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いろいろと考えていたら長文になってしまいました。
改行する根性がなかったので、このまま載せます。読みにくくてすみません。


 「萌え」とは、虚構も現実も同じ手触りのものとして認識したときに発生する感情なので、「現実」はもはや「間違っていない」程度の捉え方で構わない。もし間違っていたとしても、その間違った認識の方が現実よりもおもしろかったら、それでもいいとすることもある。

 「ジュリー萌え」のファンにとって、ジュリー(沢田研二)自身の現実は、ほぼどうでもいい。「ジュリー」は、昔からいろんな人達にかわいがられ、今は加瀬さんやギターのカズさんと仲が良く、年を取っても弟くんポジションで甘え上手、なのに頑固で昔気質、というキャラ設定でファンは捉えていたりする。萌えどころはそれぞれなので、人によって設定は当然違ってくるんだろうけど、今の「ジュリー」キャラのスタンダードは、だいたいこんなもんじゃないでしょうか。
 加瀬さんに焼き魚の身をほぐしてあげたとか、カズさんに「末永くよろしく」と言った、などの「現実」の情報は、そのキャラ設定を補完し、すぐに虚構に取り込まれ、さらなる妄想のネタになる。ジュリーは昔気質だからネットに弱いというキャラ設定に対して、「グーグルで検索……」というジュリーの「現実」の発言は裏切るものではあるけれど、それもまた虚構に取り込まれ、ネットに詳しくないジュリーも加瀬さんの影響で新しいことを知り喜んでいる、という妄想で設定が上書きされたりもする。
 もしかしたら、加瀬さんやカズさんとは本当はさほど仲良くなく、ネットにもバリバリ詳しくて活用しまくりなのが現実のジュリー(沢田研二)なのかもしれないけれど、そんな「現実」はどうでもいいのだ、たぶん。

 ジュリーは、実際のジュリー本人の実体(現実)はほとんど見せずに、歌であれ芝居であれ、常に虚構を演じ、見せてきた。だから「萌え」と親和性が高いのか? 「沢田研二」ではない「ジュリー」は現実を背負っていない(ように見える)から、「萌え」と言われる……?
 それはなんか違うような気がする。
 現実を背負わさないこちらの妄想のみで「ジュリー」という存在を語れるから、という方が当たっているかもしれない。
 では、なんでジュリーは妄想のみで語られてしまうのか? ジュリーに関しては「現実はどうでもいい度」が、他の有名人たちよりも高い気がするのはなぜなんだろう。

 ジュリーの場合、ここ数年の間に比較的若いファン(といっても30代から40代が中心だけど)が増えていることが、「萌え」られていることと関係があるのかもしれない。阿久悠氏の追悼番組や還暦ドーム公演の報道で、子供のころにテレビでさんざん見ていたけれどもファンというほどではなかったジュリーのことを思い出し、YouTubeで再会しファンになったという、なにを隠そう私もそうなんだが、そんなファンが今たくさんいて、そういった人達が「ジュリー萌え~!」と叫んでいることが多い気がする。

 なんでか?

 最近ファンになった人は、ジュリーの60年間の足跡をまとめて知るわけだけど、それはもう、実在している「沢田研二」という人間の経歴ではなく、ある「物語」としか捉えられなくなっているのではないだろうか。
 生い立ち、家族構成、野球部のキャプテンだった中学時代、不良仲間とジャズ喫茶に出入りしていた高校時代、サリーたちとの出会い、デビュー前後のエピソード、ザ・タイガースでのあれこれ、解散のエピソード、PYGの不遇時代、ソロでスーパースターになっていく経緯、人気絶頂時の年上の人(それも有名歌手)との結婚、信頼していたバックバンドとの別れ、新しいバンドとの出会い、大手事務所からの独立、スキャンダル、テレビから遠ざかってライブ中心のインディーズ活動……ああ書き切れない。このエピソードの多さ。しかもそれぞれが濃く、何十年も経ってから後日談がくっ付いてきたりもする丁寧さ! これがリアルでひとりの人間に起こったことだなんて、ちょっとにわかには信じられない感じもする。
 イッタイコレハ、ナンノ大河ドラマデスカ?
 それに、エピソードのあれこれが、なんだかどこかで見たり聞いたり読んだりしたことがあるような気がするのはなぜっ!?
 それは、70年代から80年代にかけての主に少女漫画、少女向け小説などで、たぶんジュリーやタイガースのエピソードをネタにしたお話が大量に作られたから、ではないだろうか。
 少女漫画に限らず、漫画に出てくるバンドメンバーのキャラ設定とか、デビュー時のエピソードとか、まんまタイガースな話、私はいっぱい読んだ気がする。ソロになってからの芸能界のドロドロとか、スターの葛藤とかも、ジュリーのリアルなエピソードを読んだり見たりしていると、「あれ? これと同じ話の漫画とか小説、読んだことある」と思うことがよくある。

 要するに、私のように後追いでファンになった人達は、ジュリーのことを二次創作(!)で先に知ってしまっているのだ。そして、ジュリーの経歴を掘り起こせば起こすほど、その二次創作よりもすごいことが続々と出てくる。それはもう、現実の話というよりも、二次創作を踏まえた「三次創作」とでも名付けたいほどのエピソードの数々。
 そんなふうにしてジュリーの経歴をなぞっている我々にとっては、ジュリーという人はもはや現実に存在する人というよりも、なにかのお話=虚構の中にいる「キャラ」としてしか見られなくなってしまってんじゃないだろうか。もちろんジュリー(沢田研二)本人は、今も現実に生きて暮らして歌を歌ったりお芝居をしたりしている実在の人なんだけど、数十年間の「三次創作」の中の登場人物として見てきた続きの「キャラ」でもある。そして、その「キャラ」として見た方がおもしろい。「ジュリー萌え」のファンたちは、まさに虚構も現実も同じ手触りで認識し、間違った情報でもおもしろければ現実と違っていてもよしとして「ジュリー」キャラを楽しんでいる。なので、後追いでファンになった30~40代の人達の多くが「ジュリー萌え」なんではないだろうか。
(ああ、結論までが長いな。いつものことだけど)

 だから、ジュリーと同年代で、ジュリーのデビューと同時にファンになり、40数年間ずーーーっとずーーーーーーっとファンだった姐様たちは、虚構ではない、現実のジュリーをその都度見て一緒に歩んできているわけだから、そりゃ「萌え~」とは言わない。だって、その人達にとってのジュリーは現実の人だもの。一緒に年を取って生きてきた人だもんね。追っかけファンとして話をしたこともあるかもしれないし、プラベートな顔をしたジュリーを間近に見たことがあるかもしれない。なにより十代のころから現在の62歳ジュリーまで、リアルタイムで見続けているんですよ。虚構の部分なんか入り込む余地なんか全然ないくらい、現実のジュリーでいっぱいなんですよ。ああうらやましい。そのうらやましい気持ちを宥めるために、我々後追いファンは今まで見てこなかったジュリーを虚構で埋めて、「萌え~!」と叫んでいるのかもしれない。ああ、そうかもな。そんな気になってきた。

 でな、なんで私が今さらのように、こんな「ジュリー萌え」についての考察を長々と述べているかというと、ジュリーファンの間では、今のジュリーに対しても「ジュリー萌え~!」「ジュリーかわいいー!」ということはよく叫ばれているのに、かつては(今でもか)ライバルと呼ばれ、なにかと対にして扱われていたショーケンには「ショーケン萌え」という声をとんと聞かないからなんですよ。
 twitterで、私が「ショーケンかわいい」つって、調子に乗ってショーケンとの妄想会話なんかを書いたら、ちょいと微妙な反応がいくつかあって「あれれ?」と思ったことがきっかけなんですがね。まあ、それ以前から、ショーケンに関しては不用意に「萌え~」とか「かわいい」とか言ったら、なんか失礼に当たるんじゃないか、怒られそう……ってな気がしてたんですよ。そんなに明確な根拠があってのことじゃないないですけどね。ジュリーファンとの温度差っていうか、どうも立ち位置が違うみたいだなあ、と。

 思うに、ショーケンのファンな人達って、ジュリーにおける姐様たちのようなファンがほとんどなんじゃないのかな。一緒に人生歩んできちゃって、虚構の入る余地がない。今30代くらいの若いファンも、子供のころにテレビドラマのショーケンを見たり、ショーケンの歌を聴いたりして、ファンになって、それからずーっとファンな人が多いんじゃないだろうか。なんだかんだいって、ショーケンは結構コンスタントに仕事してCMやドラマにも出てるんだよね。ここんとこは事件のせいで露出がなかったから、過去の人みたいに言われてるけど、そんなのほんの5~6年のことだ。
 だから、ここ数年の間に後追いでファンになった、私みたいな人って少ない気がする。ショーケンの経歴をジュリーの「三次創作」みたいに虚構として受け取り、自分の妄想も加えてしまうなんてことは、全然一般的なショーケンファンじゃない。むしろ「いろいろと大変だったショーケンの経歴を妄想なんかで好き勝手にねじ曲げてんじゃねえよ!」と、そんなふうに言われちゃいそうな気までする。実際に言われたわけじゃないんで、あくまで「気がする」だけですがね。というか、私自身も「萌え~」とか言いながらも、そんなふうに思っている節がある。

 なんでかね?

 まあ、ショーケンの経歴もジュリー同様波瀾万丈なんだけど、波瀾万丈過ぎてシャレにならんことが多過ぎる(笑)ってのが第一かなあ。逮捕されたりってのは、やっぱりお話(二次創作)にはなりにくいってことなのか。実際に関わっていて触れられたくない周囲の人達ってのも、まだ現役だったりするんだろうしね。(うーーん、ビミョウな話だ……)

 あとは、ショーケン自身がブッチャケすぎるってとこもあるのかもしれない。ジュリーも結構いろんなことをブッチャケてるんだけど、その時々に本人がどう考えたかってことが、ジュリーの場合は見えにくい気がするんだよね。それはもうジュリーの性格というか、持ち味としか言えないんだけど、そんなふうに見える。それに対してショーケンは、その都度なにを考えていたのかが見える気がするんだよね。
 ああ、もしかしたら歌手と俳優の違いかもしれない。3分から5分くらいの間だけその歌の世界を演じて、あとは自分というものを遮断していてもいい歌手っていうのと比べて、俳優ってのは思いの外その演じている人のことが見えてしまうものなのかもしれない。そうじゃない俳優さんももちろんいるだろうけど、ショーケンは、本人の実像がまずありきで、それを表現するために演じている俳優だと思うから、ファンが好き勝手に妄想する虚構なんかの入り込む隙は、どうしても少なくなってしまうのかも。
 虚構が入る隙間がないのであれば、やっぱり「萌え」との親和性は低い。

 しかしね、ショーケンの現実がどうあれ、「こんな人であってほしい」という見る側からの妄想を禁ずることはできない。仮にそれが実像とかけ離れたものであったとしても、俳優、タレントとしてメディアに晒された時点で、実像はあってなきがごとしのはず。だいたい、私が「現実はこうなんだから、違う見方は認めない!」と言われているように感じているショーケンの実像ってのも、本当は違うかもしれない。そんなの家族でもなければ、誰にもわからない。ファンとしてショーケンのことをあれこれ思いめぐらした時点で、もうそれは虚構なんだよ。

 というわけで、私は「ショーケン萌え」だ。
 「ジュリー萌え」とはちょっと違った気持ちなのかもしれないけど、ショーケンの現実と虚構をどちらも同じように愛していきたい。(おお、愛の告白になっちまった 照)

 ショーケンは、今年秋にまたライブをやるし、それのプロモーションでテレビにもまた出るとしたら、これまでショーケンを知らなかった、もしくは忘れてたという若い人達がファンになるかもしれない。そうしたら、「ジュリー萌え」の若いファンと同じように、「ショーケン萌え~!」と叫ばれる日がくるかもしれない。
 そんな日がきたらいいなあと、私は思っているのだけど、どうしてそう思うのかは、「楽しいから」と、ここではひと言だけ言っとく。

 詳しくは、また今度書きます。

 
こんな長い文章を最後まで読んでくださって、ありがとうありがとう。
オマケとして、「ジュリー&ショーケン萌え」のイラストを貼っときます。

萌えー

じゅり&しょ-3
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コメント
この記事へのコメント
こんにちは
いつものことながら、納得です。ありがとうございます。
ブログにリンクさせてください。どうぞよろしくお願いします。

現実と虚構ということで言えば、あたしにとって、ショーケンこそが虚構で成り立ってる「萌え~~」な存在で、なんとなく人生の中で見てきただけのジュリーが現実です。今そこにいるジュリーしかわからないから、現実といってもほんと、部分的なんだけれども。
見えてる部分以外のことに興味を持っていないからでしょう。

あたしはショーケンのファンなので、たとえばマカロニは、今日もあたしにとっては、目の前で生きてるし、それは「いやいや演じてる」ショーケンと同化しての存在ですから、あたしにとってのショーケンなんて、虚構以外の何者でもない。
ということを、夢のない話ですが、かなり早くから自覚していて、真実のショーケンを追い求めたい、みたいな意欲がそもそもありません。現実のショーケンにたどり着きたくてもたどり着きようがないとはなから思ってるんですね。

で、人の持つ虚構、人々がショーケンをどう捉えているのか、ということの方に、興味が集中している感じ。
面白いんですよ。「これこそがショーケン!」って十人十色だったりするので。おかげで、あたしにはますますショーケンがわからなくなる一方ですが・・・。

ですので、ゆうさんのお話、ついったーでのつぶやきも、とても興味深く楽しいです。
2010/06/30(Wed) 21:22 | URL  | showken-fun #-[ 編集]
showken-funさん、こんばんは
こちらこそ、いつもありがとうございます。
リンク、よろしくお願いします。

ですが、ショーケンのファンの方って、showken-funさんも含めて、現実のショーケンの実像が好きでたまらないっていう方がほとんどなのかなあと思っていたんですよ。(そういう方ももちろんいらっしゃるんでしょうけどね)
showken-funさんも「ショーケン萌え」だったんですね。すみません。ちょっと誤解してたかもしれません。
私は自分がそれこそショーケンについてはよく知らないことが多くて、虚構(妄想)でしか捉えられず、自分の都合のいいようなショーケンを思い描いて「萌え~」と叫んでいるようなものなので、twitterでの発言にしても、ショーケンのファンの方々に不快な想いをさせているんじゃないかと心配していました。
(あ、twitterのフォローもさせていただきますね。基本的にフォロー返しはせず、@で話しかけてきてくださった方をフォローするようにしているので、今まで失礼いたしました)

「ショーケン萌え」同士(笑)、今後ともどうぞよろしくお願いします。
2010/06/30(Wed) 21:56 | URL  | 管理人 #Enj21zdQ[ 編集]
こちらこそ~
ただまあ、世代的に?「萌え」という言葉の使い方を知らん、ってことはあるんですよ。どこでどう使うの?って。
なもんで、あたしは「ショーケン好き」としか言えない女、と自称しています(笑)。そのことを、あたしの場合、ゆうさんのようには肯定的に考えられなくて、苦しんでいる、ということなんです。常に、本当のショーケンを何も知らないのが情けない、という思いがあって。
でね、男性ファンの圧倒的に多い中で、常に「しかられはしまいか」不安を抱えてやってるんです。

ショーケンの場合確かに、「萌え」という表現が、キャラ的に似つかわしくない、ということはあるかもしれませんですね。
ジュリーは、驚くほどのそのエピソードが、簡単には表に出てこないゆえか、いろいろあっても飄々とわが道を歩いている、というイメージがあって、こちら側の人間がいくらでも虚構を持ち込める余地を感じるんだけれども、ショーケンの場合、七転八倒もだえ苦しみながら生きている、60年代やくざ映画の世界みたいな?(違うか 笑)苦悶を目にすると、虚構で「いい方向へ持っていくこと」が無為に感じられたり、安易に「萌え~」とか言っちゃ失礼?みたいな感覚があるっちゃあるかもしれません。

(あのね、あたしなりの感覚なんですが。ショーケンを時に「萩原」「萩原さん」と呼ぶことの方が多い方は、現実のショーケンに虚構を挟み込むのを許さないタイプなんじゃないかと、勝手に思っています)。ヒソヒソ

あ、ついったーですが、気になさらないでください。お気遣い、ありがとうございます。いいんですいいんです、フォローしていただかなくて。

実は、「りついーと」、やっと、これがやりたかったんだと気がついて、もう誰のフォローもやらないだろうな、と思っているぐらいなんです。「ショーケン」が拾えればよくて。
あたしのはもう、基本ショーケンしか出てこないですから~~
2010/06/30(Wed) 22:37 | URL  | showken-fun #-[ 編集]
showken-funさん、ありがとうございます

あ、私もショーケンのことを書くときは、ちょっと考えますね。>「しかられはしまいか」
まあ、結局書いちゃうんですが。

>苦悶を目にすると、虚構で「いい方向へ持っていくこと」が無為に感じられたり、安易に「萌え~」とか言っちゃ失礼?
そうなんですよねえ。その辺がショーケンの方がジュリーよりも実像を見てる気にさせられてるってことなのかもしれません。

(ヒソヒソ情報ありがとうございます 笑。「萩原」「萩原さん」そうなんですね~)
2010/06/30(Wed) 23:25 | URL  | 管理人 #Enj21zdQ[ 編集]
おいらは見た
懐かしい。ジュリーやショーケン・・・あの気絶するドラマーの・・なんだっけ、寺尾聡のグループもいて。中学生のころかな。でその後は、天使の歌声のカレンカーペンターに魅了され、大学で キャロル(英ちゃんの)を知ってという順でしたね。少しの間、岩崎宏美とかも。笑

ところで、最近気になったことに、コーヴとかいう映画の感想の一シーン、「か・わ・い・そ・う」です。若い女の子の感想。シーシェパードよりも、この子達のかわいそうのほうが問題かもしれません。
「いるかを食べるのは是か非か」「豚さんや牛さんはかわいそうじゃないのか」というシビアな話題もいいかも。
ちなみに、私は日本の文化なので是。生きるとかわいそうは人のエゴ的矛盾なのでした。


2010/07/09(Fri) 11:20 | URL  | aloha1 #-[ 編集]
aloha1さん、こんにちは
「ザ・コーヴ」私は観ていないんですが、まあ、その「かわいそう」はうまく誘導されちゃっているのかなあ、と思います。
そこで簡単に誘導されてしまうのは問題だと思いますが、個人が「かわいそう」と思うのは自由なので、それは私は別にいいんですが、その個人的な感想を全人類的に敷衍して、「だからイルカ漁はいけない」と持っていってしまうのは、問題かなあと思いますね。

>生きるとかわいそうは人のエゴ的矛盾なのでした。
そのとおりですねー
2010/07/10(Sat) 22:41 | URL  | 管理人 #-[ 編集]
iPadで読める本を出すなら
こんなサービスがありますね。ブログのように無料だそう。
http://p.booklog.jp/

なにか作ってみようかな。
2010/07/15(Thu) 03:57 | URL  | aloha1 #-[ 編集]
ためしてみました。ぱぶー
本当にブログを書くように、作れますね。ゆうさんの通信もこれでいかが?
ツイッターのツイートもできて、広報にもなりますね。
2010/07/15(Thu) 10:36 | URL  | aloha1 #-[ 編集]
aloha1さま、こんにちは
ぱぶーは本当にお手軽ですよね。
ブログのようなものをPDFやePub形式でじっくり読みたいというのには向いているんじゃないでしょうか。
私もなにかちょうどいいコンテンツがあれば試してみたいと思っていますが、
「稀人舎通信」などは、電子書籍でも、もう少し書籍っぽいアプローチをしたいような気がしているんで、
出す時には、たぶん独自のPDFを作成して配布する形になると思います。
2010/07/15(Thu) 17:27 | URL  | 管理人 #-[ 編集]
パブーで出版記
大人絵巻の次は有料のまじめな本を作ってみました。
http://p.booklog.jp/book/5098
作るのは簡単。でも、この仕組みやサイトをネットで広く広報しなくては簡単には売れないかも。
2010/07/26(Mon) 21:20 | URL  | aloha1 #-[ 編集]
aloha1さん、こんにちは
そうなんですよね。
電子書籍は、作るのも配信するもの簡単なんですが、
それをどう広報するかが、やっぱり個人では難しいんです。

電子書籍の波の中、大手出版社などは生き残りにあれこれやってるみたいですが、
その辺になにかヒントがあるのかもしれません。
2010/07/30(Fri) 22:03 | URL  | 管理人 #-[ 編集]
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