4月5日締切とした同人誌の原稿が
続々と集まってきています。
相変わらず、みんななんて優秀なの……

自分の原稿が進んでいない私はどうしたら……
あう。

がががんばります。

それになー
印刷屋さんに入稿の予約しようかと、
あれこれ見てたら、
あんまし時間がないことが判明。
う……ゴールデンウィーク進行ってやつですかっっ!?

やばっ




「ジュリーをネタに『萌え』談義」の21回目です。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




で、やっと「萌え」による「妄想」に話を戻すと、
(ああ、話がなかなか進みませんな……)
まわりの人達がジュリーをあれこれいじりまわして、
萌えドラマやイメージばりばりの歌世界を作り上げたように、
「萌え」というものは、論理立てた説明ができない代わりに、
湧き起こった妄想を創作物として、
外側に発表したくなるもののようです。
表現手段を持っている人は特に。
「萌え」カルチャーというものが、
往々にして、コミケに代表される二次創作同人誌即売会と
結びつけて語られるのも、そのせいです。

でも、湧き起こった自分の妄想を形にしても、
それを人に見てもらって、評価してもらいたい、というのとは、
ちょっと違うような気がします。
妄想を二次創作物の形で自分の頭の外に出してやること、
そのこと自体に意味があるんです。たぶん。
自分の頭の中だけに収めておくことができなくなって、
とにかく外に出してやり、
そうして、また自分もそれを見て、
今度は受け手として楽しみたいんですよ。
んでもって、さらに妄想が湧き……以下ループ。
久世さんなんか、絶対に「悪魔の~」のビデオやDVDを
何百回、何千回と繰り返し見ていたと思うね。
栗本さんも上に同じ。
そんでもって、自分の妄想を形にする術を持たない
一般ピープルは、その作品たちを見て、
「うおう! 俺と同じ妄想がここにある!」とか、
「これ、わかるーーー!」とかね、
そんなふうに楽しむわけですよ。
「萌え」の人々は、自分の「萌え」衝動を
他人にうまく説明できないがために、
常に悶々としてますからね、
自分と同じ気持ちの人がいるらしいとわかるだけでも、
もんのすごく嬉しいんですよ。
作り手も受け手もお互いにね。
だから、「萌え」で作った作品なのに、
作品として「あれはダメだ」とか貶されたりすると、
なんかモニョったりします。
もちろん、才能のある人は「萌え」のみで
作品を作ったりはしませんから、
なにかしら、一般にも訴えるものができます。
その場合、『萌え』要素は演出として
活かされてくるんだと思います。
でも「悪魔の~」に関していえば、
その演出はいささか過剰な気もしますけどね……
「悪魔の~」は、ゴジこと長谷川和彦さんの脚本が秀逸なので、
『萌え』の自己満足だけではない、
ドラマとしても、完成度の高いものになっていると思いますが、
しかし、おそらく久世さんの希望による『萌え』シーンの数々……

なんだかしょっ中、はぁはぁ言ってる野々村さんとか、
良ちゃんに異常に執着する白戸警部とか、
夏の話とはいえ、脈絡なく上半身裸率の高い良ちゃんとか、
いつでもどこでも看護婦姿の静枝さんとか、
17歳にもなって「にいちゃんのお嫁さんになる」の妹とか、
そして、例のシャツビリビリシーンとか、
とかとかとか……

話の筋には全然関係ないじゃん!
もしかして、それ余計じゃね!?
と、言われてもしょうがない気がします。
でも!
ジュリーを主人公にして作るドラマなんだから、
これらのシーンは、こんな演出は、
ぜっっっったいに必要なんだもんねっ!

という、久世さんのココロの叫びが、
『萌え』ナカーマの我々には聞こえてしまうのです。
ドラマ全体の流れや、完成度から見ると、
もしかしたらない方がよかったかも……な、
そんなシーンもあるんでしょうが、
『萌え』のためには必要不可欠。
説明なんかできません。
久世さん、そして「ジュリー萌え」
我々みんなの妄想ですからね。
「ジュリー萌え」がわからない人に
とやかく言われたくありませんよっ(フンッ<鼻息)


鼻息荒くなったとこで、つづくっ! フンフンッ

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