前回のエントリ【稀人舎】活動のことを
久々に書いたら、
各エントリの下に付いてる「拍手」ボタンが
いきなり「6」とかになってて驚いた。
普段は、「1」とか、多くても「3」とかなのに。

ジュリー話を書き始めてアクセスが増えたみたいだなーと
喜んでいたのだけど、
なんで【稀人舎】ネタの方に拍手?
しかも、なんだか情けない話なのに……

と、疑問に思いながら、
ジュリーをネタに「萌え」談義、再開です。



「ジュリーをネタに『萌え』談義」の41回目です。
1回目はこちら
連載になってますので、
「その1」「その2」……と、
順番に読んでいただいた方がよいかと存じます。
あ、カテゴリ(『萌え』談義)から辿っていただいてもいいかも。
よろしくです。



前々々回の最後で
そんなふたりが唯一同じところを
目指していた(と思われる)PYG

と書きましたが、
彼らは同じところを「目指していた」のではなくて
PYGのその時期、そのステージにおいては、
「同じところにいた」っていうことなんだよね。
ふたりがその時点で目指していたのは
どこなのかなんてわかんないですし、
どこも目指してなんかいなかったのかもしれない。
特にジュリーは目指すものがなさそうな人だしね。
ジュリーはステージで歌っている
その瞬間さえあればいいっていう、
そういう人なんじゃないかなあ。
歌うことでからっぽの自分が満たされれば、
それで満足だったんじゃないかって思います。
(そんな人であってほしいっていう私の願望でもありますけどね)
だからジュリーにとっては歌うということ自体が
目的なんじゃないでしょうかね、たぶん。

YouTubeのあちこちに少しずつアップされている
74年や75年のライブ映像を見ると、
ジュリーも、井上さんやサリーも
裕也さんも、もちろんお客さん達も
みんなみんなすごーく楽しそうだ。
本当にその時間と空間を共有できて興奮してる。
これらのステージにショーケンの姿はもうないけど、
PYGのステージもこんなふうだったんじゃないかなあ。
「ジュリー」の「コンサート」じゃなくて、
バンドのライブって感じがするし。

音楽っていうのは、大音量で聴いてるだけでも
それで頭の芯までいっぱいいっぱいになる感じがするし、
ましてや、それを演奏する側だったら、
自分の声が楽器の音と重なり合って、
気持ちよく響いて、歓声に包まれて……
からっぽのまんまでなんかいられない。
PYGの頃はとても楽しかったって、
ジュリー自身が言ってるしね。
「俺らロックやるんだぜえ!」っていう、
みんなの力で、からっぽの自分を満たすことができたって
ことなんじゃないでしょうか。

人はからっぽのままでは生きていけないものなのか。
そのことを考え出すと、とんでもなく遠ーーいところに
行ってしまいそうなので、
今は
「からっぽのままでは、生きていくのは難しいらしい」
というあたりで許してください。


と、許してほしいところで、
ショーケンのこともまだまだ引きずりつつ、
井上尭之さん篇へつづく!

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