのきれいなコンサート映像なんかが
ぶつ切りでしたが、あれこれ編集されていて、
それなりに見応えのある内容でした。

が!

「12月のコンサート楽しみですね」
とかなんとかいう締めの言葉にかぶせるように、

「とりあえず沢田さんには
 少しシェイプアップしてもらわないと…」


という女性コメンテーターのお言葉が!
それでスタジオは笑いが起こって、
そのコーナーおしまい、みたいな。

なにそれなにそれなにそれーー!
なに余計なこと言ってんの!
言い方も失礼だったし、
それでブチッとその話題終了ってのもどうなのよ!
と、私はカッと頭にきたのだけど、
その、自分の腹の立て具合にちょっとびっくりしたっつうか。
いや、本当に頭にきたんですよ。

それはなんでか?

突然ですが、
私は今50歳なわけですよ。
今日なんかは特に出掛ける予定もないから、
髪の毛も化粧もいい加減にして、
毛玉のいっぱい浮いたセーター着て、
ダラっと横座りなんかしてテレビ見てると、
本当にこりゃおばちゃん以外のナニモノでもないなと、
かように思うわけでね。
本当にありがとうございますですよ。
「50歳だよ、悪いかよ」と
開き直ったりもしつつ、
普段はそんなこと特に意識せず、
心楽しく生きてたりもしますが、
今日みたいにテレビを見てるとですね、
コマーシャルにしろなんにしろ、
若い子ターゲットのものが主流。
たまにシニア向け化粧品やらサプリやらのがあっても、
アンチエイジングばっかりじゃないすか。
「とても47歳には見えません!」とか、
ネット広告でもよくあるけど、
47歳に見えたらいけないんですかね?
私は正真正銘50歳ですが、
50歳に見えたらダメなんですかね?
コマーシャルとかテレビなんてのは、
みんなにどうにかして金を使わせて、
経済回そうとしてるわけだから、
あの手この手で
「このままじゃダメだからコレ買おう」とか、
「私も若い子と同じアレ欲しい」とか、
思わせないといけないわけで、
そういう手口だってわかっちゃいるんですが、
そんなのばっかし見せられると、
なんとも切ない気持ちになってくる微妙なお年ごろ、
それが50歳。
なんか中途半端なんだよね、50歳って。
どうにもこうにも落ち着かない。

そんなこんなで、
普段見ない昼間のテレビのコマーシャルなんかに
アテられて、ぐぎぎぎーという気持ちになったところに、
「ザ・タイガース復活!」の話題だったんですよ。

44年ぶりですよ、44年ぶり。
平均年齢65歳のバンドっすよ。
ピー先生は体型は細くてかっこいいですが、
それでも、顔は歳相応にシワもある。
ジュリーはいわずもがなだし、
サリーにしたってタローにしたって、
特に若作りしてるわけじゃない。
64歳、66歳って言われたら、
「ああ、そうですね」ってなもんですよ。
たぶん、あのメンバーを見て、
「お若いですね〜」なんて言う人は、
まあ、いないと思う。
んなこと言ったら逆に失礼なんじゃないかって、
そんな迫力のおっさんたちですよ。

それが!

ステージに立つと超かっこいいってのは、
2011〜2012年の〈ほぼ虎〉コンサートで証明済み。
ジュリーの今年の正月コンサートなんて、
ヒゲだよヒゲ。白髪のヒゲ!
それがかっこいいやらかわいいやら、
もうどうしたらいいんでしょう、ですよ!
ま、ここらへんはファンの欲目もありますが、
どうでもこうでも他の人にはどう見えようと、
かっこいい64歳に私はきゃ〜〜〜!ってなってるわけで、
それは、テレビやなんかで言われてる、
アンチエイジングとか若さの秘訣とかとは、
全然関係ない世界なんだと思うんですよ。
64歳に見えなくてかっこいいんじゃなくて、
64歳だからかっこいいんですよ!
サリーだって、今かっこいいじゃないすか。
NHKのドラマ「メイドインジャパン」で、
ダブルのスーツ着てソフト帽かぶったのなんか、
あの年にならないとできないかっこよさですよ。
若くて誰が見てもかわいくてかっこよかった時に、
超人気者だった彼らが、
44年間それぞれの道を歩いてきて、年を取って、
見た目は変わったけど、
若いころにはなかったかっこよさを身に付けて、
若いころのメンバーと一緒にまたツアーをやる。
かつての少女だったファンも、
みんなおばさんになったけど一緒に楽しみにしてるよ。
それがいい!っていう、
そんな話なんじゃなかったんですかね?
今日のあの番組は。

それが、あの最後のひと言で台無しですよ。
「沢田さんはシェイプアップしてもらわないと…」
ってとこであとは言わなかったのか聞こえなかったけど、
最後まで言うとしたら、
「シェイプアップしてもらわないと
 復活コンサートやっちゃダメでしょ」
ってことでしょ?
じゃあなにか?
44年ぶりに復活コンサートやるバンドは、
44年前の見た目のままじゃないといけないのか?
あの、「ちゃんと食べてんのか?」ってぐらい
細っこかったジュリーじゃないとダメなのか?
おっしゃった本人はたぶん軽い気持ちで言ったんでしょうし、
そこまで考えてはいないと思いますが、
だからこそ、本音っつうか、
世間一般のご意見つうか、そんな気がして、
がっっっっくりしました。

ああ、やっぱり私は50歳に見えちゃいけないのか…
って、がっくりですよ。
いろいろぐるぐる考えた結果、
そんなふうに思って私はがっかりして、
きー!っと腹が立ったんだなあと思ったのでした。
アンチエイジングやらに関しては、
常日頃なんだかなあと思ってたことでもあり、
ちょっとかこつけて書いておこうかなと。

人への批判なんてサラッと書こうと思ってたのに、
結局長くなっちまった。
お聞き苦しくてすみません。

あとねー(まだあるのか)
あのコメントが最後で、いかにも「(笑)」って感じで、
ザ・タイガース復活の話題が終わってしまったことで、
もしかして、ジュリーやタイガースのことを知らないけど、
「へえーおもしろそう」と思って見てても、
「なーんだ、今のジュリーは太っててダメなんだ」と、
興味がしぼんだ人もいるんじゃないかと思うんだよね。
あの番組ってコンサートの宣伝も兼ねてんじゃないの?
それであれはどうなのよ?とも思ったし、
今のジュリーもサリーもピーも、
ステージでのパフォーマンスを見れば、
「楽しい」「すごい」と思う人は多いはずだから、
もったいないなあとも思ったんですよ。

もし、あの番組を見て、
「今のジュリーは太っててダメなんだ」と思った方!
(そんな人がこんなブログを読んでるかどうかはおいといて)
ちょっとでも興味があるなら、
12月のザ・タイガース復活コンサートに行ってみてくださいな。
今のジュリーは太ってるからかっこいいんですよ!
とまでは言いませんが(をいw
歌は絶品だし、ステージは楽しいし、
タイガースなら客席の盛り上がりも絶対すごいことになるから、
行って損はないと思いますよ。

と、なんで私がこんなとこで宣伝してるのか。


という、今日の腹立ち日記でしたー。
こんな長文をここまで読んでくださった方、
ありがとうございました。



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