「ジュリーのシングル曲で昭和女性史」を考えてみよう、
という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。
カテゴリは【ジュリーシングル曲で昭和女性史】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




さて、1曲目「君をのせて」ですが、
実は私はこの曲をリアルタイムでは聴いていません。
いや…、聴いていたのかもしれませんが、
ジュリーの歌と認識して聴いてはいませんでした。
「そう言われればそうだったっけ?」って感じで、
知ってはいたけど忘れてただけだったかも?とか、
知ってたような知らなかったような、みたいな。
ジュリーに関してはそういうことがものすごく多いです。
当時、歌謡曲の情報源と言えば家庭ではほぼテレビのみ。
なんとなく点けっぱなしなテレビから流れるジュリーが
見るともなし聴くともなしにぼんやりと流れ込み、
はっきりと「ジュリーだ!」と認識してはいなくても、
催眠学習のように、無意識レベルに
いつのまにか刷り込まれていたのかもしれません。
そんなふうにして刷り込まれたジュリーの記憶は、
伏流水のように地下水脈のように
私の中にずっと流れ続けていて、
2009年に突然地上に吹き出したのかもしれません。
おもしろいもんですね。
というわけで、
ぼ〜んやりと知ってたような気はするけれど、
この曲がジュリーのソロデビュー曲だと
私が「はっきりと」知識として得たのは、
2009年に突然ジュリーに堕ちてからです。

きれいな曲ですよねえ。
ジュリーの若い声が甘くて、
そのジュリーの声の特徴を引き出す
音域の広いメロディが美しいし、
加瀬邦彦さんに「沢田らしい」と言われたという、
「あぁ〜あぁ」という喘ぎ声…じゃなかった、
最高音部も身悶えポイントです。
でも、後追いファンだから言えることだと思いますが、
この曲ってジュリーっぽくないですよね?
私にとってのジュリーと言えば、
「あなた」や「おまえ」をこんなに愛しているのに、
「あなた」や「おまえ」は僕の愛に応えてくれない。
♪あぁ…あぁ……
てのが定番なイメージだったんですよ。
ていうか、
2曲目の「許されない愛」以降はそうですよね?
それが、この「君をのせて」は、かわいい両思いです。
「僕ら」は「肩を抱いて二人だけで歩く」んですよ。
「君をのせて 夜の海を渡る舟になろう」なんつって、
ふたりで生きていく決意表明ですよ。
なんだか幸せすぎてジュリーっぽくないです(酷い)。

しかし、時代的にはこういう内容の曲が、
まさにぴったりだったんだと思います。
新しい時代の自由な恋愛を歌うってとこでしょうか。

60年代にアメリカで起こったヒッピームーブメントが
日本にもやってきて、
若者たちは、それまでの社会規範に捉われない
自由な生き方をしよう!といった主張をし、
音楽の世界でもそういった、
ラブアンドピースな内容がたくさん歌われました。
「モナリザの微笑」「花の首飾り」の、
かわいいラブソングで人気を獲得したザ・タイガースにも、
「廃墟の鳩」「怒りの鐘を鳴らせ」「坊や祈っておくれ」とか、
戦争や社会への反抗をテーマにした曲がたくさんあります。
そもそも彼らは洋楽のカバーから始めたロックバンド。
カウンターカルチャーど真ん中の若者たちです。
後期になるとラブソングでも、
ただ甘かったり切なかったりする恋心を歌うだけじゃなく、
自由な恋愛をして、新しい男女関係を結ぼうという
内容のものになっていきます。
「素晴らしい旅行」とかね。
「荷物などいらないさ」
「愛だけが ぼくたちの 荷物さ」なんて、
その「愛」ってのが一番重いんだよっ!
って感じですが(笑)。
ザ・タイガース解散後のPYGだって、
「自由に歩いて愛して」ですよ。

で、そのPYGと平行する形で出したのが、
このソロデビューシングル「君をのせて」でした。

この曲が発売されたのは1971年11月。
日本の音楽シーンではGSブームが過ぎ去り、
フォークソングが全盛期を迎えようとしていました。
吉田拓郎の「結婚しようよ」が72年1月発売ですから、
ほぼ同時期ですね。
というわけで、「君をのせて」も、
ラブソングなんだけど、新しい男女の恋愛関係を歌う、
フォークソング路線を狙ったんじゃないかと思われます。
PYGはばりばりのロックバンドだったし、
歌詞の内容も社会に反抗する方向に重点が置かれていて、
明るい未来を歌うよりも、
今の社会は冷たくて我々若者は傷付いてるんだー!といった、
ネガティブな内容が多かった。
それと同じことをやっても、
わざわざジュリーをソロで歌わせる意味がありません。
それに、当時ロックは一般的に「汚い」っていう
イメージじゃなかったでしょうか。
キラキラの衣装や化粧に凝った
グラム・ロックが出てくるのももうちょっと後ですし、
ヒッピーカルチャーと結び付いていたこともあって、
みんなもさもさした長髪にしてヒゲに丸眼鏡、みたいな。
後期のビートルズですね。あんなイメージ。
社会に対する反抗を
大人たちがいやがる服装で表してたんでしょうなあ。
PYGもステージではお揃いのスーツを
着ていたこともあったらしいですが、
雑誌のグラビアなどで見ると、ジュリーも、
ラフなシャツや革のベストにベルボトムのジーンズ、
髪の毛もちゃんとセットせずに
伸ばしっぱなしの(ように見える)長髪です。
そんな格好でも、
「自由に歩いて愛して」のジャケットとかのジュリーは
本当に綺麗でくらくらしますが、
やはりそれは世間的には「汚い格好」。
綺麗なジュリーであるからこそ、
そんな格好をしないでほしいという声も
多かったんではないでしょうか。
加瀬邦彦さんも
「ジュリーには(ロックの)汚い方向に行ってほしくなかった」
みたいなことを言ってましたし、
ジュリーをソロで売り出そうとしていた会社側も
「世間」という大人たちです。
ヒッピーでロックでぎゃぎゃーん!と反抗するよりも、
綺麗で清楚でポップなジュリーのほうが、
断然世の中に受け入れられるだろうと考えるのは
当然のことだったでしょう。

服装ということで言えば、「君をのせて」の冒頭、
「風に向かいながら 皮の靴をはいて」
ってところが秀逸だと思うんですが、
「風」=従来の社会的規範に抗いながらも、
「皮の靴」を履いてるんですよ。
えーとですね、
ヒッピーはなんせ「自由」が第一でしたから、
服装も自由で楽な格好というのが基本でした。
窮屈な皮の靴なんて履きません。
サンダルか裸足です。せいぜい布靴でしょうか。
なので、皮の靴を履くってことは、
きちんとした格好をして、
社会の一員としての役割も果たしますよ、
ということだったんじゃないでしょうか。
子供のころ、別にいわゆるヒッピーの格好じゃなくとも、
だらしない格好や奇抜な服装をしていると、
「そんなヒッピーみたいな格好して!」
と親によく言われました。(懐かしい…)
「それ、ヒッピーちがう…」
と、私は子供心に思ったものでしたが、
要するに、
社会に受け入れられない格好=ヒッピーだったわけです。
ジュリーはこの曲で
合歓の郷のポピュラー・フェスティバルに出たときには、
ポケットの縁にテーピングがされた黒のベルベットの
フォーマルなスーツを着せられた、とか言っていましたが、
かわいかったでしょうな!
その写真とかないんですかねっ!
そんなジュリーを見た、
ザ・タイガースのかわいいジュリーが好きだったファンや、
ファンじゃなくともザ・タイガースで
メディアに出まくっていたころの
ジュリーを知っていた世間の人々には、
「あの、かわいい綺麗なジュリーが帰ってきた」
って感じだったんじゃないでしょうか。
いっときグレていた、ええとこのボンが、
心を入れ替えて戻ってきた、みたいな。
実際は戻ってきたもなんも、
ジュリーはもともと京都の繁華街、四条河原町を
ぷらぷらしていたロック少年だったわけで、
自分では別に路線変更してたつもりはなかったでしょうが、
ザ・タイガースでデビューしたときのイメージが
王子様ですからね。それも「星の」。
キラキラですよ。もう。
それに、ジュリーって人は、
どんなチンピラっぽいことをやっても言っても、
なんというか、育ちのよさっていうか、
ちゃんとしたおうちの子だったんだろうなあって雰囲気を
感じさせるとこがあるような気がするんですが、
そんなことないですかね?(ファンの欲目?)
そこがジュリーの大きな魅力のひとつであり、
多くの人に受け入れられてスターになっていった
要因のひとつでもあると、私は思っているんですよ。
そのへんのことも絡み合って、
シングル2曲目の「許されない愛」からの
イメージ戦略にも影響してると睨んでるんですが、
それはまた「許されない愛」のところで語ります。

そんなこんなで服装も含めて、
ロックではなくポップス、フォークな方向に舵を切った
ソロデビュー曲の「君をのせて」ですので、
メロディはやさしい曲調で爽やかに。
伴奏もバンドではなくオーケストラで、
ストリングスの前奏を美しく。
歌詞も、若いふたりが、皮の靴をはいたその上で、
「風に向かいながら」「遠い道を歩く」んです。
皮の靴をはいたからといって、社会におもねるわけではなく、
彼女とふたりだけの道を歩いていくよ、
という、そんな決意表明ですね。
「肩と肩をぶつけながら」歩くってことは、
一緒に歩いているふたりは同じ方向を向いているということで、
そのへんに新しい男女関係を築きたいという希望が
盛り込まれていますが、
社会に対してなにがなんでも反抗しようという
過激な意図は見られません。
「人の言葉 夢のむなしさ」と、
批判的な言葉もちくりと出てきますが、
それを「知った時には」
「君をのせて 夜の海を渡る舟になろう」とするんです。
「君のこころ ふさぐ時には」
その、心ふさぐ原因を取り除こうとするのではなく、
「君」のために「粋な歌をうたい」、
君をのせる舟になるだけです。
社会に対して反抗し、変革するために闘うのではなく、
男は隣にいる女を守り=僕という舟にのせ、
一緒にこの(クソな)世界=夜の海を渡っていこう、
という、そんな内容でよね。
かわいいです。

1969年に安田講堂が陥落し、
71年は学生運動が収束に向かいつつあったころ。
その翌年には浅間山荘ですからね。
若者の力で世の中を変えるなんてできなかったという
挫折感いっぱいのころです。
若者たちの目標は、
暴力的な大きな革命を起こして幸せになるのではなく、
個人個人が幸せになる、小さな革命にシフトしていきました。
それが、社会の最小単位である男女のカップルのあり方から、
まず変えていこうよ、ということだったんですよね。
ゲバ棒振りまわしてた時代から、
「軟弱」と言われる若者の時代になっていったわけですが、
そんな風潮が受け入れられ、
吉田拓郎の「結婚しようよ」はヒットし、
フォークソングは四畳半フォークと呼ばれるような、
男女関係を歌う曲が多く発表され、
そこに登場する主人公(主に男)のほとんどは、
少し気弱で優しい性格に描かれていました。

しかし、そんなふうに「僕」は、
従来の男たちとは違い、優しくかわいいんですが、
「君」=女のほうはどうなんでしょうか。
「君をのせて」と言われても、この歌の「君」は、
ただのんびりと「僕」の舟に乗ってるだけじゃ
ダメそうな気がします。
少なくとも、男と肩と肩をぶつけ合っても、
よろけたり倒れたりしないだけの体格と体力がある、
そんな女じゃないといけません。
ま、それは冗談としても、
やはりここで求められているのは、
精神的に(できれば経済的にも)自立していて、
自分ひとりでも歩いていける女性ではないでしょうか。
どうもこの舟は、乗ったら自動的に目的地に
連れて行ってくれるような動力付きではないイメージです。
「船」じゃなくて「舟」ですしね。
乗せてはくれるけど、女も漕ぎ手にならないと
夜の海を渡ることはできなさそうです。

当時、70年代初頭は日本でもウーマンリブ運動が、
ようやく広まってきたころでした。
学生運動に参加していた女子学生もいましたし、
そういった女たちは男女平等、女性の自立ということに
積極的に声を上げ、実践していたでしょう。
フォークは学生運動ともリンクしている音楽でしたので、
そこに歌われる「女」は、王子様をただ待っているだけではない、
男と一緒に並んで歩く女であることが多かったと思います。
しかし、当時大学に行く女性はほんの一握りでしたし、
世の中のほとんどの女性は、
ウーマンリブ運動や男女平等という思想を
きちんと理解し考えようとはしていなかっただろうと思われます。
ニュースや雑誌でその言葉や思想を知ってはいても、
自分のいる環境でそんなことを主張してもどうにもならない、
と諦めている女性がほとんどだったんじゃないでしょうか。
(今のフェミニズムもそんな側面がまだまだあって、
 40年以上も経っているっつうのに一体全体この社会はなにをやっていたんだと
 憤りを感じますがね)





と、フェミとしての憤りを感じたところで、一旦アップします。
「君をのせて」まだ続きます。(長い


「ジュリーのシングル曲で昭和女性史」を考えてみよう、
という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
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前回の「序章1」の続きです。

えー、ジュリーの曲は、
20代前半から30代の超絶美貌のジュリーが
歌ってるってことで、
その歌詞の中の「君」「あなた」「おまえ」は
あのジュリーのお相手ということになり、
特に乙女萌えのファンにとっては「私」でもあるし、
あまり一般化することはできないかもしれませんが、
ジュリーの曲といえども、そこはいわゆる流行歌。
多くの人に聴いてもらって共感されてなんぼ、
という面ももちろんあったわけですから、
その歌詞の中に登場する女たちは、
当時の世間様が「こういう女がいいな」、
もしくは「こういう女でありたい」と考えた
女性像であるのは当然のことです。
そして、その「世間様」というのは、
男性側の価値観であることが多いわけですが、
それは時代を遡るほど強くなってます。

ソロデビュー曲の「君をのせて」
ちょっと特殊だと思われるので、
それについては個別の話で語ろうと思いますが、
「許されない愛」以降、阿久悠氏作詞時代前までは、
自分から身を引く女、
もしくは、止むに止まれぬ事情(死とか病気とか?)で
じゅりの前から姿を消す女ってのが定番です。
初期の作詞では安井かずみ(ZUZU)さんが代表的ですが、
ZUZUさんはご自身がジュリーの
大ファンだったということもあり、
(「片思いしていた」と加瀬さんは言っていましたね)
作中の「僕」=ジュリーはとにかく真摯に激しく
「あなた」を愛し続けます。
でも、その恋は実らない。
真面目に愛を語るジュリーに
「あなた」は応えることができない。
そこがいい、という世界観なわけですね。
だって、「僕」の恋が実ってしまったら、
歌詞の外側にいてジュリーの歌を聞いている、
ZUZUさんを含めたファンたちは
置き去りにされてしまいますからね。
「あなた」に自分を投影させている乙女萌えのファンは、
「こんなにジュリーに愛されても
 私はそれに応えることができないのよよよ……」

と身悶え、
または、「あなた」ではないファンたちは、
「ジュリーにこんなに愛されたら、
 私だったら離れたりしないのに」

と、またしても身悶える、という寸法です。
こういう世界観である以上、
「僕」は絶対に悪く描かれることはありません。
悪いのは女のほう、というか、
女を取り巻く事情のせい、という状況。
親が決めた結婚相手がいるとかね。
そして、そんな状況に女は逆らわない。逆らえない。
逆らえないけど別れることはできないってときは、
引き裂かれて心の病になっちゃう。
自分でどうこうしようという意志はありません。
そういう女が求められていた時代だったんですよね。

それがだんだんと自分の意志を持って行動するようになり、
次の阿久悠作詞時代では、
男に愛想を尽かした女が自分の意志で、男が寝たふりしてる間に
出ていったりはするようになるんですが、
それに対する男のほうは、
どんどん煮え切らない感じになっていきます。
かつて「あなただけでいい」だの「死んでもいい」だのと
ぐいぐい行ってたじゅりくんも
少し大人になって、いろいろ考えるようになったんでしょうか。
ろくでなしなのに憎んだりせず、
最後は私の胸で眠るつもりでいるのでしょうね、
とか言ってくれる優しい彼女がいるってのに、
花園で眠れないとか、いけない女と呼ばせたくないとか
優しい女とわかったらおさらばするとか……、
いったいなにをどうしたいんだよって感じで、
ぐだぐだです。
阿久悠氏は、ジュリーが歌うなら
どんなかっこ悪い男でもかっこよくなるから、
安心してかっこ悪い男の歌詞を書けた、
とか言っていたようですが、
「せめて少しはかっこつけさせてくれ」
と歌詞にもあるように、
必死でかっこつけてるかっこ悪さで、
女の側、それも今の時代から見ると、
どうにも始末が悪いかっこつけです。
「ほっといてくれ」と言って背中を向けておいて、
その背中にはデカデカと、
「かまってかまってかまってかまって」
って書いてあるみたいな。
で、そんなしょうもない男のことも
優しく見守ってくれる、
もしくは黙って送り出してくれるのがいい女っていう、
完全に男にとって都合のいい女が求められていた
そういう時代だったんですね。
まあ、阿久悠先生もZUZUさんと同様に、
ジュリーのことが大好きだったらしいですから、
自分を含めた普通の男がやったらド顰蹙もののことも、
ジュリーのような美しい男がやれば、
こんなこともあんなことも
女は許してくれるんじゃないだろうか。
そうであってほしい。
みたいな、そんな男の願望をてんこ盛りにした
作品群だったんだろうなあと思います。
本当にありがとうございました。(毒)
しかし、ジュリーもそういう世界観には違和感があったようで、
その違和感に強烈なビジュアルで太刀打ちしようとし、
それがあの一連の神パフォーマンスとなったわけなので、
なにが幸いするかわかりません。
それはともかく、
70年代後半、昔に比べれば女も少しは強くなり、
自分の意志を持って行動する場面も増えましたが、
男女の関係で言えば、まだまだ女は男に愛されてなんぼ、
みたいに思われていたような気がします。
どんなしょうもないダメ男でも、
「愛してる」と言ってくれるならば、
許して待っているのがいい女、みたいな。
そういう女を世間様(男)は求めていて、
女もまだそれを受け入れていた時代だったんですかね。

それが、80年代に入ると、
働く女も増えて、経済的にも豊かになり、
いろんな面で男と対等と言われるようになっていきます。
「言われていた」けれども、
それが本当の対等ではなかったことは、
30年後のこの現状を見てのとおりで、非常に残念でございますが、
80年代初頭は女性が元気だと妙に持ち上げられた時代でした。
「女の時代」なんてキャッチコピーもありましたね。
ジュリーの曲の歌詞も、阿久悠氏時代から、
糸井重里さんを経て、三浦徳子さんらが書くようになり、
元からずれてる男と女の謎を楽しんだり、
オレのすべてを見せてやるからオマエのすべてを見たいとか、
気ままな夢を広げる自由をあなたの腕から奪っちゃいけない、
とか、男のほうも女に要求を出したり、
女の意志や要求を認めたりするようになります。
阿久悠氏の歌詞では、
男は勝手に自分の悩みや要求を言うだけで、
女のほうに言い分があるなんてことは、
ほぼ考えちゃいない感じだったのが、
いろいろと考え始めた女の言い分も
聞かなきゃいけなくなったってことでしょうか。
その結果、男の側から見た恋は
だんだんと思い通りにいかなくなり、
ユウウツだったりBLUE BOYだったりどん底だったりして、
じゅりくんはやさぐれっぱなしになっていきます。
しかし、まだまだ時代は80年代前半、
女が強くなったとか元気だとは言っても、
20代前半の若いころという期間限定のこと。
私もちょうどその時代に学生から社会人の時期で、
まさに好き勝手なことをやっていましたが、
それは、結婚するまでの猶予期間だったように思います。
結婚して家庭に入ったら、
(この「家庭に入る」という言い方がまだあった時代ですからね。
 しかも、結婚は絶対にするものという固定観念もあったんですよ)

もう好き勝手にできなくなるから、
今のうちに遊んでおけ、みたいな。
そこで、ひと晩限りのチェックインするセクシーイブや、
45分で背中まで許しちゃう、名前も覚えてない彼女みたいな、
軽~くセックスライフを楽しめる(っぽい)女たちが登場し、
それが「いい女」と言われたりします。
女のほうもそうしたいからやってたことではありますが、
男にとっても、それは好都合だったんじゃないすかね。
後腐れなく遊べる女が大量に現れたわけですし。
しかし、本当に後腐れがなかったなんてことはなく、
女は、主体的に恋愛を楽しむ自由を手に入れた一方で、
やっぱりひとりの人に愛されたいという欲求も、
当然ありました。
だからジュリーの歌も、女に対して、
浮気な恋を楽しもうよと言ってみたと思うと、
麗人だのマドンナだのと持ち上げたりと、
忙しいことになっているんじゃないでしょうか。
時代はバブル直前。
いろんな期待に満ちた雰囲気が充満していて、
男女の関係性も女の立場も変化していくんじゃないかっていう
期待感があったような気がします。
でも、一方ではまだまだ古い考え方も残っていて、
(結婚しなきゃとか、家庭に入るとかですね)
私たち女はそれにかなり振りまわされたような記憶がありますが、
ジュリーの「A面コレクション」の後期のラインナップが、
イメージが統一されず、じゅりくんの物語に組み込もうとすると
ぐだぐだになってしまうのも、そのせいなのかもしれません。

「A面コレクション」に収録されている最後の曲、
「灰とダイヤモンド」は、ジュリー作詞の謎歌詞で、
これはジュリー自身のことを歌っているんじゃないかと、
私は解釈しているんですが、
「お前」「君」と、一応「女」と思われる相手が出てきます。
そして、その「お前のすべて」を「許してあげる」のが
ジュリー=「男」のほうというのは、なんとも象徴的です。
70年代においては、許すのは女のほうだったのに、
15年後のここにきて、男が女を許すと言ってるんですよ。
これを結末として、じゅりくんの物語も一旦ひと区切りと
考えてもいいのかなと思うので、
この「シングル曲で昭和女性史」で取り上げるのは、
ひとまず「灰とダイヤモンド」までとしたいと思います。

もちろんジュリーはこの後も、年に1枚のアルバムを発表し、
年に1〜3枚のシングル曲も淡々と出し続けます。
しかし、当時テレビでしかジュリーを見ていなかった私が、
リアルタイムで知っているのは、
ぎりぎり「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」「女神」ぐらいまで。
麗人、マドンナと持ち上げた女たちは、
シェヘラザードになり、ついに女神様になってしまいます。
ここまでくるとイメージが壮大すぎて、
歌詞の中の「女」をその時代の女に重ねて考えるとか、
私にはもう無理。
ま、リアルタイムで聴いたと言っても、
聴いたことがあるという程度なので、
あんまり語れることがないってことでもあります。
「アリフ」や「女神」のお耽美なイメージは大好きですけどね。
時代はまさにバブルまっただ中。
世の中がキラキラわーわーしていた時に、
熟し切って腐る寸前みたいな香りを漂わせていたジュリーは、
やはり時代を先取りしすぎだったんじゃないかと思います。



と、ここまでがジュリーの昭和シングル曲の概観ですが、
これはいわば表の解釈。(え?)
ジュリーの歌には裏読みがあります。
ま、腐女子である私が勝手に
腐女子的に解釈してぐへへと思ってるってだけですけどね。
ジュリーの歌詞の中に出てくる「あなた」「おまえ」「君」は、
普通に素直に読めば、歌っているジュリーの相手=「女」ですが、
そこここに散りばめられたキーワードや、
また、歌っているジュリーのパフォーマンスによって、
ジュリー自身が「おまえ」だったり「あなた」だったりに
思えてくる曲が結構あります。
例えば「危険なふたり」の「美しすぎる」「きれいな顔」、
これを、24歳の超絶美貌のジュリーが歌ってるんですよ。
「美しすぎるのはジュリーじゃん!」
て、なりませんか?
なるんですよ。
その「あなた」がジュリー自身なら、
「僕」は誰?ってなるわけで、
そこから腐女子的妄想が暴走します。
そんな妄想もときどきは追加していく所存であります。

では、次回からは個別の曲について、
ウザく長ったらしくめんどくさく語り倒そうと思います。
よろしくお願いいたします。


さて、タイトルのとおりのことを企てとりまして、
どこまでできるかわかりませんが、
ずっと考えていたことではあるので、
だらだらとやってみようかと思います。

思えば、ジュリーがソロデビューしてから、
テレビに出まくって、ヒット曲を連発していた
1971年から1985年ごろまでの約15年間というのは、
私がちょうど10歳から25歳のころ。
自分自身が「女」を自覚し(させられ)、
「女」であることで様々な問題に直面してきた時期と
ぴったり重なります。
ジュリーの当時のシングル曲はほとんどがラブソング。
当然、歌詞の中には「君」「あなた」「おまえ」という、
おそらく「女」であろう相手が出てきます。
歌は世につれ世は歌につれ(古い)ですからね、
その間の世間の変化、
主に女性に対する考え方の変化というやつは、
私がリアルタイムで経験してきたことにも連動するし、
その当時の世間様が考えていた女性像みたいなものを
ジュリーのシングル曲をネタにして掘り下げてみたら
おもしろいんじゃないかなーという、
そんな企画でございます。
掘り下げるというよりも、
掘り散らかすみたいなもんかもしれませんが、
ご笑覧いただければと思います。

とはいえ、
私はジェンダー研究家でもなければ、
昭和史の専門家でもありませんし、
音楽史についてもまったくの素人です。
これからジュリーの曲に絡めて書き散らす、
その時代の雰囲気や「女」に関するあれこれは、
ド田舎の家のお茶の間でテレビを見て育ち、
その後単身上京し、いろんな失敗もしながら
なんとか生きながらえてきた、
ひとりのふつーの昭和の少女が経験し感じてきた、
サンプルのひとつと思ってくだされば幸いです。

本当は、記事をある程度書き溜めてから、
コンスタントにアップしていこうかと思ったんですが、
なんせ、「A面コレクション」に収録されたものだけでも
44曲もありますからね、
あまりにも進まないので見切り発車です。
なので、たぶん途中で間が空くことと思います。
気長にお付き合いくださいませ。
よろしくお願いします。


さて、一回目と二回目は、概観というか、
ジュリーの「A面コレクション」に収録されている曲について、
その内容と変化をざっくりとかけ足で。

えー、私は5年前にこのブログで、
「ジュリーのシングル曲で妄想」と題して、
ジュリーのシングル曲を無理矢理繋げて、
じゅり」というひとりの男の女性遍歴という物語を
妄想したことがありました。
ブログの記事はだらだらと各曲についての
私の思い出話なども付記してますので、
相変わらずの長文になっちまって、
計9回に渡って連載してますが、
要約すると以下のような感じ。

自分が「君をのせて」夜を渡る舟になりたいなんて、かわいい恋をしていたじゅりくんでしたが、ほどなくしてそれが「許されない愛」であることが発覚。「あなただけでいい」「死んでもいい」と必死に「あなたへの愛」を語りますが、「危険なふたり」な関係に耐えられない彼女はじゅりの元から去っていってしまい、「胸いっぱいの悲しみ」に暮れるじゅりくん。
去っていった彼女との「魅せられた夜」に思いを馳せつつも、そこはまだ若いじゅり「恋は邪魔もの」なんて言いながら昨日まで愛していた女に似ているお前にぐらっときちゃいます。でも、今度の彼女=ニーナはヤンデレが高じて精神を病んじゃったのか、あっという間に一緒にいられなくなり、じゅりはひとり「追憶」に浸りつつ、「白い部屋」で彼女のことを思うしかない日々。気晴らしに「巴里にひとり」旅をしてみますが、なにを見ても感じるのは彼女のことばかり。腹を括って「時の過ぎゆくままに」彼女と堕ちていくのも幸せだよと帰国して、いっときはふたり冷たい身体を合わせてたりしましたが、なんとか立ち直って歩いていく彼女をじゅり「立ちどまるなふりむくな」と応援しつつ見送るのでした。
今度こそ楽しい恋をして青春を謳歌するんだーと思ったのか、新しい彼女に「ウィンクでさよなら」される心配をしながらも別の誰かと浮気したり、「コバルトの季節の中で」あなたを見失いたくないのです〜とか弱音を吐いて甘えてみたりしてますが、見慣れぬコンパクトに気付かぬふりをするほどにできた彼女も堪忍袋の緒が切れて、「さよならをいう気もない」と去っていき、それをじゅりは背中で聞きながら、「勝手にしやがれ」と壁際で寝返りを打つ立派なダメ男に成長しました。
その後は、真面目にやるのもアホらしくなり、「憎みきれないろくでなし」になってみんなをひきずって恋に埋もれて死ぬ気でいたじゅりですが、どうしても本来の「サムライ」な地が出てしまい、いい女のジェニーにも別れを告げて旅立ちます。
チャラい水兵さんになって港々の女達に「ダーリング」なんつって唾を付けてまわっているうちに大きな愛を見つけ、「ヤマトより愛をこめて」今はさらばと言わせないでくれと訴えかけ、「LOVE(抱きしめたい)」と迫りますが、帰る家のある彼女は灰色の冬の街を駆け抜けていってしまいます。
またしても実らなかった恋に、男と女はつらい芝居を続けているだけじゃないかと、「カサブランカ・ダンディ」を気取ろうとするじゅりくんでしたが、「OH! ギャル」とか言ってもてはやされ、強くなってきた女の子たちに振りまわされっぱなしで嫌になり、男はみんな「ロンリー・ウルフ」さとやさぐれそうになりましたが、「TOKIO」のきれいな夜景を一緒に眺め、「恋のバッド・チューニング」を楽しめる彼女を見つけることができました。
めでたしめでたしと思いきや、ここでまたもやじゅりのこれじゃダメだ病が発病します。「酒場でDABADA」と呑んだくれた挙句、優しい女とはおさらばしようとしますが、やっぱり「おまえがパラダイス」だったとあっさり戻ってくるじゅりくん。そんな自分勝手なじゅりに彼女はご立腹で、「渚のラブレター」を渡してどうにかヨリを戻そうとしても、なかなか許してはくれません。しびれを切らしたじゅりは、俺も脱ぐからおまえも脱げ、愛は「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」さと強気で迫ってみますが、「麗人」である彼女はあれもタブーこれもタブーです。
息苦しくなったじゅりは、出会ったばかりのセクシーイブと「おまえにチェックイン」なんつって浮気しますが即効でバレ、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」とか言って開き直り、「背中まで45分」で触れちゃう名前もすぐに忘れる女とまたまた浮気。そんな浮気を繰り返したってユウウツが晴れるわけもなく、僕は「晴れのちBLUE BOY」だよ、花火よりもひとりぼっちなんだとか言って同情を買いつつ、「きめてやる今夜」とまた強気に出てみますが、これも失敗。どうにも「どん底」のふたりにさすがに嫌気が差したじゅりは「渡り鳥はぐれ鳥」になってどこかに飛んでいってしまいます。
それでも最後は「灰とダイヤモンド」が同じ成分であるように、彼女を思う気持ちは変わらないと気付くじゅりくんなのでありました……。



申し訳ないですが、ここでは、
英語曲2曲とカバー曲(AMAPOLA)は省かせていただきました。
あとでだらだらとやる予定の、
曲ごとの解説の時にちょこっと触れるかもしれませんが、
予定は未定。すみません。

え〜〜と〜〜〜……、
最後のほうがぐだぐだですが、
それには理由があります。たぶん。
それについてはあとで語ります。たぶん。

しかし、41曲もあると、
じゅりくんの15年間も波瀾万丈ですね。
相手のことが好きだ好きだつって盛り上がってる時期と、
やさぐれて旅立っちゃったり浮気したりの時期が
交互に来てる感じですが、
おもしろいのが、
初期のころはじゅりが振られるパターンで、
後期はじゅりのほうからおさらばしたりする
パターンが多いことです。
しかも、初期は基本的に真面目に愛を語っていて、
やさぐれたりやんちゃしたりするのは
3〜4曲に1曲ぐらいの割り合いなのに、
中期は1曲ごとに真面目とやさぐれが交互に現れ、
後期はもうずっとやさぐれじゅりになってます。
これは、70年代と80年代の時代が求める
女性観の違いが反映されているんじゃないでしょうか。
この15年間というのは、こんなふうに男女間の力関係が
激しく変化した時代でもあったのかなあと思うんですよ。
ま、そう思ったことが、この連載をやってみようと思った
動機でもあるんですけどね。


長いのでまだ序章ですが、一旦ここでアップします。
続きます。




吉川看板

22日と23日、2日とも行ってきましたとも!
2日間のライブを反芻しつつ、
SINGLES+」聴いてニヤニヤしてます。ニヤニヤ。

すんげいかっこよかった! かっこよかった!

なんかもうね、冗談のようにかっこいい(笑)。
なんつうかこう〜、
「かっこいい」っていう記号がそのまま人間の形になって、
ステージにいる、みたいな。
登場した途端、声を出した途端、かっこいいんだもの。
かっこよすぎて笑っちゃうんですよ。
好き嫌いはともかく、
あれを「かっこ悪い」と言う人は
あんまいないんじゃないですかね。

今回は30周年記念てことで、
シングル曲中心のセトリになってまして、
そうすると、どうしてもバラード少なめ、
ノリノリぎゃんぎゃんうるさい曲中心で、
もう、踊りっぱなし。
すんごく楽しかったです。
きゃーーー言ってきました。

きゃーーーーーーー!
きっかわーーーーー!


1日目は両隣がおとなしめの方たちだったので、
ちょい自粛しましたが、
2日目は右隣が、始まる前からがっつり乙女ポーズで
「あぁ〜ん」と何度もため息をつき、
吉川が登場した途端、
きゃーーーーーーー!
と飛び上がるという熱狂的な女の子だったので、
私も遠慮なく叫んできました。
乙女ポーズは全年代共通なんですなあ(笑)。

1日目と2日目でセトリかぶりなしの全49曲。
1日目のしょっぱなが「モニカ」で、
そこですでにじわ〜っと涙腺が緩みましたよ。
思えば30年前、吉川が超肩幅!(笑)の
ピンクのスーツでこれを歌ってる姿を見て、
「うわ、普通にかっこいい男の子が出てきた!」
と、テレビに釘付けになった私。
「普通に」っていうのは、
自分が通っていた学校にひとりぐらいはいた、
かっこいい人気者の男の子って感じ。
「ザ・芸能人」ではなくて、
自分と地続きの場所にいて、
でも遠くから見るしかない先輩、みたいな。
(年下ですけどね)
いわゆる「美少年」ではかなったのも、
リアルな感じがしましたね。
こっちはテレビを通して見るしかないんだけど、
ちゃんとこの世に存在している立体的な人間ていうか、
厚みのある感じがしたんですよ。
それまでのテレビで見るアイドルたちには、
あんまりそういう感じはしなかったんですよね。

当時は時間とお金がなくて、
コンサートは行きませんでしたが、
「すかんぴんウォーク」からの映画三部作は観ました。
東京湾をバタフライで泳いでくる、アレですね。
そういうアホらしいところも全部大好きでした。
(褒めてます!)
COMPLEXも大好きで、
シークレット・ギグのビデオは
それこそ擦り切れるほど観ました。
でも、そのあと、90年代からゼロ年代は、
私自身がテレビから離れていたこともあり、
ほぼ忘れていたんですよ。ごめんなさい。
この時期はジュリーのことも忘れてましたね。
この約15〜20年間、私は一体なにをやってたんだろう?
あ、結婚出産子育てか……(遠い目)
20年近くもの間、自分がなにをやってたかわからないとは、
出産子育て、恐ろしい。
今さらですが、
吉川のこともジュリーのことも思い出せて本当によかった。
ジュリーは還暦ドーム後に堕ちた新参者なので、
見ようと思えば見られたはずのあれやこれや、
見てるはずなのに全然覚えていない子供のころのあれもこれも、
ものすごく悔しいことがいっぱいなんですが、
吉川は30周年に間に合った。
30年前のピンクのスーツの
普通にかっこよかった男の子のことを
今、思い出せて本当によかった。
しかも、今の吉川は
やっぱり普通にかっこいいおっさんになってて、
笑っちゃうぐらい変わってない。

「来年からの活動はほっといて」
なんて、MCでは言ってましたが、
このまま、吉川が普通にかっこいいじいさんになるまで
見失わないように、出来る限り見守りたいと思います。

あ、今回の武道館では会場外に、昔の衣装が飾られていて、
ジュリーもこれやればいいのにーと思いましたよ。

吉川晃司・衣装1

吉川晃司・衣装2



はー、次は11月のじゅりコンまでなんもないのよー。
1ヶ月以上なにを楽しみに生きればいいのか……。


さて。
私がマシントラブルでがたがたしていたり、
メールの不具合(?)ではらはらしたりしている間に、
9月も着々と日は進み、もう6日になってしまいました。
そして、昨日と今日は
ジュリーの渋公ライブ2Daysでございました。
私は昨日(5日)だけに行ってきたんですが、
客席にサリーさんが来てたんですってよ!
ああん、見逃しました。

サリー!!

ていうか、開演直前ぐらいに、
客席がなんだかざわざわしまして、
前の方の席の方々が後ろを向いておられたんで、
誰かいらっしゃってるのかなあとは思ったんですが、
昨日の私の席からは、いつもサリーさんが座る
PA付近の関係者席がちょうど死角になっとりまして、
全然見えなかったんですよ。
席を立って見にいく時間もなく、連れもいたし、
ま、いいやと確かめなかったのが運の尽き。
(てほどのことか?)
サリーの普段のお姿かっこいいですからね。
見たかったよおおお。

でな、昨日はライブ後にその、
サリーさんが来てたってことを知って、
ぐぎぎと思っていたら、
なんと、私が家でレポを待っていた今日のライブのMCで、
ジュリーってば、
「昨日はサリーとお寿司と日本酒で〜」
とかのろけてたそうじゃないですかっ!
ああん、くそー、そのMCを聞きたかった!
まるで前編と後編に分かれてるお話の
前編だけを読んで、肝心の伏線に気付かず、
さらに後編を見逃してるような、
そんな気持ちになりましたよ。

残念だーー。

やっぱ、ジュリーのライブは、
行ける場所にはできるだけ行くようにしないと、
後悔することがいっぱいだ。
ら、来年はなんとか……。
しかし、金がなあ…、うーーんうーーーーん、
ま、来年のチケット申込の時に
懐具合がどんなかですけどね。
がががんばります。


と、まあ、
そんな残念話で始まるコンレポで申し訳ないですが、
ジュリーの歌は相変わらず素晴らしかったです。
しかも渋公ですからね。
客席の一体感もすごくて、
手拍子も振りもみんなビシッと揃って、
1曲目の「そのキスがほしい」の
間奏後の「♪そのキスがほしい〜」では、

きゃああ〜〜〜!

と、すごい歓声が。
そして、2曲目の「あの娘はデリケート」では、
ジュリー「♪シーズソーデリケー」
客席「♪デリケーデリケー」
とコールアンドレスポンス。
しかも、客席にマイク向けてくれるし。
ええもう、思いっきり「デリケーデリケー」
言わせていただきましたとも。

ぎゃーー楽しいいいい!

中盤の「我が窮状」から新曲4曲+「F.A.P.P」は、
いつものように、というか、
いつものように新たに胸に迫る感じでした。
やっぱ、これらのジュリーメッセージソングは
ライブで聴くに限るなあと思います。
賛否両論あるでしょうが、
ちょっとでも気になってる人は、
一度ライブでお聴きになることをおすすめします。
ジュリーが発しているメッセージの内容も大事ですが、
私はそれよりも、そのメッセージを発している
ジュリーの姿勢とか覚悟に心打たれます。
「それよりも」とか言っちゃうと
失礼なのかもしれないですが、
私にとってのこのところのジュリーの
震災関連曲はそういう位置付けです。
あの覚悟のジュリーを観るために聴くために、
私はジュリーのライブにいくんだろうと思います。

ま、それ以外はきっちり楽しませてくれる
ジュリーですからね。
そのバランス感覚もすごいなあと思うんですよ。

楽しませてくれるという点で言えば、
7月のライブではやってなかった、
「危険なふたり」での、
「♪年上の人美しすぎる〜」と客席をキョロキョロ見回し、
「♪ああ…ああ…」と頭を抱えるという
失礼千万パフォーマンス(笑)。
まあ、今のジュリーよりも年上って言ったら、
70歳ぐらい。アラセブンティ。アラセブ?
美しい方だってもちろんいらっしゃるでしょうけど、
やっぱりなかなか見つかるもんじゃないでしょうしね。
しかし、それで頭抱えるのってどうなのよ?
え? ジュリー? とか思って、
ジュリーの失礼に笑いつつもぐぬぬと思っておったのですが、
でも、昨日「はっ!」と気付いたんですよ。
「♪年上の人美しすぎる ああ… ああ…」
の後に続く歌詞は

「♪それでも 愛しているのに〜」

なんですよっ!

ジュリーは客席に美しい年上の人がいなくても、
それでも愛してくれてるんですよっ!
私達を!!! をほほほほほ。

ええもう、おめでたいファン妄想とでも
なんとでも言ってください。
いいんです。幸せですから。
もちろんジュリーが客席に向かって
そんなふうに言ってくれてるように、
私達ファンだって、同じですよ。
美しいとか美しくないとか、
もうそんなこと関係なく、
ジュリーのことが大好きなんですから!

あと、鉄人バンドのギターふたりが
今回はなんだかご機嫌でかっこよくて、
すごくいいんですよー。
「デリケー」のジュリーと揃っての足踏みとか、
「ポラロイドガール」での
下山さんのソロのときの

きゃ〜〜〜〜〜!!!

も定番になりましたしね。
ジュリー、下山さん、カズさんが3人並んで、
同じ振りをするとこもあったりで、
すんごく楽しい。
なんか、下山さんが以前に比べて楽しそうに
ギターを弾いてる感じがして、
動きも激しいし、かっこよくて、
それも見てて嬉しいです。

と、まあ、
相変わらずレポになってない、
単なるジュリーラブな気持ち悪い記事ですいませんが、
私の9月ジュリーライブはこんな感じでございました。


では、昨日サリーを見損ねた代わりに、
今やってるテレビのドラマにサリーが出てますから、
そっちで見ます。
ちょんまげのサリーさんですけどね。
(だましゑ歌麿)






前に個人的に「連絡ください」と呼びかけた方と、
なんとか連絡がとれました!
よかった〜。
てなわけで、「個人的な連絡」関連の記事は削除します。

あ、でも、他にも
「秘密のコメント入れたのに連絡来ないよ」
てな方がいらっしゃいましたら、
再度秘密のコメントを入れていただくか、
下記メアドにメールくださいませ。
kijinsha@gmail.com

コメント送ったのに送られてなかったってことが、
今回偶然発覚したりもしましたのでね。
例のこっそり通販のお問い合せは、
通年受け付けておりますので、
メアド入れたのにメールが来ないなあという方は、
お手数ですが、何度かコメントを入れていただけると
いいかもです。
そして、その際にはご自分のメアドが間違ってないか
再度ご確認もいただけると大変助かります。
よろしくお願いいたします。




ここのとこ私はなにをしていたかと言いますと、
先週末まではガツガツ仕事をしてたんですが、
その仕事が一段落するのを待っていたかのように、
メインで使っていたMacProがぶっ壊れましてね。
最初は、たまにマウスとキーボードが
まったく反応しなくなって、
よく見るとメニューバーの時計の数字も動いてない。
ってことは完全に固まってる?
ってんで、電源ボタン長押しで強制終了しては、
再起動させて使ってたんですが、
忙しい仕事が終わった翌朝、
いよいよ、起動したとたん動かなくなる事案が発生。
こりゃダメだってんで、
PRAM クリア(今はNVRAMクリアつうらしいです)を
やってみたところ……
画面になんも映らなくなりました!
うう…傷口を広げちまった。
今度はキーボードからの操作は受け付けてるっぽく、
キーボードからの強制終了はできるんだけど、
起動させてもファンがぶんぶん回る音だけが続いて、
画面は真っ黒なまま。ああもう。

いろいろ調べたら、
たぶんグラフィックボードがイカれたんだろうなあ
という見当はつきましたが、
もう8年目のこのMacProちゃん。
新しいOSもインストールできず、
いろいろと時代遅れのコになっちゃってるし、
これを修理してもまた別のとこがダメになりそうだし、
諦めて引退していただくことにしました。
PCを7年以上使い続けるって大したもんだしね。
こんなに長く使ったPCはこれが初めてだよ。
よく働いてくれた。
おつかれさまでした。

っていうか、ずっと忙しかった仕事が一段落した週末に
かくんと動かなくなるって……
時期をわきまえているっつうか、
空気読めるっていうか、
なんていい子なの!

てなわけで、
今までネットや音楽やDVD再生機として使ってた
MacBook Proくんをサブマシンからメインマシンに
格上げすべく、
ディスプレイを繋いだり、HDDの中を整理したり、
MacProからHDD引っこ抜いて外付けにして
データを吸い出したり、
ネットの設定をしたり、仕事用のソフトやフォントを入れたり、
なんやらかんやらしてました。
ああ、ほんとに仕事が暇な時でよかった。
昨日は一日中そんなことをやっていて、
プリンタがどうしても繋がらないのだけど、
その他の環境はなんとかなった感じなので、
今日は新しい外付けHDDを買ってきて、
TimeMachineてやつの設定に初挑戦。
……いや、挑戦てほどのこともないんですけどね、
自動的にバックアップとってくれるMacOSの機能なんですが、
今までの古いOSではできなかったんですよ。
このたび使うことになったMacBook ProのOSには
実装されてるんで、ワクワクやってみようかと。

で、かれこれ4時間ぐらい最初の
「バックアップの作成」ってのをやってますが、
まだ終わりません。
ま、バックアップソフトの最初は
なんでも時間かかるのはわかってます。
なんせ、
内蔵HDD320GB、データ保存用の外付けHDD750GB、
TimeMachine用の外付けHDDが2TBとかさー、
なにその大容量祭り。
私が最初に買ったMacなんてHDDが250MBだったよ!
それでも多いなあとか思ったもんだよ。
「テラ」とかの時代がこんなに早くくるとは思わなかったよ。
しかも、2TBのHDDが7千円ちょっとだよ!

とかなんとか、昔のことに思いを馳せながら、
バックアップの作成が終わるのを待ってるわけですが、
今までサブマシンとして、仕事机の傍らに置いて、
ジュリーのDVDなどを再生させていたMacBook Proが
メインマシンになってしまうっていうことは、
これでDVDはもう観られないってことで、
(無理矢理観ることはできなくないけど、
 仕事用のソフトを動かしながらDVD再生は厳しい)
テレビはちょっと離れたところにあるし、
これから仕事中はどうやってDVDを観たらいいかってことが、
目下の悩みです。(そんなことかよ)