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「ジュリーをネタに『萌え』談義」の15回目でございます。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




久世さんと栗本さんがやっていた、
この「生ジュリーを使って二次創作」を、
実はジュリー自身もやってたんじゃないか……
という妄想が今、湧きました。

ジュリーは、いろいろ考えたり、ものを言ったりする自分よりも、
いわば、からっぽの入れ物としての「ジュリー」が
求められている、ということを
かなり若い頃から意識的か無意識にかはわかりませんが、
感じてて、その要望に応えようとしてたような気がします。
若い頃はあんまりしゃべらなかったというのも
そのせいかな、という気もするし。
自分の言いたいことやりたいことと、
まわりが期待することが
どうも違ってるなあって感じもあったのかも。
まあ、芸能人には多かれ少なかれあることだろうけど、
普通は、若くてかわいい頃はお人形さんとして、
言われるがままにあれこれやらされていても、
だんだんと、自分でもこうしたいああしたいというのが
できてきて、お人形さんじゃなく、
中身の入った人間としての活動をしようとする。
それが一般に受け入れられれば成功するし、
受け入れられないと失敗する、
ということなんじゃないでしょうか。
ジュリーがその「普通」と違ったところは、
「自分はお人形さんなんだなあ」と思った(気付いた?)ときに、
「人形じゃなく、中身の入った人間としてやる!」とならず、
「んじゃ、自分もスタッフのひとりとして、
 そのお人形さんを使った妄想世界を作る側に参加する」
となったことじゃないかと。
久世さんや阿久悠さんや、衣装担当の早川タケジさんや
その他大勢のまわりの人達が、
自分の中の「ジュリー」という妄想をなんとか形にしようと
あれこれやってるのを見ていて、
「それ、楽しそう」
と、思ったかどうかはわかりませんが、
そうやって、スタッフの仲間になった方がよさそうだと
判断したんじゃないすかね。

だってですね、
もう40歳近くのジュリーだと思うんだけど、
なんかの歌番組のトークコーナーで、
「悪魔の~」のときのことをしゃべってて、
「あのときは演技なんてしてなくて、
 そこにいるだけで『今の表情いいねー』とか言われてね。
 ただ楽しいだけでやってましたね」
とか言ってんですよっ。
若かったっていっても、「悪魔~」のときは、
もう27~28歳。
20代後半の男が、まわりから
「そのまんまでいいよ」「きれいだよ~~」と言われて、
抵抗感なく「楽しい」って、あぁた……。
たぶんね、まわりが
「ジュリー萌え~~」ってんで、
いじりまわしてるのが、ジュリー本人からも、
ホントに楽しそうに見えたんじゃないでしょうか。
「そんなに楽しいことなら、ボクにもやらしてよ」
と、こうなったと妄想しますけどね、私は。

これを意識的に積極的にやり始めたのは、
1976年のいわゆる「新幹線事件」後だと思われます。
この事件の後の謹慎期間に、
家でずーっとテレビを見ていて、
初めて、見る側からテレビのことを考えて、
その後の芸能活動の転機になったって、
ジュリー自身があちこちで語ってますが、
今と違って勢いがあって、しかも発展途上のテレビの世界を
視聴者の立場からじっくり見たことで、
「テレビって、作り上げたものを
 その時・その場を切り取った形で提供できるメディアなんだ」
というようなことに気付いたんじゃないですかね?
「スタッフが作り上げようとしてる
 お人形ジュリーをもっと過激にして提供する場として、
 テレビはいいかも」
とかね。
テレビに映ってる、歌っている短い時間だけ、
作り込んだお人形ジュリーでいればいいわけだし、
反応がダイレクトなステージなんかとは違って、
やってみてダメだったら、
次からはやらない、とかの
試行錯誤もやりやすそうだ、とかさ。


で、どうしたかってところで、つづく
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コメント
この記事へのコメント
はじめまして。ジュリーファン再燃組の30代です。ジュリーと「萌え」の考察が面白く、第一回から一気に読み進めています。
今回、ジュリー自身もスタッフの仲間として動いたとの見方には、目からうろこ!と申しますか、大いに納得しました。素晴らしい観察力に敬服します。
「萌え」に関しても同意見です。情報を集めるには、「好きになる」の方が先にきてからだと思います。
妄想の世界に入ることは(想像の世界(想像力)が貧困で)得意ではないのですが、それでも中性的なジュリー、美人薄命、美形で頭はイマイチ弱い系という路線設定が好きであり、私は動画で「観て」萌えます。
おっしゃるように、ジュリーは「人形」に徹してスタッフと一緒に「沢田研二」を作り上げる作業を楽しみながら、視聴者やファン、テレビに挑み続けてきていたのかもしれません(かつてのジュリー)。うーん、すごい。
出演者や製作者が真剣に遊びに挑戦する。だから当時のテレビの歌番組(とくにジュリー)が面白く、見る者が夢中になったのね、と納得する思いです。
今のジュリーも大好きです。歌声や存在感がすてきです。
2009/04/06(Mon) 10:47 | URL  | るきあ #nsgh5Uhg[ 編集]
るきあさま
いらっしゃいませー
「『萌え』談義」を読んでくださり、ありがとうございます。そして、こんなつたない説に同意していただけて、すごく嬉しいです。
ジュリーは自分をからっぽにして、みんなの妄想どおりに作り上げることができた、という稀有な存在なのだと思います。それが、30年前の元気なテレビの世界にピッタリ合ったという幸せな時代だったんでしょうね。

「ジュリーをネタに『萌え』談義」は、途切れ途切れになるかと思いますが、まだまだ続く予定です。お暇な時にでもまた遊びにきてください。
2009/04/06(Mon) 19:26 | URL  | 管理人 #Enj21zdQ[ 編集]
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