ジュリーのシングル曲をネタにして、
昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。
カテゴリは【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




この曲は英語の歌詞なので、
無謀にも、訳詞に挑戦してみました。


こいつは
俺をナイフみたいに切り裂いた
俺の人生の物語
だって、なんも思い通りにいきゃしねえ
生まれた途端
トラブルたちに見込まれて
すぐに悪の烙印押された俺さ


 愛の逃亡者
 悪魔と走れ
 いつだってなんだってトラブルさ
 でも、俺が望んだわけじゃない
 天国まで逃げてやる
 愛の逃亡者

俺のまわりはトラブルだらけ
海の底まで追ってくる
そうさ たぶんおまえにゃわからねえ
誰も助けちゃくれねえ時は
自分でなんとかするしかないだろ
そんな俺のありさまを
おまえには知っててほしいのさ

※くりかえし


………と、とりあえず、
フレーズごとに訳してみましたが、
合ってますかね?(汗)
私が英語難民な上に、
韻踏むために文法二の次になってて、
構文行方不明なもんで、
かなーりいい加減です。
あちこち意訳。

曲調と散りばめられた単語
「knife」「evil」「trouble」「devil」などなどから、
なーんとなく、こんな雰囲気なのかなーって
やさぐれ風な口調にしてみましたんですが、
そのせいもあり、当然のことながら、
全然ジュリーらしくないですね。
もうちょいジュリーの歌らしくならんもんかと、
「ナイフみたいな……」
「ナイフみたいに…」
………と、頭をひねっていたら、
♪ナーイフみたいに尖っては
さーわるものみな
傷付けた〜〜

てなメロディーと歌詞が蘇りましてね。
そうです。
チェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」です。
「わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか」
てとこも、そのまんまだなあと思ったら、
もう「ギザギザハート」の歌詞しか浮かばなくなっちまいまして、
格子柄の若者たちが脳内で踊り出しちゃったんで、
ジュリー風お耽美訳詞は断念しました。

サビのとこの「愛の逃亡者」ってのも、
邦題がそうなってるんで、
そのまんま訳しましたが、
この「Fugitive kind」って、
意味的には「優しい逃亡者」じゃないですか?
この人自身は「悪」ではなくて、
本当は優しい人なのに、
(少なくとも自分ではそう思ってるのに)
トラブルの方から次から次へとやってきて、
逃げ続けるはめになっている、みたいな。
「愛の逃亡者」ってのは、
歌詞の内容は二の次にして、
ジュリーっぽさを出そうとして付けた
邦題なんじゃないですかね?

<追記>
おっと、ここで優しいご指摘がありました。
「Fugitive kind」の「kind」は
「優しい」という形容詞ではなく、
「種類」という意味では?と。
形容詞だったら「Fugitive」の前に来るはず…と。
ああ、英語の基本じゃった!
ありがとうございます。
てなわけで、「Fugitive kind」は、
別に「愛の」でも「優しい」でもなく、
単に「逃亡者という種類」って意味っぽいです。
要するにここは「俺は逃亡者」ぐらいのフレーズですかね。
間違えてて恥ずかしいけど、
前の自説もそのまま載せときます。
うぐぐ…


それと、2コーラス目の最後のフレーズ
「You should know that’s where I’m at.」
ってのが、
「俺のいる場所を君は知るべき」???
いきなりここで「場所」って唐突じゃないか?
と、わからなかったのですが、
正月コンのためにアメリカから帰国してた
じゅり友さんにお会いした時に聞いたら、
「that’s where I’m at」てのは、
「俺のいる場所」じゃなくて、
「俺の置かれている状況」って意味だと
教えていただきました。
ありがとうございます!
それでしたら、意味が通りますね。
で、その方によれば、
この男は、自分の身の上話をしている相手、
たぶん女性に言い訳をしてるんじゃないかと。
つまり、この歌詞の最後のところは、
 俺はいつもトラブルまみれ。
 いつも逃げているんだ。
 だから、君のもとにとどまることはできない。
 逃亡者なんだ。
 だから、ベイビーわかってくれよ。
 君と一緒にはなれないんだよ。

という解釈をしましたとおっしゃっていました。
ほほー、なるほど。
こういう解釈だと、
ちょっとジュリーっぽい感じになるかも?

まあ、前の曲「追憶」からの流れでいったら、
ニーナを傷付け、失った「僕」は、
浮気してた年上の女ともうまくいかなくなり、
「どーして僕の恋はうまくいかないんだろう」
「僕のまわりはトラブルだらけだ」
「こうなったら天国まで逃げてやる」
なんてやさぐれつつ、
飲み屋かなんかで知り合った、ちょっといい感じの女に、
「なあなあ、僕の人生ってさ……」
とか、酔った勢いで自分語りを始めちゃってる……
てなとこでしょうか。
しかし、
「トラブルだらけの人生から僕は逃げ続けてるのさ」
とか、かっこつけてたかと思うと、
最後は
「こんな僕のありさまを君に知っててほしいんだ」
なんて、口説きにいっちゃってて、ちょっと軽い感じがします。
しかも、「You should know」て、
上から目線じゃないですか? んなことない?
やっぱりジュリーっぽくない気がしますなあ。

しかし、今になってこんな、
英語の勉強をすることになるとは思いませんでしたよ。
他にも「ここ間違ってるよ!」ってとこがあったら、
(優しく)ご指摘ください。


この曲はロンドンで制作・発売されたレコードで、
曲自体はジュリーのために作られたものではなく、
すでにできてた「アリモノ」の曲をもらったものだと、
ジュリーが2008年のラジオで言ってましたね。
(その時の若干不満気な口調がちょっとかわいかったです)
男の新人ポップシンガー(それも外国人の)が歌うなら、
こんなとこだろ的な雰囲気が滲み出てる感じ?
「ギザギザハート」ですからねー。
しかも、東洋人てことで、
カンフー風の「ウッ! ハッ!」って掛け声を入れられて、
カンフーは中国のもので、日本とは違うといくら言っても、
わかってもらえなかった……とかも言ってましたね。
今は笑い話ですが、70年代はそんなもんだったんでしょうなあ。

てかね、
ジュリーはそんな時代に海外でレコードデビューした、
数少ないミュージシャンのひとりなんですから、
そういう体験をもっとちゃんと
語っておくべきなんじゃないかと思うんですよ。
時代の証言者として。
当時の欧米の音楽シーンのことや、
そこでの外国人シンガーの扱われ方とか、
今とは全然違うことがたくさんあったでしょうし、
それで苦労したことや、逆に今よりもよかったこととか、
ちゃんと語ってまとめてくれたらいいのになーと、
思ってるんですけど、どうですかね?(誰か!)


てなところで、この曲については終わりかなー。
全然「昭和女性幻想」じゃなかったですね。
だってイギリスの曲だし! 昭和じゃないし!


で、裏ですが……


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ジュリーのシングル曲をネタにして、
昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


という無謀なことをやっております。
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その1では「ジュリーに騙されてたよ!」てなところで
終わっちゃいましたが、
別にジュリーは騙してたわけじゃないんですよね。
「ニーナ!」を自分になぞらえて、
私は「僕」=ジュリーの元にはいられないけど、
ジュリーは「忘れられない」「二度と離さない」って、
熱烈に想ってくれてるんだわ、ぽわわ〜〜ん……

と思うのは自由です。
ってか、それ狙って作ってますよね、この歌詞。

歌謡曲ってのは、歌詞と曲があって成り立っているものです。
しかも、歌は聴いてるそばから消えていくものですから、
上で私がやった深読みのように、
歌詞カードを何度も読み返して、
フレーズとフレーズの関係をほじくり出し、
離れた箇所にある言葉と言葉を関連付けたりはせず、
聴いた順番のまんま、
次々と現れては消えるイメージを追っていくだけ、
ということになるんですよ。
そうするってーと、
Aメロでこまごまと語られたシチュエーションや、
ニーナの様子なんかは、繋がったストーリーとしてではなく、
それぞれの言葉が醸し出すぼや〜っとしたイメージだけになり、
サビのところの印象的なメロディーと言葉、
「オー!ニーナ!忘れられない〜」ってところだけが、
最終的に頭に残るって寸法なわけです。
だからこそ、私もぼんやり聴いてたときには、
「僕」が浮気してたなんてことは考えず、
ただただ、ニーナのことを愛してるって歌なんだなあと、
ぽわわ〜んと思っていたんですね。
しかも、「追憶」のサビの部分は転調してて、
それまでの短調から長調になってんですよ。
嫌でも耳に残るし、なんというか、
肯定的な「忘れられない」「二度と離さない」ってな
イメージになるわけです。
それに加えて、その前に聴いては消えていった
ZUZUさんのお見事な言葉選びによるニーナの様子が、
ぼんやりと全体の世界観を形作っていて、
耽美なジュリーワールドに引きずり込まれ、
ただただ「じゅ〜〜りぃ〜〜」と身悶えるのみ。
私のようにちくちくと言葉尻を捉えて深読みするなんて、
本当は無粋というものです。
でも、深読みをしても、
きちんと一貫したストーリーが垣間見えるところがまた、
この曲の素晴らしいところだと思うんですよ。
たとえそれが、浮気男の後悔ぐずぐずな話だとしても。
ZUZUさんさすがでございます。

と、まあ、「追憶」の歌詞の分析はこんなところですが、
その1でも書いたように、このシリアス少女漫画的世界では、
どうも女主人公は幸せにはなれないものみたいです。
不倫三部作「死んでもいい」とか言ってた「僕」は、
もうそんなことは言わなくなってますが、
代わりに(?)今度は女のほうが、
恋のために死ぬ話になってます。
(歌詞の中ではっきり「死んだ」とは言ってないですが)
しかもですね、少女漫画でもそうでしたが、
女は恋のために本当に死んでしまうんですよ。
もしくは気が狂う。
不倫三部作の「僕」は「死ぬ死ぬ」言ってますが、
これは言ってるだけですよね。
そう言うことで、この愛は本物なんだと主張している。
でも、男は本当には死なないんです。
男が恋にやぶれて死んでしまう話や歌ってありますかね?
私は知らないです。(あったら教えて)
せいぜい旅立つぐらい?
不倫三部作のとこで語ったように、
戦前からの結婚観、恋愛観を受け継いだ世代にとって、
自由恋愛というのはふしだらなこと、
あったとしても若いころの一時の気の迷い、とされていました。
それに対して、男は「命をかける」と言って抵抗し、
愛する女を手に入れようとしたわけですが、
一方の女は「男の人は自由でうらやましいわ」とか言って、
男の愛には応えず、与えられた自分の人生に抗わず、
そのまま生きていくことを選択し、それを男が嘆く……
というのが定番でした。
それを、今度は女のほうも恋愛に身を投じたらどうなるか、
ということを描いたのが、「追憶」みたいな歌謡曲や、
アンハッピーエンドの少女漫画の数々だったと思うんですが、
自由恋愛をして「私は愛する人と生きるわ!」と決意した女は、
たいがいが(誤解ってこともよくあるけど)裏切られ、
周囲の強硬な反対に遭って、生きていくことができなくなり、
病んで死んでしまうか、自ら命を絶つことになるんですよ。
女は恋を失うと命まで失う。
ええ〜!と、今なら思いますが、
そこまでの恋愛ができるなんて素敵だわ〜と、
まだ恋に届かない少女たちはぽわわ〜んとなりつつ、
でも、誰だって死ぬのはいやですから、
どうしたら死ぬような目に遭わずに幸せな恋愛ができるのか
ってことを知らず知らずのうちに考えちゃうわけです。
アンハッピーエンドのお話はなにが障害になるかって言ったら、
身分、家柄違い(!)、男のほうが年下、ってのが王道。
あとは、男に以前に恋愛した相手がいるという、
その1で私が深読みした「追憶」パターンですね。
そういう男と恋愛したらつらい結末が待ってるんだと、
70年代の少女たちは、歌謡曲や少女漫画を通じて、
じわじわと学ばされていたんじゃないでしょうか。
一方、若いアイドルが歌う明るい恋の歌や、
ハッピーエンドのラブコメ漫画のお相手は、同級生や幼馴染み。
親の決めた許嫁ってのも定番でしたね。
最初は「親が決めた」ってことに抵抗してすったもんだあるけど、
相手のいいところを発見して惹かれ合い、
「やっぱりあなたが一番よ」とか言ってゴールイン……
てなストーリーも量産されてました。
「はいからさんが通る」か! なつかしい。
要するに、女は自分から愛したり、
愛する人を獲得しにいったりはせずに、
愛されて、その愛されたことに満足して嫁に行くのが幸せと、
そう示唆されていたってことじゃないでしょうか。
戦前となんも変わってないじゃないですか!

ちょっと話がずれますが、
一条ゆかりの「デザイナー」の主人公の亜美は、
孤児として育ち、自分ひとりの力で
トップモデルにまでのぼりつめた女性。
(18歳でトップモデル?とかつっこみどころはありますが、
 ま、そこは少女漫画ですから…)
で、足を怪我してモデルを続けられなくなると、
今度は猛勉強をしてデザイナーに転身する。
しかもその動機は自分を捨てた母親への復讐。
そこまでの亜美は本当にかっこよくて、
小学生の私はものすごく憧れたものでしたが、
亜美は、デザイナーになるために支援してくれた、
青年実業家の朱鷺を愛するようになると、
せっかく成功を収めたデザイナーの道をあっさりと捨てて、
朱鷺と結婚することを選びます。
別に結婚してもデザイナー続けりゃいいじゃんと思うんですが、
なぜか引退→結婚ということになるんです。
そして、それが亜美にとっては、
ものすごく幸せなことっていう描かれ方なんですよ。
で、それが破綻して、仕事も恋も失った亜美は死んでしまう
という、悲劇の結末が待っているわけです。
このさー、
女は自分の力で仕事で成功しても、
男に愛されなきゃ幸せじゃないはずだって、
なんなんですかね!
しかも!
その愛する男と一緒になるために
仕事を辞めたり諦めたりするんですよっ!
で、ハッピーエンドかと思いきや、
恋愛に生きる女は死ぬはめになる……と。
女は自分から愛しにはいくな、
愛されてこそ幸せだろう、
っていうのがここでも透けて見えてきます。
亜美は、愛してると言ってきたカメラマンと一緒になってれば、
なんの障害もなく幸せに暮らせたかもしれないし、
「砂の城」のナタリーも、
アメリカのお金持ちの男(名前忘れた)と結婚していれば、
心を病むことはなかったかもしれない。
「女が男を選ぶもんじゃない」という、
世間様(男)の声が聞こえるようです(ちっ)。
でも!
70年代少女漫画の中では、
いくら愛してると言われたからといって、
自分が愛していない男と一緒になるのは不実なことなんですよ。
でもでも、女が主体的に恋愛しようとすると死んでしまう……
ひでえダブルバインドですね。
いや、仕事のことを加えるとトリプルバインドか?
どうすりゃいいんですか。
「追憶」のニーナも、ただ「僕」の言うことだけを信じて、
「許して尽くして側に」いればよかったのに、
愛を誓うために髪を切ったり、思い詰めたりと、
主体的に愛しにいったために、
悲しむはめになったんじゃないでしょうか。
んで、我々少女は、
人を愛しすぎるのもよくないんだなあと、
いつのまにか刷り込まれたってわけですよ!
ええ、刷り込まれてます(笑)。

我々少女が熱狂し、
大人たちが眉をひそめていたはずの歌謡曲や少女漫画でも、
結局のところ、世間様が求める良妻賢母で受け身的な
昔ながらの女性像が正しいと押し付けられていたんだなあ
と思うとげんなりしますな。
ま、1970年代はそんな時代だったことだなあ…てなもんです。
はあ……。

とげんなりしたところで申し訳ないですが、
「追憶」の考察をこのへんで終わりにしたいと思います。




で、「裏」ですが……


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昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


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さて、再開いたしました【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】
「追憶」でございます。

これぞ少女漫画シリーズの決定版「追憶」

この前の「恋は邪魔もの」も少女漫画チックですが、
「恋邪魔」が↓こんなラブコメ風だとしたら、

恋邪魔少女漫画


「追憶」は↓こんなシリアス少女漫画ですよねー。

追憶少女漫画

着てるドレスは白のフリルのレースのだけど、
背景はカケアミ&ベタ多用、みたいな。

は〜、ひっさしぶりに女の子の絵、描いたわ(笑)。
描いてるうちに女の子の描き方思い出してきたよ。
子供のころはこんなんばっかし描いてたなー。
ええ、デッサンがおかしいのは仕様です。
仕様ですったら仕様です(言い訳)

この「追憶」は、
「小雨」「夜の風」「長い髪」「愛を誓う」
「瞳」「白いバラ」「占い」などなど…
シリアス少女漫画の小道具やキーワードが散りばめられてて、
もうね、
古い洋館、天井までの大きな窓、そこに下がる重厚なカーテン、
バルコニー、猫足のソファやテーブル、暖炉、
シンプルだけどギャザーやフリルいっぱいのロングドレス、
ツヤツヤサラサラのロングヘア、もちろん金髪……。
だって「ニーナ!」だもの!
天井の高い洋間の古いソファに座って、
スタンドだけの灯りで本(当然洋書ですよっ)を読みながら、
でも内容は頭に入らず、時計を気にしてばかりのニーナとか、
小雨に肩を湿らせてやってきた「僕」に、
何も聞かずに抱きついてそのままベッドイン(!)とか、
急に髪を切って妙に明るい笑顔で
「僕」を出迎えて驚かせ、「どうしたの?」と聞くと、
「あなたは短い髪のひとがお好きなんじゃないかと思って」
なーんて言ってみたりとか、
イッちゃった目をしてバラの花びら散らすとか、
とかとかとか、
もうコマ割りから背景まで目に浮かぶようですね。
てか、こんな漫画読んだことある。絶対ある。
やっぱ一条ゆかりかなあ。
私の頭の中では「デザイナー」と「砂の城」がぐるぐるしてます。
あんな絵柄で、ひたすら美麗な場面がてんこ盛りな、
ちょーっと大人な雰囲気の少女漫画ですよ。

70年代は「少女」漫画と言っても、
シリアスものだと結構大人っぽい展開もあって、
小学生の私はどきどきしながら読んだものでした。
ぽわわんとごまかしてはあったけど、
それなりにベッドシーンも描かれていて、
キスのその先ってのがあるんだなあってことを
そんな漫画で学んだりもしていたわけです(笑)。
あ〜、でも、
ベッドシーンまで描くのはシリアスものだけだったと思うし、
しかも、両思いの幸せなベッドシーンてのはなかったような。
道ならぬ恋に堕ちていくふたり、とか、
本当に好きな人とは結ばれず、
不本意な相手とヤッちゃうとか、そんな展開(ひでえ)。
なんでなんですかね。
あれで、セックスっつうものに
マイナスのイメージを植え付けられた人も
いるんじゃないでしょうかね……。
70年代の少女漫画では、
カップル成立→結婚っていうハッピーエンドも結構あって、
結婚したらセックスはするんだろうけど、そこは省略。
最後にふたりがキスしてる大ゴマで終わりで、
あとはご想像にお任せ?
いや……、その先のベッドの中のことは
誰も想像すらしなかったんじゃないですかね。
後日談があっても、いきなり赤ちゃん抱っこしてたりなー。
う〜〜ん……、
【70年代少女漫画ではセックスがネガティブに扱われる問題】
ここでやってると話が逸れたまま長くなるので、
そのうちどこかでがっつり語りたいと思いますが。

なーんとなく「こんな理由だろうなあ」ってのはあります。
要するに、主に男性側である世間様が、
女、特に「少女」と呼ばれるような年齢の女には、
セックスをいいものとして考えてほしくないと、
そんなふうに思っていたってことなんでしょう。
よく考えると不思議な話ですけどね。
少女は成長したら結婚して子供を産んで母親になる、
というのが、世間様の求める真っ当な女の道だったはず。
母親になるにはセックスしなきゃならないわけで、
それがネガティブなものと刷り込まれていたら、
母親になるのも嫌だと思っちゃうかもしれないし、
大人になったかつての少女とヤりたい男どもにとっても
不都合なんじゃないですか?
それともいやがってる女とヤるのがいいとか?
変態ですか?
まあ、女に貞節とか貞淑とかを求めていた
男どもや大人たちにしてみれば、
女がセックスのことを考えること自体が許せないっていう、
そういう世界だったんだろうなあと思いますが、
一方の少年漫画が当時どうだったかというと、
「ハレンチ学園」やら「けっこう仮面」やら
お色気バンザイだったわけで、
どうしても不均衡なものを感じますね(怒)。
そう考えると、90年代以降に問題になった、
セックス描写ありの少女漫画は、
「好きな人と結ばれて嬉しい! 気持ちいい!」
てなふうにセックスを肯定的に描いていて、
そうすることのリスクもちゃんと教えれば、
それはいいことなんじゃないかと思うんですよ。
でも、そういう漫画が問題視されたってことは、
世間様はまだまだ70年代のころの大人たちと
同じってことなんでしょうか。はあ……。

と、70年代少女漫画はそんな有り様だったわけですが、
歌謡曲の世界も似たようなものだった気がします。
「追憶」がリリースされた1974年のシングル売り上げ枚数1位は
「なみだの操」ですからね。
「なみだ」ですよ! 「操」が!
フィンガー5とか新御三家とか百恵ちゃんとかも出てきて、
若者が主人公の明るい恋の歌もヒットしましたけど、
どうも、身体の関係がほのめかされた途端、
その世界は急に薄暗くなるような気がします。
しかも、暗くなるのは女のほう。
百恵ちゃんの「ひと夏の経験」とかね。
「汚れてもいい泣いてもいい」とかさー。
汚れるんですかそうですか。
男がセックスしたからって「汚れた」とか言いませんよね?
んでもって、ジュリーを含めたもっと大人な歌手が歌うのは、
だいたいが別れの歌でしたしね。
しかも演歌だと、出てくる「女」はいわゆる商売女(?)。
どうもカタギのお嬢さんや奥様ではないみたいです。
で、それを「私はこんな女だから…」的に歌い上げてたり。
ああもう!
「追憶」でも、
「抱きあったお前の肌」「素顔がきれいだ」ってことは、
「僕」とニーナはそういう関係なんでしょうが、
のっけから「ひとり待つニーナ」だし、
「何も聞かず」ってことは、
本当は聞きたいことがあるんだろうし、
「夜の風を怖がっ」てるし、
嫌な予感しかしないなーと聴いてると、
案の定「もし今なら お前を二度とは悲しませない」って。
てことは、悲しませたんですね!
てな結末なんですよ。
なにがあったんだ! ニーナ!

しかしね、これを歌ってるのは26歳美麗若ジュリー。
あの甘い声で、
「二度とは悲しませない」とか、
「二度とは離さない」とか、
「忘れられない」とか言われたらねえ……。
しかも、「オ〜、ニーナ〜」なんつう囁き(!)付きですよ!
聴いてるこっちは「ああ、ニーナになりたい」って
身悶えるしかないじゃないですか。
なので、私はずっと、この曲は、
「僕」は真剣にニーナを愛してるのに、
ヤンデレ気質のニーナが勝手に思い詰めて、
勝手に甘く崩れて泣いて悲しんで死んでしまった……
てな話かと思ってたんですよ。
ぼんやりぽわわ〜〜んと聴いてたときは。
「僕」はどっちかってえと被害者っていうか、
そんな立ち場なのかなあって。
こんなに真剣に愛していたのに、
ニーナには僕の愛は届かなかった。
僕の愛し方が足りなかったのか、
愛し方が間違っていたのか……。
もう一度チャンスをもらえたら、
今度はちゃんと届くように愛するよ。
二度と悲しませないよ……オー!ニーナ〜!
てな感じに後悔してるかわいい「僕」なんだろうなあと。
なんてったって、歌ってるのがあのジュリー!ですからね。

しかしですね、
今回この記事を書くにあたって、
歌詞カードを見ながら、そのシチュエーションを追いながら、
じっくりと曲を聴いてみると、
ちょーっと違った状況が浮かび上がってきました。

というわけで、ここより深読みコーナーです。

まずですね、
「小雨降れば ひとり待つ ニーナ!」
(どうでもいいですが、歌詞カードでは
 「ニーナ」のあとに必ず「!」が付いてるんですが、
 これってなんでなんでしょうか。「!」含めて名前なのか?)
「小雨降れば」ってのがよくわからないんですが、
「僕」は雨が降ると「ニーナ!」のとこに来るんですかね?
「雨の慕情」(八代亜紀)ですか?
まあ、憂いっぽいシチュってことで、
そんな暗い寂しい日に「ニーナ!」は「ひとり」で
「僕」を待ってるんですよ。
恋人(だよね?)をひとりで待たせて
一体「僕」はどこ行ってんでしょうか。
それを「ニーナ!」も聞きたいんでしょうが、
「何も聞かず 読みかけの本を捨てて抱きあ」うんですよね。
んで、そのままベッドインなんでしょうが、
「素顔がきれいだ」とか言われても、
「夜の風を怖がった ニーナ!」の「気持ちは甘く崩れ」
泣いちゃうんですよ。
たぶん「僕」も「ニーナ!」がなにか疑ってて、
「僕」に聞きたいことがあるってことは薄々わかっていて、
でも聞いてこないのをいいことに、
ヤッちゃってうやむやに……てな感じでしょうか?
「僕」には隠しごとがあるっぽいです。うわー。
で、それはどんな隠しごとかつったら、
2コーラス目の歌詞、
「僕に愛を誓うその為に」「長い髪を切ってきたニーナ!」の
「思い詰めた」「瞳」が「胸に突き刺さ」ってますからね。
これは、やっぱ浮気でしょうな! 浮気!
サビのとこでは「許して」って言ってますからね。
「僕」は「ニーナ!」に許されないことをしでかしたってことでしょう。
うわー。
さらに、
愛を誓うために髪を切ってもなんだかビミョウな態度の「僕」に、
「愛の明日」を信じられなくなった「ニーナ!」は、
「白いバラの花びらを散らし」、
いちまーいにまーい…じゃなかった「好き」「嫌い」と占うんですが、
「僕」はそれを「無理に止めさせ」ます。
なんで「無理に止めさせ」たかつったら、
その占いが当たっちゃう、要するに「嫌い」と出ることが、
「僕」は怖かったんですよね。小心者め!
んでもって、「そんな占いよりも僕を信じろよ」と、
目を見つめたりなんかしてるわけです。
うわー、嘘つきー。
そんなん言われて一旦は「僕」を信じた「ニーナ!」ですが、
この歌詞の中では描かれていない、
なにか決定的なことが起こって、
「ニーナ!」は「僕」の元から去ってしまいます。
いや……、シリアス少女漫画的世界観で言ったら、
ここは単に別れるんじゃなくて、
やっぱ「ニーナ!」は死んでしまったとするのが正解でしょう。
どういうプロフィールの女性なのかはわからないですが、
この歌詞の中で見るかぎり、
「ニーナ!」は「僕」しか見えてません。
「僕」と別れて新しい生活をする「ニーナ!」ってのは、
ちょっと考えにくいです。
そういう意味で言ったら確かにヤンデレなんですが、
そのヤンデレの原因は「僕」にあったんですよ!
だからこそ「僕」は激しい後悔に苛まれ、
「許して 尽くして 側にいて」と懇願し、
「忘れられない」「二度とは悲しませない」「二度とは離さない」と、
「オーオーオー! ニーナ〜〜〜!」と絶叫してるわけです。
もう二度とやり直せないからこその
「ニーナ〜〜〜!」なんでですよっっ!(ドン!

……ぜえぜえ。
以上深読みコーナーでした。

この、彼氏のことが好きすぎるあまりに信じられなくなり、
(信じられなくなるような事態が起こり)
その事実を受け入れられなくて、
精神を病んだあげくに死んでしまうってお話は、
70年代シリアス少女漫画の定番でしたなあ。
そんなようなのいっぱい読んだような気がします。
代表作はやっぱ一条ゆかりの「砂の城」でしょうか。
主人公のナタリーは、つらい現実から逃避し、
やっと正気に戻ったと思ったら、その途端死んじゃいますからね。
こんなんされたらフランシスはもう、
絶対にナタリーのことを忘れられないじゃないですか。
「追憶」の「僕」もきっとそんな状態ですよね。
しかも、「僕」は実際に「ニーナ!」を裏切ってたっぽいし。
浮気の相手は誰なんですかね。
やっぱ「恋は邪魔もの」で、
「昨日まで愛してた別のひと」と言ってた、
(たぶん)年上の女でしょうか。
まだ続いてたんか? ひきずるなあ。
「ニーナ!」が長い髪を切ってきたのだって、アレですよね。
「僕」が短い髪の女と楽しそうにしているところを
偶然街で見かけちゃったとかさー、
そんなことだよ、きっと。
物陰からじとっと、陽の光の中のふたりを見ている「ニーナ!」。
んで、その女と同じ髪型にして、
「あなたの好みに合わせたの」とか、
思い詰めた目をして言ったりさー。
これは怖い。
浮気してる「僕」はそりゃあ、突き刺さったでしょうなあ。
いつでも「許して尽くして側にいて」くれた「ニーナ!」なのに、
それを裏切って「僕」には他に想う女がいる。
しかも、たぶんその女と「僕」には、
大っぴらに付き合うことができない事情があって、
世間にももちろん「ニーナ!」にも秘密の関係。
「ニーナ!」もなにか感づいているのはわかっているけど、
それを言うわけにはいかない。
「僕」は障害のない「ニーナ!」の愛に応えて、
平穏な生活をしようと思ったのかもしれないけど、
思いのほか重たい「ニーナ!」の愛から逃避したい気持ちもあって、
また昔の女に会いに行ってしまう……。
うわーん、ひでえよ。ひでえ男だー。
ジュリーの甘ったるい歌声に騙されてたよ。


と、ジュリーに騙されてた(?)ところで、
「その2」に続きます。



え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
みなさま、
もう昨日(9日)のジュリーライブのアレコレは、
お聞き及びでしょうね。
なんということでしょうかねっ!
なんだかもう、私がこのブログで、
「これは妄想ですから」とか、
「妄想ですみません」とか、
「妄想にすぎませんが」とかとか、
いろいろと言い訳してるのがアホらしくなるような、
リアル萌え爆弾が投下されたようです……。
ええ、残念ながら私は8日しか行ってないので、
直接は見てませんのです。ですから、
サリーに抱きしめられたジュリー
なんて見てません!
なので詳しいことは他のジュリブロさんを見てください。

ああ、9日にすればよかった。
ぐぎぎ。
サリーの誕生日だなあとは思ってたんだよねー。
不覚を取ったぜ。
こんなねえ、机ドカドカ叩いて
「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなるようなことが、
現実に起こるとは!
しかも66歳と68歳で!
おかしいだろ!
普通に考えて!!!

でもいいの。幸せだから。
コンレポ読んだだけで泣けるほど幸せになって、
11月からのあーでもないこーでもないと考え続けてたことが
どーーーでもよくなったわ。あはは。
この前の記事にコメントつけていただいたように、
いろんなものが「萌え去り」ましたよ。
ジュリーにはもう萌えられないかもしれないとか、
真っ暗な気持ちで考えていたことが
本当に本当にアホらしくなり、
11月からダダ下がりだったテンションも、
ぐわーっと上げていただきました。
ああ、ありがとうありがとうジュリー。
これでまたしばらくは生きていけそうです。

んでもって、
公式がこんな有り様なんだから、
私がこんな過疎ブログで「萌えー」とか言いつつ、
アホなことを書き散らかしててもいいんだよね?
そう思うことにしましたよ。

てなわけで、
「ジュリーシングル曲で昭和女性史」
あらため、
「ジュリーの曲で考える昭和女性幻想」
ぼちぼち再開しようかと思います。

えーと、なんでタイトルを変えたかと申しますと、
前も書いたように、私がここで、
ジュリーのシングル曲をネタにして書いてるのは、
事実とか史実に基づいた昭和の女性史ではなくて、
昭和の後半という時代が勝手に
女性たちに押し付けていた女性像についてなんですよね。
しかも女性本人たちの意志とはほぼ関係なく、
それまでの古い慣習や、
主に男性側の願望がてんこ盛りになった幻想の女性像。
なので、「昭和女性幻想」としてみました。
ま、書いてくうちにもっとよさそうなタイトルを思い付いたら、
また変えますが。

ここで取り上げようと思っている、
「灰とダイヤモンド」までのソロ期は、
私が10歳から25歳ぐらいまでの、子供〜若者の時期。
それに対して歌っていたジュリーは23歳〜37歳。
作詞していた先生方はもっと年上で30歳〜50歳ぐらい?
当然そこにはジェネレーションギャップもあったわけで、
その歌詞の中に描かれている女性像には、
子供心に「???」というようなものもたくさんありました。
ま、ジュリーの曲に限らず、
当時大ヒットした演歌の世界とかも、
よくよく考えると「なんじゃこりゃ〜〜」な女性が、
てんこ盛りに出てきます。
(ていうか、演歌は今でもか……)
そんなような、中高生だった私が聴きながら、
「???」と思ったことや、当時の時代の雰囲気なんかを
思い出しつつ、また書いていけたらいいかなと思っています。

次は「追憶」からです。
ZUZUさんの少女漫画的世界の完成形とも言うべきヒット曲。
ニーナって一体どんな女なのよ?とか、
この「僕」はなにをそんなに後悔してるんだよ?とか、
そんなこんなをまたとりとめなく語り倒す予定です。

もうちょっとお待ちくださいませー。


もう2日になっちまいましたが、

2015年 あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年は、文学フリマ、コミケと年2回ずつの
イベントに作った本を持って参加し、
他は、タイバニの映画を何回も観にいったり、
漫画を読んだりアニメを観たりドラマを観たり、
ジュリーや吉川晃司のライブに行って叫んだり、
ジュリーの曲について好き勝手なことを書き散らしたり…
といった1年でしたが、
まあ、今年も似たような年になるだろうと思っております。
しかしまあ、人生なにが起こるかわかりませんからね、
1年後、今年が終わるころにはどうなってることやら…。
流されるままに、なんとか生きていこうと思います。

今の時点で決まっていることは、

ジュリーのお正月コンサート(わーもうすぐだよー)
4月のジュリーの音楽劇
ジュリーのツアー

Kindle版の
「双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら」
の、vol.3〜6の発行

5月4日の第二十回文学フリマに参加し、
それに合わせて【稀人舎通信改2号】を発行すること
【稀人舎通信改1号】はAmazonで売ってます)

ちなみに【稀人舎通信改2号】は、
「少女漫画特集」の予定です。
昭和もしくは二十世紀の少女漫画読みの生態を中心に、
今の漫画についても言及していく……
ような内容になる予定。
これから作りますので、どうなるかはまだわかりませんが、
おもしろいものにできるようがんばります。

あとは、

7月はポエケットという詩の同人誌即売に
「双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら」の
紙版を持って参加の予定
去年の文学フリマで販売したものと、
できればなにか新しいものも作りたい意向

8月はいつものコミケ参加
新刊は今までとはちょっと趣向を変えた本を構想中

秋の文学フリマと12月の冬コミも参加のつもり

ジュリーのツアーにも心置きなく参加したいし、
それぞれのイベントに本を作って参加するために、
お仕事もガツガツやってお金を貯めようと思います。

とはいえ、今の時点では
ジュリーのツアーは発表もされてないし、申込書も来てません。
各種イベントもまだ申し込んでませんし、
【稀人舎通信改2号】もこれから参加メンバーにメールする段階です。
なので、予定は未定ってことでよろしくです。
もしかして、明日にでも大金持ちの王子様(なんじゃそらw)が
私をさらいにやってくるかもしれませんのでね。
そしたら、コツコツ同人誌とか作ってる場合じゃないかもしれません。
大金持ちだったらもう自分でイベント開くこともできちゃうじゃん。
(それか!?)

あ、あと、年末の記事でも書きましたが、
中断してた「ジュリーシングル曲で昭和女性史」
ぼちぼち再開したいと思っております。
ら…来週ぐらい、かな?(小声)

そんなこんなで今年もやってく予定です。
このブログの更新も滞りがちですが、
変わらず生暖かく見守っていただけましたら幸いです。

今年もほんと、よろしくお願いいたします!








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