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観終わりました。

ぜえぜえ……

1週間で9公演。今の段階でdアニメストア“"に上がっている分は全部。
「結びの響、始まりの音」はdアニメストア“”にはまだないけど、これはなんとかチケットを取ることができてステージを観にいけたので、これで刀ミュの過去作は全部観たことになるのかな。

せっかくなので「加州清光 単騎出陣2017」も観ましたよ。

いや〜〜〜、加州くんのトップアイドルっぷりたらハンパねえな!

んでもって、三条派は長い間ずっと変わらない絶大な人気を誇るトップアイドルグループって感じだし、幕末組は最近売り出して人気爆発中の若手グループだし、三百年組は他ジャンルで活躍してたそれぞれに実力あるアーティストたちがこのたびアイドル枠で参戦しましたってところでしょうか。あ、源氏兄弟は三条派と同時期にデビューしたデュオで、ときどき三条派に合流する、そういうやつね。
そう考えると、今年の年末の「真剣乱舞祭2018」に加州くんが出られないってのも、ピンでの活動が忙しくなって、これまで参加してたフェスを卒業しちゃったアイドルってそうだよねー、みたいに納得だし、どんなに単独の人気があっても年末恒例のフェスには必ず出ることにしている老舗アイドルグループ三条派ってのも、あるある感あってよきかな。
大倶利伽羅はあれだよね、もともとのジャンルでの予定が入っちゃってどうしても…ってやつだよ、うん。

それとね、「三百年の子守唄」は今回初めて観たんですけど、にっかり青江!!

これ、私、ニコニコ動画のMMDで見たよ! ゲームの刀剣乱舞が始まってちょっと経ったころ、たぶん刀ミュはまだ始まってなかったころだと思うけど、にっかりさんと石切丸とか、にっかりさんとまんばちゃんとか燭台切とかが踊ってるかっこいい美しいMMDがすっごいいっぱいあったんですよ! それがそのまんま3次元になってるじゃん! すげ〜〜〜!!

私は、にっかりさんも出てた「真剣乱舞祭2017」は日本武道館の神席で観たんですけど、そのときは岩融見るのに忙しくて、っていうか「真剣乱舞祭」は目が忙しすぎてですね、申し訳ないことに、にっかりさんが踊る姿はあまり覚えてない。こんなだったか? 完璧じゃん!!


「三百年の〜」のミュージカルパートのストーリーは、こんなん泣くに決まってんじゃん、反則だわ、ってなお話で、PC前でだーだー泣きながら観てたんですが、ひとつ疑問が……。
あのー、家康と信康は、年を取らないちょっと不思議な格好をした家来たちのことをどう思ってたんですかね??
まー、お芝居なので、われわれ観客にはいつもの刀剣男士の姿で見えてるけど、実際には普通にこの時代の武将の格好で、ちゃんと時間とともに老けていく工夫をしてたんだろうなあと脳内補完してはいたんですが、ちょっと「ポーの一族」のエドガーとアランに育てられたリデル人形のことを思い出しちゃいましたよ。
いいよなーリデル。私もリデルになりたかったぜ。刀剣男士たちに育ててもらえるなら家康か信康でもいい。

あの、信康が実は生きてたっていう最後のシーンですが、あれは「つはものどもがゆめのあと」の、義経と弁慶を逃がした結末と同じことですよね。史実では死んだことになってるけど、別の人物として生きている。そうすることによって、その人物に関わった人間も刀剣男士たちも救われる。
やっぱりさ、こないだの記事でも書いたように、刀剣乱舞の世界での歴史ってのは、ある程度の可変域のようなものがあって、ある範囲でなら、よりよい選択をしていくことが可能という設定なのかもしれない。
とか考えてたら! 「つはもの〜」の中の、私が忘れてた三日月じいちゃんの台詞が!

「歴史とは水のようなもの。初めから形など存在しない」

ですってよ! あ〜〜、言っちゃってたのね。やっぱそうかそうなのか?
でも、じゃあ「結びの響〜」では最後、土方歳三を逃がさずに(土方歳三は函館戦争を生き延びたという伝説もあります。「ゴールデンカムイ」ではそうですね)陸奥守吉行が撃ち殺してしまっているのはどうして?と思ったんですが、もしかして、歴史上の人物の生き死にに関わる改変ができるのは三条派の刀剣男士だけとか、そういうことか?

「三百年の〜」ではどうして石切丸が隊長に編成されているのかちょっと謎だったんですが、そう考えると辻褄が合う。だってさ、最初、にっかり青江と大倶利伽羅が時間遡行軍に遭遇した時点で、すでに徳川の家臣たちは殺されてしまっていて、歴史は時間遡行軍によって改変されてしまっているんですよ。そしたら、本来ならば、刀剣男士たちをその事件が起こる前の時点へ送り込んで、史実通りに家臣たちが殺されないようにするんじゃないかと思うんですよね。でも、それをしなかったのは、にっかり青江がすでに家康である赤ん坊を抱いてしまっていたからではないでしょうか。
にっかり青江は、あやかしとはいえ赤ん坊を斬ってしまったという自分の由来がトラウマになっているわけで、一度抱いてしまった赤ん坊を見捨てて出直せというのは、さらに救われないことになる。そう主は判断して、人間の生き死にに干渉できる力を持った三条派の石切丸を隊長にして、すでに家臣たちが殺されてしまった時点に部隊を送り込んだ……とかね。

石切丸は、三日月ほど意図的にやっているかはわからないけど、できることならやるっていうタイプな気がします。三条派のうち、三日月と石切丸は、なんというか、老練さのようなもので言ったら同じぐらいのレベルなんじゃないかと思うんですよ。特に石切丸は御神体でもあるわけだし、「阿津賀志山異聞」でも言っていたように、ずっと人間の願いを叶えようとしてきた刀。刀剣男士という姿になって、人を救える力があるとわかったらさほどためらいなく使うんじゃないかと思います。ひとりで抱え込もうとするところも似ている。三条派という特別な力を持った刀剣男士としてのプライドってとこでしょうか。

一方、小狐丸は、現存しない、もしくは最初から存在しなかったかもしれない伝説の刀なわけで、ずっと人の世を渡ってきた三日月宗近や石切丸のように、人間の想いというものに触れてきていない。なので、自分と「ぬしさま」との間のことしか考えていないために、主の命である「歴史に干渉してはいけない」を忠実に守っているし、そもそも人間たちにさほど思い入れがないから干渉しようとも思わない。
「つはもの〜」で三日月に「おまえの心は曇りがないな」と言われる所以ですね。「対照的よのう、我らは。時折おまえがうらやましくなる。ただただ主の命じるままに生きているお前がな」なんつって、三日月は小狐丸に嫉妬して拗ねてましたよね。うん、あれは拗ねてたんだと思います。「おまえも三条派なくせに〜」って。
そして、小狐丸に疑われていると知った三日月が、小狐丸の問いにはなにも答えずに「先に行くぞ、小狐丸」と立ち去ってしまうシーンがあるんですが、その、「先に行くぞ」と「小狐丸」の間の「間(ま)」がね、なんというか意味深で。単にその場の行動のことを言ってるだけじゃなくて、「俺が今やっていることをおまえもいずれはやることになる。俺は先にやっているだけだ」っていうかね、そんな感じな気がしたんですよ。
そのうち小狐丸が歴史に干渉せざるを得ないようなお話があるんじゃないですかね。そうなったら、私の予感的中ってことで。
まー、三条派びいきの妄想ですけど。

残りの2振り、岩融と今剣に関しては、岩融はできることを知っているけど、できるとわかっているがゆえにやらない。元の主が坊さんですし、自分を律することが通常運転ですしね。そのためになんだかつらそうなんですけど、そこがまた萌えなんですよほほほ。元の主の影響で仏の教えもいろいろと勉強して理解している岩融は、いわば哲学的な方面から自分で「歴史を変えてはいけない」と結論を出しているのかもしれません。今の主の命だからというだけでなく、自分でちゃんと考えて結論を出している。「悲しいことがあっても、その先に我らがいるから(歴史を変えてはいけない)」って言ってますしね。

そして今剣も歴史は変えられるとわかっているから、「阿津賀志山異聞」で義経が生きていたと知ったときに、あんなに喜んだんじゃないでしょうか。あの単純な喜びようはちょっと違和感があったんですよ。歴史を守るのが使命と言われている刀剣男士なのに、明らかに史実とは違うことになっているのを見ても、なんの悩みもなく「義経公が生きているんですよ。会いにいきましょう!」とか言っちゃう。それは幼いからだと思われていて、私もずっとそう思っていたんですが、ここんとこ上のようなことを考えていて、ちょっと違うんじゃないかなと思い始めました。
今剣は三条派であるために、歴史は可変だということを知っている。だから、義経が史実と違っていても生きているのは、自分かもしくは他の三条派の刀剣男士の力が及んだ結果であって、それは自分たちにとって、そして人間たちにとってもよいことなのだと思い込んでいる、ってことはないでしょうか。事実、今剣は義経に会いにいって、ただうれしいってだけじゃなくて、頼朝と仲直りさせようと、拙い言葉ながらもがんばって義経に進言している。そういうふうに歴史をよりよい方向に変更するのが、三条派の力と役割だと思っているからじゃないですかね。

この妄想が当たってるとしたら、その三条派の力はときには強すぎて、その変更可能な範囲を超えて歴史に干渉しようとすると検非違使が現れる?

こないだの記事では、検非違使は他の本丸の刀剣男士たちなんじゃないかという説もあると書いたんですが、でも「三百年の〜」に出てきた検非違使を、石切丸は「歴史の異物を排除するもの」と言っているんですよ。検非違使は、刀剣男士にとっても時間遡行軍にとっても敵。ということは、刀剣男士と時間遡行軍はどちらも検非違使には「歴史の異物」と見做されているってことですよね。
う〜〜〜〜ん……
じゃあ、時間遡行軍が他の本丸の刀剣男士たち? でも「結びの響〜」では、巴形さんが時間遡行軍のことを「物語を持たない刀剣男士の成れの果てかもしれない」と言い、物語を持たない自分もまた時間遡行軍になってしまうのではないかと悩むシーンがあったんですが……成れの果て?
「俺たちはなにと戦っているんだ?」って、刀ステのまんばちゃんも疑問に思ってたみたいだし、このへんの謎は、今後のゲームや刀ステや刀ミュで明かされていくんでしょうかね。明かされるのもおもしろそうだけど、謎は謎のまま、我々含めて刀剣男士たちもみんなで、刀ステや刀ミュを通じて「ああかな?」「こうかな?」と一緒に考えていくのも、楽しそうだなと思います。

あとね、「つはもの〜」の三日月は、歴史に干渉していることを小狐丸に詰られて「ぬしさまは知っているのですか?」って訊かれたときに、「このようなこと、主は知らなくてよい」とか言って(っていうか答えない三日月の代わりに髭切が答えてたんですが)、汚れ仕事は自分の役目、みたいにかっこつけてたんですが、いや〜〜、主が知らないってことはないんじゃないかなーと思うんですけど、どうっすかね。

だって、刀ステでも刀ミュでも、主はいつも出撃先に縁のある刀剣男士たちを編成するじゃないですか。刀剣男士たちは「歴史を変えてしまってはいけないから元の主に会ってはいけない」とか律儀に言うけど、どうしたって会わざるを得ないような場所に行かせる。「阿津賀志山異聞」と「つはもの〜」の今剣ちゃんと岩融なんてトラウマもんの現場だし、「幕末天狼傳」では池田屋に加州くんと大和守安定だし。そりゃ会っちゃうでしょうよ。
でも、なんだかんだあって、結果的に彼らは元の主との物語に自分なりの答えを見つけて成長して帰ってくる。

「阿津賀志山異聞」の最後で、加州くんも「主の狙い通りだったんでしょ」なんて言ってるし、ここで言う「主の狙い」っていうのは、刀剣男士たちがそれぞれの元の主との物語を受け入れ乗り越える、もしくはそういう仲間を見守り導くことで成長するということだと思うんですが、まさにそれをするためには多少の歴史改変はやむを得なかったりするわけで。
もしかして、三日月は主のその「狙い」を成就させるために勝手に単独行動で歴史に干渉してるのか?
いやいやいや、それって主、三日月に甘えすぎでしょ。

それに、これはメタな視点になってしまうんですが、このミュージカルを観ている我々主っていう存在もあるわけですよ。我々は三日月が歴史に干渉している場面を観て、「主は知らなくていい」と言っている(思っている)のを聴いてしまっていますから、これは自分のじゃない「とある本丸」の話だとしても、三日月宗近という刀剣男士はこういうことをやるやつなんだということを知ってしまうわけです。そしたら、うちの本丸の三日月じいちゃんも、最近はカンストしちゃったから遠征にばかり行かせてるんだけど、遠征先でなんかやらかしてんのか?とか考えちゃう。時間をループしすぎて結いの目になって刀解せざるを得なくなったらいやだなあ、とかね。現に私は、遠征部隊から三日月じいちゃんをはずしました(笑)。
刀ミュの「とある本丸」も「とある」ってぐらいで、なにか我々とは違う特別な本丸とか、特別な審神者とかではなくて、もしかしたら私であったかもしれない、普通の本丸なんだと思うんですよ。そしたら、そこの主だって、三日月じいちゃんに対して私と同じぐらいの知識や認識を持っているんではないかなー、とね。

それと、もうひとつ疑問なんですが。
刀ステの三日月宗近は、たったひとりで時間をループしていたんですよね。白い三日月と戦うのは、まんばちゃんにとっては初めてのことだけど、三日月にとってはそれは何度も何度も繰り返されたことだと言っている。だから、そのときに結んだ「約束」をまんばちゃんは覚えていない。っていうか、そのまんばちゃんにとっては初めてのことだからそもそも「約束」なんかしていない。(まったくの余談ですが、あの、まんばちゃんが流された海はデュラックの海だよなあ、と思った「百億の昼と千億の夜」脳です)
だから、三日月のやっていることを他の刀剣男士たちは認識できないし、認識できないことを理解するのも難しい。主もおそらく認識はできず、このまま放置するとやばいことになる、という程度の理解しかない。だからこそ、時の政府に命じられるままに三日月を刀解しようとするんだし(だよね?)。
そうして、あのあとの本丸のシーンでは、まんばちゃんも三日月がやばいことになったってことを忘れてる? また時間がループしてる? そこに新しい三日月宗近が顕現??

あ〜、タイムトラベルもの難しい〜〜〜。

というように、ひとりの人間(ここでは刀剣男士ですが)が時間をループしてごちゃごちゃやってると、他の人には認識できないだけに非常にややこしいことになるんですが、刀ミュの三日月宗近は、もしかしたら刀ステの三日月とはちょっと違うんじゃないかなと思うんですよ。

「つはもの〜」では、泰衡に「何度も何度も」会って話をしたということを言ってましたが、それは、三日月がひとりで時間をループしていたんじゃなくて、出撃部隊として主の命によって何度も同じ時代に飛び、そこで毎回泰衡に会っている、ということだとも考えられる。いろんなパターンの編成の中に三日月を入れてあの時代に何度も送り込み、みんなにとって一番よい結果になるのはどういうときかっていうことを、主は試行錯誤していたのかもしれない。
「つはもの〜」の部隊には新しく顕現した源氏兄弟の髭切と膝丸がいて、さらに、三日月が接触した頼朝が髭切を佩刀していたというピースが揃ったために、変更可能な範囲での歴史の改変(義経と弁慶を逃がす)に加えて、三日月がやろうとしていることは主を裏切る行為ではないと髭切が変わって弁明し、三日月も救われる、という決着をつけることができた。小狐丸はすっきりしてないみたいでしたけどね。なので、やっぱり次は小狐丸中心のお話希望っす。

「阿津賀志山異聞」でも、加州くんが阿津賀志山のことを「今剣と岩融以外は何度も来ている場所だ」と言っている。でも、そこに義経と弁慶と泰衡が現れたのを見て「おかしい」と言うということは、以前に何度も来た阿津賀志山では義経たちは現れなかったということですよね。「今回新たに今剣と岩融を編成したということは今までの阿津賀志山とは違うということか?」とも言っていて、なにが違っているかと言えば、それは義経たちが現れたこと。
で、部隊を編成するのは主。何度も同じところに出撃させているのも主。
ということで、やっぱり主は三日月のやっていることを知っていたんじゃないのか説を私は採用したいんですが、どうでしょうか。

「阿津賀志山異聞」には、三日月が「つはもの〜」でのように歴史上の人物に干渉していたというような描写はありませんが、こないだ観たばかりの再演である「阿津賀志山異聞2018巴里」では、「つはもの〜」の内容を踏まえた、なんだか不穏な三日月の言動があって、小狐丸が不安げになっていたりしたので、三日月は自分がやれることとかやらなければいけないことについて、なにかしらすでにやらかしているか、考えているかはしているんだと思われます。
そのことに主は気付いていて、三日月がひとりで抱え込んでこんがらがらないように、「つはもの〜」で小狐丸と源氏兄弟に三日月を見張るようにと密命をくだした……
ってのは、まあ、刀ミュは刀ステのようなつらいお話ではなく、みんな幸せな世界であってほしいという、私の願望が入った妄想ですけどね。

刀ミュの次回作、楽しみです。

と、ここまでが、刀ミュ(刀ステも含む)の世界観や、三日月宗近という特殊なキャラ設定をされているらしい刀剣男士に関して、このところもやもやと考えていたことです。


改めてですが、このたび「トライアル公演」から「つはもの〜」までをdアニメストア“”で短期間に一気に観てみると、本当にみんな成長したんだなあってことがわかって、感動でした。
刀剣男士たちはもちろん、人間役の俳優さんたちもアンサンブルのみなさんも、それにスタッフというか、ステージ自体が、ものすごく進化している。
今観ると、「トライアル公演」はほんとにトライアルだったんだなあと思わざるを得ない。キャストのみんなが、演技ではなく、ところどころで不安そうな顔になってしまっていたり、ダンスはともかく殺陣のシーンではキレがなく、妙にバタバタしていたり……。というか、カメラワークもそういうアラが見える動きになってしまっている。明らかにカメラがブレていたり、今そこ映さなくていいじゃんってところをアップにしていたり。非常に残念。

あのー、よく、刀ステの殺陣と比べて刀ミュの殺陣は本格的じゃない、みたいなことを聞くんですが、私は、ちゃんとステージを観たのが「結びの響〜」からなので、なんで刀ミュの殺陣がそんなに「ダメ」みたいに言われるのかわかんないなーと思っていました。そりゃあ、刀ステの殺陣は迫力あってすごいなあと思うんですが、刀ミュはそんなにダメか??どのへんが?って。私は殺陣の良し悪しなんてさっぱりわからない素人(なにの?)ですが、刀ミュだって迫力あるしかっこいいじゃんって。私に見る目がないのかなーとかね。
でも、「トライアル公演」を最初に観た人が、次に刀ステを観たとしたら、「刀ステの殺陣はすごいvs刀ミュは殺陣は……だけど、まー楽しいよねー」みたいな印象で固まってしまうのもしょうがないのかもしれないなと思ってしまいました。それぐらい、私が見ても「トライアル」ではいろんな面でアラが目立ってしまっているんですが、でも、その半年後の、初演の「阿津賀志山異聞」では、ものすごく進化しているんですよ。
まず、今剣の跳躍力がアップしていて、岩融は頭上での薙刀ぶん回しができるようになっている(そこか?)。それに、みんな綺麗になってる! 不安そうな顔なんてもう誰もしない。ちゃんとキャラごとの特徴を掴んだ動きで刀を振るっているし、アンサンブルの方々の動きもよくなっているから、殺陣のシーンも全体的にスピードが出て迫力あるように見せられるようになってるんだと思います。そして、それを見せるカメラワークも「トライアル」であったようなアラがない。ステージ全体をかっこよく見せられるようになっています。
んでもって、さらにそこから「幕末天狼傳」「三百年の〜」「つはもの〜」と、殺陣も、そしてお芝居も、もちろん歌やダンスもどんどんよくなっていってるんですよ。今後の刀ミュも楽しみです。


ここまで全部を観てみて、お話としては、私はやっぱり「つはもの〜」が一番好きかなあ。
あのですね、「自分が支えてやってると思っていた相手に実は自分が支えられていた」っていうお話が私は大好物でして、まあ、岩融と今剣のことなんですが、それに岩融が気付くところが、とてもよい。それを踏まえて、1部の最後、今剣が修行に旅立つところで岩融が泣くとかもう……。萌えしかありません。
そんでもって、ライブパートも終わって最後の挨拶で、岩融が、っていうか、中の人・佐伯大地くんがマジ泣きしちゃうとこも大変によろしい。巻き戻してそこだけ4回見ちゃいましたよ。岩融と今剣の曲「盃兄弟」もかわいい。また観よう。
やっぱ円盤も買っちゃおうかなーどーすっかなー。金が……。

他にも岩融といえば、「真剣乱舞祭2016」の和泉守兼定との俳句対決のときに、体力勝負じゃないとわかって、安定が「教養なら(まだ勝ち目がありそうだから?)よかった〜」と言うと、加州くんが「岩融の前の主はえらいお坊さんだよ。教養ないわけないじゃん!」って言うところ。
そうなんです!!
岩融は筋肉担当のようですが、そうはいっても三条派なんですよ。教養あるんですよ! と、子供を褒められた親状態でニヤニヤする私でした(笑)。

岩融は大きくて豪快で力自慢で、筋肉だけで戦ってるようなキャラではあるんですが、刀ミュではちゃんと思慮深い大人な面も描いてくれていて、そこがとてもよいんですよ。んでもって、唯一理性が働かなくなるのが今剣に関してのことってのがまた尊い。
岩融×今剣の尊さについてはこの記事でも長々と語ってますが、この岩融×今剣の世界を佐伯大地くんと大平峻也くんのリアル世界に持ち込まれると、もう無理死ぬってなるので……モットヤレ(笑)。刀ミュラジオやtwitterやインスタの写真とか、いつも楽しみにしております。なんじゃ、あの仲良しさんたちは!!



は〜〜、長かったですね。これでこれまでの刀ミュについてはだいたい言いたいことは言い尽くしたかな。また「真剣乱舞祭2018」や次回作を観たりしたら、なんやかんや書くことと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

 
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