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ジュリーのナマハラを見るとなぜ嬉しいか問題。

「問題」ってほどのことか?とも思いますが、
この前のエントリでちょこっと書いたら、
ぼや〜っと考えていたことがちょっと形になりまして、
もう少し語りたくなったので、語ります。
長いです。

いつものようにお断りしときますが、
これは私個人の意見ですので、
「私はそれとは違う意味でジュリーのナマハラを喜んでいる」
という方も当然いらっしゃると思います。
もしくは
「ファンだけど私はナマハラ見たって嬉しくない」
という方もいらっしゃるでしょう。
それは個人の自由です。
ジュリーとはそういう存在なんですよ。

受け取る側がどんなふうに受け取ってもいい存在。

ああ、いや……、沢田研二さんという実在の人がではなく、
「ジュリー」というイメージを背負った、
いわば架空の存在がそうであるという意味ですけどね。
「ジュリー」とは、見る人の数だけのイメージを背負い、
そしてそれを受け入れてくれる、そういう存在だということです。
なので、ここで「ジュリーが」「ジュリーが」と言ってる時の
「ジュリー」ってのは、私にとっての「ジュリー」っていうことです。
あしからず。
あいかわらずの言い訳が長くなりましたが、
ジュリーのことをこういうふうに見ている人もいるんだなあ
というぐらいに思っていただけたら幸いです。


で、なんで66歳ジュリーのナマハラが嬉しいのか。
……の前に、若いころのジュリーのことを。

前にこのへんの記事で書いたように、
ジュリーは男性でありながら、
若いころから(おそらく子供のころから)、
あの容姿のせいで、
女性のように一方的に見られ、外見だけであれこれ評価され、
消費される存在としてずっとやってきていたために、
そのメンタリティは女性に近いものがあるように、
私には思われます。
というか、
女性側の立場に立つことを厭わない、
と言ったほうがいいかな。
メンタリティはものすごく男っぽい部分があるようだし。

以前、私の友人は、ジュリーのことを
「女が持っている男気を持っている男」
と評したことがありますが、まさにそれ。
別に「女っぽい」というわけではなく、
男には違いないんだけど、
普通の男が持っていないような、
女の潔さとかある種の開き直りのようなものを
持っているような感じがする。

「男気」「女っぽい」など、フェミ的には非常に心苦しい言葉遣いをしておりますが、ここでジェンダーに絡んだ言葉の使われ方からやっているとややこしくなるので、わかりやすく世間一般で使われてる言い方をします。
と言い訳しておきますすみません。



そんなジュリーをファンの女性たちはどう見ていたか。
もちろん、自分(女)に対する「男」として見て、
いわゆる乙女萌えをしていた姉様たちも多かったと思いますが、
私は、そんなふうな「自分の相手」としてよりも、
もっとゆるーい感じの「仲間」のような感覚が
ジュリーに対してはあるんですが、
そんな感じはしませんかね?
ま、これは私が完全に後追いファンで、
リアルタイムのジュリーを知らないせいかもしれませんが。

あの栗本薫御大が、
「沢田研二のような存在になりたかった」
と言っていたように、
ある種の女性(主にのちに腐女子と呼ばれる人たち)にとって
ジュリーは自分(女)の相手として憧れる外側の存在ではなく、
自分がなりたい、内在している憧れなんです。

そんなジュリーが、主に女性のファンたちの前で、
「♪ぷぷっぴどぅ〜」と女優のセクシーポーズを真似、
ヒップラインを強調してみせたり、
乳首をチラ見せしてみせるのは、
「君たち女性はこんなふうに男たちに見られてるよね」
「今日は僕をそんなふうに見てもいいよ」
ということなんじゃないかと思うんですよ。
要するに、
「みんなで、男たちのセクハラ視線をパロディにしちゃおうよ」
ということ。
ジュリーとファンの女の子たちは、
その場では親密な共犯関係を作っているように思えます。
言葉にはしなくともそれは、
ライブ盤に収められた、客席やジュリー自身の
温かい笑い声や拍手でそうとわかる。
ああ、その場にいたかった。

ファンは綺麗なジュリーを見ながら、
世間一般で言う「女」というイメージを
ジュリーと一緒に安心して消費している。
一方的にジュリーを消費するだけじゃない、
まさに共犯の関係性がそこにあったと思うのですよ。

ジュリーは決して女の子を女であるということだけで
消費したりしない。
それどころか、逆にジュリー自身が見られる立場になることで、
自分を消費していいよと言ってくれる。
いくら見られても、男であるジュリーの本質は
決してすり減ることがないから。

女は、基本的に男や世間が一方的に作り、
押し付けてくる女性像を演じることを強制されているために、
その外側から与えられたイメージと自分自身との齟齬に疲れ、
すり減っていくことが多いですが、
ジュリーにはそういった世間一般から押し付けられるイメージがない。
アイドルや歌手としてこうあるべきみたいなものはあったでしょうが、
女が女であるというだけで背負わされている妙なイメージはない。
でも、一方的に見られる側という女性の立場は経験している。

そんなふうに、別に女っぽいわけじゃなく、
ちゃんと男であるにも関わらず、
限りなく女の側に寄り添ってくれる存在、
それがジュリーだったわけです。

そういう存在って、他にいますかね?
当時の綺麗な男の芸能人で言ったら、
美輪明宏とかピーターとかいましたが、
彼らはジュリーよりももっと女性寄りなイメージでした。
世間的な扱いも女性枠だったような気がする。
美輪明宏は完全に女性の格好をしていたし、
ファンも男性が多かったような気がするんですが、
そんなことないですか?
(子供すぎてそのへんよくわからんのよ)
ジュリーは圧倒的に女の子のファンが多かったし、
男性でジュリーが好きだという人も、
ジュリーを女性に見立てて
「好きだ」と言っているわけではなかったように思います。
最近ですが、
「俺達、ジュリーになら抱かれてもいい」
とかいう見出しの雑誌の特集もありましたしね。
女の側からの「仲間」として
ジュリーのことを見ている立場としては、
抱かれるのはおまえ(男)かよ!
というツッコミを入れたくなりますが、
でも、ジュリーはどう見ても「男」であると考えると、
男性のファンから見れば、そういうことなんでしょうなあ。

男気のあるタイプの女優さんなら、
似たような存在の人もいるかな。
桃井かおり、夏木マリ、緑魔子とか?
(若い子はわかりませんすみません。)
「男ってこ〜んなのが好きよねえ」
「馬鹿よねえ」
ってことを彼女たちは見せてくれて、
一緒に笑ってくれている。
でも、彼女らは実際に女性の身であるために、
そういう仕草が完全にパロディにはなりえなくて、
どうしても本物の男たちのセクハラ視線がつきまとってしまう。

その点ジュリーは違います。
女をセクハラ視線でしか見られないようなマッチョな男どもは、
まさに自分たちが性的に消費している女たちのような
格好や仕草をするジュリーを馬鹿にして、
「キモチワルイ」とか言うんですよ。(アホか)
ジュリーはそんな男たちを
ファンの女の子たちと一緒に笑い飛ばしてくれるんです。

はーー
フェミ関連のことを言い始めると長くなってすまんですが、
そんなわけで、ジュリーって人は、
自分を女性に見立て、
ファンの女の子たちを女を眺めるおっさんに見立てて、
一緒に楽しんでしまう遊びを
教えてくれたんではないでしょうか。
ジュリーもファンも無意識にでしょうけどね。
(その遊びがエスカレートしてJUNE→やおい→BLと、
 着々と腐女子という人種が育っていったわけですが、
 そこを語り始めるとまた長くなるのでまた今度)


んで、その「無意識」ってとこがキモでして。
そんなふうにジュリーがうっふんあっはんしてるのを見ると、
楽しい嬉しいということを刷り込まれたファンは、
今でも、ジュリーがチラ見せするナマハラに、
「いいもの見せてもらったなあ」と、
まるでおっさんのようにぐへへと多少下品に喜んでいるわけです。
この「多少下品」というところも重要で、
普段の生活でやらかしたら眉をひそめられるようなことも、
ジュリーと一緒なら大丈夫。
だって、私達と共犯の「ジュリー」なんですから。
それは、後追いファンでも若いファンでも同じ。
ライブという特殊な空間(ジュリーは「異空間」と言ってたようですが)
でのみ許される、ジュリーとファンとの楽しい共犯関係です。

そんでもって、最近では、
ジュリーが年を取ってモフっているということも、
この共犯関係に拍車をかけてるんじゃないかと思うんですよ。
こないだの大阪だったかのライブのMCで、
自分が太った理由をあれこれ述べたあとに、
「私はもう諦めました。お客さんも諦めたらしいです」
とか言ってたらしいですが、
これもまた女性の側に立ちまくりの発言ですよね。

私も含めた中年以降の女ってのは、
ただ年を取っているというだけで価値が下がるんですよ。
腹立たしいことに。
今の男中心の社会では。
年齢という自分ではどうしようもないことで、
「価値」が下がったと思われてしまう、この理不尽!
「価値」ってなに!?
私の価値は年齢だけかよっっ!(怒)
年を取れば老けるし体型だって変わるよ。
若いころのまんまだったら化け物だよ。
そんな怒りやイライラもやもやに対してジュリーは
「いやだよねえ」
「でも、そんなのもういいじゃーん」
と言ってくれている。(ような気がする)
そんなわけで我々ファンは、
66歳ジュリーのお肉のついたぽよんとしたナマハラを見て、
「いいもの見せてもらった〜」
と喜ぶわけです。
今度は男どもからのセクハラ視線にプラスして、
おばさんに向けられる視線を笑っちゃおうってことですよ。
「年だからなんだっつーの!」
「若くないからってなめんなよ」
ってことをジュリーと一緒に言ってるですね。

なめんなよっ!

だから、あれはぽよんとしてるからいいんです。
今のジュリーの腹が筋肉で6個に割れてたりしたら、
そんなの見ても嬉しくないし、
今ほどのファンではいない気がする。
っていうか、そんなふうに体型維持に務めているジュリーとは、
もう共犯関係ではいられない気がする。
ファンの女の子たちに向かって、昔も今も
「みんな一緒だよ」って言ってくれてる
ジュリーが好きなんですから。

っていうか、もうね、
最近のライブのMCは完全におばちゃんたちの
女子飲み会ノリですからね。
「私も昔は綺麗って言われてねえ」
「見せるところだらけだったけど、
 今はどこも見せるとこなんてないよ」
「もう諦めたわー」
「なんか、まわりも諦めたみたい」
「もうだるくって、更年期かしら」
「そんな年はもう過ぎたでしょ(笑)」
とかねとかね(笑)。
楽しすぎる。
「更年期かしら」ってのは、
去年のツアー中のどこかで実際に言ってたことで、
なんだか私はそのジュリーの言葉で、
すんごく慰められたというか、嬉して涙出そうでした。
まさに先輩女子に「大変よねー」と
共感してもらったような、そんな感じ。

でもま、もともとがあの顔ですからね、
今も相当ハンサムなおじさまだと思うんですよ。
特にこのところ禁酒してた(らしい)せいか、
大宮あたりではお顔のラインがシュッとして、
昔の面影がチラチラしてヤバイんですが、
常にあのハンサムおじさまジュリーで、
体型もほっそりしたままだとしたら、
なんかもうドキドキしちゃって乙女萌えしかできなくなる。
それはそれでいいのかもしれませんが、
私は今の共犯者ジュリーがとても好きなので、
お顔は今ぐらいのシュッと加減を維持して、
お腹はぽよんで維持しててほしいです。
わがままですみません。

でもま、この先のことはわかりませんからね。
もしジュリーがもっと年取って、
今度は鶴のように痩せた爺ちゃんになったとしても、
それはそれでまた違う共犯関係を結ぶことになると思うので、
そのときを楽しみにしていようと思います。
なんにせよ、年齢に逆らって筋トレしたり顔をいじったりしないで、
「私は諦めました」
と言っているジュリーなら、
(というか、あの性格でいる限り筋トレも整形もしないでしょうが)
どこまでもついていって、
ナマハラを見てぐへへと喜んでいたいと思います。


ああ、またしても長文になってしまった。
全然まとまってない感じですが、
私が考えるジュリーのナマハラ問題、
ちょっとはおわかりいただけたでしょうか?




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