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「ジュリーのシングル曲で昭和女性史」を考えてみよう、
という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。
カテゴリは【ジュリーシングル曲で昭和女性史】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




さて、1曲目「君をのせて」ですが、
実は私はこの曲をリアルタイムでは聴いていません。
いや…、聴いていたのかもしれませんが、
ジュリーの歌と認識して聴いてはいませんでした。
「そう言われればそうだったっけ?」って感じで、
知ってはいたけど忘れてただけだったかも?とか、
知ってたような知らなかったような、みたいな。
ジュリーに関してはそういうことがものすごく多いです。
当時、歌謡曲の情報源と言えば家庭ではほぼテレビのみ。
なんとなく点けっぱなしなテレビから流れるジュリーが
見るともなし聴くともなしにぼんやりと流れ込み、
はっきりと「ジュリーだ!」と認識してはいなくても、
催眠学習のように、無意識レベルに
いつのまにか刷り込まれていたのかもしれません。
そんなふうにして刷り込まれたジュリーの記憶は、
伏流水のように地下水脈のように
私の中にずっと流れ続けていて、
2009年に突然地上に吹き出したのかもしれません。
おもしろいもんですね。
というわけで、
ぼ〜んやりと知ってたような気はするけれど、
この曲がジュリーのソロデビュー曲だと
私が「はっきりと」知識として得たのは、
2009年に突然ジュリーに堕ちてからです。

きれいな曲ですよねえ。
ジュリーの若い声が甘くて、
そのジュリーの声の特徴を引き出す
音域の広いメロディが美しいし、
加瀬邦彦さんに「沢田らしい」と言われたという、
「あぁ〜あぁ」という喘ぎ声…じゃなかった、
最高音部も身悶えポイントです。
でも、後追いファンだから言えることだと思いますが、
この曲ってジュリーっぽくないですよね?
私にとってのジュリーと言えば、
「あなた」や「おまえ」をこんなに愛しているのに、
「あなた」や「おまえ」は僕の愛に応えてくれない。
♪あぁ…あぁ……
てのが定番なイメージだったんですよ。
ていうか、
2曲目の「許されない愛」以降はそうですよね?
それが、この「君をのせて」は、かわいい両思いです。
「僕ら」は「肩を抱いて二人だけで歩く」んですよ。
「君をのせて 夜の海を渡る舟になろう」なんつって、
ふたりで生きていく決意表明ですよ。
なんだか幸せすぎてジュリーっぽくないです(酷い)。

しかし、時代的にはこういう内容の曲が、
まさにぴったりだったんだと思います。
新しい時代の自由な恋愛を歌うってとこでしょうか。

60年代にアメリカで起こったヒッピームーブメントが
日本にもやってきて、
若者たちは、それまでの社会規範に捉われない
自由な生き方をしよう!といった主張をし、
音楽の世界でもそういった、
ラブアンドピースな内容がたくさん歌われました。
「モナリザの微笑」「花の首飾り」の、
かわいいラブソングで人気を獲得したザ・タイガースにも、
「廃墟の鳩」「怒りの鐘を鳴らせ」「坊や祈っておくれ」とか、
戦争や社会への反抗をテーマにした曲がたくさんあります。
そもそも彼らは洋楽のカバーから始めたロックバンド。
カウンターカルチャーど真ん中の若者たちです。
後期になるとラブソングでも、
ただ甘かったり切なかったりする恋心を歌うだけじゃなく、
自由な恋愛をして、新しい男女関係を結ぼうという
内容のものになっていきます。
「素晴らしい旅行」とかね。
「荷物などいらないさ」
「愛だけが ぼくたちの 荷物さ」なんて、
その「愛」ってのが一番重いんだよっ!
って感じですが(笑)。
ザ・タイガース解散後のPYGだって、
「自由に歩いて愛して」ですよ。

で、そのPYGと平行する形で出したのが、
このソロデビューシングル「君をのせて」でした。

この曲が発売されたのは1971年11月。
日本の音楽シーンではGSブームが過ぎ去り、
フォークソングが全盛期を迎えようとしていました。
吉田拓郎の「結婚しようよ」が72年1月発売ですから、
ほぼ同時期ですね。
というわけで、「君をのせて」も、
ラブソングなんだけど、新しい男女の恋愛関係を歌う、
フォークソング路線を狙ったんじゃないかと思われます。
PYGはばりばりのロックバンドだったし、
歌詞の内容も社会に反抗する方向に重点が置かれていて、
明るい未来を歌うよりも、
今の社会は冷たくて我々若者は傷付いてるんだー!といった、
ネガティブな内容が多かった。
それと同じことをやっても、
わざわざジュリーをソロで歌わせる意味がありません。
それに、当時ロックは一般的に「汚い」っていう
イメージじゃなかったでしょうか。
キラキラの衣装や化粧に凝った
グラム・ロックが出てくるのももうちょっと後ですし、
ヒッピーカルチャーと結び付いていたこともあって、
みんなもさもさした長髪にしてヒゲに丸眼鏡、みたいな。
後期のビートルズですね。あんなイメージ。
社会に対する反抗を
大人たちがいやがる服装で表してたんでしょうなあ。
PYGもステージではお揃いのスーツを
着ていたこともあったらしいですが、
雑誌のグラビアなどで見ると、ジュリーも、
ラフなシャツや革のベストにベルボトムのジーンズ、
髪の毛もちゃんとセットせずに
伸ばしっぱなしの(ように見える)長髪です。
そんな格好でも、
「自由に歩いて愛して」のジャケットとかのジュリーは
本当に綺麗でくらくらしますが、
やはりそれは世間的には「汚い格好」。
綺麗なジュリーであるからこそ、
そんな格好をしないでほしいという声も
多かったんではないでしょうか。
加瀬邦彦さんも
「ジュリーには(ロックの)汚い方向に行ってほしくなかった」
みたいなことを言ってましたし、
ジュリーをソロで売り出そうとしていた会社側も
「世間」という大人たちです。
ヒッピーでロックでぎゃぎゃーん!と反抗するよりも、
綺麗で清楚でポップなジュリーのほうが、
断然世の中に受け入れられるだろうと考えるのは
当然のことだったでしょう。

服装ということで言えば、「君をのせて」の冒頭、
「風に向かいながら 皮の靴をはいて」
ってところが秀逸だと思うんですが、
「風」=従来の社会的規範に抗いながらも、
「皮の靴」を履いてるんですよ。
えーとですね、
ヒッピーはなんせ「自由」が第一でしたから、
服装も自由で楽な格好というのが基本でした。
窮屈な皮の靴なんて履きません。
サンダルか裸足です。せいぜい布靴でしょうか。
なので、皮の靴を履くってことは、
きちんとした格好をして、
社会の一員としての役割も果たしますよ、
ということだったんじゃないでしょうか。
子供のころ、別にいわゆるヒッピーの格好じゃなくとも、
だらしない格好や奇抜な服装をしていると、
「そんなヒッピーみたいな格好して!」
と親によく言われました。(懐かしい…)
「それ、ヒッピーちがう…」
と、私は子供心に思ったものでしたが、
要するに、
社会に受け入れられない格好=ヒッピーだったわけです。
ジュリーはこの曲で
合歓の郷のポピュラー・フェスティバルに出たときには、
ポケットの縁にテーピングがされた黒のベルベットの
フォーマルなスーツを着せられた、とか言っていましたが、
かわいかったでしょうな!
その写真とかないんですかねっ!
そんなジュリーを見た、
ザ・タイガースのかわいいジュリーが好きだったファンや、
ファンじゃなくともザ・タイガースで
メディアに出まくっていたころの
ジュリーを知っていた世間の人々には、
「あの、かわいい綺麗なジュリーが帰ってきた」
って感じだったんじゃないでしょうか。
いっときグレていた、ええとこのボンが、
心を入れ替えて戻ってきた、みたいな。
実際は戻ってきたもなんも、
ジュリーはもともと京都の繁華街、四条河原町を
ぷらぷらしていたロック少年だったわけで、
自分では別に路線変更してたつもりはなかったでしょうが、
ザ・タイガースでデビューしたときのイメージが
王子様ですからね。それも「星の」。
キラキラですよ。もう。
それに、ジュリーって人は、
どんなチンピラっぽいことをやっても言っても、
なんというか、育ちのよさっていうか、
ちゃんとしたおうちの子だったんだろうなあって雰囲気を
感じさせるとこがあるような気がするんですが、
そんなことないですかね?(ファンの欲目?)
そこがジュリーの大きな魅力のひとつであり、
多くの人に受け入れられてスターになっていった
要因のひとつでもあると、私は思っているんですよ。
そのへんのことも絡み合って、
シングル2曲目の「許されない愛」からの
イメージ戦略にも影響してると睨んでるんですが、
それはまた「許されない愛」のところで語ります。

そんなこんなで服装も含めて、
ロックではなくポップス、フォークな方向に舵を切った
ソロデビュー曲の「君をのせて」ですので、
メロディはやさしい曲調で爽やかに。
伴奏もバンドではなくオーケストラで、
ストリングスの前奏を美しく。
歌詞も、若いふたりが、皮の靴をはいたその上で、
「風に向かいながら」「遠い道を歩く」んです。
皮の靴をはいたからといって、社会におもねるわけではなく、
彼女とふたりだけの道を歩いていくよ、
という、そんな決意表明ですね。
「肩と肩をぶつけながら」歩くってことは、
一緒に歩いているふたりは同じ方向を向いているということで、
そのへんに新しい男女関係を築きたいという希望が
盛り込まれていますが、
社会に対してなにがなんでも反抗しようという
過激な意図は見られません。
「人の言葉 夢のむなしさ」と、
批判的な言葉もちくりと出てきますが、
それを「知った時には」
「君をのせて 夜の海を渡る舟になろう」とするんです。
「君のこころ ふさぐ時には」
その、心ふさぐ原因を取り除こうとするのではなく、
「君」のために「粋な歌をうたい」、
君をのせる舟になるだけです。
社会に対して反抗し、変革するために闘うのではなく、
男は隣にいる女を守り=僕という舟にのせ、
一緒にこの(クソな)世界=夜の海を渡っていこう、
という、そんな内容でよね。
かわいいです。

1969年に安田講堂が陥落し、
71年は学生運動が収束に向かいつつあったころ。
その翌年には浅間山荘ですからね。
若者の力で世の中を変えるなんてできなかったという
挫折感いっぱいのころです。
若者たちの目標は、
暴力的な大きな革命を起こして幸せになるのではなく、
個人個人が幸せになる、小さな革命にシフトしていきました。
それが、社会の最小単位である男女のカップルのあり方から、
まず変えていこうよ、ということだったんですよね。
ゲバ棒振りまわしてた時代から、
「軟弱」と言われる若者の時代になっていったわけですが、
そんな風潮が受け入れられ、
吉田拓郎の「結婚しようよ」はヒットし、
フォークソングは四畳半フォークと呼ばれるような、
男女関係を歌う曲が多く発表され、
そこに登場する主人公(主に男)のほとんどは、
少し気弱で優しい性格に描かれていました。

しかし、そんなふうに「僕」は、
従来の男たちとは違い、優しくかわいいんですが、
「君」=女のほうはどうなんでしょうか。
「君をのせて」と言われても、この歌の「君」は、
ただのんびりと「僕」の舟に乗ってるだけじゃ
ダメそうな気がします。
少なくとも、男と肩と肩をぶつけ合っても、
よろけたり倒れたりしないだけの体格と体力がある、
そんな女じゃないといけません。
ま、それは冗談としても、
やはりここで求められているのは、
精神的に(できれば経済的にも)自立していて、
自分ひとりでも歩いていける女性ではないでしょうか。
どうもこの舟は、乗ったら自動的に目的地に
連れて行ってくれるような動力付きではないイメージです。
「船」じゃなくて「舟」ですしね。
乗せてはくれるけど、女も漕ぎ手にならないと
夜の海を渡ることはできなさそうです。

当時、70年代初頭は日本でもウーマンリブ運動が、
ようやく広まってきたころでした。
学生運動に参加していた女子学生もいましたし、
そういった女たちは男女平等、女性の自立ということに
積極的に声を上げ、実践していたでしょう。
フォークは学生運動ともリンクしている音楽でしたので、
そこに歌われる「女」は、王子様をただ待っているだけではない、
男と一緒に並んで歩く女であることが多かったと思います。
しかし、当時大学に行く女性はほんの一握りでしたし、
世の中のほとんどの女性は、
ウーマンリブ運動や男女平等という思想を
きちんと理解し考えようとはしていなかっただろうと思われます。
ニュースや雑誌でその言葉や思想を知ってはいても、
自分のいる環境でそんなことを主張してもどうにもならない、
と諦めている女性がほとんどだったんじゃないでしょうか。
(今のフェミニズムもそんな側面がまだまだあって、
 40年以上も経っているっつうのに一体全体この社会はなにをやっていたんだと
 憤りを感じますがね)





と、フェミとしての憤りを感じたところで、一旦アップします。
「君をのせて」まだ続きます。(長い

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