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ユーヤさんが亡くなったと思ったら、今度はショーケンまでが逝ってしまい、みんなそんなに平成の次の時代に行きたくなかったのか?とかそんなことを思っているうちに、4月になってしまいました。
ユーヤさんもショーケンも、もっと長生きしてしょうもないジイサンとして話題を振りまいてほしいと思ってたんですけどね。特にショーケンは、このところすっかり毒気が抜けてしまっていて物足りねえなーなんて思っていて本当にごめんなさい。そのうちまた「なんだそりゃ!?」みたいなことをやらかしてくれることを期待してたんですけど、その「なんだそりゃ」が訃報とは。笑えないよショーケン。
ショーケンの訃報を聞いてからずっと、この世界にはもうショーケンはいないんだなあと折に触れては思う毎日です。悲しい。



ところで、その、ユーヤさんもショーケンも行くことができなかった(行きたくなかった?)次の時代の元号ですが、
「令和」と発表されました。
字面もすっきりしてて書きやすそうだし、音もいいなあと思います。

が!

これが万葉集が出典! 初の国書典拠の元号! ってえらい人がドヤ顔になるのって……どうなの?と、発表されてからずっともやもやしています。

学生のころにちょこっと万葉集を勉強していた私は、その発表を聞いたときに
「国書である万葉集から取ったって言っても、歌じゃなくて序文だったらそれは漢文なのでは? しかも「令月」って漢籍由来だよね??」
とまず疑問に思ったのですが、案の定ネットではすぐに元の漢籍であると思われる「帰田賦」ってのが特定されてて、ネットの集合知すげえ。

だいたい万葉集編纂当時の文字を読める日本人にとって、中国というのは文化の先進国。その先進国の文献をどれだけ知っているかで教養のあるなしが測られてもいたわけですよ。なので、この「令和」の元になったという万葉集の梅の花の歌の序文にしても、書いてあることは「すんげえ気持ちのいい春になりましたね。梅の花もきれいに咲きましたので、宴会の余興としてみんなで梅の歌を詠んでみましたよ」ってなことなんですが、その中には漢籍からの引用が散りばめられていて、たぶんそれを読んだ当時の知識人たちは、今のネット民たちがマッハで「帰田賦」を特定したのと同じように、「これはあの漢詩からの引用ですね(これがわかる俺すげえ)」「これを引っ張ってくるとはマニアですなあ」とかなんとかやりとりしたり、ひとりで悦に入ったり、そんなふうな楽しみ方もしていたんじゃないかと思うんですよ。
ちょっと時代は下りますが、「枕草子」の「香炉峰の雪」の中で、清少納言が御簾を巻き上げて中宮定子に褒められたってのもありましたよね。当時の知識人てのはイコール漢詩オタク。いつの世もオタクは同じようなことしてんだなあって微笑ましい気持ちになったりもしますけどね。

ことほどさように、万葉集は漢籍の影響を受けまくった、しかもその漢籍を知っているひと握りの知識人(オタク)にしか理解できないものだったはずなんです。
それをなー、「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」とかさー。
私がちょこっと調べただけでわかるようなことを、えらい人たちは本当に知らないのか、それとも知ってても知らないふりをして「初の国書典拠の元号」と言ってるのか……。
どっちにしろ、すんげえもやもやするんですよ。もやもや。

ちなみに私は万葉集では巻第2の大津皇子関連の大来皇女の歌が好きです。っていうか、大津皇子が好きなんですよ。いろいろと妄想が膨らむ物語を持つ人です。
そういえば、元号を国書典拠にしたかったんなら、日本最古の漢詩集である「懐風藻」から取ればよかったんじゃないですかね。大津皇子の漢詩も載ってます。

 

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