このところ、とある月刊誌のインタビュー記事の
文字起こしのお仕事を請け負っているので、
月のうち2週間ぐらいはそのおかげで、
耳にイヤホンが突っ込まれてて、音楽が聴けないんですよ。
お仕事あるのはありがたいのでがんばりますが、
続くとジュリー不足でアウアウしてきます。
今月も昨日までそんな状態だったんですが、
やっと終わったので、
昨日は午後からずっとジュリーを聴きまくってました。
今日も朝から70年代ジュリー聴きまくり。

いいですねえ。ジュリーの声。はわ〜〜。

なんかね、
特に20代前半ぐらいまでの若ジュリーの歌声って、
聴いてると妙にドキドキするんですが、
私だけですか?
そんなことないですよね?
みんなもそうですよね?
ね?

ね?(無理矢理

というわけで、今日は、

なんでジュリーの歌声を聴くとドキドキするのか

ということをあれこれ考えたいと思います。
また長いですすみません。



私は若ジュリーのビジュアルが大好きなので、
その声を聴くと、すぐさま脳内にその姿が再現されて、
んでもって、ドキドキするってこともあると思いますが、
なんか、それだけじゃない、
ジュリーは声だけで、どこか生理的な部分に触るものが
あるような気がします。
その声自体に直接身体のどこかが反応して、
身悶えしちゃういうような。
寺内貫太郎一家のきんばあちゃんの

じゅ〜〜りいいい〜〜〜〜!

の、あの状態です。
いてもたってもいられずに思わずクネクネしちゃう。
なんかこう、周波数的にそういう成分が、
声に含まれてるとかいうことはないですかね?
アンチジュリーの方々の中には、
ジュリーを「キモチワルイ」と言う方もいるようですが、
それって、この妙に神経に触る声に反応して、
意志に反してドキドキさせられる感覚を受け付けず、
「キモチワルイ」という言い方になってるってことは、
ないでしょうか。
誰かそのへんを客観的に数値的に
検証してはくれないものでしょうか。
聴いた人を有無を言わさずドキドキさせてしまう、
フェロモン周波数、とか(笑)。

残念ながら、私にはそんな知識も設備もないので、
ここでは私の主観だけで
ジュリーの声について、勝手に考察することにします。
あしからず。

というわけで、この記事を書くために、
昨日は【A面コレクション】の3枚組を
メモを取りながら(!)じっくり聴いてみました。
なんのメモかっていうのは後で書きますが、
あらためてシングル曲を順番に聴いてみて思ったのが、
やっぱり【勝手にしやがれ】を境に、
ジュリーの歌声ってちょっと変わってる。
声じゃないか、歌い方かな?
低音がちゃんと響くようになってるっていうか。
それ以前の曲は、ちょっとうわずった感じの歌い方で、
低音はあんまりちゃんと歌ってない感じがするんですよ。
とりあえず音域はここまで出るから歌ってる、みたいな。
(あくまでも個人的感想です)
高音部のメロディーの方がなんか気持ちが入ってる。
まあ、サビとか盛り上がる部分が高音てこともありますが、
その気持ちが入って、さらに音が高いせいで、
声がうわずったりちょっと音を外したりしてる。
そして、この「うわずった声」「不安定な音程」ってのが、
我々をドキドキさせる元なんじゃってことなんです。

私がジュリーにハマりたての頃に、
中古同人誌屋さんで唯一見付けて即買いした
ジュリー本がありましてね。
これは私が作ってるような18禁二次創作系の
いわゆる「薄い本」ではなくて、
いろんなジュリーの衣装やら映画やらをイラストにして、
コメントが書き込まれたりしてるっていう、
ファンブックのようなものなんですが、
(絵がうまいです。プロの絵描きさんなのかも)
この中にジュリーの声について書いている記事がありまして、
ジュリーの魅力は音を外してるのか外してないのか、
よくわかんない独特の歌い方にある、と書いてます。
楽譜通りの音をまっすぐに出さず、
まず、上下半音までいかない微妙に外した音を出し、
そこからぐいい〜〜っと目標の音に持ってくる、
そこがいい! と。
そう!
そうなんですよ!
なんともフラフラして揺らぎのある声なんですよ。
ジュリーの歌は、そこがいいんですよっ!

で、その揺らいでる感じが顕著なのが、
70年代前半の高音の「うわずった声」なんではないかと、
私はかように思うわけです。
当時テレビやラジオで見たり聴いたりする歌と言えば、
東海林太郎とか(古っ)、ダーク・ダックスとか、
もしくは演歌とかムード歌謡が一般的。
ロックっぽくわざと音程を外した歌い方は、
お茶の間には全然馴染みがありませんでした。
そんな中で、ジュリーの音程のフラフラした歌が、
「下手」と言われてしまったのは、
しょうがないことだったんでしょうなあ。
しかも、若ジュリーのはわざと外してるっていうより、
どうしてもそうなってしまうって感じ。
この「どうしてもフラフラしてしまう」っていうところにも、
聴いてる者を不安にさせる、
神経に触るものがあったのかもしれません。

ところで、ジュリー還暦の東京ドームでの
【ジュリー祭り】のことを
後にラジオでご本人が語ってらした時に、
「2部の最初でこぶしがうまくまわらなくて焦った」
みたいなことを言っていて、
ジュリーの歌でも「こぶし」って言い方するんだと、
ちょっとびっくりしたことがありました。
70年代前半の若ジュリーはわざとじゃなく、
どうしてもフラフラしてしまう歌い方をしていて、
そのために「下手」と言われていた(と思われる)わけですが、
その後(私は【勝手にしやがれ】以降だと思ってますが)、
その歌い方をたぶん意識的にやるようになっていきます。
それをジュリー自身は「こぶしをまわす」というふうに
言ってるんじゃないでしょうか。
演歌の「こぶし」とはちょっと違うと思いますけどね。
それは、どっちかというと低音部の伸ばす箇所で
顕著な気がします。
【勝手にしやがれ】の
「出て行ってくれぇ〜」の最後の「れぇ〜」ってとことか、
「しらけた感じだしぃ」の「しぃ」ってとこですね。
「夜とぉいうのに」の「とぉ」っていうとこもか。(細かい)
それに比べて、【勝手にしやがれ】より前、
特に70年代前半のジュリーのフラフラは、
高音部で目立ちます。
【君をのせて】の
「革の靴を履いて」の「はぁいて〜」ってとことか、
【あなただけでいい】のしょっぱな
「あなただけで」の「あぁ」とかもいきなりヤラれますな。
ていうか、初期ソロ曲は全体的に高音で聴かせるように
メロディーが作ってあるように思うんですが、
これはきっと若ジュリーの声の特性をよくわかっていた
加瀬さんの意向だろうと思われます。
加瀬さんと言えば、
ジュリーのソロ曲で忘れてならないのが、
「あああ〜〜」ですが、
「【君をのせて】は「あああ〜」って高音が難しかったけど、
 加瀬さんが「『あああ〜』ってとこが沢田らしい」って」
と、ジュリー自身が語っている動画を見たことがあります。
(2000年代のどれかのライブでのMCだと思うんですが、
 私はまだライブDVDはほとんど手を出せてないんですよ)

「その後僕の歌には『あああ〜』がよく出てくるようになって、
 自分で密かに『あああ〜のジュリーか』と思ってる」
とか言ってましたが、
「あああ〜」ってとこは、どの曲でもほぼ高音ですからね。
若ジュリーならどうしてもうわずっちゃうってもんです。
そこが萌えなんですが、
さすが加瀬さん、よくわかっていらっしゃる。

というわけで、私は昨日【A面コレクション】を聴きつつ、
「あああ〜」ってのが出てくる曲ってのをメモしてたわけです。
したら、思った通りというか、驚いたことにというか、
【勝手にしやがれ】より前の18曲中、
「あああ〜」もしくは「あ〜は〜ん」とかが出てくるのは、
11曲!
18曲中11曲ですよ。多すぎ。
一方、【勝手にしやがれ】以降の26曲中では、
「あああ〜」が出てくる曲は3曲だけ。
この数字はシングルA面のみのものなので、
アルバム曲まで含めたら、
もっと違う数字が出るかもしれませんが、
アルバム曲つったら何百ってなっちゃうので
すみませんが勘弁してください。
でもまあ、割合的にそんなに違いはないんじゃないかと
思ってますけどね。単なるイメージですが。

で、後期の「あああ〜」曲、3曲のうち2曲は、
【勝手にしやがれ】と【サムライ】。
ジュリーの「あああ〜」といえばこの2曲が有名ですが、
これはそれ以前の「あああ〜」とは
ちょっと違う気がするんですよ。
ソロ初期の「あああ〜」は、
間奏とか後奏で言ってるのはもちろん、
ちゃんと楽譜にも歌詞にも書いてあるはずの、
【君をのせて】の「あああ〜」も、
【危険なふたり】の
「あぁ、あぁ、それでも愛しているのに」の「あぁ、あぁ」も、
なんというか、歌ってるうちに思わず出ちゃった
「ため息」とかの「声」みたいな感じがするんですよ。
初期曲の「あああ〜」のことを、あるじゅり友さんが、
「喘ぎ声と一緒の高さだ」と言ってましたが、まさにそれ。
そりゃあもう、「喘ぎ声」を聴かされちゃったら、
こっちはドキドキせざるをえないですよっ。えないですよっ。
それに比べて【勝手にしやがれ】と【サムライ】のは、
ちゃんと楽譜通りに「あああ〜」って「歌ってる」感じ。
もう1曲は【おまえがパラダイス】ですが、
これは「oh! yeah!」とでも表記するの方がいいような
様式美といいますか、
こちらも思わず出ちゃった「声」というよりも、
こういう曲だからお約束で言ってるっていう感じがします。
これはこれでいいんですけどね。
っていうか、ここまでの統計(?)は、
CD音源からのものなので、
「あああ〜」がなかったり、
ちゃんと「歌」として聴こえたりしてるんですが、
【夜のヒットスタジオDVD】とかYouTubeでの、
テレビで歌っているものを聴くと、
結構、間奏や歌詞の要所要所で、
「あああ〜」とか「あぁん」とか言ってますジュリー。ほほほ。
【夜のヒットスタジオDVD】の【サムライ】で、
セットの篝火の煙か熱気にむせて、
「ああ〜、あっ…、あぁ〜〜」ってなってるのとか、
【LOVE(抱きしめたい)】で、歌詞を忘れて、
ちょっと詰まって泣き声みたいになってるのとか、
超萌えです。
【麗人】の「愛するだけ〜」の後にも、
思わずって感じで「あぁん」って言ってるしね。

要するにこれは、「素」のジュリーが見えてるような気に
させられるってことなんですね。
このところ何度も記事にしてる(こことかこことかで)
「空っぽジュリー」に「素」(と思われるもの)が垣間見えると
萌える
という、アレです。
歌ごとにその中の人物になりきり、キャラを作るということを、
あまり自覚せずにやってたと思われる70年代前半は、
プロデューサーの加瀬さんや作曲家の先生方が、
ジュリーには高音を歌わせると揺らぎが出て、
それが聴く人をドキドキさせるってことをわかっていて、
そんな音域の曲を多く提供してたんじゃないでしょうか。
加瀬さんはジュリーに、
「スケベに歌え」と言ってたらしいですしね。
「スケベに」ってことは、
「素」を見せろってことだと思うんですよ。
加瀬さん、グッジョブでございます。
「あああ〜」が入っていない【時の過ぎゆくままに】も、
よく聞くと息継ぎ、ブレスの音がちゃんと入っていて、
聴いてる方はまた身悶えさせられますしね。
「いやだと泣いた」の「いやだとぉぅ」のとことか、
「昔を思って泣いた」の「思ってぇ」のとことか、
細かいところに萌えは潜んでいて、不意打ち喰らいます。
はうあ。
あ、【危険なふたり】の「美しすぎる〜」のところは、
作曲した加瀬さんは最初もっと低い音で作っていたのを
ジュリーから提案して、今の高い音階にしたと、
ジュリー自身がラジオの【ジュリー三昧】で言ってました。
てことは、ジュリーも高音を歌う時の自分の声が、
なんらかの効果を発揮するということを
ある程度はわかっていたんでしょうね。
ま、だからこそ、この後の【勝手にしやがれ】以降の
意識的な声の揺らぎとかができたわけですしね。
素晴らしいっすね。ジュリーったら。

「喘ぎ声」だか「ため息」だかに聞こえる「あああ〜」も、
ちょっと外れた音程も、切なげな息継ぎの音も、
言ってみれば「歌」ではなく、「声」です。
「話し声」とか「泣き声」とか「喘ぎ声」。
一生懸命歌を歌っているはずの若ジュリーが、
思わず漏らした「素」の「声」です。
これはキますよねっ!
そりゃあドキドキさせらるわってもんです。
なので、70年代前半の若ジュリーの歌を聴いてると、
思わず知らずこっちはドキドキしてしまい、

じゅ〜〜りいいい〜〜〜〜!

と、きんばあちゃん並みにもだえるわけです。

じゅ〜〜りいいい〜〜〜〜!


でだ、【勝手にしやがれ】以降のシングル音源では、
不意打ち喰らって「はうあ!」とはあんまりならないんですが、
それはたぶん、ジュリーが意識的に
その技を繰り出しているからじゃないかと、
私は思っているんですが、どうですかね?
それはなんでかっていったら、
こないだのエントリでも書きましたが、
阿久悠氏の強烈な歌詞の世界観のせいではないでしょうか。

阿久悠氏がジュリーの曲の歌詞を書いたのは
【時の過ぎゆくままに】からですが、その後の
【立ちどまるなふりむくな】【さよならをいう気もない】は、
なんというか、お試し期間的な感じで、
そんなにその歌だけでひとつの世界を
がっつり作ってるふうには、私には感じられません。
【立ちどまるなふりむくな】は【時の過ぎゆくままに】の
アンサーソング的な内容だし、
【さよならをいう気もない】はひとつの物語ではあるけれど、
一人称が女性なせいか、
ジュリーも比較的さらっと歌ってる感じがします。
ビジュアル的には金キャミさんだったわけで、
「さらっと」どころじゃなかったんですけどね。
その「さらっと」じゃないところを、
その次の【勝手にしやがれ】では、
歌詞でも歌い方でも振り付けでも膨らまして、
自覚的にやり始めたってことじゃないでしょうか。
レコ大狙って気合いも入っていたでしょうしね。

【勝手にしやがれ】の主人公は、
出ていこうとしている彼女を引き止めもせず、
寝たふりしてる間に出ていってくれ〜とか言ってる
ダメ男なわけですが、
それ以前にジュリーが歌ってきたダメ男とは、
根本的なところで違ってます。
それまでジュリーが歌ってきた曲の男たちは、
不倫相手に「死んでもいい」とか縋り付いたり、
美しすぎる年上の彼女に「まだ愛してる」と駄々を捏ねたり、
浮気しといて「アイラブユーアイニージュー」とか言ってる、
要するにただの「甘ったれ」なんですよ。
で、この「甘ったれ」は基本的にかっこつけたりしません。
ダメ男っぷりダダ漏れです。
そんなダメなジュリーがいい!
っていうそんなコンセプトかと思われます。
それに比べて【勝手にしやがれ】以降の、
阿久悠氏作詞の歌の主人公は、
ダメ男なのには変わりないんですが、
どうにもこうにもかっこつけたがりなんですよ。
必死でかっこつけてる。
彼女が出ていくってのに壁際に寝返り打ってるし、
昨日のことは忘れてしまったとか明日は遠すぎるとか、
花園で眠れぬこともあるんだよとか、とかとかとか、
むきーー!ってぐらいに、無駄にかっこつけてます。
むきーー!

この、それまでのただの甘ったれとは違う主人公に、
ジュリーも「こりゃ今までとはちょっと違うぞ」と、
なんも考えないで「あああ〜」とかうわずった声出してたら、
この世界観は表現できないなあと、
考えたんじゃないでしょうか。
そのために、それまであんまり活用してなかった、
低音部のメロディーで、声の揺らぎをやることにしたと。
なので、【勝手にしやがれ】以降も、
微妙に音を外したり「あああ〜」と切ない声を出したりも
してるんですが、
そこで漏れ出る「声」は、ジュリーの「素」ではなく、
寝たふりしてる男だったり
サムライくんだったり、ニヤけた水兵さんだったり、
不倫相手に「サヨナラサヨナラ」言ってる男だったり、
の声なんですよ。
ジュリーの声じゃないんです。
もうそこまでジュリーは歌の世界に入り込んでるんですね。

ま、さっき書いたように、
テレビやライブで歌ってる時には、
たまにいろんなハプニングでジュリーの「素」が出て、
不意打ち喰らったりしますが、それはあくまでもハプニング。
レコード音源聴いてての不意打ちは、ほぼありません。
音をほんの少し外した声の揺らぎさえも、
自由自在に操るようになったジュリーには、
歌のうまさ、声のよさに「はうあ〜」と思うことはありますが、
ジュリーの「声」を垣間見てドキドキすることは、
私はあんまりないんですよね。
その世界の作り上げ方の見事さにヤラれて、
くらくらすることはありますけどね。
ていうか、いつもくらくらしてますけどね。

しかし、ここまでダラダラと書いてきたことを別にしても、
ジュリーの声ってのは特徴があって、
結構、誰でもすぐに聞き分けられるんじゃないかと
思うんですけど、どうですかね?
その、特徴のある声でため息つかれたり喘がれたりして、
最初に不意打ち喰らって、
ドキドキさせられちゃってるこっちとしては、
もう、「ジュリーの声=ドキドキ」と刷り込まれてますからね、
ジュリーの声を聴いたらもう条件反射的にドキドキですよ。
パフロフの犬がよだれダダ漏れなのと同じように、
ジュリーの声が鼓膜を震わせた途端、
ドキドキがだだ漏れですよ。
それはもう、理屈とかじゃないです。
条件反射ですからっ。

阿久悠氏の歌詞の世界観とジュリーのこととかも、
もうちょっと考えたいなあと思いながらも、
それにはまだまだ準備不足です。
あ、この間のエントリにいただいた、
管理人にだけ見られるコメントに、
「【雨だれの挽歌】は泣きが入らないほうがいいと思います」
って書いてくださった方がいらっしゃったんですが、
私もそうだと思っていて、
それはなんでかなあとあれこれ考えていたんですよ。
阿久悠氏作詞の曲のレコード音源では、
ジュリーは結構淡々と歌ってるんですよね。
それが、ステージとかテレビとかになると、
ものすごく歌の世界に入り込んで、
実際に泣いたりもしながら歌っている。
2010年だったかの正月コンで、
【LOVE(抱きしめたい)】を泣き声で歌ってるのを見て、
私は驚愕したんですよ。
そのへんの、なんで自分が驚愕したかってところも、
もやや〜んと考えてるんですが、
それはまたそのうち……。


てなわけで、
なんでジュリーの歌声を聴くとドキドキするのか
でした〜〜。
相変わらずとりとめない言いたい放題の文章を
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。



えーとですね。
こないだのエントリでは、
音楽劇「探偵〜哀しきチェイサー2 雨だれの挽歌」
感想をざっくりと書き散らしましたが、
あれから、いろいろ思い出しつつ、
あれこれ考えてまして、
感想とは違うかもしれませんが、
ちょっと語ってみようかなと。

あ、ここで私が述べることは、
完全に私の独断と偏見の主観であって、
一般的なご意見とは全然違うものですから、
なにとぞご了承くださいませ。
あ、あと、妙な先入観を植え付けちゃうことにも
なるかもしれませんので、
音楽劇をこれから観るという方は、
読まないほうがいいかもしれません。
すみません。




「探偵」の新さんジュリーは本当に素敵でしたし、
ストーリーもワクワクドキドキで楽しめたし、
共演の役者さん達もうまくて見応えがありましたし、
萌え要素もあったんですよ。
なので、とてもよいお芝居だなあと思ったことは
本当なんです。
……なんですが、その一方でですね、
私個人の好みの問題だと思うんですが、

そのー……あのー……

観終わった後に、なんか……
ちょっと物足りない感じがしたんですよ。
(あくまでも個人的な感想です)
それがなんでなのか、
この1週間ほどずーっと考えておりました。

去年の音楽劇「お嬢さんお手上げだ」は、
ツッコミどころの多いお芝居だったと思いますが、
「物足りない」って感じはしなかった。
それはなんでか?
私は、一昨年までジュリーの音楽劇は、
なんとなく観る気がしなくて、
(ジュリーは芝居じゃなくて歌を聴きたいんだよ!って感じで)
「お嬢さん〜」が、音楽劇初体験だったんで、
ファーストインプレッションつうか、
最初に見たのが一番よく思えるっていう、
そんなこともあるのかもしれませんが、
なんかね、
「探偵」のジュリーは「私のジュリー」じゃない
って感じがしたようなしないような……
歯切れが悪くてすいませんね。
なんともこう、自分で自分の気持ちがよくわかんないし、
音楽劇は今まで観てなかったということあって、
どう言っていいのかよくわからんのですよ。
(言い訳言い訳)

気を取り直しまして、
じゃあ、「私のジュリー」ってなんなのさってことですが。
前々回のエントリで「空っぽのジュリー」について、
長々と語り倒しましたが、
それぞれの歌の世界観を完璧に表現し、
その歌の登場人物になりきってしまうジュリー。
歌ごとのなりきり方が見事なために、
ジュリー本人は一体どんな人なのかがわからない。
まるで中身がない空っぽな人のように見える。
そんじゃってんで、ジュリーファンの我々は、
ドラマや映画や、歌の合間にも垣間見える、
「これが本当のジュリー!?」ってな断片を繋ぎ合わせて、
「ジュリー」を各自の心の中に作り上げる。
それが、「私のジュリー」なわけです。
前に書いた、
ジュリーの「素」らしき部分が見えると、
ぐおえあああああ〜〜
と、萌え上がるというのは、そのせいですね。
なので、それが幻想であろうが、
作られた餌や釣り針であろうが、
「ジュリー」が少しでも見える(と思える)作品が、
私にとっては美味しい作品なんですよ。

で、「お嬢さん〜」にはそれがあったと思うんですが、
どうでしょうか。
あれは、漫画家のあらま先生のところに転がり込んできた、
かつての恋人の娘・サナちゃんとの
ほんのりラブコメディですが、
同時に、スランプで漫画が描けなくなっていた
あらま先生がまた描き始めるまでの、
おっさん再生物語でもあります。
というか、ジュリーファンから見ると、
そっちの方がメインのお話でした。
おっさん仲間のリストラ話も絡んでましたしね。
あらま先生は結構ブレブレの人物で、
最初は「冗談じゃない!」と受け入れなかった
サナちゃんのこともあっさり「娘」として受け入れたり、
「スランプで描けないんだよ!」と怒鳴ったりしてたくせに、
サナちゃんの捨て身の説得で
また描くことにしたりもします。
人生いまだに迷いまくりの50代半ばのおっさんです。
非常に人間くさい。
その人間くさい感じが、私なんかから見ると、
「あ、ジュリー?」っていうことになるわけですよ。
ジュリーに隠し子の娘さんはいないと思いますが、
(いたら大変でしょうなあ)
もし本当にいて急に発覚したとしたら、
こんな感じで慌てるのかなとか、
隠し子じゃなくても、実際の息子さんに対しては、
こんなお父さんなのかなとか、
ジュリーがもしスランプに陥って、
歌えない!なんていう事態になったら、
こんなふうになるのかなとかとかとか……。
酒が好きとか、普段着がちょっとアレとか、
男友達には気を許してるとかも、
「ああ、ジュリーだなあ」って感じでした。
ていうか、誠に本当に申し訳ないことに、
私がすっかりジュリーのことを忘れていた、
ジュリー50代のころから、
還暦ドーム後の今の人気復活の過程にも、
なんとなーく重ね合わせて見ちゃったりも。
そんな風に、去年の音楽劇「お嬢さん〜」は、
「ジュリー」を題材にして作られた
お芝居のように思えました。
なので、ちょこちょこ「ジュリー」が垣間見えて、
私は心の中の「私のジュリー」と照らし合わせて、
「お、ここは思ってた通りのジュリーだ」とか、
「ここは違ってるけど情報更新だ」とか、
「こんな表情もするのか〜心の画像フォルダに保存だー」
とかとか、
ニヤニヤしたり、萌え萌えしたり、
ドキドキしたりしてたんですね。

それに比べて、今回の「探偵」。
このジュリー演ずる探偵・花山新太郎さんは、
なんというか、隙がないんですよ。
「ジュリー」が垣間見えない。
完璧に「花山新太郎」。
このお芝居は「ジュリー」ではなく、
「探偵(哀しきチェイサー)」っていう歌の世界から
作られてるんですね。
「ジュリー」というキャラに頼ってない。
そこが違うんだと思います。

この歌は本当にひとつの映画を見てるような歌です。
「ウイスキー ソーダで割って
 オフィスの窓に 寄れば」
って、いきなりディテールから入ってるし。
それでも1番はまだ、
「人はみな」とか「胸の底の傷を覗きながら」とか、
まあ、一般的な話としても聴ける内容になってるけど、
2番になると、
「愛のため 人を刺し」とか
「ひんやりと重いコルト」とか、
とても具体的なストーリーを語ってる。
そのせいで、この歌自体が
ひとつのお芝居みたいになっているわけですね。
まんまミュージカルの中の1曲って感じです。
しかも、「探偵」って職業(?)限定してるし。
この歌が収録されている
アルバム「今度は、華麗な宴にどうぞ。」など、
77年、78年に発売された、
全曲阿久悠氏作詞のアルバムはそれぞれに、
「気障」「宴(酒?)」「愛」をテーマにした
コンセプトアルバムような作りになっていて、
テーマに沿って、9〜10の物語があり、
それが歌になっています。
阿久悠さんの本領発揮って感じ。
ノリノリで書いてたんだろうなあ。
ジュリーも「かっこよすぎる」と言っていた
その世界観はともかく、書くのはすごく楽しそうだ。
その「阿久悠ワールド」が強烈なせいで、
これらのアルバムには、あんまり「ジュリー」は
現われてこないように思います。
歌ごとにその人物になりきってしまい、
自分というものがないのが「ジュリー」だと、
私は繰り返し言ってるわけですが、
それでも、
年上の人と別れたくなくて駄々をこねているのも、
ニーナを想って嘆いているのも、
気になるお前にちょっかい出してるのも、
「ジュリー」ではあるんですよ。
その都度違うたくさんの「ジュリー」がいるっていう感じ。
でも、阿久悠さんのアルバム曲のいくつかでは、
その世界観が完璧すぎるために、
「ジュリー」が入り込む余地はなく、
そこにいるのは、
ウイスキーをソーダで割ってる「探偵」だったり、
「雨だれの挽歌」を聞きながら女と別れる男だったり
するんです。

前回のエントリで私は、
「男の人でこういうの好きな人いるんじゃないですかね、
って感じのお話でした」
なんつって、ジュリーのかっこよさとは別に、
内容に関しては、ちょっと冷た目のコメントをしています。
この探偵物ってジャンルは、70年代後半には大人気でした。
70年代に限らないか?
でも、私の印象ではそんな感じ。
単に、私が一番本を読んでいた時期が
その頃っていうことかもしれませんが。
テレビドラマの方の「哀しきチェイサー」で、
タケシと北川刑事が声を合わせて盛り上がっていたように、
ボギーのマーロウにハマっている男子は、
佃煮にするほどいたし、
女子でもハマっていた人は多かったと思います。
私も、おおもとのチャンドラーは読んでませんが、
当時出ていたハードボイルドものと言われるシリーズは、
いっぱい読みましたよ。
翻訳ものよりは、日本の作家のが多かったかな。
大藪春彦とか生島治郎とか矢作俊彦とか、
景山民夫はちょっとあとか?
だんだん思い出してきたぞ。
半村良のアダルト・ウルフガイシリーズも、
最初のころはハードボイルドものっぽかった。
特異体質な探偵さんだけど(笑)。
私は女子だけど、これらの探偵物の主人公たちに
乙女萌えしてたわけじゃなく、
どっちかというと、タフな探偵になりたいと思いつつ、
読んでたように思います。
裏社会に通じていて、格闘技や銃を撃つこともできて、
一匹狼で、自分だけの正義に従って行動してる。
ちょっとした傷を負った過去もあり、
ハードボイルドになり切れない甘いところも持っていて、
お話の最後には少し苦い思いもしたり……。
ああ、かっこいい。
だから、後年、女探偵が活躍する、
スー・グラフトンのアルファベットシリーズとか、
サラ・パレツキーのウォーショースキーシリーズとか、
パトリシア・コーンウェルの検屍官シリーズとかが
出てきた時は、大喜びで読み耽りました。
あ、また読みたくなってきちゃった。
……………
興奮して、話が大幅に脱線しましたすいません。

という具合にですね、
これだけでひと晩語り続けられちゃうくらいに、
「探偵物」は一大ジャンルとして確立していまして、
その世界観はかなり明確に広く共有されています。
だからこそ、阿久悠氏は「探偵」というタイトルで、
ひとつの映画のような歌詞を書いたのだし、
そして、それを聴いたマキノノゾミ氏の脳内には、
ある探偵が事件を解決しつつ、
さまざまな人間模様が繰り広げられるいうお芝居が
ぶわ〜〜〜〜と湧き上がったんだと思います。
んで、1作目の音楽劇「探偵~哀しきチェイサー」が上演され、
シリーズ化は探偵物のお約束だからなのか、
今年はシリーズ第二弾てことなわけです。
1作目の方は、私は見ていないのでわかりませんが、
この音楽劇「探偵2」の主人公・花山新太郎さんも、
他の探偵物のパターンをちゃんと踏襲していて、
いろんな物事を見通しているがゆえに、
少し人生投げやり気味に暮らしているけれども、
自分の正義だけは絶対に曲げない、というそんな人物。
ものすごくかっこいいです。優しいしね。
過去に妻子を亡くしているというところも、
ハードボイルドの基本をきっちり押さえています。
最初は依頼された捜査に乗り気じゃないのに、
途中から深みにハマって抜け出せなくなるとか、
依頼人の女性とのほんのりロマンスとかも、
お約束通りです。
なので、
新さんが早い段階で真相に気付いてたらしいのも、
依頼人の女性といい感じになるのも、
説明がなんもなくとも、
「あ、そういうことね」と、納得させられちゃう。
「探偵さんだからね」って。
私も観てる時はそんなふうに、
お約束通りに受け取って、なんの疑問もなく、
スルスルとストーリーを追っていたんです。
最初に書いたように、
謎ありアクションありどんでん返しありの、
ワクドキサスペンスだしね。

でも、
「あーおもしろかった」
「新さんジュリーかっこよかった〜」
と劇場を出て、ステージを思い出しつつ、
どこがおもしろかったか、
どこが萌えたかとか考えていたら、
ちょっとわかんなくなってきたんですよ。
で、なんでだろう?と、うーーーんと考えて、
去年の「お嬢さん〜」と比べてなんか物足りない気がする。
それって「ジュリー」成分が少なかったってことじゃない?
と思い付いたわけでございます。
単なる「探偵物」ではなく、
「ジュリー」の音楽劇って思って観ていると、
探偵・新さんの完璧なキャラがくっきりし過ぎていて
隙がないために、「ジュリー」が現れる余地がない。
なので、「あれ?」ってなる。
ジュリーはなんでそこで謎が解けたの?
ジュリーはなんでその女に惚れてんの?
「新さん」ならわかる。
なんせ探偵さんだからね。
でも、「ジュリー」と思って観ると、
ちょっと説明不足で物足りない気がする。
「私のジュリー」はそんなに簡単に女に惚れないよとか、
「私のジュリー」はそこまで親切じゃないよとかね。
そこになにか説明がないと落ち着かない。
そんなことだったんじゃないかと。
私は、ジュリーが出てるお芝居を観に行ってるんじゃなくて、
お芝居に出てるジュリーを見に行ってるんですね。
マキノさんや他の出演者の方々には、
本当に申し訳ない失礼な見方だし、
おそらくジュリーだって、
こんな見方をされたら嫌だろうなあとわかってはいるんですが、
以上が私が音楽劇「探偵〜哀しきチェイサー2」を見て思った
正直な感想です。

上の文章中でも何度も言い訳してるように、
この音楽劇はお芝居として本当におもしろいし、
役者さん達もみんな達者で、
ジュリーも申し分なくかっこいいです。
これは本当。
観てよかったと思ってます。
なので、「物足りない」というのは、
私の個人的な偏った見方の、
一面的な感想だということはご了承くださいませ。
でも、その「物足りない」のがなんでかって考えてたら、
この前からずっと考えてた「空っぽのジュリー」考察と
絡んでくるなあと思ったので、
書かずにはいられなかったというわけです。

長々と申し訳ない。


あ、そうそう、
こんなことを考えたきっかけはもうひとつあって、
この音楽劇を観た夜、
「かっこいい新さんが夢に出てこないかなー」
と思いながら寝たら、出てはきた(!)んですが、
新さんが、なんと若ジュリーだったんですよ。
トレンチコート着てあちこち走りまわったりしてて、
(微妙に「太陽にほえろ!」の貞文さんと混じってる?w)
相変わらず綺麗でかっこよかったんですがね、
その夢を見ながら、私はなんとなく、
「新さんはあんたじゃなくて、今ジュリーじゃないと〜」
って思ってたんですよ(笑)。
で、目が覚めて、
せっかく綺麗なジュリーが夢に出てきてくれたのに、
いろいろと残念な夢だったなあと思いまして、
じゃあ、若ジュリーがあの音楽劇に出るとしたら、
どの役だったらぴったりだろう?と考えたんですね。
で、やっぱこれしかないなと思ったのが、
依頼人の女性・ナンノがやってた役。
あのヒロインは、ある秘密を抱えていて、
それが新さんと関わることで、揺れ動いていく。
それで、「私のジュリー」には、
揺れ動いていてほしいんだと気が付いて、
こんなことを考えちゃったりしたんですよ。
今ジュリーなら、どっしりと(体型ではなくw)、
揺れ動かない新さん役も、
きちんとハマっていたんですけどね。


でもね。(でもねってこたないか)
音楽劇を観てる間は「物足りない」なんては思ってなくて、
すごく楽しんで観てたところもあり、
しっかり萌えどころも発見しておりました。
新さんの元同僚の刑事の中川って人がいるんですけどね。
この人とのわかり合ってる感じがね〜
なんともね〜
かんともね〜〜
萌え〜〜〜〜でございましたのよほほほ。
いろんな場面でのふたりのやり取りが
なんとも言えずニヤニヤものでした。
ありがとうございました。



相変わらず、長々とすいません。
こんなとこまで読んでくださってありがとうございます。
ジュリーについて語ってると長くなるね。
っつうか、いくら語っても語り足りません。
ああ、楽しい。

ところで、「探偵」にしろ「雨だれの挽歌」にしろ、
ジュリーはその世界観を完璧に歌い上げていて、
「ジュリー」が入る余地がないんだなあと、
上でも書いたように思っていたんですけどね、
この原稿を書くために78年当時のアルバム収録の音源を
あらためて聴いていたら、
……あれ? ジュリーじゃん?
と。
他の70年代の若ジュリーの曲を聴く時と同じように、
ドキドキする。
っていうか、特に若ジュリーの歌声って、
聴いてると妙にドキドキするんですが、
そんなことないですか?
歌詞の内容とかそういうことじゃなく、
「声」がドキドキする。
それはなんでかってこともあれこれ考えたんですが、
それはまた別のエントリで。


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作成にふうふう言っていた身としては、
なんだか久しぶりにぼんやりした数ヶ月ですが、
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