ジュリーのシングル曲をネタにして、
昭和の女性が負わされていた女性像を考えてみよう


という無謀なことをやっております。
どこまで続くかわかりませんが、
途切れ途切れにでもやっていこうかと思います。

カテゴリは【ジュリーの曲で考える昭和女性幻想】
できれば、最初から順番に読んでいただけると嬉しいです。




「君をのせて」から「コバルトの季節の中で」までの
17曲の解説を載せた
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「その1」で延々と語ったように、
「さよならをいう気もない」の歌詞は、
阿久悠氏の作詞技巧がさまざまに凝らされた
秀逸な一品と言えますが、
しかし、そこに描かれているのは、
やっぱり男に超絶都合のいい女性像。
「ハイヒール」「詩人」「ミュージカル」という、
おっさん演歌にはまず出てこない
単語を入れ込むことで、
都会的でシャレオツーな雰囲気に
なってはいるんですが、
演歌でなくとも、昭和なムード歌謡だったら
こういう歌詞もありそうな気がします。
やっぱりタキシードや
ビシっとしたスーツの
おっさんが眉間に皺寄せて、
もしくは妙に甘ったるい低音で
ムーディに歌うイメージ。
ムード歌謡ですからね。
そして、冒頭で言ったように、
そこにはおっさんたちの
ホモソーシャルな関係がチラチラします。
歌うのもおっさんなら、
それを喜んで聴くのもおっさん。
「こんな女がグッとくるんだよねー」
「ねー」
「こういう男の気持ちは女にはわかんないんだろねー」
「ねー」
「こんな女どっかにいねえかなー」
「なー」
みたいな。

いねえよっ!

こんな、現実にはいそうもない夢の女と
身勝手な男が出てくる歌謡曲が、
当時は確かに売れまくっていましたが、
しかし、これを歌うことになったジュリーは、
こういう男たちのホモソーシャルな世界から
一番遠いキャラクターとして存在していました。

男同士の連帯というのは、
現実の女をディスりつつも、
女たちは全員自分を愛してくれないといけない、
という意識を持っていることが
暗黙の了解になっています。
そして、現実にはそんなことはないわけですから、
それを男同士で嘆くとか、
言葉に出さなくとも目配せでわかり合う、とか。
ところが、
ジュリーはまず、その美貌によって
世の中の普通の男たちとは一線を画してますし、
ザ・タイガースでデビューしたときから
世の中の女の子たちから絶大な愛を寄せられ、
そして歌うのは、
ひとりの女をとことん愛し続け、
またその女からも愛されている男の歌。
ジュリーに限らずそんな男は、
男同士のホモソーシャルな関係の中には入れません。
「あー、あいつはモテるからね」
「イケメンはいいよなー」
「彼女だけに愛を捧げるとか、よくやるよ」
とかとか、
なにかと仲間はずれにされます。
「ああ見えて男らしいんだぜ」とか
「結構いいやつだよ」と
受け入れられることもありますが、
それは「ああ見えて」という注釈付き、
及び「俺は認めている」という上から目線です。

中の人=沢田研二はどうなのかわかりませんが、
世間一般にはそんなキャラクターとして
認識されていたジュリーですので、
男にしかわからない夢の女を描いた歌詞、
それも女歌を、そのまま男として歌っても、
男たちからの「わかるわかるー」という
共感は得られませんし、
それまでのファンである女性たちにも
「男に傷つけられた(らしい)女の気持ちを
 歌うなんてジュリーっぽくない」
と、戸惑われてしまうでしょう。

そこで、ジュリーが編み出した変化球が、
あの「金キャミ」だったんじゃないでしょうか。

ジュリーは
「女性が着るタンクトップというか、
 下着みたいなのを着て、イヤリング付けて……」
とか言っていましたが、
あれはひとくちに「女装」とは言えません。

ジュリーは、
男性にしては骨格が華奢で肩幅も狭いので、
かわいらしいデザインのブラウスなんかを着ると、
胸のない女の子のように見えることもありますが
(「悪魔のようなあいつ」の良ちゃんとかね)
金キャミだと、
どう見てもやっぱり男の、
ごつい首と肩のラインが露出します。
しかも、あの金キャミが女性の服装かというと、
それも違うんではないかなーという気もするんですよ。
だって、あんな格好した女の人、見たことある?
私はありません。
ボトムがパンツではなくロングスカートだったら、
外国のセレブのパーティドレスとか?
日本では叶姉妹ぐらいか?
でも、スカートではなくパンツスーツですし、
女性っぽいメイクをしているわけでも、
歌詞にも出てくるようなハイヒールを
履いているわけでもなく、
単純な「女装」とは違うように見えます。
かと言って、男性であんな服を着る人はいない……。

「金キャミ」を着て歌っているジュリーは、
「ベソをかく」ではしょんぼりした仕草をし、
ハイヒールを両手に下げたり、
「歌えない 踊れない」と肩をすくめたりと、
歌詞の中の「私」になりきっているように見えますが、
女のふりをしている、
というのとも違う気もします。
あれは、「女」でも「男」でも、
「ジュリー」でさえなく、
「さよならをいう気もない」という
歌そのものを体現した姿なんじゃないでしょうか。

当時の歌謡曲というものは、
歌っている歌手自身に
イメージを託している部分が大きくて、
男の歌手ならばその歌っている内容は男の立場、
女ならば女の立場、若ければ若者の立場で
歌っているものだと、
聴くほうは了解していたと思います。
性別年齢だけではなく、
その歌手の見た目や生い立ちまで含めた全体で、
聴き手へ届けるものだったんですね。
ジュリーもそれまでは、
「綺麗な顔をした」
「若い」
「女性に人気の」
「男」
という属性を活かした歌を歌ってきたわけですが、
上で書いたように、
今回の歌謡曲的=演歌的な
「さよならをいう気もない」は、
その属性のままで歌うと、
歌詞の背景にチラチラする
男に都合がいい女性像とか、
演歌的な既存のイメージとうまく噛み合わず、
ちぐはぐなことになりかねない。
ならばということで、この「金キャミ」は、
ジュリーが歌う「さよならをいう気もない」
テレビを通じて見せる、というのではなく、
歌っている「ジュリー」を含めた
テレビの画面全部を
「さよならをいう気もない」という世界に
してしまおうという、
そんな試みだったのかもしれません。

そんな、男とか女とかを超越した、
「性別・ジュリー」としか
言いようのないなにかになったジュリーが歌う
「さよならをいう気もない」は、
演歌やムード歌謡に向けられる
男たちのホモソーシャルな眼差しを吹き飛ばし、
時代も国も違うまるで洋画のワンシーンのような世界を
そこに出現させました。
それは、
聴く人の生活や実体験とは切り離されていますから、
ハイヒールのかかとを折って泣いていたり、
裸足で歩き出したりする女は、
身のまわりの男どもが「げっへっへ…」と
都合よく妄想するような
シチュエーションに置かれているのではなく、
女性も憧れることのできる
素敵な恋愛関係の中にいるんだと思いつつ
聴くことができるのです。

とはいえ、
いきなりあんな格好で歌い出された日にゃあ
(「夜のヒットスタジオ」の初披露では、
 最初は上着を着ていて歌う直前に脱いで
 キャミになります)
その「それどーなってんの!?」ってな衣装やら、
ジュリーの鎖骨やら胸の谷間やら、
金色のパンツに包まれたプリケツやら、
はたまた曲の途中でハラリと落ちる肩紐やらに
目を奪われて、
歌詞の内容なんざ
誰も聴いちゃいなかったんじゃないかと思われます(笑)。

残念ながら私はリアルタイムでの「金キャミ」のことは
記憶にないんですが、
ジュリーに堕ちた初めのころ、
「夜のヒットスタジオ」の画像や動画を
ネットで見つけて、
「な、ん、じゃ、、こりゃあ〜〜〜!!!」
と、PCの前で実際に声を上げました(笑)。
破壊力バツグンです。
もしかしてあれは、
いくら売るためとは言え、
あまりにも歌謡曲的(演歌的?)な歌詞から
目をそらさせるための、
ジュリーと衣装担当の早川タケジさんや、
加瀬邦彦さんたちの作戦だったのかもしれません。
だとしたら、その作戦は大成功ですよね。
変化球&豪速球って感じでしょうか。
あれを冷静に受け止められる人は、
ファンも含めて少なかったんじゃないかと思います。

ジュリーは、
1976年5月に起こした暴行事件のあと、
自主的に1ヶ月の謹慎をし、
その年は紅白歌合戦も賞レースも
すべて辞退しているので、
1977年は心機一転、再出発!って気持ちで
臨んだ新年だったんじゃないかと思います。
「新聞にああいう事件が出てしまったら、
 もうこれ以上の恥ずかしいことはない、
 親戚にも迷惑かけて。
 だから仕事でもってやることは、
 多少の恥をかいたって、
 あれに比べれば大したことはない」
(「我が名はジュリー」より)
と言っていて、
「もう怖いものはなにもない!」
と開き直ったジュリーは、
それまで誰もやらなかったことをやってやれ!
「派手であればいい、人目を引けばいい」
(「我が名はジュリー」より)
と思っての、
金色のキャミソールを着ての登場だったようです。

レコードの売り上げを伸ばすための
歌謡曲路線という会社側の思惑とは、
たぶん全然違う方向に突っ走った
ジュリーなわけですが、
新しい試みをなんでもやってみようという
雰囲気のあった当時の元気なテレビ界で、
そんな姿勢は好意的に受け入れられ
(ジュリーだったからってのもありそうですが…)
テレビ局側にもおもしろがって
サポートしようとする人が現れて、
従来の歌謡曲の見せ方とは
全然違うジュリーの世界がブレイクし、
次の「勝手にしやがれ」からの快進撃が始まるわけです。



というわけで表の解釈はここまで。
お次は【裏解釈】です。




なんかさ〜
今までの裏解釈はさ、
ジュリー歌う「あなた」とか「お前」とかの
女の側をジュリーにすることで、
ジュリーが誰かを愛しているってんじゃなくて、
ジュリーが誰かから愛されてる、それが萌え!
ってなふうに妄想して楽しんでたわけじゃないですか。

それが!

今回はもう公式で、ジュリーが「私」。
これでジュリーが男の格好して、
男として女歌を歌ったってんならまだ、
いやいや、ジュリー自身が「私」でしょ……と、
ニヤニヤしつつ妄想することもできるんですが、
公式が「金キャミ」ですからね。
妄想の遥か上を行ってますしw

しかし……
妄想がはかどらないのは、
やっぱりこの女が演歌の女っぽいからなんですよ。
心変わりした男に、
悲し過ぎるからと「さよなら」も言わずに
泣きながら去っていくなんて、
ジュリーのキャラじゃありません。(私の中では)

じゃあってんで、
歌詞の中にははっきりと登場しない男を
ジュリーとしたらどうかと思って、
いろいろ考えていて、
無理矢理妄想してみたのが、以下のお話でございます。

「私」は、あのヒゲのギタリストですかねー。

女が履くハイヒールよりもかかとが高い
ロンドンブーツを履いて
はしゃいでいたおまえ
俺たちも一緒にはしゃぎ過ぎたんだな
あの事件は本当についてなかった
運がなかったんだよ
俺とおまえが男と女だったら
悲しい手さぐりで心のやすらぎを
求め合うところなんだろうけど
そうもいかない
あの作詞家の詩人先生みたいに
俺は気が利いたことは言えないよ
おまえにこんな演歌みたいな
歌詞を歌わせるなんて、悲しすぎて
さよならをいう気もない

それでもおまえは
立ち止まってるわけにはいかないんだな
いつまでも謹慎とかやってないで
レコードを売るために
歩き出さないといけない
俺たちはロックバンドで
おまえもバンドの一員だって
昔はよく言ってたのに
ソロ歌手になったおまえは
まるでミュージカルの場面を演じるように
女装みたいな格好までして歌ってる
PYGのころは
俺がボーカルとして歌ったこともあったけど
俺はもう歌えない
ましてやおまえと一緒に踊ることなんて
できるはずもない
ソロ歌手とそのバックバンドなんていうふうに
切り離されて俺もおまえも孤独だよな
男と女だったらそんな孤独に気がついても
なんとか寄り添って
不幸を忘れてしまおうとするものだろうけど
おまえを歌謡曲の歌手にしちまった
会社や芸能界のことを俺は絶対忘れない
そんなの悲しすぎて
さよならをいう気もない


ジュリーとロックバンドをやりたかった(らしい)
ヒゲのバンドリーダーのあの方は、
ジュリーがどんどん歌謡曲路線に行くことが
気に入らなかっただろうなあと思ってたら、
こんな話になっちまいました。
ヒゲさんは、
「危険なふたり」がヒットしたころから、
バックバンドはもうやめたいと
言っていたらしいですが、
結局「TOKIO」発売直後の1980年1月までは
ジュリーのバックをやっていたんですよね。
会社が打ち出した歌謡曲路線や、
それに対していろんな衣装やパフォーマンスで
工夫してたジュリーにいろいろ不満を持ちながらも、
なんだかんだと10年も
バックバンドをやっていたってことは、
やっぱりジュリーと離れたくなかったから
なんでしょうなあ。

そう考えると、
「さよならをいう気もない」というフレーズは、
別れたくても別れられない、
別れられないのに別れたい……という、
ヒゲの人のねじれまくった
ジュリーへの気持ちのように
聴こえてきませんか?
きませんかね??

(今回は今ひとつ萌えが足りなくて
 自信がないのよよ…)


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コメント
この記事へのコメント
この歌、もし、ジュリーが普通の服装で歌ったなら、”ああ ジュリーったら、売れないからって演歌にはしったのかな? 上から言われてうたわされてるのねー。” とか思ったかもしれませんね。 だって、この歌って ジュリーの金キャミがすべて!!!
私もジュリ堕ちのYOUTUBEで見てうわー!でしたわ。心がめちゃくちゃ動揺しましたもん。
もう、この歌って表も裏も金キャミすべてって感じだわあ。
ふふふ。 ヒゲさん無理やり妄想ってわかります。彼とジュリーはあんまり 萌えがないですもんね。
2017/02/02(Thu) 01:10 | URL  | nekorin #-[ 編集]
nekorinさん、そうなのよー
ほんと、ジュリーが普通のスーツ姿で歌ってたら全然違って聴こえただろうなーと思える曲ですよね。
どうにかして演歌っぽくならずに歌いたい!というジュリーの意地だったのかもしれません。とんでもない方向に走った意地の張り方ですけど(笑)。

阿久悠氏の歌詞はどれもなんだか湿っぽくて、どうにも「萌え」になりません。で、湿っぽいと言えばヒゲさん、ということで彼に登場いただいたんですが、この先の曲もどうしようかなーと困り中です。
2017/02/03(Fri) 12:55 | URL  | ゆう(管理人) #-[ 編集]
みんな金キャミがお好き
あのピタピタのキャミソール、肩紐ハラリは今見てもドキドキしますね!

しかし金キャミは夜のヒットスタジオでだけでした。ほかの歌番組では白のブラウスとパンツとかでした。そりゃ昼間っからあの衣装ではお茶の間がひきますわね。

金色の衣装はもともと前年の武道館コンサートで着用したもので、TV用ではなかったかと。ただし、夜ヒットではステージ衣装を着用することもありました。夜ヒットは特別だったんですね。

あの金キャミと土下座映像が入っているヒットスタジオDVDはお宝です。
2017/02/20(Mon) 13:03 | URL  | Rスズキ #-[ 編集]
Rスズキさん、そうですよね~
あの金キャミはほんとドキドキしますね!

そうそう、武道館コンサートのときの衣装なんですよね。Youtubeで動画を観たことがあります。
武道館で実際に観られた方々がいたなんて、羨ましすぎです。
しかし、大きい会場のコンサートだとかっこよく見えるのに、テレビだとかっこいいというよりも綺麗っていうか、妖艶ていうか……、ちょっとイメージが違うんですよね。不思議です。

夜ヒットDVDは、私も宝物です。あれが生放送だったっていうのも、すごいなあと思います。
2017/02/20(Mon) 21:53 | URL  | ゆう(管理人) #-[ 編集]
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