父の本とは関係ない話だが、

 てーか、そのうち「マイ出版社」構想に関係のある話にしたいなあと、
 今(2005年10月)は思っているが、
 この、父の本をどうやって売るかの考えもなにもなかった。
 2005年8月の時点では、私の中ではまったく関係のない話だったのだ


2005年1月から7月にかけて、
私は自分の出身地である鶴岡に伝わる祭について、
調べたり妄想したりして、ポチポチと小論文のようなものを
書いていたのだった。

7月に、どうにかこうにか結末まで格好をつけて書き終えて
「化け物祭考」としてHPにアップしたりもしてみたのだが、

こういうのって、調べたり書いたりしているうちに
謎が謎を呼んできちゃうもんで、
もっと詳しい資料がほしくなってしまった。

で、実家に帰省しているときに
「地元の歴史資料を探しに図書館と郷土資料館行ってくる~」
と出かけようとした私。

その私に「鶴岡の歴史の本ならうちにもあるぞ」と
父は自分の書斎から二抱えほども、本を出してきてくれちゃったのだった。

それは父の私に対する精一杯のサービスだったのだろうが、
その後の一言が悪かった……

「なにやってんだか知らねえが、俺の本のことも忘れんなよ」

冷静に考えれば、なんのこともない一言だが、
43歳になった今も、父に対しては万年反抗期の私の耳には
その言葉は、ものすごいイヤミな意味を含んで聞こえた。

「わかったわかったわかりましたよっっ
 やりゃあいいんでしょやりゃあ!
 
 娘が自主的に勉強したいって言ってんのに、
 自分のことのほうを優先させろって、それ、親の言うこと!?
 わかりましたっ もうもうもう、売れ残りの本は
 きっちりばっちり売っちゃって、ぎゃふんと言わせたろうじゃんかっっ」

(心の声)

まあ、自分からやると言っておいて、
「やりたくねーなー」と、のらくらしていた自分への
後ろめたさもあって、私はムキーーッと
「やりゃあいいんでしょ!」モードに入ってしまったのだった。

怒りとともに。

で、東京に戻ってすぐに、
憤然と父の本を売る手配を始めたわけだが、

人間、怒りを原動力にして物事を行うと
あらぬ方向に突っ走ってしまう、というのはお約束で……

あの時もっとちゃんと考えていれば…
と、今の私が後悔しているさまざまな間違いをやらかしてくれた
8月の私なのでありました……


つづく
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