「ジュリーのシングル曲で昭和女性史」を考えてみよう、
という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。
カテゴリは【ジュリーシングル曲で昭和女性史】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




さて、この曲はさっくり行きますよ。たぶん。
なぜ「さっくり」かと言いますと、
この「あなたへの愛」は、この前までの、
「許されない愛」「あなただけでいい」「死んでもいい」
「不倫三部作」の別シーンを描いた曲っぽいからです。
世界観は同じと思われますから、
ここに出てくる「あなた」の女性像は、
前の記事をご参照ください。

でも、世界観は同じなんですが、
「あなたへの愛」が「不倫三部作」とは、
決定的に違うところがあります。

「あなただけでいい」とか言っていた「不倫三部作」ですが、
実はこの3曲の中に「あなた」自身は登場していません。
「あなた」と「僕」が、今どうしているか、
ということが描かれていないんですよ。
「僕」が「忘れられない」とか「抱きしめたい」とか
言っているだけです。
「死んでもいい」では、
「髪をとかし 灯り消して」とか、
「ひとりの午後 窓にもたれて」とか、
一応「あなた」の描写らしきものが入っていますが、
これは全部「僕」の脳内です。
「僕など余計もの」だから、
「あなた」のそばにはいられないんですよ。
なので、
「あなた」はこうもあろああもあろと、
完全に妄想劇場です。
もしかしたら「あなた」は今ごろ、
どスッピンで髪の毛ひっくくって、
胡座かいて焼酎かっくらってるかもしれないのに。
愛しているがゆえに、
そして、会えないがゆえに、
「僕」の中で「あなた」は、
限りなく美しい女性に描かれています。
だからこその、「あなただけでいい」「死んでもいい」
なわけですけどね。
妄想の中の女だったから
そこまで想っていられたってことも、
多少はあったんじゃないか、なんて、
汚れっちまった私としては思ったりもしますね。

それが、「あなたへの愛」では、
その「あなた」が「僕」の前に登場しています。
「あなた」はなにか悲しく聞こえることを言い出し、
いつもなら自然とつなぎ合う手もつながない。
要するに別れ話シーンてことで、
時系列で言ったら「不倫三部作」の
前のお話ってことになるんでしょうか。
「僕」は「あなた」への愛を抱きしめて今日まで来たのに、
「あなた」は別れると言っているらしい。
「不倫三部作」では、もう別れることは決定事項で、
でも「忘れられない」「死んでもいい」とか、
「僕」はひとりで悶々としているんですが、
この「あなたへの愛」は、そうなるに至る過程での、
「あなた」との最後の逢瀬ってとこですかね。

「許されない愛」の作詞は山上路夫さん、
「あなただけでいい」がZUZUさん、
「死んでもいい」が山上路夫さん、
で、この「あなたへの愛」が ZUZUさんと、
この4曲は、山上路夫さんとZUZUさんが
交互に作詞しています。
最初の「許されない愛」
コンセプトアルバムからのシングルカットで、
前の記事で書いたように、
そこにはかなりはっきりしたストーリーがありました。
次の曲はその世界観を生かしたものに
というリクエストがあったのかどうかはわかりませんが、
ZUZUさんが作詞した「あなただけでいい」は、
明らかに「許されない愛」のストーリーを引き継いだものでした。
「忘れられない」「忘れよう」とか、同じフレーズも出てきます。
そして、そこには情景描写も「あなた」の姿もなにもなく、
ただ「僕」が虚しい夜に「あなた」を呼びつづけているだけです。
その次の「死んでもいい」では、今度は山上路夫さんが、
ZUZUさんの「あなただけでいい」の最後のフレーズ、
「それで死んでいい」をそのままタイトルにしてしまっています。
内容もまたほぼ同じですね。
あいかわらず「僕」の心情だけがぐだぐだと…じゃなかった、
切々と語られていて、今の情景はほとんどありません。

で、次にまたZUZUさんにバトンタッチされたわけですが、
同じことを繰り返すのはもうイヤだと思ったのか、
もしくは作曲の加瀬さんからなにかリクエストがあったのか、
世界観は同じだけれども、
少し違う角度から見た歌詞になっています。
今まで会うことのなかったふたりが一緒に歩いています。
でも、いつもなら自然につなぎ合う手もつながず、
分かり過ぎる程のあなたの気持ちを傷つけるつもりはないのに、
でも傷つけてしまう……。
ということは、言葉を交わせる近くにいるってことですよね。
「星もまばらな夜」
「遠い道」
「つなぎ合う手と手」
「冷たい指先」
「風の吹く日」
と、今ふたりが置かれている情景と
今ここにある「あなた」の手や指の描写が出てきます。
そして、その情景描写でもって、
この恋が「僕」の思い通りにはいかないということや、
悲しい気持ちを表現しているわけですね。
「あなた」と「僕」が悲しい気持ちのまま、
ふたりで歩く様子が目に浮かびますが、
ZUZUさんらしいおしゃれな雰囲気もあって美しいです。

あと、「死ぬ」「死ぬ」連呼がないところも
「不倫三部作」とは違ってますね。
私は実はこの曲はリアルタイムで聴いた記憶がなくて、
ジュリー堕ちしてから知ったんですが、
ソロになって2年目の5曲目とかではなく、
1990年ごろとか、
もっとあとの時期の曲かと思ってました。
最初に聴いたのが、たぶん40歳前後のジュリーが歌う
動画でだったせいということもありますが、
(まあ、シングルのオリジナル音源では、ザ・歌謡曲って感じのちょい大げさなオーケストラアレンジで、そのバージョンで聴けば、「ああ、昭和だなあ」と思うんですけどね)
初期曲の「不倫三部作」のような自己中な
「僕が」「僕が」ではないことで、
ちょっと大人なジュリーっていう感じがしたんですよ。
加瀬邦彦さん作曲のメロディが、
穏やかで明るい曲調というのも影響しているかもしれません。

でも、「僕」の様子は若干変化しているとはいえ、
「あなた」が「僕」の愛には応えられないと、
頑なに言っているというところは変わっていません。
それに対して「僕」は、
「愛を引き止める鎖があるなら」
「二人つながれて どこまで行きたい」
と言うんです。
「いつもなら自然につなぎ合う手と手」が
もうつながれないのなら、
鎖で無理矢理にでもつないでしまいたいってことですね。
「あなた」のほうは
「悲しく聞こえる」こと…たぶん別れたいということを
言い出しているのに、鎖でつながれたいとか、
「死んでもいい」とも違うストーカーちっくな一途さで
ちょっと怖いですけどね。

ところで、今回あらためてこの歌詞をじっくり読んでいて
ふと思ったんですが、
この歌詞って、「君をのせて」の後日譚的な意味合いにも
考えられるような気がしませんか?
「遠い道」「風」と共通する単語が出てきますし、
「つなぎ合う手と手」とか「楽しかった二人」とか、
「不倫三部作」の人妻と若い男の物語ってのよりも、
もうちょっと対等な恋人同士っていう雰囲気も漂ってるような。
なので、多少強引に「君をのせて」との関連で、
この「あなたへの愛」を解釈するとすれば……

風に向かいながら遠い道を歩くのも、
肩と肩をぶつけ、手と手をつなぎ合うままの関係なら
楽しかったのに、いつの間にかすれ違ったふたり。
「あなた」が言い出す言葉は悲しく聞こえ、
愛も途切れがちで、風に負けて泣いている。
「僕」は「あなた」を乗せる舟になろうとしたけれど、
「あなた」が乗ってくれなければどうしようもない。
愛を引き止める鎖があったら、
「あなた」を無理矢理に引き止めて、
二人つながれてどこまでも行きたいけれど、
それは「あなた」を傷つけるだけ。
ああああ〜〜……

「君」が「あなた」になっちゃってますが。
ま、ふたりともちょっと大人になったということで。
そして、大人になったふたりは、
若者のころのように自由にばかりは
やっていられなくなったようです。
男女が対等に肩を並べて歩いているうちはよかったけれど、
相手を愛するということは執着することでもあって、
それが高じると相手を束縛したくなってもきます。
いつまでもお互い自由でいたいよね、という
新しい時代の男女関係とは相いれません。
「死んでもいい」ほど愛している「あなた」だから、
「僕」は鎖で繋いででも引き止めたいと思っているけど、
そうすると「あなた」との愛は成り立たなくなってしまう。
自由な新しい恋愛関係とか男女関係とか言っても、
深く愛せば愛すほど理想ばかりを言ってはいられないんだよ。
という、「君をのせて」に対する、
ZUZUさんからのひとつの回答だったのかもしれません。
切ないですなあ。

しかし、
「愛を引き止める鎖があるなら 二人つながれて」
とかって、これがジュリーじゃない、
もっと男っぽい人が歌ってたら、
「女の気持ちはどうなんだよっ!」
「鎖になんかつながれたくないわ!」とか、
上にも書いたように、
「ストーカーか!」と
ツッコミ入れたくなる気がするんですが、
これが、若くて美しいジュリーが歌うことで、
ジュリー自身が「あなた」でもあるかのように思えて、
まさに「あなたの気持ち」は
「分かり過ぎる程」分かってるんだなと、
自然と思えてしまうから不思議です。
最後のフレーズの「どこまで行きたい」は、
意味的には「どこまでも行きたい」なのを
譜割りに合わせて「も」を取ってしまったのだと思うんですが、
これを「どこまで行きたい」としたことで、
なんだか舌っ足らずな感じになって、
あのジュリーが必殺上目遣いで、
「どこまで行きたい?」と「あなた」に尋ねているようにも
聴こえるんですよね。
そんなジュリーの鎖にだったらどんどんつながれて、
どこまでだって行きますよ!
てなもんですよねえ。


と、結局これも長くなってしまいましたが、
今回はなんとか1回分の記事に収まったか?


というわけで、以下は「裏」解釈ですー。


この曲に関しては、世界観は「不倫三部作」と同じだし、
「裏」解釈は湧かないなー、今回は「裏」はナシで……
と思ってたんですけどね。
これが「君をのせて」の後日譚的な意味があるんじゃ?
って思い付いちゃったのと同時に、
そしたらやっぱ「裏」もそれだよねー、と湧いてきました。

そうです。
ショーケンとっていうか、PYGのその後でございます。
「あなたへの愛」がリリースされた1972年12月は、
PYGとしての活動が休止され、事実上解散していたころ。
もうショーケンとはお別れなのか…と嘆くジュリー、
ってとこですかね。

ショーケンが「もう俺はPYG辞める」と
言い出せば悲しく聞こえる。
ふたりで渡った夜の海とは違う、星もまばらな夜。
肩をぶつけ合って歩く道は遠いほうが
ずっと一緒にいられると思えて楽しかったのに、
今はひとりずつ歩く遠い道がつらい。
なかなか逢えないふたりの途切れがちな愛では、
世間の風に立ち向かうことができない。
ショーケンが役者の道に進みたいという気持ちも
ジュリーが一緒にバンドをやりたい気持ちも
お互いに分かり過ぎる程で、
傷つけるつもりはないのに、
自分のやりたいことをやろうとすると、
どうしてもお互いを傷つけてしまう。
冷たい指先を暖め合った楽しい日々。
あの愛を引き止める鎖があるなら、
二人つながれて、
「ショーケン、おまえはどこまで行きたい?」
「おまえと一緒ならどこまででも行きたいよ」


そのまんまでした。すんませんすんません。

しかし、ジュリーとショーケンは、
PYGとしての活動が休止したあとも、
なんだかんだと仲良しだったらしく、
ジュリーのラジオにショーケンがゲストで出てたり、
夜のヒットスタジオにショーケンが現れて、
ジュリーの歌をすぐそばで聴いていたり、
プライベートで一緒に映画を観にいったり、
あ、レコード大賞のときには
お祝いに駆けつけたりもしてましたね。
80年代90年代でも、
映画「カポネ大いに泣く」や大河ドラマで共演してますし、
実は今でも仲良しなんじゃないの?とか思っちゃいます。
っていうか、仲良しでいてほしい!
PYG再結成熱烈希望!!!
PYGが無理なら今のふたりのツーショットを見せてほしい!
というお願いを最後にして、
「裏」解釈を終わりたいと思います。
たのむよー。

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