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遅ればせながら…

ジュリーのツアー始まりましたね。

17日の初日に私も行ってきました。
フォーラムは去年のファイナルと正月コンの悪夢があって、
トラウマだから私は行かない!
とか意地を張ってチケットも取っていなかったのですが、
近付くにつれてウズウズしていたところへ、
(チケットあるよ〜)
という悪魔の…いえ、天使の囁きが
じゅり友さんから聞こえてきまして、
辛抱たまらず飛びついてしまいましたほほほ。

詳しいレポは他のジュリーブログさんたちにお任せしますが、
ほんっと、行ってよかったです!
泣けて楽しくていいライブでした。
んで、ツアーはもうすでに3回目が終わり、
2回目、3回目は私は行ってないのですが、
初日は少なかったMCもだんだんと増えてきて、
今回は加瀬さん追悼ライブということもあり、
主に加瀬さんとの思い出話のようですが、
しんみりするというよりも、
楽しいお話ばかりで、盛り上がっているようです。

加瀬さん、ジュリーとの楽しい思い出と素敵な曲たちをありがとう!

おかげで、私たちはこうしてジュリーとともに
曲もお話も楽しむことができてますよ。
ジュリーの漫談(MC)も元に戻ったようですし、
よかったなあと思います。

私の次の参戦は大宮です。
初日はちょっと遠慮して静かにしてたんですが、
今度は思いっきりきゃーきゃー叫んでこようと思います。
だってさ、新曲以外は全部加瀬さん曲なんですよ。
加瀬さんの曲つったら、ジュリーがものすごく
きゃーきゃー言われてた頃の曲じゃないですか。
ここは叫ぶのがお約束ってもんじゃないですかね。

楽しみです。


【続きを読む】


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昨日の天気予報は「曇ときどき雨」で、
朝、会場入りした時点では気温もさほど高くなく、
今年のコミケは涼しいか!?
と期待したんですが、全然そんなことなかったです!
なんかねー、人が多かったんですよ。
同じ地区に「艦これ」ジャンルがあったりで、
そちらに来ている方々の列が途切れず、
お昼ごろからお天気もよくなってきて、
蒸し暑くなってきました。
ま、そんなこんなも含めてコミケなわけで、
なんだかんだ言って楽しんできました。

当サークルにお立ち寄りくださった方、
お買い上げくださった方、
本当にありがとうございました!


ただ、今回はあんまり売れなかったんですよ……
前回の冬コミ、前々回の夏コミと、
大人買いしてくださる方が何人かいたりして、
うちにしては結構な売り上げだったんで、
それに気を良くして、今回もそこそこ売れるかなー
とか皮算用してたんですけどね。
んで、なんでだ?と分析するに、
これまでの売れた時って、
同じ日にアニメのジャンルが配置されている時みたいだ、
ということがわかりました。
するってーと、うちの本を買ってくれる方々ってのは、
アニメファンな方が多いのか?ってことなんですが、
考えてみたら、
作ってる私たちがそもそもアニメ好きなのでした(笑)。
やっぱこう〜、
趣味嗜好が似てる方が買ってくださってるってことなんですかね。
ありがとうございます!

コミケではあんまり売れませんでしたが、
こっそり自家通販は受け付けます。
ちょっと2〜3日ぼんやり夏休みしたら準備します。

コミケで一緒に販売した「刀剣本」は、
秋の文フリの【稀人舎】ブースでも売ろうと思いますので、
コミケには来られなかったという方は、
そちらでよろしくお願いします。



自家通販は、準備ができましたらひっそりお知らせしますので、こっそりお問い合わせくださいませ。このブログのコメント欄の「管理者にだけ表示を許可」にチェックを入れて、メアドを教えていただければメールします。なんのこと!? って方は、このブログの「萌え談義」カテゴリを遡っていただければ、なんとなくわかるかと思います。めんどくさくて申し訳ありませんが、こっそりですので、よろしくご理解とご協力をお願いします。





東地区“ア”ブロック-36a
サークル「MAREBITO」


明日(14日)の私はここ↑にいます。

売り物は、コミケで毎回出しているシリーズものの
二次創作BL小説(18禁描写アリ)。
今回は、今まで出してきたものの再録本の前編です。
「薄い本」もまとまれば薄くなく、
232ページの厚い薄い本になりました(笑)。
ページ数にともなってお値段も分厚くなってしまい、
1500円となっておりますすみません。
表紙のタイトルを金箔押しにしたり、
カラー口絵つけたり、
おまけにしおりやポストカードつけるので許してください。

あ、どんなのかは↓ピクシブでご覧ください。

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=51624891

R18指定しておりますので、
アカウントないと見られないかもしれませんが、
興味ない方が不用意に目にしないようにと
思ってのことです。よろしくです。
ジャンルは「音楽(邦楽・洋楽)」です。
察してクダサイ……。
ナマモノBL二次創作という微妙なものですので、
いろいろご理解ご協力いただけますとありがたいです。


しかし、これは明日の会場直接搬入なのでね、
まだ私もできあがりは見てないんですよ。
ちゃんとできてますように(祈)


んで、今回は新刊本がもうひとつあります。
ジャンル違いですが、刀剣本です。
内容は
「本丸ごはん短歌」「たろじろ短歌」「たろじろ小説」です。
一昨日に、短歌を書いてくれたそらしといろさんとふたりで
チクチク和綴じして作りました。

刀剣本完成 和綴じ

かわいい本になったと思います。
A5版、本文38ページ、500円 です。

ジャンル違いですので、↓こんな看板出してます。

刀剣本あります

今回、刀剣乱舞は「西地区」で、
うちのサークル「MAREBITO」は「東」なので、
ちょっと遠いですが、
うちは閉会間際までだらだらとスペースにいると思いますので、
他を回ったあとにでも、おいでいただければと思います。


いつもナマモノ18禁の本なんか作ってると、
こういう二次元の、しかも18禁描写なしの本て、
すごく気が楽ですなー(笑)。
Twitterでもバンバン告知しまくりだし……。
旬のものでもありますし、売れるといいなあ。


あと持っていくものは
【稀人舎通信改1号】【稀人舎通信改2号】

 

Amazonでも売ってますが、
会場ではお手にとって立ち読みもできます。


あ、今回は「MAREBITO」というサークル名で参加しているとおり、
「稀人舎」とは別名義というか、別人格(笑)でやっとります。
【稀人舎通信改】は委託販売という形です。
メインの売り物は、腐女子向けBL小説本です。
中の人は同じなんですが、ややこしくてすみません。


さて……荷造りするか。
あああああ、楽しみだーーーー!



ジュリーのシングル曲をネタにして、
昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。
カテゴリは【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




その1からの続きです。

さて、ここらでちょっとドラマから離れて、
この歌詞をもう一度じっくり見て解析してみるってーと、
この歌詞には「あなた」という二人称しか出てこないんです。
ジュリーが(もしくは可門良が)歌ってるから、
「あなた」はジュリー(良)を一人称としての二人称だろうと
聴くほうは無意識に思わされてしまうのだけど、
よく考えてみるとそうじゃないんですよ。
前の曲「巴里にひとり」でも一人称は出てきませんが、
「巴里にひとり」の場合は、
主語こそないものの、
「ここへ来た」「かんじるばかり」「この胸つつむ」……
と、語り手である人物がああしたこうしたと、
自分の行動や気持ちを語っています。
で、主語がないために、逆にこれは
歌っているジュリーの一人称なんだろうなあと
思わせる仕掛けになっているんだと思います。
一方、「時の過ぎゆくままに」では、
「つかれて」「泣いて」「ためいきついた」と、
「あなた」の様子は描写されてますが、
その「あなた」に相対しているはずの
「僕」「私」「俺」がどうしているのか、
どう思っているのかが出てきません。
さらに、
「二人つめたいからだ合わせる」
「もしも二人が愛せるならば」
の「二人」。
「僕とあなた」ではなく「二人」という、
いわば三人称で語られているわけで、
要するにこのサビの部分は、
小説で言うなら地の文ということになります。
そう思って聴くと、歌っているジュリーは、
「あなた」=女に対する男ではなく、
この男と女の物語の外側にいてそれを語る、
神の視点の語り手のように聴こえてきて、
そうなると、この「あなた」ってのは、
男でも女でもどっちでもよくなるんですよ。
ワンコーラス目の「あなた」は男で、
ツーコーラス目の「あなた」は女とかね。
まあ、それは多少強引な解釈ですけど、
そう受け取れないこともない。
ジュリーという主体が、この歌詞のどこにもいないことで、
逆にどこにでも当てはめられると言ってもいいかもしれません。
ジュリーは「あなた」=女に対する男かもしれないし、
「あなた」のほうなのかもしれない。
または、「二人」を見ている第三者なのかもしれないし、
自分の過去を振り返って客観的に語っているのかもしれない。
どう受け取るかは、聴き手の自由です。

阿久悠氏は
「一人称か三人称かというのも、テクニックの一つである」
「また、これをわざとゴチャまぜにするというテクニックもある」
とも書いているので(「作詞入門」より)
意識してやっていたんでしょうが、
この小説的な手法は、
以前までのZUZUさんの少女漫画的世界を演じて歌うという
ジュリーのボーカルスタイルにも共通するものがあって、
その後のヒット曲ラッシュにつながっていくわけですね。
ただ、ZUZUさんの歌詞の中には、
受け手の少女たちが憧れる「僕」=ジュリーが必ずいて、
「あなた」「おまえ」を熱烈に愛していたわけですが、
阿久悠氏の小説的世界の中にジュリーはいません。
壁際に寝返り打ってるダメ男や、
憎みきれないろくでなしくんや、
不幸なサムライが出てくるのはまだいいほう(?)で、
この「時過ぎ」や次の「立ちどまるなふりむくな」には
一人称が出てこないし、
金キャミの「さよならをいう気もない」に至っては、
「私」という女性の一人称になっちゃって、
男は二人称としても出てこないありさまです。
ジュリーはラジオの「ジュリー三昧」の中で、
阿久悠氏のことを「強烈な詞を書く人だなあと思ってた」
と言ってますが、退廃美な世界観もさることながら、
その歌詞の中に歌い手自身を投影させる主体が出てこない
ということも新しく感じて、
「強烈」だと思ったのかもしれません。

それまでは、
「僕」は「あなた」を愛してる!
という主観で語る歌がほとんどだったわけで、
「あなた」がどうして別れましょうと言っているのか、
「僕」は本当はわからないんですよ。
「ニーナ!」を「二度とは悲しませない」とか言ってますが、
「僕」はニーナがなにを悲しんでいたのかは
実はわかっていない。
でも、愛しているのは「僕」なんだから、これは確実。
それだけははっきり言いますよ、という歌なわけです。
「あなた」や「ニーナ!」が実はどう思っていたかは、
聴き手である少女たちに委ねられていたんです。
だからこそ、聴き手は「あなた」に自分を投影させて、
ジュリーを思いつつ聴くことができたんですね。
でも、第三者の視点の「時の過ぎゆくままに」には、
「僕」さえも出てこなくなってます。
「あなた」も「つかれて」「泣いた」「ためいきついた」
と状況説明はありますが、
どう思っているかははっきりとは語られません。
「僕」も「あなた」も、どちらも、
「ただよいながら 堕ちてゆくのもしあわせ」
と思っているのか、それとも、
愛せるようになって、
「窓の景色もかわってゆく」ことを
期待しているのか、わかりません。
聴き手は二人の関係そのものを委ねられてしまってます。
だからこそ、この歌は
良ちゃんと野々村さんだとも考えられるんですし、
良ちゃんと他の誰かでも、
ジュリーと自分でも、他の誰かでも、
もっと言えば、ジュリーも良ちゃんも関係なく、
自分と自分のリアルの恋人のことだと考えてもいいんです。
その自分の物語をジュリーが歌ってくれてる、とかね。
まあ、素敵。

で、ここらでやっと「昭和女性幻想」的な話ですが、
「時過ぎ」の「あなた」を普通に女性だと考えた場合、
これまでのジュリーの曲にはいなかったタイプの女性です。
「不倫三部作」から「胸いっぱいの悲しみ」での女は、
「僕」が死ぬほど愛してるって言ってるのに、
どうしても応えてくれないおそらく人妻か年上のひと。
「恋は邪魔もの」は恋が始まるところだけど、
「何も知らないお前」に優しくされて、
でも、まだ前の恋を忘れられていない「僕」は
どうしようかと迷ってる。
「追憶」の「ニーナ!」は「僕」のことが好きすぎて、
瞳が思い詰めちゃってるし、
「白い部屋」の「あなた」は、
なんでかはわからないけど
もういなくなっちゃってて(たぶん死んでる)
「僕」は「むなしい広さ」とか言って嘆いてる。
言ってみれば、みんな真面目です。
「あなた」も「僕」も真面目に恋をして、
真面目ゆえに、
別れましょうと言ったり、
白いバラの花びらを散らしたり、
おそらく本当に死んでしまったりしています。
それが、この「時過ぎ」の「あなた」は、
「生きてることさえいやだと泣いた」
「心のいたではいやせはしない」
とか言っちゃって、すんごくつらそうなのに、
しかももう二人の間に愛はないっぽいのに、
そんな状況を打開するために
なにかしようとはしていません。
「時の過ぎゆくままに」要するに流されるままに、
なんも考えずに、なんもせずに、
「ただよいながら 堕ちてゆく」んですよ。
「もしも二人が愛せるならば」ってのも、
自分でどうにかしようって気概はなくて、
なんだか他力本願というか、
成り行きでどうにかならないかなあとか
思ってるっぽくないですか?

不真面目です。
愛に対して不真面目。

「不倫三部作」のところで述べたように、
昔は恋愛というものは、
若いころの一時の気の迷い、遊びのようなものと、
大人(世間)には認定されていて、
恋愛していることがバレると、
「手が早くて困ったもんだ」とか、
「ふしだら」とか言われたりもしていました。
それに対して若者代表のジュリーは、
自分の恋は真面目なんだということを言うために、
「あなただけでいい」「死んでもいい」と、
ふるふるしながら訴え、
それに応えた女たちは本当に死んでしまったり、
応えられないときには
はっきりと「別れましょう」と言ってたわけです。
それが、「時過ぎ」では、
もう愛はないらしいのに「からだ合わせ」てたり、
「心のいたではいやせはしない」
なんつって泣いてばっかいるのに
別れるという選択はしないらしい。
「不倫三部作」のときの価値観で言ったら、
これは「ふしだら」以外のなにものでもないです。
恋愛は命かけるぐらい真面目にやっているからこそ
美しく尊いものだと訴えることができたのに、
はっきり言って、このふたりは
惰性で付き合ってるとしか思えません。
人に(世間様に)誇れない。
でも、それがいい、という世界観なわけです。
阿久悠氏言うところの
「ようやく日本の社会に、堕落の美が
 似合うようになってきた贅沢の気分」
ってやつですかね。
愛に対して不真面目でも惰性でも、
それでも一緒にいて堕ちていくしかない男女関係は、
そのふたりしかいないという点では美しいよねー
てなところでしょうか。
「恋愛はふしだら」の呪縛から解き放たれて、
その先へ行けるようになってきたのかなあとも思います。

これより前のシングル曲に出てくる女たちは、
世間を気にして別れたがったり、
「僕」に「行くな」と言われなければ、
愛しているはずの「僕」のところに
留まることもできずにいて、
なんというか主体性がないように見えて
私なんかはイライラすることもあるんですが、
「時過ぎ」の「あなた」という女は、
不真面目な恋愛という場に留まることを選択しているわけで、
考えようによっては、恋愛に関しては、
それまでの女たちよりは
主体性があると言ってもいいのかもしれません。
ま、他に選択肢がない状況なんだろうなあということは、
暗〜い雰囲気の歌詞から容易に推測できますが、
男に求められたから、とか、
愛してると言われたから、とかじゃなく、
「生きることさえつらいと」ぐだぐだ言いながらも、
でも私はあなたと堕ちていくしかないのよ〜
と、結局は恋に生きる(死ぬ?)女でいることを選んでいる。
っていうか、
世間一般の男たちにとって都合のいい女性像がチラチラしていた、
これまでのシングル曲に登場する女たちと違って、
「時過ぎ」の「あなた」は男にとって相当めんどくさい女です。
都合よくない。
行き詰まったからといって、
自分から身を引いたり死んだりしてくれない。
愛してもいないのに、別れるでもなく逆にすがりつくでもなく、
ただ、ひとりで泣いたりためいきついたりしてるだけ。
どうしたらいいのかわかんなくなって、
男のほうも一緒になって疲れちゃって、
もう共依存状態になってんじゃないですかね。
そんなようなめんどくさい女は、迷惑なだけで、
特に新しい女性像というわけではないんですが、
それをあえて、あの超絶美麗期のジュリーに歌わすことで
退廃美! 堕落の美! おしゃれ!
という物語の中に織り込んだ阿久悠氏の
力技の勝利ってことなのかもしれません。

とは言っても、1975年ごろ、
普通の家のお嬢さんたちは、
まだまだお見合いで結婚する人も多かったですし、
恋愛したと言っても、結局は親も祝福する相手と結婚して、
人生の次のステージに進むというのが普通でした。
不幸でも、先行きが見えなくて堕ちてゆくしかなくても、
恋に生きる女って素敵!と思ったとしても、
それを自分の身に投影させて考えるのは、
まだハードルが高かったことでしょう。
だからこそ、この「時過ぎ」の歌詞の
小説的手法がハマったんじゃないでしょうか。
自分の身になぞらえることは難しいけれど、
物語の中のこととしてなら、
小説を読むように、ドラマや映画を観ているように、
受け取り、感情移入もすることができる。
しかも、これは実際にドラマの中で、
ジュリー演ずる良ちゃんというキャラが歌っている歌。
ジュリーはこんな恋愛はしないだろうなあと思っても、
良ちゃんなら、野々村さんならアリかもしれない、とかね。
そういういろんな仕掛けが施されていたからこそ、
かなり特殊な恋愛状況じゃないかと思われるこの歌の世界が
多くの人に受け入れられたんじゃないかと思います。

この前の曲「巴里にひとり」までは、13曲通して、
ほぼ統一されたイメージの「僕」=ジュリーが登場していて、
そのイメージはやはりザ・タイガース時代から引きずっていた、
「美少年・ジュリー」というものだったんじゃないかと思います。
少年が初めて苦しい恋をして思い悩む的な。
ZUZUさん作詞のものは
シチュエーションはそれぞれに違っていますが、
「僕」=ジュリーのキャラ設定はだいたい同じです。
それはそれで、タイガース時代からのファンにとっては
馴染みやすいものでしたでしょうし、
世間的にもまだジュリーは「元タイガースの」という
肩書付きで言われることが多かったでしょうから、
(ジュリーはいやがってたみたいですけどね)
しょうがないこともあったんでしょうが、
このときのジュリーは、もう27歳。
いつまでも「少年」とも言ってられません。
かといって、演歌みたいなベタベタな大人の歌を
ジュリーに歌わすわけにもいかない。似合わないし。
だいたい「少年」じゃなければどういうイメージで
今後は売っていったらいいんだろう?
って、まわりも思案のしどころだったのかもしれません。
そんなときに、物語仕立ての、
しかもドラマの登場人物が歌うという設定の
「時の過ぎゆくままに」は、
ちょうどいいターニングポイントになったのじゃないでしょうか。
「堕ちる」って言葉は使わないでくれ、
とナベプロからクレームが付いたらしいですけどね。
まだそこまではターンしなくていいのに〜って、
会社側では思ってたってことでしょうか。
でも、そこで屈することなく「堕ちる」を通した
久世さんと阿久悠氏、グッジョブでございます。
やっぱ、あれはそこまで突き抜けたからこその、
「少年」でも「大人の男」でもない、
ジュリーにしか表現できない立ち位置を確立できたんですよね。

ジュリーは、ラジオの「ジュリー三昧」の中で、
「時過ぎ」はドラマの中で可門良が歌う歌だから、
最初は自分=沢田研二の歌じゃないように思っていたけど、
共演者の(綺麗な)篠ひろ子さんに
「あの歌とってもいいわ。私、大好き(ハート
と言われたことで、自分の歌として意識するようになった、
みたいなことを言ってました。
最初は可門良を演じているつもりで歌っていて、
それを徐々に「沢田研二の歌」として自分の世界に持ってくる…
とか、なんかこう〜、
慣らし運転しながら新しいことに挑戦していった感じがして、
20代ジュリーってば、がんばってる! かわええ!
とか思っちゃったりするわけです。


ぜえぜえ……、なんとか着地した…か?
この歌詞は難しすぎです。
女性像つっても、上に書いたように、
その関係性は新しかったかもしれないけど、
女は特に新しい意識を持たされてはいません。
これはジュリーがいたからこそできた曲なわけですから、
そこに登場する女も、この物語の中だけの女なんですよね。


で、《裏解釈》なんですが、

【続きを読む】



ジュリーのシングル曲をネタにして、
昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


ご無沙汰してしまった
【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】の続きです。
なにそれ?という方は、
最初から読んでいただけたら嬉しいです。




さて、久しぶりにして、
私の中ではジュリーソロ第二期の始まりと
勝手に位置付けている「時の過ぎゆくままに」です。
ここから阿久悠氏の快進撃が始まるわけです。
阿久悠氏が書く歌詞に登場する女性像に関しては
いろいろと言いたいことがあるんですが、
しかし、この曲に関しては、
ちょーっと勝手が違うというか……。

あのですね。
この【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】の記事で、
一部の(?)ジュリーファンの方々にご好評いただいている
《裏解釈》なんですけどね。
そこでは、それぞれの曲について、
本来は女性を想定しているであろう、
「あなた」「君」「おまえ」をジュリー、
もしくはジュリー周辺の男性の誰かということにして、
主に「腐」な妄想を暴走させているわけですが、
この曲に関してはもう、裏も表もないといいますか、
公式で《裏解釈》をやらかしてくれてるといいますか……。

なんせ、これはあのドラマ「悪魔のようなあいつ」の
劇中歌・主題歌なわけですよ。
このドラマのプロデューサーの久世光彦塾長は、
「あのドラマで僕が表現したかったのはホモです」
てなことをはっきりくっきりと言ってますしね。
だいたい、そんなこと言われなくとも、
ふつーに見て、これは「ホモ」なドラマですし、
これを見て腐女子開眼した女子たちも大勢いて、
なにより、栗本薫御大がこのドラマを元にして、
「真夜中の天使」を書き、JUNEが創刊され、
現代日本の腐女子文化の基礎がそこで形成された…
という、偉大なドラマなんですよっ。
久世塾長と栗本御大には、
本当にありがとうございます、
としか言いようがありません。

ありがとうございます!(平伏)

このドラマの原作者にして、
劇中歌「時の過ぎゆくままに」の作詞家である
阿久悠氏は、久世塾長の熱い思いに応えて、
っていうか、「キターッ」とノリノリに乗っかって、
ふたりでジュリーを主人公にしたドラマの原案を
三日間箱根の旅館で話し合ったらしいですが、

あ や し す ぎ る(笑)

「(箱根湯本の旅館の離れ座敷)で三日間、
 ほとんど炬燵に入ったままで、
 沢田研二をどう魅力的に扱うかだけを話し合った。」
(「夢を食った男たち」より)
って…………うう〜〜〜ん…
当時、阿久悠先生37歳、久世光彦氏39歳。
アラフォーのおっさんふたりが旅館に自らカンヅメになって、
三日間ジュリーのことばっか話してたってんですよ。
「どう魅力的に扱うか」って、「扱うか」ですよっ!
うわーー
「ぼくらは、まるで着せ換え人形遊びでもするように、
 沢田研二にいろんな個性や役柄を当てはめながら、
 カンカンガクガクやっていたが…」
って……、そこんとこ(人形遊びのとこ)詳しく!
「ぼくら二人のほかに双方のスタッフが何人かいた」って、
わざわざ書いてるとこもまた怪しい。
〝二人っきりだったらヤバいな、これ〟って、
自覚してたってことじゃないですかね。
私たち腐女子仲間が腐エロトークで盛り上がっちゃって、
止まらなくなるような?(違うか)
違うな……
腐女子がお気に入りのキャラや男子をネタに
腐トークするときは、そこに「自分」は介在させません。
どんなに過激なエロい妄想を炸裂させたとしても、
そこに自分は関わらないから、
それはどこまで行っても、やっぱり「妄想」。
そして、自分が入らないせいか、
どこかに笑いが含まれている気がします。
笑える妄想っていうかね。
自分は神の視点で男子同士のカップルを上空から見て、
「微笑ましいのう」って笑ってるような感じですかね。
上から目線っちゃ上からなんですが、
そこがまた腐女子妄想の楽しいところでもあるんですよ。
しかし、男の人がジュリーのことを語るときって、
なんか、そうじゃないような気がするんですよね。
妄想の中に「自分」も入っちゃってる感じ。
あー、腐女子はキャラ同士の関係性に萌えるけど、
男のオタクは対自分で萌えるっていう違いがあると、
【稀人舎通信6号】の座談会でも語ったことがあったけど、
それかもしれない。
なんかこう〜
彼らがジュリーのことを考えるときって、
対自分の要素をどこかに置いてるニオイがするんですよ。
なので、そこに笑いはないんです。
自分のことを笑うって、なかなかできないですし、
特に男の人はそういうの苦手じゃないですか?(偏見)
真面目にジュリーと自分の関係を妄想して語ってて、
ちょっと痛い…みたいな。
久世さんは腐女子要素の強い方だと思うので、
「わかるわー」って部分も多いんですが、
阿久悠氏はなー、なんかなー……、
ちょっとその……、対自分妄想がマジな感じがして、
痛いよりも怖いというか、そんな気がするんですよ。
あ、個人の感想です。

阿久悠先生は、
「(ジュリーに)少女たちは花を見、
 はるか年長のプロの男たちは毒を感じて評価していた」
とも書いてます(「夢を食った男たち」より)が、
ジュリーに「花」を見てたのは、
彼らのほうじゃないですかね。
少女たちってのは結構現実的なもんですし、
自分らにはどうしたって手が届かないってわかってもいるから、
腐女子じゃない乙女萌えのファンたちも、
ジュリーのことは憧れとして見てるだけで、
対自分妄想をするにしてもそれはあくまでも妄想と割り切って、
現実はそれなりにきちんと生きてたんじゃないでしょうか。
仮に「花」を見てたとしても、
その「花」は絵に描いた餅ならぬ妄想の花だったんですよ。
しかし、「プロの男たち」ってのは、
なんとかすればジュリーに手が届くところにいる
人たちなわけじゃないですか。
んで、手が届いちゃったらどうしようとか、
考えちゃいますよね、たぶん、きっと、絶対!
彼らにとってのジュリーは、
触ろうと思えば触れる、匂いも嗅げる、
もしかしたら手折ることもできちゃう(きゃー)
現実味のある「花」だったわけですよ。
んでもって、
「毒」ってのは、自分に対して害をなすものだから、
「毒」と認定するわけです。
だからこそ、乙女たちのようなぽわわ〜んという
夢の花を見ている気持ちじゃなくて、
「これ触っていいの? ヤバくね?
 匂いクラクラ来ねえ? 毒あるんじゃね?」
っていう警戒心ピコーンピコーンて気持ちで、
「毒を感じて」いたんですよ。絶対。
そんなふうに、
ジュリーに関わろうとする「プロの男たち」は、
毒を食らわば皿までなんつう、
一種悲壮な覚悟でもってジュリーに近づき、
「覚悟したんだから!」つって、
言わなくてもいいようなことまで、
例えば、阿久悠氏の
「(ジュリーに対しては)恋心のようなところさえあって」
とか、こっちがむず痒くなるようなことを
後に残る文字にして残してくれてたりするんですよ。
読んでるこっちが恥ずかしくなります。
(ありがとうございます!)

…という、おっさんたちの本気具合が微笑ましくもあり、
若干キモくもあり……(すまぬ)、
それらの、おっさんたちの捻れまくった対自分妄想の、
見ちゃいかんものを見せられてる感が、
ドラマ「悪魔のようなあいつ」には滲み出ちゃってて、
それがあの怪しい雰囲気になってんじゃないですかね。

で、「時の過ぎゆくままに」は、
この怪しいドラマの劇中歌ですし、
歌っているのはジュリー=可門良ですからね、
「あなた」ってのは、やっぱり野々村さんか?
ってことになるわけです。
久世さんにしろ阿久悠氏にしろ、
野々村さんには少なからず自分を投影させてたでしょうし。
歌詞とドラマの内容とのリンクで言えば、
野々村さんは思い出の曲を片手で弾いてましたよね。
良ちゃんに
「その歌嫌いなんだ」「今さらなんだってんだよ」
って、冷たく言われて呆然としてましたが(笑)。
しかし、
「生きてることさえ いやだと泣いた」とか、
「昔を思って 泣いた」とかって言われると、
なんか野々村さんのキャラじゃないなあとも思ったり。
良ちゃんに冷たくされたら泣くかもしれないですけどね。
生きてるのがいやだとは言わないだろうなあ。テカテカしてるし。
そんなら、ここは素直に
野々村さんの元妻にしてコールガールにして、
良ちゃんに惚れちゃう女・恵い子さんか? とも思いますが、
(恵い子さんも劇中でピアノ弾くシーンありましたよね)
どんなに恵い子さんに惚れられても、
良ちゃんは絶対に恵い子さんとは堕ちてはいかないだろうと
思われるので、それも違うなあとか。
ふみよさんも静枝さんも、それは同じ。
そもそも良ちゃんは女とは絶対に堕ちないですよね。
なぜかと言えば、このドラマを作ったのは男たちだから!
自分=男を受け入れてほしい「良」という存在を
ジュリーに演じさせるというドラマなんですよ、これは。
(たぶん)
それに、「堕ちてゆく」といえば、
「この歌は心中の歌なんです」とも、
阿久悠氏はどこかで言っていて、
となると、ドラマの最終回で、
「心中だなあ……、りょおおお」
とか言いながら死んでいくのは野々村さんなわけだから、
やっぱ「あなた」は野々村さんか?

とかとか、どうしてもこれは、ドラマの内容に則して、
歌詞も解釈しようとしてしまいがちですが、
今回この記事を書くにあたって改めて歌詞を読んでみて、
これはむしろ逆なのかもしれないと思いました。
まず、この歌が先にあって、
ドラマの登場人物たちそれぞれが、
この歌のシチュエーションに自分たちの身をなぞらえて、
良ちゃんに恋い焦がれたり、行動したりしてる……。
そんな関係なのかもと。

「沢田研二のけだるさを秘めた退廃美に魅せられていた」
久世さんと阿久悠氏が
「色っぽい歌を作りたいね」と言って作ったのがこれ。
「ようやく日本の社会に、
 堕落の美が似合うようになってきた贅沢の気分」
(「歌謡曲の時代」より)
の歌なんだそうです。
「生きていくのもいやだと泣」く「あなた」と、
「時の過ぎゆくままに この身をまかせ」
「堕ちてゆくのも しあわせだよと」
「つめたい からだ合わせる」という、
どうにもこうにも行き詰まったふたりの描写が続き、
いや、それでも愛し合うふたりで一緒に堕ちてゆけるのなら
それも幸せのひとつの形か?と思わせといて、
最後には
「もしも二人が 愛せるならば
 窓の景色も かわってゆくだろう」
って、「もしも」ですよっ。「愛せるならば」ですよっ!
仮定法ですよ!
ってことは、今はこのふたりの間に愛はないんですよ。
だからこそ、「あなた」は「昔を思って泣いた」んですよね。
まあ、なんということでしょう!
もう愛し合ってはいないのに、
どうしようもなく
「時の過ぎゆくままに この身をまかせ」「堕ちてゆく」
そしてそんな自分らを嘲笑するかのように、
それもひとつの「しあわせだよと」いろんなことを諦めつつ、
なにも解決しようとはせずに、
もう愛してはいないから「つめたいからだ」を
「合わせる」んですよね。
まさに「堕落の美」ですわね。
阿久悠先生、さすがでございます。

この曲は1975年当時、リアルタイムでも聴いてましたが、
私13歳。
お子様にこの歌詞は難しすぎます。
特にジュリーのファンというわけではなかったお子様の私は、
スローなバラードだし暗いしつまんない歌だなあとか
思っていたような気がします。申し訳ない。
お子様だったから、ユルシテ。
そして、たぶんこの子供には理解不能な
大人な雰囲気の歌のせいで、
私の中でのジュリーは「大人の歌手」の
カテゴリに分類されてしまい、
これ以降のジュリーはどんな派手なことをやっても、
ずっと「おっさん」枠でした。
すまんすまん。
今見ると「勝手にしやがれ」
「カサブランカ・ダンディ」も、
「TOKIO」でさえも、
超絶かわいい美青年だというのに、
本当に残念なことをしました。

でな、この「堕落の美」の大人な歌を
ドラマの中で、ジュリー演ずる良ちゃんが、
だるそう〜に、いやそう〜に歌うわけです(笑)。
ドラマの登場人物たちはその世界観に引き摺られ、
「堕落の美」「退廃美」を投影されて、
みんながみんな、
どうしても自分を愛してはくれない良ちゃんに執着し、
一緒に堕ちていく、
または愛し合って窓の景色を変えていくことを願いながら、
結局はそれぞれがひとりで堕ちていくことになる……
という、まあこじつけるなら、
「時の過ぎゆくままに」の「あなた」は誰なのかと言えば、
良ちゃんを含めた登場人物たち全員なわけです。
良ちゃんは、登場人物たちみんなに愛され求められたけど、
それを全部拒絶して、
結局は三億円の札束と心中したようなもんですからね。
あれは美しかったですね。
超萌えでしたね。
「悪魔のようなあいつ」については、
ここで超うざく超長文で語ってますので、
お時間ある方はお読みいただけると嬉しいです。


と、とりあえず、今日はここまで。
やっぱ長くなりましたね。

【その2】へ続きます。



ご無沙汰しております。

ご無沙汰の間、なにをしていたかと言いますと、
夏コミの準備をしておりましまた。
うひー、やっといろいろ目処が付いて、
こしてブログの更新もできるってわけです。
(今度こそ間に合わないかと思った。けど間に合った)

今回のメインは、これまで出してきたシリーズの
あの薄い本の再録本です。
なんだかんだと5年もやっているので、
年に2回ずつ出してたってことは、なんと10冊になってんですよ。
それぞれに3〜6話ずつのお話を書いてきて、全部で40話以上。
まー、よく書いたもんです。
てなわけで、ここらでひと区切り付けるためにも、
今年は再録本にしようってことは去年あたりから決めてたんですが、
なんせ、いくら「薄い本」って言っても
毎回40ページほどのものを10冊。
単純に計算しても400ページなんですよ。
あらびっくり(笑)
なので、前後編と分けて、夏コミと冬コミでそれぞれ作ります。
あ、予定です。

でな、ただ単に今までのものを
1号から順に並べたんじゃつまらないので、
思いつくままにバラバラに書いていたものを
年代順に並べなおして、再録しようってことになりました。
っていうか、書いてる私等も、
結構思いつくままに書いてるんで、
どのへんの時代の話が多いのか、
どことどこが繋がってるのか繋がってないのか、
もうよくわかんなくなってるので、
時系列に並べて、ひとつの物語として読んでみようと、
そういうことになった次第です。

んで、そうしてみるってえと、
やっぱ矛盾点や説明不足や気になる箇所が出てきたので、
そのへんを加筆修正し、
とりあえず今回の前編は、「1965〜78」ということにして、
間を埋める新作も3点書きました。
本文228ページです。
厚さ1.4センチ。薄くない!(笑)

これはもう印刷屋さんに入稿してしまって、
あとは会場直接搬入のできあがりを待つばかりですどきどき。

どんなもんかは↓こちらからご覧くださいませ。ピクシブです。

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=51624891

このサンプルで見られるページは別に18禁ではないですが、
完成品の中身はがっつり18禁ですし、ナマモノBLということで、
興味のない方がうっかり見てしまわないように、
R18指定をさせていただいてます。
よろしくです。


んでもって、今回はこのメイン以外にももう1冊出します。
私が今年の初めからハマっているゲーム「刀剣乱舞」の本ですほほほ。
中身は、詩人のそらしといろさんの刀剣短歌と私の小説です。
短歌は「本丸ごはん短歌」と「たろじろ短歌」、
小説は、太郎太刀×次郎太刀で次郎ちゃんの片思いです切ない。
サークルのジャンルは違うし、
文字ものなのでそんなに売れないだろうし、
どうせ手作りコピー誌ならってんで、
手作り和綴じ本にすることにしました。
20部限定です。お早めに。

こちらはほんのり「腐」ですが、全年齢ですし、
禁断のナマモノというわけでもないので、ここに晒します。

次郎ちゃんが表紙です。

和綴じ刀剣本

刀剣本扉

刀剣本目次

↓小説の冒頭を立ち読みどーぞ
(クリックで拡大します)

刀剣本小説1

刀剣本小説2

そらしといろさんの短歌は、現在文字校正中です。
あ、ピクシブのサンプルには入ってます。

http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=51747024

A5版、本文38ページ、表紙カラー、本文モノクロ、和綴じ、500円


8月14日(金)東地区“ア”ブロック-36a
サークル「MAREBITO」


でお待ちしております。



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