やっと書き終わりましたよ、
悪魔のようなあいつ』最終回について。
ああ、長かった……
伝説のテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』の
主に最終回について語り倒しました。
ブログの1回のエントリに載せるには、
ちょっと長過ぎる記事かもしれませんが、
内容的に、がっつりネタバレしてますのでね、
ネタバレは読みたくないって人もいるでしょうから、
1回で済ませちゃいます。
長いです。お覚悟召されよ。

ネタバレもしてますし、
あと、私が感動したところの押し売りにもなってますので、
素の状態で『悪魔』を見たいと思っている方は
読まない方がいいかもしれません。
あ、それと、最後の方で
映画『太陽を盗んだ男』もネタバレしてます。
こっちはホントにネタバレすると、
面白味が半減て話かと思いますので要注意です。

えーと、それとですね、
最終回のネタバレしてるって言っても、
全体のあらすじや登場人物に関しては、
ほとんど解説してません。
知ってる人に向けての話になっちゃってますので、
もし『悪魔のようなあいつ』を観たことはないけど、
でも、この記事は読んでみたい、
なんて酔狂な方がいらっしゃいましたら、
グーグル先生や、ウィキ先生に聞いてみて、
少し内容を知ってから読んでくださった方が、
いいかと存じます。
わがまま言ってすいません。

あ、DVD欲しいかもって方はこちらからどぞ~
悪魔のようなあいつ DVDセット1
悪魔のようなあいつ DVDセット2


で、これは「『萌え』談義」とはちょっと違うんですが、
ジュリー関連てことで、
「『萌え』談義」カテゴリに入れてしまいます。
「『萌え』談義」を順番に読んでくださっている方で、
『悪魔』のネタバレは勘弁て方は、飛ばしてお読みください。

では、ずずずーいっと下の方から始まります。




































「ジュリーをネタに『萌え』談義」の番外編です。
連載の1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




では、ネタバレおっけーという方のみ
【続きを読む】から、どーぞ~~





「ジュリー萌え」にとってのお宝ドラマ
悪魔のようなあいつ』は、
1975年の6月から9月までの放映でした。
これは、1968年に実際に起きた三億円事件の
お話だったわけですが、
その事件の時効が
1975年の12月10日だったんですね。
なので、その現実の日にちと連動させてドラマは進みます。
毎回ドラマの最後には
「三億円事件時効まであと○○○日」って字幕が出る。
宇宙戦艦ヤマト』か……?
『ヤマト』の方が一年早い放映だから、
『悪魔の~』が真似したのか?
流行ってたんでしょうか。そういうの。

詳しいあらすじやら登場人物やらは、
google先生にでも聞いていただいて、
Wikipediaやあちこちのファンサイトを見てもらった方が
いいかと思います。
主人公のジュリーを初めとして、登場人物、豪華過ぎ。
びっくりですよ。
これは久世光彦さんの力なんでしょうか。
まあ、34年前のドラマですからね、
有名な人達っていってもみんな若い。
当時からずっと頑張ってた人達が
今、芸能界で大御所になってるってことなんでしょうが、
でもねえ……
細川俊之のあやしい中国人とか、
伊東四朗のオカマヤクザとか、
尾崎紀世彦の(おちぶれてる)元GS歌手とか、
その配役がすごいっすよ。
しかもみんなそれを楽しんでやってる風なのが、
なんだか全体的にあやしい空気を醸し出してる。
ジュリーいじめる役の人とか、
みんな生き生きしてるように見えるのは
気のせいですかそうですか。

で、当初は本当の時効の日まで
ドラマも引っ張りたかったらしいんですが、
いかんせん、視聴率がふるわず、
予定よりも早い9月に終了することになったのらしいです。
非っ常~~~に残念です。
あとでゆっくり述べますが、
このドラマ、ちゃんと話を予定通りに作り込んで
最後までやったら、
ちょっとした名作になったかもしれないのに……

私はね、昔からこのドラマの存在だけは
かろうじて知ってはいたんですが、
ジュリーが出ているということくらいしか知識はなく、
内容も全然知りませんでした。
このたび40年遅れのジュリーファンになり、
あれこれとジュリーネタを求めていますと、
この『悪魔のようなあいつ』の話があちこちに出てくる。
んで、断片的に読んだり見たりすればするほど、
ちゃんと観てみたくなっちゃいまして、
「ジュリー萌え」なら観とかなくちゃね、とかなんとか
自分に言い訳しながら
DVDボックス(総額2万8千円)をポチりました。
「あたしったら、なにアホなことやってんだか……」と
多少自虐気味に思いましたが、
美しい若ジュリーが17時間も堪能できるなら安いもんじゃっ!
大人になってからなにかにハマると、こういうことになるんじゃ!
悪いかっっ!! 俺の金だ! 文句あっかーー!
……って、誰に言ってんだか。

で、ワクドキしながら観始めたわけですが、
そういう「ジュリー萌え」観点からだけでも
確かに楽しめるドラマではあります。
てか、それだけでも充分に楽しめます。
2万8千円の価値あります。
若ジュリーの裸とか裸とか裸とか……じゅる…
あ、すみません。
それだけじゃないですよ、もももちろん。
例のパナマ帽の斜めかぶりとかサスペンダーとか、
あと、いろんなデザインのシャツやTシャツや
レースのブラウス(これが異様に似合うんだよ!)……
ボトムは基本ジーンズなんですが、
トップスはほぼ毎回違っていて、
ジュリーファッションショーを堪能することもできます。
ジュリー扮する主人公の可門良は、
7年前に盗んだ3億円を時効までは使うことができなくて、
今は貧乏だっていう設定のはずなんですが、
「それ、誰に買ってもらったんですか!?」
ってな、高そうなワードローブの数々です。
ま、野々村さんや、
コールボーイやって気に入ってくれたおばさまとかが
(いっぱいいそうだ……)
喜んで買ってくれたんでしょうなあ、
というのは容易に想像つきますけどね。

藤竜也扮する野々村さんが、
レースのブラウス握りしめて、
「りょお~、今日はこれ着ろ……な? 似合うぞ、きっと……
 ここで着替えろぉ。そのシャツ、早く脱げよ……はぁはぁ…
 ボタン、止めてやろうか? んふふふふふ……
 あぁ……、やっぱりおまえは白が似合うな……
 次は衿もレースになったやつを買ってきてやるからなぁ……」

とかなんとか、店に出てきた良ちゃんに絡んだり……
ドラマ中にはそんなシーンはありませんけどね。
そんな場面は絶対にあったろうなあ、と妄想炸裂。

……ああ、はい。
観てない方のために解説しますと、
このドラマは「そういう」話です。
野々村さんの、良ちゃんに向けた切ない恋心爆発物語。
34年前によくこんなの放送できたなっていう、そんなお話。
ていうか、逆に今はもう放送できない気がする。
直接的な男同士の濡れ場はないですけどね、さすがに。
でも、それに準ずる、というか連想させる
台詞やシーン、てんこ盛り。
野々村さんは良ちゃんに関してはいつもハァハァ言ってて、
肌は油だか汗だかでテカテカしてるし。
視聴率低迷もわかります。
いくら夜10時からだって、
こんなのお茶の間で観れないよ……
てかね、
私はこのドラマをちゃんと観る前、
噂でだけ聞いてたときには、
「モーホーのドラマ」とか
「野々村さんの良ちゃんへの片思い」とかって、
腐女子的な視線で見るとそうも見えるんだよって
そんなことなんだろうなあと思ってたんですよ。
目に見える部分では、まあ普通に男同士の友情とか
絡まり合った因縁話とか、
そんなのをね、腐女子の腐ったフィルターを通すことで
「モーホー」な雰囲気を加えることもできる、
そんなふうに楽しむドラマなんだろう、と……
……………
  ……………
     …………………………
違いました。
ガチで「そういう」ドラマでした。
「オレはおまえのことが好きなんだよ、りょお……」
ってな台詞もあった……。うーーむ……
そもそもこのドラマ作った久世光彦さん本人が
「僕があのドラマの中であきらかに扱ったのはホモだったんです」
とか、後のインタビュー記事で言っちゃってるらしいし。
あとね、井上尭之バンドが作った、
名曲ぞろいのBGMがあるんですが、
その中に野々村さんが登場するシーンで必ずかかる、
物悲しい曲があってですね、
これのタイトルが「モーホーのテーマ」ってんですってよ!
なんじゃ、そら。
最初、このことをネットで知った時には、
本当はちゃんとした別のタイトルがついているのを
野々村さんのテーマ曲だってんで、
みんなおもしろがって
「モーホーのテーマ」とか言ってんだろうなと
そう思ってたんですよ、私は。
で、ホントのタイトルはなんてんだろうと、
ずっと謎だったんですが、
がっっ!
とある方がブログに載せてくださっている、
サントラ盤のライナーノーツ見たらばですね……
ばっちり印刷されてました「モーホーのテーマ」
ええ~~~~! マジで!?
マジでした。
ググッてみてください。
(ヒント>悪魔のようなあいつ サントラ盤)

しかしまあ、この野々村さんを演じた藤達也さんてのがですね、
もう、そのまんま「モーホー」としか見えない名演技。
私の友達なんか、子供の頃にこのドラマを観て、
藤竜也ってのは、本物の「モーホー」の人なんだと
思い込んでしまったって言ってました。
それくらい、うまい。
良ちゃんが近くにいれば、必ずどっか触ってるし、
しかも、その触り方がネチネチネチネチやらしいんだよっっ
良ちゃんもそんな触られ方して黙ってんじゃねえよっ
って感じ。
それと、普段はツーンて冷たい良ちゃんが、
たまに甘えてきたりお願いごとしてきたときなんかの
(そういう時はたいがいなんか企んでんだけどねえ)
その嬉しそう~な表情が秀逸。
嬉しいんだけど、いやいやそんな
あからさまに喜んだりしちゃダメだ、
でも嬉しい!

みたいな迷いまくった複雑~な心情が
サングラス越しの(!)目の表情とか、口元のヒクヒクとか、
手の動きとかで、よーーーくわかる、その演技ったら!
中でも絶品なのが、
最終回で、良ちゃんに
「あんたさえいてくれたら、オレはいいよ」って
言われた時の顔!!
う……うわ、これはホンモノ? って思うわ誰でも。
そこで、そこまで細かい演技しなくてもいいんじゃ?
って、なんか見てて心配しちゃったよ私。
(なんの心配だよっ)

対する良ちゃん役のジュリーの演技は、
はっきり言って、あんまりうまくないです。
てか、ほぼ演技してない感じ?
そんでも、さすがジュリーラブの久世さんが
ジュリーのために作ったドラマってだけあって、
演技らしい演技をしなくても魅力的に見えるように、
ホントにうまく作ってあります。
ジュリーってば、ほとんど素でやってんじゃないかしら
ってくらい自然な感じ。
ジュリーの中にある(と私は感じている)
「からっぽ感」をうまく引き出していて、
それが良ちゃんていう役柄にすごくハマってる。
なので、ストーリーの展開上、
どうしてもジュリーが演技しないといけないシーンになると、
やっぱり、その下手さが際立っちゃって、
ちょいとB級っぽくなるのが残念といえば残念。
そんなシーンは極力少なくしてあるんでしょうけどね。
で、「ジュリー萌え」としては、しょうがないので、
その辺のことには目をつぶるか、
もしくは逆に凝視して、
「ジュリー頑張っててかわゆい……」とか
「台詞かんじゃってるとこが萌え~」とかいう
目線で鑑賞するっていう、
そんなドラマになっちゃってるんじゃないでしょうか。

そんなこんなで、このドラマは、
主人公の「もう少しがんばりましょう」な演技的に、
相手役の、こっちはうますぎる演技的に、
そして、途中で打ち切るしかなかったストーリー的に、
あとはまあ、70年代のテレビがやれる限界のせいで、
様々な方面からツッコミどころ満載という、なんというか
かわいそうな作品になってしまっているわけです。
「これは全篇ジュリーのPVと思って見るのが正解」
と、ブログに書いてた方がいらっしゃいましたが、
それももっともだと思います。
なにしろ、ジュリーは美しくかっこよく見えるように、
それはもう最大限に考えて作ってありますからね。
私も、17話中、16話まではそういう目で
鑑賞しておりました。

そう、16話までは。

で、17話、最終回です。
というわけでやっと今日の本題。(長いなあ)

「私はこの最終回で泣きました」

年のせいか最近涙腺がゆるくなってねえ……
って、そういうのもないとは言い切れませんが、
でもね、このドラマは、「ジュリー萌え」だけじゃなく、
もっとちゃんと評価されてもいいんじゃないかって、
そんな風に思わされた最終回だったんですよ。

なによりもね、最終回は、台詞がすげーいい!
ちょっとクサいと思われるところもありますが、
でも、あの極限の場面では、陳腐にならない力がある。
しかも、この最終回に限っては、
ジュリーの演技がうまくなってるような気さえするほど、
なんか、すべてが自然な感じ。
なんだろう? 最終回マジック?
久世さんの神演出のおかげ?
最後だってんで、
ジュリーにも魔法がかかったのかも?

長谷川和彦さん(ゴジ監督)が書いた脚本は、
かなり久世さんに変えられてしまったらしいので、
台詞はどこまでがゴジ監督のオリジナルなのかは、
わかりません。
でも、おそらく久世さんは、
自分に関わった人達ほとんどを殺して、殺されて、
なにもかもなくした良ちゃん(ジュリー)が
血まみれになって、万札舞い散る中で笑うっていう、
あのラストシーンを撮りたいって、その願望だけで
最終回を作ったんじゃないかと思われるので、
細かい台詞はゴジ監督のが活かされてんじゃないかと
私は思うんですが、どうでしょうか。

だいたいね、あのラストシーンの
ジュリーの美しさは異常。
真っ赤な血をゴボッと吐いてさ、
(私はなぜかこの血を吐く瞬間がすげえ萌え。激リピ)
それで唇が真っ赤になるんだけど、
ありゃあ、まんま口紅だよ。すんげー美人に見える。
絶対ねらってる。
この最後のシーンはもう、
ジュリーは美しいってだけじゃなくて、
なんつうか、本当にゾクゾクする。
演技のうまい下手なんか関係ない、
っていうか、こんな表情できちゃう人ってなに!?
って感じ。
久世さんの演出がうまかったのかもしれないけど、
表情や動きはジュリーのものだもんね。
久世さんは、普段から
ジュリーはこういう表情ができる人だってことを
わかっていて、それをなんとかきれいに撮りたくて、
このドラマを作ったんだろうから、
やっぱり、このラストシーンは
ジュリー最大の『萌え萌え』シーンなんですよ。

ああもう、ちょっと一度叫ばせてください。

萌え~~~~~~~~!!!!

はぁはぁ………………………
  …………
    …………
        …………あ、どうも。

気が済んだところで、
こっから先は「ジュリー萌え」からは
ちょっと離れた話になると思いますが、
それこそが、私が泣いたところです。
ラストシーンの『激萌え』場面じゃなくて。

以下、私の涙腺が全開になったシーン。

良ちゃん
「ほら見ろよ。オレが乗る船だよ。
 ピッカピカ光っててよ、やけにきれいだぜぇ」

野々村さん
「りょう……、まだ外は真っ暗だよ。
 なんにも見えやしねえぞぉ」


ここですよっ!
まず、ここのジュリーの台詞まわしがすんげえいい!
「ピッカピカ光っててよ」っていう弾んだような言い方。
そして、嬉しそうな顔と眩しそうに細める目。
スタジオドラマなので、画面は
セットの廃船の窓から外を見ているジュリーの顔だけで、
実際の海や船は映らないんですが、
良ちゃんの視線の先には
本当にピッカピカの船があるように思える。
この話全体の荒唐無稽さも手伝って、
ラストシーンでは、
大きな船をシージャックして、
手を振りながら遠ざかる良ちゃんていう
ハッピーエンドが見られるんじゃないかって、
一瞬思っちゃうほどリアルな感じがする。
でも、すぐにそれは幻想なんだとわかるのが、
次の野々村さんの台詞です。
野々村さんは暗ーい表情で、
しかも、嬉しそうな良ちゃんを
気の毒そうな眼差しで見ながら、
「まだ外は真っ暗だよ」って言うんですよ。
おそらく、この場面は現実には
野々村さんの方が正しいんですよね。
外にはなんにも見えないんですよ。
真っ暗な海があるだけなんでしょう。
もしくは、ドラマのセットと
その向こうのスタジオの壁があるだけだよっていう、
たぶん、そこまで考えての台詞なんじゃないかと思います。
オレたちこんな、ボロボロになって
生きるの死ぬのってやってるけど、
これはみんな虚構なんだよって、
ウソの世界なんだから、そんなに本気になるなよって、
そうも言ってるんじゃないでしょうか。
……ってことは、ここは久世さんの脚本なのかな。
久世さんは虚構と現実の狭間を
テレビドラマで表現しようと
あれこれやっていた人だからね。

で、ドラマの中では、
追い詰められて、もうどこにも行けなくて、
しかも病気で狂い始めているのかもしれない、
そんな良ちゃんは、まぼろしの船を
見ているということになっている。
で、そんな良ちゃんを
野々村さんは哀れんでいる。
「ついに狂ったか」って。
でもね、私が泣けたのは、
良ちゃんがついに狂ってしまったっていう、
そこじゃなくて、

まぼろしを見ている良ちゃんの言うことの方が正しい

このドラマはそういう話なんだって
思ったからなんですよ。
野々村さんの「なんにも見えやしねえぞ」っていうのは、
大人の側からの理屈です。正論です。
ドラマはドラマなんだ、現実じゃないんだって。
「現実を見ろ」「おまえはどこにも行けやしないんだ」と、
そう言ってるわけです。
でも、良ちゃんは「オレが乗る船」を見ている。
良ちゃんには本当に見えてるんですよ。
狂ってるからまぼろしが見えてるわけじゃなくて。
本当の船を「見ようとしている」自分を信じてる。
で、その「ピッカピカの船」が見えている良ちゃんの側の
理屈の方が正しいんだって、
そういうことが言いたいドラマなんだって思ったとき、
私は涙が出たんです。

その前のシーンでは、
「この三億円がおまえに
 素晴らしい自由でも与えてくれたのか!?」

と詰め寄る野々村さんに、良ちゃんは
「オレはなあ、そいつをこれからつかむんだよ。
 今日、これからな」

と強気に言うんですよ。
もう何人も殺してしまい、
逃げ道を自分で断つような状態にしていて、なお、
というか、だからこそ、
良ちゃんは「これから」と言うんです。
大人の立場というか、客観的に冷静に考えれば、
そんなのは絶対に無理なことなんだけど、
でも、良ちゃんは自由をつかんで、
「ピッカピカの船」に乗るんだって信じている。
これはもう、聞き分けのない子供のわがままです。
でも、そんなわがままを言うことが、
今、必要なんだと、良ちゃんは信じているんですよ。
そうじゃなきゃ、生きている意味がないと言っているんです。

でも、野々村さんは、
そうやって無理なことをやると言い張る良ちゃんは
病気のために狂ってしまったんだと悲しんでいて、
自分も一緒に堕ちていこうとしているんだけど、
でも、その「ピッカピカ光ってて~」の後のシーン、
それこそ狂ってしまったかのような八村さんとの台詞で、
良ちゃんは狂ってなどいないことがわかります。

「ふみよとおまえのガキを殺してきたんだよ!
 悔しくねえのかよ、おまえのガキを殺したんだぞ!」

と言う八村さんに、良ちゃんは
「オレのガキ?
 あんたの子供かもしれないじゃないかよ。
 そんなこと、どうだっていいのによ」

と投げやりに言い返します。
この「そんなこと、どうだっていいのによ」ていう、
その言い方がね、もう、ホントにゾクッときます。
これ、ジュリーの「素」ですか?
この人、本当に怖い人なのかも……。
「ジュリ~~」とか言ってる場合じゃないよ、きん婆ちゃん。
ああ、ホントにどうだっていいよなあ、そんなこと、って
観てる方も思っちゃう。
本当に、誰の子供かなんてどうだっていいのに、
八村さんたら、なんのために最愛の妻のふみよさんを
殺しちゃったんだろうって、悲しくなります。
そんでもって、子供のことだけじゃなく、
他のことも、なんだって「どうでもいい」んですよ。
自分がやろうとしているとんでもないわがままも、
本当は「どうでもいい」。
でも、「どうでもいい」ことだからこそ、
やらなきゃいけない。
そうでなきゃ、自分は生きている意味がない。
八村さんも、誰の子供でも「どうでもいい」なんて
自分を納得させて生き延びるよりも、
自分の子だと確信できる子供と、
自分だけを愛してくれるふみよさんと一緒に
長生きしたかったんですよ。
そんなささやかな希望だって、
本当は「どうでもいい」ことなんだけど、
でも、八村さんにとっては、
そうじゃなきゃ、生きてる意味がなかったんですね。
で、
「(包丁を刺しちゃった胸が)苦しいよー、
 死にてえよー」

というハチさんに良ちゃんは優しく言います。
「あんたもダメな人だね。
 でも、ダメなやつの気持ちはよくわかるぜ、オレも。
 それにさ、今日のハチさん、すげーカッコいいよ。
 死ぬ価値あるぜ」

「死ぬ価値ある」すなわち「生きる価値ある」でしょう。
そんでもって、ここで良ちゃんは自分のことも
「ダメなやつ」だと思っているということがわかります。
てことは、狂ってしまって
まぼろしの船を見てるんじゃないってことですよ。
良ちゃんは、自分が見ている(見ようとしている)のは、
本当には存在しないものだってことはわかっている。
でも、それにすがらないと生きていけない、
そんな自分は、野々村さん側の大人の理屈からしたら
「ダメなやつ」だってことはわかっているんです。
バリバリに正気です。

ちなみに、このシーンで、
「死にてえよー」っていう八村さんの
首に巻いたダイナマイトに
良ちゃんは煙草から火を付けてあげるんですが、
その時にね、ダイナマイトの導火線の先を探して、
八村さんの頬のあたりに手を伸ばすんですよ。
その時の良ちゃんの手つきが
八村さんをなでているように見えて、
そこんとこにドキドキしてるのは
私だけですかそうですか。

その後、集まってきた警察との撃ち合いの中、
大事な三億円を燃やそうとしている野々村さんを
良ちゃんは
「なにすんだよっ!!」と、
ついに撃ってしまいます。
その時のね、野々村さんの表情がっっ!!
もう~~「うまいっ!」のひと言しか思い付きません。
いくら「おまえに殺されるなら本望だ」とかなんとか
普段から言ってても、
本当に一緒に死ぬ気でいたとしても、
実際に撃たれたときの、
「え? 良、オレのこと撃つの? ホントに? ウソー」
っていう困惑と、
「死にたくねえよー」っていう、
本能からくる、どうしようもない気持ちとが
混ざり合った、なんとも複雑な、
はっきり言ってカッコ悪い情けない表情! うはー
藤竜也、名演技ダダ漏れ。
でもそれは一瞬のことで、さすが大人代表、野々村さん、
2度目に撃たれた後は、いつもの調子を取り戻して、
「心中だな、りょお……」
なんつって、カッコ付けて手を振りながら
死んでいくわけですが、
そんな野々村さんに良ちゃんは、
「心中? そんなんじゃねえよ。
 オレは死なねえ!!

と怒鳴るんですよ。
でもね、その野々村さんを殺した後の
良ちゃんの表情が、またいい!
「あああ、やっちまった、オレ、ここまでやっちまった」って、
「この後、オレ、どうしたらいいんだよおお」って、
無茶苦茶後悔してる子供の表情だ。
あんた、やっぱり野々村さんのこと好きだったんじゃん、て、
なんだかんだ言って、野々村さんに頼ってたんだねって、
まるわかり。
うーーむ、
藤竜也に引きずられて、ジュリーまでもが名演技。

で、野々村さん亡き後、
大人代表の真打ち・白戸警部登場です。

白戸「もういいだろう、もう充分だろう。
 おまえ、勝ったんだ。
 だから、もう銃は捨てろ。
 お祭は終わりだ」


いや、そんな大人の理屈言われたってね、
殺しちゃった野々村さんに

「オレは死なねえ!!」

って怒鳴った良ちゃんは
引き下がるわけにいきませんやね。

良ちゃん「まだ終わっちゃいねえよ。これからだ!」

そう、「これから」なんですよ。
良ちゃんにとっては、すべて「これから」。
この数分後にはたぶん死んでるだろうっていう、
そんな状況の中でも「これから」と思い続ける、
そのわがままが、良ちゃんを生かすことができるんです。
「おまえ、勝ったんだ」なんてね、
大人目線で子供扱いされちゃあ、
「そうですか」なんつって、
素直に銃を捨てることはできません。
大人の言う「お祭は終わりだ」なんていう言葉に
おとなしく従うわけにはいきません。
お祭はずっとずっと続けなきゃ、意味がないんですよ。
自分が乗る船はピッカピカ光っているんです。
そう信じることが、
「もう、こっちへきて大人の仲間入りをしろ」
「夢ではなく、現実を見ろ」
という大人たちに逆らい続けることが、
本当に自分が生きることになるんです。
これが泣かずにいられますか、ってんだ。

うーーん……
ずるずると私が感動したシーンを紹介しましたが、
なんでそんなに騒いでいるのか、
わかりにくいですかね……
私もうまく言えてる気が全然しません。

あのね、これって、
このドラマが作られた時代=1975年ていう時代が
ものすごく影響しているんだと思うんですよ。
70年安保で、学生たちは武装して様々に闘ったけど、
革命なんてものは起こらず、
1972年には浅間山荘事件が起こって、
若者たちが立てこもった山荘を
なんとも象徴的に、鉄球が打ち壊し、
1973年はオイルショックで、
長年の高度経済成長期に終わりを告げた、
そんな時代。
「今まで、やればなんでもできると思ってたけど、
 なんか、この先はダメかもよ……」
っていう、不安な気持ちが
日本を覆い始めた頃ですね。
でも、ゲバ棒持って闘ったり、
会社がどんどん大きくなって儲かったりっていう
イケてる記憶はまだ新しくて、
「いや、まだ頑張ればなんとかできるかもしらん」
ていう気分もまだ少しはあった。

このドラマは、そんな時代を背景にして
生まれたドラマなんですよ。
野々村さんは60年安保から70年安保にかけて
権力(と呼ばれていたなにか)と闘って挫折した世代で、
白戸警部は、戦争を経験し、
やっぱりそこで敗戦という挫折を味わっている。
良ちゃんはそんな大人たちよりは若くて、
まだ挫折を知らない。
先が見えにくい時代になりつつあるけど、
でも、前の世代が闘っていたように、
闘うことができるんじゃないか、
そうして、自分たちは何者かになることが
できるんじゃないかって、
そう思うことのできる世代ってことなんだと思う。
そんな世代に向けて、
まだまだやれることはあるんだから、
挫折した上の世代のように、
あきらめておとなしくなっちゃダメだって、
脚本のゴジ監督は、そんなメッセージを
送っているんだと思います。

私は1962年生まれで、
60年代のことはよく覚えていないし、実感できないけど、
自分の十代の頃とほぼ重なる
70年代の空気っていうのは、
それはもう、実感そのものです。
ある意味、この時代に性格形成されたと言ってもいい。
なので、なんとなく手足を伸ばせないような
閉塞感がまわりには満ちてきているけど、
でも、自分自身の力で思いっきり手足を伸ばせば、
どこかぶち破れるところはあるんだっていう、
そんな気分はとてもよくわかる。
やりたいことは自分の力でなんとかしろ
なんとかできるはずっていう、そんな気分。
ていうか、このドラマに限らず、
いろんなドラマ、漫画、小説なんかから、
そういうメッセージを受け取りつつ、
育ってきたんですね。
そんなわけで、
この『悪魔のようなあいつ』の、
70年代ならではの、熱いメッセージに反応して、
泣けてきてしまうんじゃないでしょうか。

「そうだよね、忘れてたけど、
 そんな風に信じて私も生きてきたんだった」って、
「良ちゃんが見てる「ピッカピカの船」を
 私も確かに見てたよ」ってね。

こういう感覚って、この後の80年代以降に
生まれた人達には
もしかしたらわかりにくくなってるのかなあ。
一般論だけど、時代の閉塞感はどんどんひどくなって、
個人の力でなにかができるなんて考えられないって、
そんな時代になってきたというしね。
『悪魔の~』の脚本のゴジ監督は
後にジュリーを主演にして
映画『太陽を盗んだ男』を撮るわけですが、
それは1979年。
『悪魔』と『太陽』は、
「自分のほしいものは、自分で取りに行け!」という
テーマとしては同じものだと思いますが、
結末はまるで違うように私は感じました。
『悪魔』では、良ちゃんは「勝って」笑いながら終わりますが、
『太陽』では、城戸先生が泣きながら歩くシーンで終わります。
白戸警部が大人の立場から、
子供の良ちゃんをなだめるために言う
「おまえは勝ったんだ」ですが、
結局は、良ちゃんに銃を捨てさせることはできず、
白戸警部自ら銃口を向けなければならなかった。
良ちゃんは、やっぱり「勝った」んですよ。
だって、良ちゃんを撃つ時の白戸警部の台詞は
「ばっかやろう」だもん。
目に涙浮かんでるもん。
(ここの若山先生に不覚にも萌えた私)
そして、良ちゃんは死んでいません。
まあたぶん死ぬだろうなって状況で
ドラマは終わってますが、
でも、エンディングは良ちゃんの
美しい笑顔のアップです。
困り笑いでも、あきらめ笑いでもない、
本当に楽しそうなきれいな笑顔なんですよ。

一方、『太陽』では、
ビルの屋上での闘いの果て、
文太さん扮する山下警部は死に、
ジュリー扮する城戸先生は助かるんですが、
でも、あれは「負け」じゃないかと私は思うんですよ。
『悪魔』の括りで言えば、
山下警部は大人、城戸先生は子供
ということなんだろうと思うんですが、
最後まで山下警部は大人の論理を譲らず、
そのために子供のかんしゃくを起こした城戸先生に
撃たれて、屋上から落ちて死んでしまいます。
城戸先生も一緒に屋上から落ちるんですが、
偶然助かってしまう。
生き死にでいえば、城戸先生の「勝ち」ですが、
自分の信じるところを一歩も譲らずに
死んでいった山下警部は、
『悪魔』でいえば、血まみれで笑っている
良ちゃんですよ。
冗談のように無傷で助かってしまった城戸先生は、
そうなると、泣きながら歩き出すしかない。
それも、おそらく破滅に向かって。
なので、この映画は『悪魔』とは逆に
大人に子供が負けた話なんじゃないかと
私は思うのです。
で、それが、あと1年で80年代になる、
1979年という時代ということなのかなあと。
子供が自分のやりたいことのために
なにかを必死にやるのと同じように、
大人も今の世界を守るために必死になるよ、と、
で、大人が必死になったら、子供はかなわないんだよ、と、
そんな風に言われているような気がします。
でもって、必死になった結果大人は死んでしまって、
取り残された子供は途方に暮れてしまう、と。
単にゴジ監督も『悪魔』のころよりは
4年分大人になって、少し大人の立場からの話を
作ったってことなのかもしれませんけどね。

で、私はやっぱり、現実にはないピッカピカの船を見ている
良ちゃんが正しいんだっていう、
そんなお話の『悪魔のようなあいつ』の方で
泣いてしまうんですよ。

てなことを考えつつ、
『悪魔のようなあいつ』の最終回を見終わり、
DVDの最後に入っていた特典映像の
ゴジ監督インタビューを聞いたところ、
最後にこんなことを言ってて、
私がドラマから読み取ったことは
間違いじゃなかったんだと、
ちょっと得意になりました。

以下ゴジ監督インタビューより
「ひでぇヤツに見えるかもしれないけど、
 犯罪だと言われても、危険であっても、
 自分だけのわがままな夢を持つ、
 それこそロマンを持とうとするってのは、
 気分のいいことだぜってことが伝われば。
 時代も二十数年変わっているわけだし、
 そんな夢なんかそうねぇよっていうふうに
 実感してる人達も多いんだろうけども、
 そうオレもお説教のようには言えないけども、
 まあ、犯罪しなくても、
 わがままな夢っていうのは、
 それぞれにやろうとすれば
 きっとできるはずでね。
 そういう教訓に満ちた番組には
 誰も思えないだろうけども、
 書いた人間からいえば、
 そういうふうにでも感じてもらえると
 二十数年ぶりにDVDとして世に出ることの
 意味があると、思いたい」


ほーらね……って、
最初からこのインタビュー載せれば、
こんな超絶に長い、しかもよくわからん記事を
アップしなくてもよかったんじゃーん、
って、言わないこと!
だって良ちゃんのこと、語りたかったんだもーん。
「ピッカピカ光っててよ、やけにきれいだぜぇ」
っていうあのシーンのことを語りたかったんだもん。

あと、語りたいと言えば!
もうちょっといいですかっ!?

もうちょっと・その1
野々村さんと元妻の恵い子さんとの会話

恵い子さん「なにか起こりそうね。
 いいこと? 悪いこと?
 なにか始まるの? それとも終わるの?」

野々村さん「さあね、どっちかね。
 ま、みんな決められたようになっていくんだろうね、
 みんな……」


いくないですかっっ!?
昔の小劇場のお芝居見てるみたいだよ。
かっこいーーー!
この後、良ちゃんが現れて、
怒濤のラストシーンへなだれ込むんですが、
その嵐の前の静けさってシーンでの台詞ですよ。
ちょっとクサい台詞ですが、
演技派のこのふたりがやると全然陳腐じゃない。
最終回らしくて、むやみにジーンとします。

もうちょっと・その2
このドラマに出てくる女優さんたちは、
みんなそれぞれに存在感があるし、
演技もうまいんですが、
中でもピカイチなのが、
安田道代さん扮する
八村さんの妻のふみよさんです。
もう、最初の登場からずーーーっと
すごいんですが、中でも、
最後、八村さんに殺される直前、
「(お腹の子は)良の子供なのか!?」って
問い詰められて、うすーく笑うところ!
ゾゾーーーッとします。
ありゃあ殺されてもしょうがないです。
ああ、ここでも名演技ダダ漏れだ。

あとね、これは余談なんですが、
1991年公開の鈴木清順監督の映画『夢二』で、
ジュリーは、この安田道代改め大楠道代さんと
共演していて、
その中で、雨の庭をふたりで眺めながら、

ジュリ夢二「いつかどこかで、
 このように女将と一緒にいたような気がする」
道代女将「そういうこともあるやろねえ」

てな会話を交わすシーンがあるんですが、
『悪魔のようなあいつ』を見た後だと、
なんかニヤニヤしちゃいますね。
あんたたちは一緒にいたことがあるんだよって、
場外から声をかけたくなります。うほほ。
ていうか、そんなことも考えながら演じてるのかなあ
なんて思ったり。


と、まあ、私はドラマ『悪魔のようなあいつ』を
こんなふうに観て、「ジュリー萌え」だけじゃない
感動があったよと、ぎゃーぎゃー喜んでいるわけですが、
これを「???」な、とんでもドラマという人がいるのも
それはそれでわかります。
今はあまり見かけなくなったスタジオドラマってことで、
全体になんだかチープな感じがするし、
「そんなんありえねえ!」っていう
無理矢理な設定もてんこ盛り。
舞台演劇的な久世さんの演出も
今のリアルなテレビドラマを観慣れている目には
奇異に映ります。
ま、その辺はそういうものだとして楽しむとしても、
やっぱり、視聴率低迷で、
予定よりも早く終わらなきゃならなかったために、
ずっと積み上げてきた(と思われる)伏線やらが、
ぐだぐだになってしまっている部分は
隠しようもありません。
そういうとこは、
ちゃんと12月までドラマを続けられたら、
なんとか片をつけられたんじゃないかと、
そのつもりだったんじゃないかと思うんですよ。
それぞれのエピソードを回収する時間が
決定的に足りなかったんだろうなあと、
本当に残念でなりません。

恵い子さんと香川さんを
いきなり撃ち殺すところは唐突だし、
まあ、そこはまだいいとしても、(いいのかよっ)
妹のいづみちゃんの死に方はひどすぎる。
あれは、ホントは良ちゃんに
殺させたかったんじゃないかなあ。
じゃなかったら、良ちゃんをかばって
流れ弾に当たって、とかさ。
ありゃ、かばって撃たれたって状況じゃないもんなあ、
警察に殺されたようなもんだもん。
もう無茶苦茶。
ゴジ監督は、脚本では
いづみは死なないことにしていたはず、
と言ってたけど、
久世さん的には、いづみちゃんを
生かしちゃおけないでしょうからなあ。
良ちゃん(ジュリー)が、ひとりぼっちになって、
絶望のどん底に堕ちたとこで笑う、っていう、
それを撮りたかったんだもんねー、久世さんは。
「ジュリー萌え」ナカーマとしては、
それはよーーーくわかります。うんうん。
でも死なすタイミングが、
うまく尺の中に収まらなくて、
あんな無理矢理な死に方になったんだろうと推測。
それと、やっぱり野々村さんは最後に殺されるように
していただきたかったなあ……
ま、これは私の願望ですけどね。
誰も彼もいなくなって、
最後に残った野々村さんまで
殺しちゃって「どうしよう」ってな
心細い顔になった良ちゃんが、
それでも銃を捨てないっていうのの方が、
グッときませんかきますよね。

あとは、
日蝕のドアのとこで張ってたのは刑事じゃないのか?
ならば、良ちゃんが銃ぶっ放したときに、
どうしてすぐに入ってこないのか、とか、
ダイナマイトを用意したはずの
左川と右川コンビはどこ行っちゃったの、とか、
八村さんは、良ちゃんの居場所が
どうしてわかったんだよ、とか、
八村さんは爆死するときに、どうして
わざわざ良ちゃんから離れて行くのよ、とか、
ガソリンまき散らしたとこで銃撃ったら
引火するんじゃないの、とか、
警察が犯人を「完全に狂ってる……撃てー!」って、
そりゃないだろよ、とか、
(だいたい、あの時の良ちゃんてば、カッコよすぎで、
 狂ってるようには全然見えませんからー)
とかとかとかとか……
かばいようのないツッコミどころも満載です。

最後のシーンでセットがバレて、
奥の巨大扇風機が見えてるとこも、
もっと時間をかけて、ちゃんと見せてやれれば、
虚構と現実っていう久世さん得意の
ドラマ理論が表現できたんだろうけど、
ていうか、そうしたかったんだろうけど、
たぶん、それよりも今は血まみれジュリーを
なるべく長く撮らなきゃってんで、
中途半端になったんじゃないでしょうかね。
扇風機には気付かない人もいるかもってくらいの
短いカットだもんなあ。
寺内貫太郎一家」か「時間ですよ」かの
最終回だと思うけど、
登場人物(マチャアキだったか?)がセットの外に出て、
スタジオの中を歩くっていうシーンがあって、
私はあれを見たとき、
すんごい興奮した覚えがあるんですが、
そんな効果は出せずに終わってるし……

うーーむ、残念でならん。
今、リメイクっていっても、
これは若ジュリーあってのドラマだし、
時代性も違っちゃってて、できないだろうしね。

しかしね、話のぐだぐださはしょうがないとして、
それでも、このドラマから学べることは
今でもあると思うんですよ。
八村さんをはじめとして、
登場人物たちのダメさ加減ったら半端なくて、
借金まみれだったり、
身体障害者だったり、
売春婦だったり、
浮浪児だったり、
レイプされたり、したり、
夫以外の人の子供妊娠したり、
なにかっつうとみんな泥だらけになって
喧嘩してるし、
すぐに銃持ち出すし、
人殺しまでするし……
でも、みんななんとかして
生きていこうと頑張ってる。
自分で死んだのって、
良ちゃんの恋人(?)の静枝さんだけだ。
それだって、良ちゃんのためにってんで
一緒に死のうとした結果だしな。
んでもって、究極の良ちゃんは、
コールボーイ(!)で、
妹は歩けなくて、
自分は余命幾ばくもない不治の病で、
恋人は勝手に死んじゃうし、
自分でも何人も殺しちゃって、
まわりの人達みんないなくなって、
最後は、たぶんこの後死んじゃうんでしょうなあって、
そんな状況の中で、
それでも、笑うんですよっ
ゲホゲホ血を吐いて、血まみれになって、
でも、カメラ目線で美しく、
そして本当に楽しそうに笑う
そんなラストシーンなんですよ。
ま、このシーンは久世さんの趣味100%でしょうが、
でもね、ど~~~しようもない状況で、
それでも生きようとする、
美しく挑戦的に笑うっていうのは、
今の時代においても、
ってか、今の時代だからこそ、
強烈なメッセージだと思うんですよ。

今は、生活できない人がいるほどの不況だとか、
仕事がないとか、モテないとか、
生きにくい世の中だとか言って、
刃物振り回したり、
女の子どうにかしたりっていう、
無茶やる人が多いようですが、
でも、同じ無茶でも、
ドラマの中のみんながやってた無茶は、
自分たちがなんとかして
生き延びるための無茶なんですよ。
今のは「もう生きていたくないから」っていう
無茶ですよね。正反対です。
上に並べ立てたみたいな
本当にどうしようもない状況でも、
このドラマの中の人達は、
泥まみれになっても血まみれになっても
生きようとしてるんです。
そりゃドラマの中の話だからでしょ、
と言うかもしれませんが、
70年代は現実だってこんなもんでしたよ。
この時代に育った私には、
誇張されているとはいえ、
この世界はそれなりにリアルです。
しょーもない状況でも、泥だらけでも生きていく、
自分が何者かであろうとするっていう、
こういうことをどうして我々は今まで
学んでこなかったんだろうって、
このドラマを見てると思います。
70年代のこういう、情けない、
でも生きようとする力があった状況って、
バブル期を挟んだせいで
忘れちゃったんでしょうかね。
だったら、今が思い出すときじゃないかと
思うんですが、どうですかね?

あとね(まだあんのかっ!)
あのヨレヨレになった八村さんのことを
「すげーカッコいいよ」って言っちゃう、
あのセンスはぜひとも学びたい。
今はみんななんか妙に
きれいに生きようとしてるような気がします。
だから、ちょっとでも汚れると、
もう「死んだ方がマシ」ってなっちゃう。
自分の奥さん殺しちゃって、
ダイナマイト首に巻いて、死ぬ気で、
良ちゃんのこともぶっ殺してやる!って、
そんなんなっちゃってる八村さんを
「カッコいい」っていうセンスがあれば、
どんなんなっても、もうちょっと生きてみようかって、
そんな気持ちになれるんじゃないかと
思いますけどね。
ていうか、
「カッコいいから、死ぬ価値ある」って、
そんなカッコいい台詞、言ってみたくないですか?

と、なんか最後は説教くさくなっちゃったよ。
まあ、自分に言い聞かせてるってとこで
ユルシテクダサイ


ああ、長かった……
最後まで読んでくださった方なんて
いらっしゃるんでしょうか。
もしいらっしゃいましたら、ありがとうありがとう。
心からの感謝を。

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コメント
この記事へのコメント
読みました
面白く読ませてもらいました。中学生の時の感覚が蘇ってきました。とにかくジュリー目当てで見てました。結婚する時すべてのレコードは売り払ってしまったのですけれど、サントラに書いてあったモーホーのテーマの曲名は今でもはっきり覚えてます。岸部一徳さんはこのドラマが役者デビューでしたし、なんかいろいろ思い出してしまいました。ありがとうございます。
2009/04/22(Wed) 10:29 | URL  | かつてのファン #-[ 編集]
「かつてのファン」さん、ありがとうございます
こんな長い乱文をお読みくださり、
こちらこそ、本当にありがとうございます。
リアルタイムでドラマをご覧になったんですね。うらやましいです。このドラマは70年代という時代をすごく反映しているものだと思うので、当時観ていたらまた全然違った印象だったんじゃないかなあと思います。

この後も、ジュリーのことをだらだらと書いていくと思いますので、お暇な時にはまた遊びにきてください。
2009/04/22(Wed) 14:30 | URL  | 管理人 #Enj21zdQ[ 編集]
悪魔のようなあいつ現在鑑賞中です
はじめまして。「モーホーのテーマ」で検索してこちらに辿り着きました。ドラマのネタバレ含め、楽しく読ませていただきました。
現在ケーブルテレビで放送されている《悪魔の〜》を見ている途中なのですが、(現在第6話まで)ジュリーの美しさに毎晩悶絶しております。素晴らしいですね。最終回が今から非常に楽しみです。
2014/01/08(Wed) 18:03 | URL  | がめんだ #-[ 編集]
がめんだ様、いらっしゃいませー
「悪魔のようなあいつ」の良ちゃんジュリーは本当に美しいですよねえ。
私はこれでジュリーに堕ちたと言っても過言ではありません。
ドラマのストーリーは後半に行くにつれてぐだぐだになってしまうんですが、ジュリーの美しさはどんどん極まっていきます(笑)。
最終回は「わけわからん」「あれじゃダメだ」という人も多いんですが、っていうか、ほとんどの人がそう言うと思いますが、私は記事にも書いたように、わけわからんところも含めて結構好きなんですよ。
お楽しみにー。
2014/01/08(Wed) 22:21 | URL  | ゆう(管理人) #-[ 編集]
今頃観た人。
今頃こんなコメント、見てもらえるかどうかですが…∧∧;
どうしても一言残したくて。

私も良ちゃんは最後まで正気だったと信じてます。
最終話はほんと矛盾だらけです。
最大の矛盾は警察が妹を撃った事ですね。
アレは警察から苦情来るレベル(笑)
あれ1つとっても、如何に無理矢理終わらせたかが伺える。
そこがとても残念で仕方ありません。

私と同じ思いの人を見つけて、嬉しかったです。

突然のコメント失礼しました。
2016/07/25(Mon) 13:15 | URL  | 薄荷パン #mQop/nM.[ 編集]
薄荷パンさま、こんにちは
コメントありがとうございます。

本当にあの最終回は残念でたまりませんよね。
賛同くださる方がいて、私もとてもうれしいです。
悪魔のようなあいつのジュリーは全編うつくしいんですが、
最終回は特に綺麗で、ジュリーらしさが際立っていると思うので、
お話がもうちょっとなんとか矛盾なくまとまっていてくれれば……と、
悔しいような気持ちで、こんな長文を書いてしまいました。
お読みくださり、ありがとうございます。
2016/07/25(Mon) 21:12 | URL  | ゆう(管理人) #-[ 編集]
ハマるとは思ってなかった。
お返事嬉しいです。

ほんと、綺麗ですよね。
実は今YouTubeに全編アップされてて、
ジュリーのエロさを堪能できればいいやくらいの気持で、大した期待も無く観たのですが、
いつ削除されるか分からないのでザッと駆け足で観て、謎な部分が多すぎるのでもう一度観て、すーーっかりハマってしまいました(笑)
ただいま三週目を鑑賞中∧∧;

謎と言えば、矢頭がどうして良をあそこまで虐めるのか、それもまた謎で…
色々考えて辿り着いた答えは「虚無感」。
虚無感の塊みたいな良が許せなかったのかなぁ、と。

とにかく、色々妄想をかき立てるドラマですね。
2016/07/26(Tue) 12:20 | URL  | 薄荷パン #mQop/nM.[ 編集]
薄荷パンさま、こんばんは
矢頭は、良ちゃんが好きだったんですよ、きっと。
だから、自分の元から去っていってしまった良ちゃんを許せなかった、とか?
なんて、すぐにこんな方向に考えてしまってすみません〜

っていうか、このドラマは良ちゃん(ジュリー)をいじめる役をやってる人たちが、
みんなものすごく楽しそうにやってるように見えて、
「それ、素でやってませんか?」って私は思っちゃうんですよね(笑)

ほんと、いろんな妄想が湧くドラマです。
2016/07/27(Wed) 21:10 | URL  | ゆう(管理人) #-[ 編集]
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