3号表紙

第八回文学フリマで売る予定の
「稀人舎通信SPECIAL 3号」です。
文学フリマでは「E-45」ブースへGO!


まだ、ダラダラとジュリー動画&DVDを眺める毎日。
ダメ人間更新中でございます。
このままダメ人生ってのもいいかもなあ……
ダイエットも挫折したことだし(関係ない)

「悪魔のようなあいつ」の最終回について、
こないだ長々と書きました(←リンク先ネタバレてんこ盛り注意)が、
またDVDを観てるとですね、
なんかまた違ったふうにも感じられたり、
別の登場人物のことを語りたくなったり……
うーーん、そのうちもう一回くらい
ネタバレ御免で書くかもしれない。
なんにしろ、あのラストシーンは謎過ぎる。
いや、「謎」ってこたないんだけど、
観てるこっち側の受け取り方で、
いろんなふうに感じるってことかな。
ま、それはそのうちってことで。

で、前回「その21」
鼻息荒くしたまま止まってしまっている
「ジュリーをネタに『萌え』談義」ですが、
またぼちぼち続けようかと思っています。
今回は、まあ「予告編」てとこかなあ……




「ジュリーをネタに『萌え』談義・その22」の予告編みたいなものです。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。




なんで前回鼻息が荒くなっちゃったかというと、
「ジュリー萌え」のわからない人に
『萌え』シーンの要不要についてとか、
とやかく言われたくないから!
てことだったんですが、
じゃあ、どうしてそこに『萌え』が必要なのか
説明してみろよ、と言われても、
『萌え』は、自己完結の妄想であるがゆえに、
説明なんかできません。
『萌え』は、どんな批判も受け付けません。
そこに議論が成り立たないのです。
だからこそ、素人でも自由な二次創作活動ができたり
発表の場があったりと、
いい面もあるのでしょうが、
「『萌え』なんだから、いいんだよっ」と言ってしまうと、
批判も議論も封じられてしまうってところが、
特にこのところあるような気がします。
しかも、ここで延々と「『萌え』とはなんぞや」と
語っているのにも関わらず、
「これ」という、誰でも了解するような、
すぱっとした説明ができないのが『萌え』という感情です。
この場での便宜上、冒頭で定義を掲げましたが、
これは、私が勝手に定義しているものにすぎません。
極端な話、百人いれば百通りの『萌え』があるわけです。
しかも、『萌え』という言葉の説明もあいまいならば、
その中身も、説明がしにくい、という難しいものです。
その説明しにくい感情に
『萌え』という、批判も議論も受け付けない、
便利な名前が付いてしまったことは、
いいことなのかどうか……
ちょっと考え込んでしまう今日この頃なのですよ。

なにをそんなに考え込んでしまうのか……
そんな『萌え』という言葉の功罪てなことをですね、
第八回文学フリマで販売する
「稀人舎通信SPECIAL 3号」では長々と書いたので、
まあ、その辺が読みたかったら、同人誌買ってね(宣伝)
売れ残ったら【稀人舎】HPでネット通販もします。

というところで、ここのブログでは、
ちょっと話題を変えて、
ずいぶん前のエントリで、
「このことは、また後で語ります」と
言ったきり放置してあった、
腐女子的な意味で『萌え』な、
ジュリーと内田裕也さんとの関係について、
いや……裕也さんに限らず、
ジュリーとその周辺の男たちについて
語りたいと思います。

これが……もうね、なんつったらいいのか……
今の腐女子文化は
ジュリーから始まったと言っても過言ではない
ってくらいの、大変なことになっとりますよ。
この先はしばらく「『萌え』談義」ってよりも、
『腐女子』『やおい』系の話が続くと思いますので、
それらがわからない、または苦手という方は、
読まない方が精神衛生上いいかもしれません。


と気をもたせといて、つづく

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