「ジュリーをネタに『萌え』談義」の4回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
よろしくです。


今回でやっと
そもそも「萌え」ってなんですか?
の結論が出せそうです。

えーと、
前回の
「萌え」に「妄想」は不可欠
ていうのが私の主張なわけですが、
するってーと、
前に引用した「萌え」の定義の、
「何かに対して、不十分な情報を補って、
好きになるという美意識」

というのは、ちょっと順番と、
その補う方法が違うような気がします。
「情報を補って」→「好きになる」
のではなく、
「好きになる」→「情報を『妄想』で補う」
ではないでしょうか。
で、さらに好きになった結果、
またまた新たな妄想が沸き起こり、
以下ループ、という無限地獄に陥り、
その地獄に身を置かざるを得ない切ない気持ちが
「萌え~~!」
という叫びで表されるわけですよ。

そう、「萌え」は切ないものなのです。
なにしろ、相手の反応を期待する「好き」とは違って、
「萌え」は、自分の中でだけ盛り上がる感情です。
出口がありません。
この「萌え」を「好き」や「恋」と勘違いして、
相手に自分の妄想を押し付け、反応を強要すると、
ストーカーなどの犯罪になってしまいます。
気を付けましょう。
あ、これはちょっと、
十代の頃のイタタな初恋に似ているのかもしれませんね。
今思い付きました。
だからこそ、現代人は今、
「萌え」にハマるのかもしれませんなあ。
あの酸っぱい青春をもう一度!

「美意識」というのは、たぶんその辺の、
通常の「好き」とか「恋」とかとは違う、
自分の心の中だけの感情なのだという、
一種の自虐的な気分からくる
言葉なのではないかなあと思います。
人がなんと言おうと、
俺はこれが好きなんだもんね、
萌えるんだもんね、
という毅然たる態度ですね。
あ、あと、
妄想は下手をすると暴走します。
自己完結的に楽しむには、
自分をある程度律することが必要になりますね。
ストーカーにならないためにも。
これは、「自分だけが」よいと思っていて、
他人には分からなくてもいいんだよと、
そういう「美意識」なのだと、自分に言い聞かせることで、
暴走しないようにしているってこともあるかも。

そんなこんなを考え合わせると、
私としての「萌え」の定義は
「好ましいと思う対象の不完全な情報を
 妄想によって補い、自己完結的に満足を得ている状態、
 または、満足を得たいという衝動」

てなとこかなあ? 長い?

なんにしろ、
「妄想」と「自己完結」
これがなかったら「萌え」とはいえない、
というのが、私の結論だと言ってもいいでしょう。
お断りしておきますが、
これは、あくまでも「私の」結論ですのでね、
「萌え」については、他の方も言いたいことがおありでしょうが、
この「萌え」談義の中では、
この定義に従って話を展開させようと、
ま、こういうことでございますです。
よろしくです。

次回は「萌え」と「好き」の違いに迫ります。

つづく

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